第2部 絶海の隠者

第109話 回想

 空は、重苦しい灰色に満ちている。

 三人の女がぬれていた。


 晩秋の波濤はひっきりなしに荒々しい岩だらけの海岸に打ち寄せては微塵に砕け、洞穴の入り口へ波飛沫なみしぶきをまき散らしていた。気温が低く、風も冷たい。足の先、脳天、尻の底から全身をじっとりと冷えが襲った。


 マレッティは仁王立ちで両手を腰に当て、藻屑の切れっ端を濡れた濃い金髪へひっかけたまま、北方人特有の白い肌を低温がさらに白くさせている。青い瞳は細く鈍いやりきれない怒りの光をたたえ、ずぶ濡れの服をアーリーの出した炎へあてたまま眉をよせ、厳しい表情を隠しもしなかった。


 「どうして……」

 その声は、炎の向こうにいるアーリーへ容赦なく向けられる。

 「どうしてあたしたちは、こんなところで濡れねずみになっているのかしらねえ、アーリー」


 アーリーは例によっで無言だった。愛用の紅い赤竜鱗の軽鎧は、火には強いが水には弱い。重く水を吸ってずっしりとアーリーの二十キュルト(約二メートル)はある大柄な肉体へ重しをかけた。


 アーリーは、一面に転がる大きな握りこぶし大の石くれをものともせずに胡座をかき、自らの竜滅具の力で出現させた炎を凝視している。火と同じ色の赤毛も、紅い竜の瞳も、微動だにせぬ。ときおり、枯れきった流木を炎へ投げ入れた。赤竜との半竜人であるアーリーは、水は勝手がちがった。


 波の砕ける不規則な轟音が、洞穴内へこだまする。その響きやまぬ重低音にまぎれ、独特の漆喰のような乳白色の真っ白い顔をより青白くし、戦いの衝撃と未経験の寒さに白眼をむいてひたすら震えているカンナの歯の鳴る音が、小刻みにいつまでも続いている。微細に光を反射する黒鉄色の長く細い髪は無残に潮へ濡れそぼっていた。暗がりに水晶を磨いたメガネが火を反射し、物も云えずにただただ震えている。


 ここは都市国家「竜戦士バスクの街」サラティスより遙か北西、港町リーディアリードのまた北西海上四十ルット(約八十キロ)に浮かぶ、パーキャス諸島のどこかの小島の洞穴だった。このような小島はこの諸島に千とあるし、このような洞穴も大小無数にある。名も知らぬ海鳥の果てしない群れが鳴き声と共にが風へまぎれ、海響かいきょうが無限に折り重なり、地鳴りめいて轟いている。


 マレッティは深くため息をつき、いまごろはストゥーリアにいるはずの自分がどうしてここにいて、水難に苦しんでいるのか整理した。



 第一章


 1


 マレッティの記憶がたしかならば、経緯はこうである。


 

 サラティス攻防戦で竜属側のダールにしてサラティス攻略竜軍総司令デリナが撤退してから三か月。ヘアム=レイ帝の月となり、南方のサラティスにも栗の美味しい秋の気配が訪れてきた。バグルスは一回も出現していない。竜もめっきり減って、人々は助かっていた。


 またバスクたちも、特にコーヴは戦力半減の被害を受けており、スカウトが連日各所の可能性鑑定所に詰めて新人を探している。ストゥーリアやウガマール、はては近郊遠方の田舎やラズィンバーグから、バスク不足の噂を聞いたガリア遣いがバスクになるべくサラティスに集まっていた。が、可能性が60以上というのは、意外とおらず、コーヴの戦力はあまり回復していなかった。

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