第227話 救世主をプロデュース

 天井が前面に見えたことで、自分は仰向きに寝転んでいることにヨハンは気づいた。見慣れた自分の家でないことはすぐにわかった。ヨハンの家の天井には古くなって出来た雨漏りのしみがある。では、自分は一体どこにいる。体をよじって、周囲を見舞わそうとする。すると、自分の頭側で、人が動く気配がした。

「あなた?」

 聞きなれた妻の声だった。首を上に傾けると、口元に手を当てて、今にも泣き出しそうな妻、アンの顔があった。

「あなた!」

 アンがヨハンにすがりついた。胸元にしがみつき嗚咽を漏らす彼女の背を優しくさすっていると、自分の方が落ち着いてきた。

「アン、ここは一体どこだ? 俺はどうしてここにいる?」

「ここは、ルゴス様のお宅よ」

 鼻水をすすりながらアンが答えた。

「ルゴス?」

 聞きなれない名だ。ご近所にも知り合いにそのような人間はいなかったはず。

「覚えてない? あなた、鞭打ちの刑に処されたのよ」

 彼女の言葉が呼び水となり、ヨハンの記憶が溢れだす。

「そうだ、確か俺は、俺たちの部隊は憲兵隊に捕まって」

 あらぬ罪を着せられ、刑が執行された。皮が剥がれ、肉が削げ落ちるほど鞭打たれたはずだ。

「痛みが、ない」

 多少の動き辛さはあるが、それは体に巻かれた包帯と抱きついている妻のせいだろう。痛みで動きが阻害されるという事は無かった。一体どういうことなのか、確かに自分は鞭打たれたはずだ。

「アン」

「何?」

「部下たちを知っているか? 俺と一緒に刑を受けた・・・」

 そう言っている間に、ドアからドカドカと入ってきた。

「隊長!」

「気づかれたんですね?」

 知りたがった情報が向こうから現れた。彼の部下たちだ。同じく鞭打ちの刑を受けたはずだが、見た所ピンピンしている。

「お前ら無事だったのか!」

「ええ、もちろんですよ」

「隊長こそお加減いかがですか? 一番打たれていたのに」

「それが、何ともないんだ・・・。教えてくれ。俺が寝ている間に、何があったんだ?」

「それについては、私がお教えしましょう」

 新たな第三者がヨハンの前に現れた。その瞬間、妻も部下たちも両膝をついて平伏した。

「あ、あなたは」

 ヨハンが男に問う。

「私の名はルゴス。天の声の代弁者です」

 貼り付けた笑みが崩れないよう、精一杯の努力をしながらルゴスは厳かに答えた。


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「いや、無理だって」

 傷ついた衛兵部隊を連れ込み、治療を終えた後。僕はルゴスに『どうせなら救世主になってみないか』と提案した。救世主と呼ばれてもルゴスはピンと来ない。どうやら、救世主という概念が彼、というよりも、この世界には無かったようだ。色々と言葉を尽くして『天の声に導かれて、人々を救って回る導師』というキャラクターだと説明した。理解は得たが、納得は得られなかったのがさっきの無理という返答だ。

「俺が人々を救って回る導師? 無理に決まっているだろう」

「そこを何とか」

「無理って言うか、嫌だ。そんな偉そうな真似なんぞしてたら背中がかゆくなってしょうがない」

 そもそも、治すのをひけらかすのは良くないって言ったのはお前じゃないか、とルゴスは僕に当たる。その割に人を治すのを辞めないんだから、その文句は筋違いだ。辞めないのであれば、違う策を練る必要がある。

「後々にこの設定が生きてくると思うんだよ」

「治すだけじゃダメなのか? 治すのは別に全然構わないんだ。請われれば幾らでも、何人でも出来る限りのことはする。それじゃダメか?」

「今まではそれでも良かった」

 今の僕は、プロデューサーだ。アイドル育成ならぬ、救世主育成計画だ。

「だけど、今までのやり方は知り合い相手には良かった。むしろ近づきやすい、親しみやすい設定だった。けれど、これからは知らない人間を相手にする。彼らに対するキャラクター、『仮面』を使い分けてもらう」

「仮面、ねえ」

「大げさに考えることはないよ。あんただって、僕とバルバとでは対応の仕方が異なるだろう?」

「まあ、確かに」

「一緒だ。追加で彼ら用の仮面を被ってもらうだけだ」

「簡単に言うけどな」

「これにはメリットがある」

 文句と拒否を続けようとするルゴスを押し止め、僕は話を続ける。

「今回のようなことは、正直これから何度でも起こる」

 今回の事、王の怒りによって罪無き者が罰せられる件だ。

「これはもう、止めようがない。あんたの話が広まりすぎて、歯止めが利かないからだ。沈静化させるには、原因であるあんたが王に捕まるか、もう一つの原因である王が死ぬかだ」

 異論がないルゴスは、苦虫をガム代わりに何度も噛んだような顔で押し黙る。

「だけど、罰せられる人間を、減らす事は出来るかも知れない」

「本当か?」

「ああ。簡単だ。味方を増やせばいい」

「味方を・・・まさか、仲間を増やして王を打倒するとか言わないよな?」

 クーデターか、その手もあるな、心のメモに手段の一つとして記載して残しておく。ただ、今は違う話をしておく。

「味方を増やすことで、相手の、この場合は王や兵士たちだな。彼らの情報を得る」

 どこを見回っているのか、どういう指示を出しているのか、それだけでも充分に役立つ。

「味方は住民だけじゃない。兵士たちも含む」

「タケル、もしかして今回彼らを治したのは」

「そう、仲間に引き込むためだ」

 途端、ルゴスはあからさまに嫌な顔をした。

「別に俺は、彼らと取引する為に治したわけじゃない」

「悪いけど、あんたの感情は知らん。善意で治そうが、悪巧み満載で治そうが、どうでもいい。ただ、残る事実は一つ。あんたに助けられた彼らは、その家族は、あんたに味方する。少なくとも、王に密告するような真似はしない」

「・・・しかしタケル。それでは、結局また鞭打ちの人間が追加されるだけではないのか。お前の言っていた、罰を受ける人間を減らすという目的は達成出来ないだろう?」

「せかすなよ。説明はまだ途中だ」

 まだ納得出来てないルゴスに、説明を追加する。

「兵士を仲間にするのは、情報を得るためだけじゃない。こちらの情報を相手に流すためでもある。もちろん、嘘の情報を」

 ここまで言えば、ルゴスも僕の狙いを理解し始めた。

「なるほど、王は何も進展がないから怒っている。けれど、何か情報を得れば、その怒りもマシになる」

「その通り。そして、最終的にルゴス、あんたは死ぬ」

「・・・という情報を、流させるわけだな」

「理解が早くて助かる。それが、あんたが死なず、王を打倒する必要もない、第三の選択肢だ。今の所、これが一番被害が少なくてマシな方法だと思うけど?」

「確かにな。・・・で、そのためには俺に仮面を被れ、と言うんだな?」

「『私』と、これからは自分のことを呼んでもらおうかな、導師?」

 一人称も大事だ。言葉遣い一つで印象はがらりと変わる。へいへいとブー垂れるルゴスは、導師の仮面を付ける前に、一つ尋ねてきた。

「どうして、お前たちはこの街のことで、俺たちに協力してくれるんだ? 自分の街ならいざ知らず、いつか離れる街のいざこざなんて面倒なだけだろう? それとも、この街に来た理由に、何か関係しているのか?」

「関係してる、と言えばしているね」

 むしろ、兵士の仲間を得るのは僕のためでもある。長い滞在で色んな場所を見て回ったが、まだ見ていないところがある。王城内をはじめとした、関係者以外お断りの場所だ。忍び込んでも良いのだが、当ても無く彷徨うにはちょっと広くてでかすぎる。しかも、王城以外にも、神官や巫女しか入れない神殿、ジッグラトとか言うらしいんだが、国中に何箇所かあるそれらもまだだ。せめて当たりを付けたい。最悪は虱潰しになるんだろうけど、その時人海戦術を使えるだけの味方も欲しい。数は暴力、つまり力であり取れる手段の可能性だ。

 つまりは、今回の提案は全て僕のためだ。口が裂けても今のルゴスには言えないけどね。

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