第3部 北都の暗殺者

第220話 復讐の誓い~ベルガン

 序


 湿度の高い濃厚な静寂で、いつもそこは満たされている。


 暗く狭く冷たい、工房都市の地下へ無数に存在する爬虫類の巣穴めいた建物と建物の狭間の、寝床とも呼べない枯れた植物と得体の知れない織物の切れ端をごちゃまぜにした、当人のみがベッドと認識する物体の中、その者は冷や汗をかいて跳ね起きた。常に漆黒でおおわれたこの空間にあって、入口として使っている穴というか隙間をふさぐ襤褸ボロ切れの合間から滲み出る光の断片だけで、この者の赤く発光する眼は充分に状況を視認することができる。


 「ギロアが……死んだ……」


 女の声だったが、逞しく中音域に低かった。どこの都市国家の言葉でもない、不思議な発音の、言語とも呼べぬ呼気と歯と青い舌と薄い唇の発する摩擦音と破裂音は、確かにそういう意味を有していた。


 女は頭を抱え、短く切りまとめた髪をかきむしりながら、どうやってこの経験のない感情を表現し、制御してよいかわからず、筋肉質だがなまめかしい肢体を湿った石床に投げ出してのたうった。およそ人間とは思えない唸り声が朗々と地下空間に響き渡り、同じようにこの人工の穴倉を住処とする小動物や人間のなれの果てを怯えさせる。やがてその肉体は変貌を遂げ、竜めいた長い蛇の尾が躍動する尻から伸びて怒りに打ち震え、科を作る背中には棘とも背びれともつかない突起が列をなし、額のやや上の前頭部からは大きな角が生えて石を擦った。口には獲物を無慈悲に切り裂き、噛み砕く牙が覗き、竜を思わせる発光器が肩や角、眼、腿から脛をオレンジの警戒色に明滅させる。


 「ギロアが……死んだ……殺された……!!」


 それは直観とも姉妹のつながりともいえる、実に感応的な感覚であった。燃え立つ怒りと逆巻く悲しみと煮えたぎる敵愾てきがい心、憎しみ、果ては狂おしいまでの劣情と底知れない思慕すら入り混じった抑制できない感情が、女をさいなみ苦しめる。


 「ギロア……ギロア……アアアアアア、ア、ア、アーッ……!!」


 発光器の色がオレンジから攻撃色の深紅に染まり、その者は鋭く太い竜の爪を壁に打ち立て、しっとりとした古代コンクリートへひたすら怨嗟の螺旋を刻みつけた。


 復讐が、はじまる。



 第一章


 1


 リーディアリード発、パーキャス諸島経由ベルガン行きの貨客船ラーペオ号は、特段の差し障りも無く、無事に北方海路交易の要、スターラ(ストゥーリア)領の港町ベルガンへ到着した。都市国家共通歴であるヘアム=レイ帝月の末に近くなっていた。もうすぐ、雪が降ってくる季節だ。


 港はリーディアリードと同じほどの規模で、厳しい冬を越す必要があるためか、家々は頑丈に作られ、大きな煙突がどの家にもあった。アーリー、カンナ、マレッティの三人は、さっそくベルガンで最も高い宿を手配してしばし休むと共に、アーリーは港湾事務所へ行き、街道の通行許可をもらおうとした。本来であれば街道を管理する役所が別にあるのだが、地方都市なので港湾事務所がそれも兼ねている。


 「サラティスから来られたガリア遣い?」


 大の大男すら余裕で超えるアーリーの背丈と大柄な威容、それに燃えるような赤い蓬髪ほうはつ、彫像めいた厳しい顔つきに圧倒されながらも、事務所の職員はちょうど良いところに来たと云わんばかりに腰を上げた。

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