第182話 文化部

 とにもかくにも、調査するしかない。放りだす事は彩那の頭にはなかった。このままだと負けた気がするからだ。仮に自分では危険すぎるので出来ないと申し出ても、坂元はきっと「そうかい」とか、つまらなそうに言って受理するだろう。だが、それは彩那のプライドが許さない。

 情報、情報だ。三日前の情報を集める必要がある。十八時ごろとなると、かなり絞れる。過去に剣道部の女子生徒が消息不明になるという事件があったが、それを除けば事件らしい事件など起こった事がない。ほとんどの生徒が事件とは無縁の、育ちのいいお嬢様ばかりだ。そんな遅くまで残っているのは部活か、彩那のように委員会関係だろう。一つずつ当たればいい。

 生徒会室があるのは、旧校舎と呼ばれる、文字通り古い校舎だ。普段の授業などは新校舎と呼ばれる、数年前に新設された校舎で、学校としての機能のほとんどがそちらに移っている。部活や委員会用として使われるのが旧校舎、普段使われるのが新校舎、という風にわかれている。

 本来、旧校舎は新校舎設立時に取り壊される予定だった。だが、戦前から現存する貴重な建造物であり残すべきと声があった事、また部室の空きがないので何とかして欲しいという陳情が複数あった事から、委員会用、部室用、物置用として使用するに至っている。

 生徒会室からでて、長い廊下を歩く。木目の床が歩くたびにぎしぎしと軋む。生徒会室は東西に伸びる旧校舎の三階、最東端に位置する。下り階段を挟んで西に進むと、教室が三つ続き、また階段を挟んで一つ教室がある。出入り口である扉には、紙とセロハンテープで『茶道部』や『演劇部』などが張られており、中からは部員たちの楽しげな笑い声が響いている。戦前から残る貴重な建築物という肩書きも、使用している本人たちには関係ない。彼女らにとって、ここはただの部室であり、その部室で築き上げるものの方がよほど貴重で価値があるらしい。

 軽くこぶしを握り、ノックを二回。中から「はい?」という返事とドアに近づいてくる気配。気配に向かって声をかける。

「お忙しいところ失礼します。生徒会の比良坂です」

 名乗った瞬間、中がざわついた。

「す、すぐ開けます。少し待ってください!」

 内装でも変えているのか、非常に慌しい様子が伝わってきた。ガタゴト、ガサガサと中で明らかにてんやわんやしている気配を感じつつ待つこと一、二分。

「お、お待たせしました・・・」

 ドアノブを開けてくれたのは、茶道部の部長だ。取り繕っているが後頭部の髪が少し跳ねている。彼女の後ろをちらとわざとらしくないようにちらと覗く。大急ぎで掃除したと思しき痕跡があった。努力は見える、が、見せているようではダメだ。取り繕うなら完璧にするべき。菓子を包んでいた小さな袋の切れ端や食べカスまで掃除しきらなければ。長年表の顔を取り繕い続けている彩那からすれば詰めが甘く、残ったゴミの方が際立って見えてしまう。

「どうかなさったんですか?」

 尋ねてくる彼女も、彼女の後ろで成り行きを見守っている他の部員たちも、どこか不安げだ。生徒会長がわざわざ訪ねてくるなんて一体何用なのかと訝しんでいる。

「もしかして、うるさかった、とかですか? すみません。これからは気を付けますので・・・」

「あ、違いますよ。苦情があるわけではないのです」

 彼女たちの不安を取り除くように、柔和な笑みを浮かべ、際立って見えてしまうゴミにも目を瞑る。

「最近何かと物騒なので、部活等で帰宅が遅くなる生徒の皆さんに注意喚起しているのです」

「注意喚起、ですか?」

 自分たちが叱責を受けるわけではないと悟った彼女たちは、揃って安堵したように息をついた。

「ええ。つい二、三日前も、近くで暴力事件があったようですから」

「え、嘘っ」

 知ってる? と部長は部員たちの方を振り返る。話を振られた部員たちも「知ってる?」「知らない」と口々に呟く。体を寄せ合って首を振ったり呟いたりと、まるでツバメの雛のようだ。さしずめ彩那の話は、彼女らにとっての空腹ならぬ退屈をしのぐ為の話題エサというところか。

「会長、本当ですか?」

「私も又聞きなので詳しいことは知らないのですが、ニュースか何かで放送されてたみたいです。だから、皆さんもあまり遅くならないようお気を付けくださいね」

 しれっと、嘘と真実を織り交ぜる。彩那の経験上、人に話を理解してもらうのは、正しい事を正確に伝えればいい、わけじゃない。話を聞く当人が解る言葉を選び、納得できる様に誘導する。人間にとって真実は大切とドラマでも映画でも良く言われる。彩那も否定はしない。けれど、本当の真実だけで納得できる人間はこの世にほとんどいない。真実という情報を入手し、自分にとって分かりやすく咀嚼し、肚に落ちたものが真実の顔をしているだけだ。米の精米と同じで、自分にとって美味しく食べられるものがその人にとっての真実なのだ。

 案の定、多くの生徒から支持されている『生徒会長』が多くの視聴者に支持されている『ニュース』から仕入れた情報を疑うものは誰一人いない。彩那が付け足した『又聞き』という言葉は彼女らは聞いていても記憶していない。 素直に「早く帰るようにします」「ありがとうございます」と言い、片付けまで始める。

「ええ。本当に、気を付けてくださいね。あと、もし何かトラブルがありましたら、先生方や、私たち生徒会の方へご連絡ください。何か力になれるかもしれませんから。抱え込まないで、気軽に相談に来てください」

「会長・・・」

 部長をはじめ、茶道部員たちは尊敬の眼差しで彩那を見つめてくる。彼女の真意を知らないからだ。いや、知る必要がないのだ。彼女らにとって比良坂彩那とはそういう人物である、ということが真実で、あとは彼女らの脳内で勝手に変換される。比良坂彩那会長は生徒一人ひとりに親身になってくれる素晴らしい人物だ、と。

 同じように、彩那は各部室に足を運んだ。どの部室でも茶道部と同じ反応を見せた。それは同時に、彩那にとって必要な情報は得られなかったということだ。坂元の言った通り彼らによって情報操作がされており、誰一人事件があった事を知らないようだった。一人、文芸部で怪しい生徒がいた。右手にギブスを巻いた彼女には二、三質問を加えた。

「その腕、大丈夫? どうしたんですか?」

 しかし、答えたのは彼女本人ではなく、周りにいた他の部員だ。

「骨折しちゃったんですよ。うちのエースが」

 テンション高く、部員たちは彼女を取り囲み、同情的な声をかける。かけられる側は「エースだなんて」と小さな声で謙虚にして、大丈夫である事をアピールしていた。

「駅の階段で転倒して、打ち所が悪かったらしいんです」

「後ろからサラリーマンがぶつかって来たらしいんですよ」

「なのに謝りもせず行っちゃったんです。酷いと思いません?!」

「これから即売か・・・っと、部活で作品作りをするのに・・・」

 彼女らの話を「そう」と聞き流しながら、彩那は彼女を観察した。ギブスをしている以外は、特に変わった様子もない。襟元にも視線を向ける。校章は・・・付いている。もちろん替えの着替えている可能性はあるが。

「あの、何か?」

 ジロジロと見られていることに気づいたのだろう。彼女は少し居心地悪そうに身じろぎした。ごめんなさい、と謝り笑顔を向ける。

「もし骨折のせいで、例えばカバンの持ち運びなんかで不便があったら、相談にいらして下さい。申請すればリュックに変更することもできますから」

「あ、ありがとうございます」

 彼女から意識をそらし、彩那は他の部室でも伝えた注意を彼女らにも告げた。

「ニュースでも言ってましたが、最近物騒な事件が多いです。この辺りでも暴力事件があったらしいですし。部活に勤しむのは良いのですが、皆さんの安全はもっと大事ですから。出来れば早めに帰宅して下さいね。何かありましたら、先生方や、生徒会にでも良いので気軽に相談にいらして下さい」

 やはり、文芸部の部員たちも、これまでの生徒と同じように驚き、そして事件のことを知らないようだった。

「事件があったなんて全然知らなかった」

「怖いね」

「被害者の皆さんのためにも、早く犯人捕まれば良いのに」

 口々に事件に対する恐怖、犯人への非難、被害者への同情を口にしていた。まるでそう言うのが常識のように、皆同じような事を口にする。まるで神様がカンペでも出しているかのようだ。これを言いなさい、と。自分とは無関係な事件で盛り上がる彼女たちに背を向け、彩那は扉を閉めた。次は運動部だ。

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