第127話 山狩り開始

 翌朝、領主の屋敷前に整列した兵たちと共に、私たちは山賊が潜む山の中へ分け入った。スーツで入りたくなかったので、コセンから動きやすそうな服の上下を二、三枚もらった。借りるか報酬から天引きしてもらって良いと言ったのだが「どうぞお納めください」といわれたので、遠慮なくいただくことにした。ここの山賊問題が片付いても、私の旅はまだ終わらない。着替えは必須だったから正直助かる。今の私の服装は長袖のジャージ姿だ。ゴムがないからウェストは帯で締めている点を除けば、普通のジャージと同じで動きやすい。

「ちょっと、待ってくれ」

 息も絶え絶えな、クウの情けない声が後ろから聞こえてきた。

「そんなに体力がないのに、どうしてついて来ようと思ったの?」

 ため息をついて、立ち止まる。振り返って追いつくのを待った。

「良い、運動に、なるかと思ったのだ・・・。長い間、閉じ込められて、いたからな」

 ひざに手を付いて、息継ぎの合間に言葉を入れる。

「時間の止まってた岩牢なら、体力や筋力が落ちることはないんじゃないの?」

「うむ、そのはず、なのだが。どうも、その前から我には体力がなかったようだ」

 本当にこいつは天才なのだろうか、と疑惑の目で見てしまった。それに気付いたのだろう、クウは顔を真っ赤にして反論した。

「し、仕方ないではないか。研究研究で外に出る暇すらなかったのだ!」

「言い訳はいいから、呼吸を整えて水を飲みなさい。脱水症状になるわよ」

 いつか、自分が幼い頃に母から言われたことを口にした。クウは素直に従い、瓢箪の水筒を取り出して中の水を流し込む。粘ついていた口内が漱がれれば、吸い込む空気も変わるというものだ。

「して、スセリよ。我らはどう動く?」

 口元を行儀悪く服の袖でぬぐいながらクウは言った。

「兵たちと歩調を合わせて山賊を追い詰めるのか?」

「それなんだけど、コセンの言うとおりチョハンって親玉が優秀だとするなら、大人しく追い立てられるものかしら?」

「ふむ、しかし昨日の話ではコセンにも何か策がありげだったぞ」

「それが気になるのよね。結局言葉を濁して教えてくれなかったし。表向きは協力者である私に、作戦を話さない理由って何?」

「考えられるとしたら、あなたを山賊の一味として疑っているか、または、作戦を伝えたら協力を拒まれる可能性があるか」

「協力断るほど酷い作戦ってどんなよ」

「それは、今は情報が少なすぎてわからん。ただ、あなたが言っていた、コセンが契約書を書かなかった理由の一因かも知れぬ」

 ありえそうな話だ。契約書は互いに約束を守るという証拠であると同時に互いに制約をかけるものだ。会社間の契約なんかだと、どこからどこまでが自分の領分でそれ以外は相手の領分ときちっと区切られていて、相手が逸脱した場合は契約を破棄できる。

「じゃあ、やっぱり急がないと駄目ね」

 再び歩を進める。慌てたようにクウも後ろから続く。

「急ぐ? 兵たちと歩調を合わせるのではなく? ・・・まさか」

「ええ。兵たちよりも先に、山賊たちに会う必要があるわ。コセンは山賊が悪い連中だと決め付けていたけど。・・・クウ、昨日領主の部下が酒場に来たときの、他の客の様子見た?」

 クウは頷く。

「息を潜めながら、連中のほうをずっと見ていた。まるで怯えているかのようだったな」

 クウも同じ認識を得ている。私一人なら異界の人間の感覚と違う、で済むのかもしれないが、この世界のクウも同じように感じている。ここから導き出せることは

「コセンの言う悪は、必ずしも悪ではない可能性がある、ということか」

 クウの結論に、私も同意見だ。

「推測の域を出ないけど、昨日の酒場の客の態度にコセンの印象から、私は両方の事情を知ったほうが良いと思うのよね。できれば村の連中の話とか聞いときたかったんだけど」

「仕方あるまい。そんな暇はなかったのだか」

 クウの言葉が途中で途切れた。不審に思い振り返ると、クウは傾いていた。

「・・・ら?」

 間抜けな顔で間抜けな声を上げるクウは、その体を垂直から左斜め四十五度にまで体を傾けている。何のことはない。ただ足を踏み外して急斜面へ向けてダイブしようとしているだけだ。

「ハァッ?!」

 流石の私も驚いた。クウは滑り落ちていった。悲鳴を上げることなく。まるでブレイブメンロードの石田のおっさんのように。

「んのバカ!」

 昔見た映画の内容を思い出している場合じゃない。クウの足じゃ元の位置に戻ってこれない。足に力を込めて飛ぶ。まずは最寄の木の枝へ。両足で着地し、進行方向と逆方向へしならせる。ある程度まで反り返った枝は、元に戻ろうとする。その反動を利用して次の枝へと飛ぶ。三回飛んだところでクウに追いついた。腕を掴まえ、抱き寄せる。今度は飛ぶためではなく、速度を落とすために枝を利用する。ようやく速度が落ちた時には、元いた場所からかなり離れてしまっていた。

「もう大丈夫よ」

 腕の中で震えるクウに声をかけた。ぎゅっとしがみついて離そうとしない。よほど怖かったのだろう。私の声に応える気力もわかないらしい。

「・・・ったく」

 仕方ない。落ち着くまで、ずっと彼の頭を撫で続けた。


「かたじけない・・・」

 ようやく離れたクウは、恥ずかしそうに俯いて頭をかいている。

「正直生きた心地がせなんだよ。本当にありがとう」

「無事なら良いわよ。怪我は?」

「少し擦りむいたが、他は特に問題ない。どこも捻ってないし、折れてもおらん。むしろ柔らかくて気持ち良かった」

 機会があればもう一度頼みたい、と爽やかな笑顔を浮かべる。人の胸凝視して何トチ狂ったこと言ってやがるこのエロガキ。「どこ見とんだ」とクウの頭を軽く叩く。

「いや、こればっかりは仕方ないというか。男は本能の部分で母性を求めてしまうものなのだ。わかるか?」

「わかりたくない」

「むう、では一つだけ」

 人差し指を立てて、警視庁の厄介な警部みたいに神妙な顔で言った。

「スセリ、あなたは魅力的な女性だ」

 イケメンに真顔でそんなことを言われ、とっさに言葉が出てこない。

「もっと自信を持て。あなたに男が寄り付かないのは、あなたが余りに素晴らしいからだ」

 そして、ニコ、と笑った。

「・・・はっ。母性がどうのと欲望丸出しの発言前なら素直に受け取れたんだけどね」

 彼から顔を背け、吐き捨てた。これだから美少年は困る。お世辞とわかっていても相手を悶絶させるだけの威力を発揮するのだから。

「さっさと行くわよ。遅れた分を取り返さないといけないんだから」

 顔が赤くなっているのを誤魔化すために、彼の返答も待たずに先を急ぐ。追いつかれる前に、平常モードに戻さないと。

「・・・ん?」

 別のことを意識しようと努力した結果だろうか。近くに気配を感じる。視線を巡らせると、微かに枝葉が風とは違う要因で揺れている。

「どうしたスセリ」

 後から追いついてきたクウを手で押しとどめ「シッ」と黙らせる。私のその様子で気付かれたことに気付いた『何か』が大きく動いた。反転し、逃げる気だ。

「逃がさないわ」

 この距離であれば枝の反動を使わなくても一足飛びで到達できる。

「よっと」

 駆け出そうとした相手の襟首を引っつかむ。引き上げると、すんなり持ち上がった。

「子ども・・・?」

 引っ張りあげた重さでそうじゃないかと思ったが、やはり子どもだ。クウといい、最近子どもに縁があるな。襤褸といっても差し支えない簡素な服をまとい、前身をドロドロに汚した女の子だ。

「は、離して」

「離してもいいけど、逃げない?」

「逃げないから!」

 離すと、着地と同時に走り出した。

「嘘は駄目よ」

 即捕縛して、吊り上げる。

「離して、離してよ! でないとチョハン様に言いつけるからね!」

「チョハン?」

 鸚鵡返しに呟いた私の声を聞いて、自分が不味いことを口走ったと思った彼女は両手で口をふさいだ。

「遅いわよ。一度口から出た言葉は戻ってこないの。あなた、山賊の親分の知り合いね」

「し、知らない」

 そっぽを向くが、態度が知り合いですと物語っている。仕方ない。こんな若い子に使いたくはなかったけど。

「クウ」

 こちらに近づいてくる彼に声をかける。

「何だ?」

「あんたからこの子にお願いしてくれない? 私たちをチョハンの元に連れてって、って」

「ふん、誰が来たって教えてなんかやらない・・・・」

「幼子よ」

 女の子の正面に回ったクウが、彼女の手を取って、その顔をじっと見つめた。途端、女の子の顔がどんどん赤くなっていく。そんな彼女に、彼は真摯に向き合い、言葉をつむぐ。

「我らは、チョハン殿に害をなすつもりはない。ただ何故チョハン殿のような方が山賊行為に手を染めているのか、その理由が知りたいのだ。理由を聞けば、もしかしたらチョハン殿の手助けができるやも知れぬが、そのためには領主に見つかる前に彼に会わねばならん。幼子よ。お願いだ。どうか、我らを彼の元へ連れて行ってはくれないか」

 女の子は熱に浮かされたような、ぽわんとした表情で「・・・はい」と応えた。危惧したとおり、初めて見るであろう美少年は、女の子にとって劇薬だったようだ。彼女に見えないように、クウはグッと拳を握ってガッツポーズしている。思惑通りとはいえ、新宿に放り込んだら一晩でナンバーワンになれる逸材の出現に、私は戦慄を禁じえない。

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