第205話 姉妹の朝(居候付)

「いや、教えるわけないでしょ」

 坂元が解任された理由、ひいては彼と鷹ヶ峰の間にある問題を聞きだそうと姉に突撃した結果、瀬織に帰ってきたのは個人のプライバシーというごもっともな常識論だ。

 心の中で、姉ならば快く教えてくれると踏んでいた瀬織は、想定外の返答に一瞬思考停止の空白状態に陥った。そこへ、畳み掛けるようにスセリが言葉を叩き付ける。

「他人のいざこざにクチバシ突っ込むもんじゃないわよ。下世話なレポーターかあんたは。彼らはそれを給料に換算してるけど、あんたはそうじゃないでしょ?」

「え、う、うん」

 瀬織の誤算の一つは、姉が不機嫌だったことだ。帰ってくるなり部屋に戻り、服を脱ぎ捨ててTシャツとハーフパンツのラフな格好になり、一瞬で五百ミリのビールを二缶開けた。しかも心底不味そうに飲む。いつもなら『五臓六腑に沁みるわぁ』と表情は緩みきり、にへらにへらと笑っているのにだ。今日に限ってずっとピリピリしている。ここまで機嫌が悪いのも珍しい。

「他人の心配する前に、自分の心配しなさい。もうすぐ試験でしょ? 学生は勉学に勤しんでりゃいいのよ」

「これ、スセリよ」

 なおもグチグチと説教しようとするスセリと瀬織の間に、完全に三蔵家の居候と化しているクウが割って入った。

「己のイライラを他人にぶつけるものではない」

「そんなことしてない」

「しておるではないか。話を切り上げさせるだけならまだしも、相手の忌避するものを指摘して追っ払おうとするなど。苛立ちから変質した攻撃性を瀬織に向けてないと、否定出来るか?」

 頬を歪め、一瞬スセリは黙る。ふいと視線を背け「ふん」と鼻を鳴らす。感情が発露しやすくなっていたとしても、今のやり取りを指摘されて悔いる位の理性はまだ酒に飲まれていなかったようだ。

「瀬織よ」

 子どもみたいにすねるスセリに苦笑を浮かべてから、クウは瀬織の方を向いた。

「眠れる獅子を起こす危険は避けるのだ」

「誰が獅子よ!」

 後ろからスセリの投げたティッシュ箱が彼の後頭部に直撃する。それにいつものように頭がどうの精密機械がどうのと怒らず、ただため息だけついた。

「おそらく今日は、ずっとこの調子であろう。諦めよ」

「何か、職場であったんですか?」

「うむ、それが」

「余計なこと言わないの!」

 今度はクッションが飛んできた。ぼふんと優しい衝突音を奏でて落下する。

「・・・とのことだ。これも、明日以降にするがよい。我から話すのは確かに、筋違いというもの。当人から聞くのが通すべき筋よな」

 だが、それでも駄目、どうしても知りたいのであれば我を頼るがよい。こっそりと瀬織に耳打ちし、クウはクッションを持ってスセリの酌をしに行った。なんだかんだ姉は文句をブー垂れるが、実の所クウを認めていると瀬織は思っている。文句を言い噛み付くのも、クウなら大丈夫という甘えの裏返しだ。本人に自覚はないだろうが。

 三蔵家の信頼を勝ち取っているクウの言葉に、瀬織は素直に従うことにした。彼ならば、上手く姉をコントロールできるだろう。


 翌日。二日酔いで痛む頭を抑えながら階段を下りてくる姉と廊下で鉢合わせる。

「お、おはよう、姉さん」

 昨日の今日で、少したどたどしくなってしまうが、仕方ない。「ん」と短い返事を残して、スセリは瀬織を残して台所に消えた。向こうから「かぁあああ」と何かをこらえるような声がした。水を一気に飲んで、喉と頭に刺激を与えているのだろう。

「おはよう、瀬織」

 ぼうっと姉を見送っていた瀬織の背にクウが声をかける。

「朝食は出来ておるぞ。さ、召し上がれ」

 割烹着姿のクウに背中を押され、テーブルに移動する。瀬織とクウのすぐ後に、スセリも現れた。姉妹は真向かいで着席する。

「よし、では我はご飯をよそってこよう」

 クウがテーブルを離れる。両親は既に仕事にでたのか居らず、二人きりだ。少々気まずい。

「昨日は、ごめん」

 ぽつりと、スセリが小さな声で呟いた。

「ちょっと、当たった。やな事あったから」

 がりがりと頭を掻いて、俯きがちに瀬織に謝罪する。

「ううん、私も無神経だった。ごめん」

 互いに頭を垂れる。今度は互いに少々気恥ずかしい。

「・・・それで、何を、どうして聞きたいの?」

 スセリが昨日の話を再度振る。謝ったら水に流す。うだうだと過去を引き摺らない。からっとした性格は姉妹共通だ。

「まず、辰真さんが解任された理由が知りたいの。私の友人が、彼の元で任務についてたから」

「比良坂さんと、手鹿さんね。今日付けで私が担当に代わった」

「ちなみに比良坂さんが、辰真さんの妹という話は?」

「一応聞いてる。驚きよね。あんな根暗の引きこもりに、あんな可愛い妹がいるなんて」

「その辺はご家庭の事情らしいけど。で、二人は突然の人事異動で戸惑ってる。特に比良坂さんが。お兄さんがあんなことになって動揺するのは不思議じゃないけど」

 本人が聞いたら声を大にして否定するだろうが、ここに彩那はいないし、それにそういう話の方が姉も情が沸くだろうという意図がある。

「十六夜さんはこの地区の統轄してる社長みたいな立場の人で、任命権をもってるから、解任すること事態は不思議じゃない。けど、辰真さんは解任される理由がないでしょ?」

「信じられないことに優秀な人材だからね」

 ぐい、とお茶を飲み、スセリがテーブルに両肘をついて両手を組んだ。

「正直、十六夜があいつを解任した事で、ポートの連中からかなりクレーム、批難が上がってる。私も納得してないし。あいつの事は嫌いだけど、仕事に関しては認めてたからね」

「だよね。それにこの解任って、十六夜さんらしくない。能力があれば積極的に採用するし、よほどの問題がない限りクビにしたりする人でもないよね? っていうか、あの人が誰かをクビにするの初めて聞いたんだけど」

「ああ、確かにね」

 スセリだけではなく、万人が認めるところだが、鷹ヶ峰十六夜は天才で、それ以上に人たらしだ。カリスマと言い換えても良い。

 部下の誰もが彼女のために働きたいと思っていて努力し、彼女はその努力を認め、きちんと報酬を渡す。人間、認められれば嬉しい。だからさらに努力し、業績は伸び、彼女はさらに報酬を支払う。好業績のサイクルが出来上がっているのも理由の一つだ。だがやはり、何より大きいのは彼女が大勢の人間に愛され信頼されている。それに尽きる。

 したがって、彼女の部下や仲間で問題行動をとる人間は皆無だ。問題行動をとらないのだから、彼女が解任する理由がない。坂元の解任は、彼女にとって初めての辞令だろう。

「あの、姉さん」

「何。あらたまって」

「昨日、不機嫌だったのって、このせい?」

 再び姉の逆鱗に触れるのでは、とびくびくしながら尋ねる。

「いや、そうじゃないわ」

 少し時間を置いてから、スセリが答える。

「私が怒ってたのは、十六夜が辰真の馬鹿を解任した理由を知ったからよ」

 そして、とスセリは続ける。

「辰真の方はすごすごと簡単に引き下がって、逃げたから」

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