第85話 外的要因によってあらゆる場所で事態は変化して移ろう

「総員戦闘態勢! 速やかに持ち場につけ!」

 ラグラフの大声が響き渡る。数分前に『突如』攻撃を受け、艦内乗組員全員が浮足立った。なぜ味方から突如攻撃を受けたのか、理由がわからない乗組員たちはこの世の終わりが来たような顔で、なす術もなく砲撃の衝撃によって右往左往していた。そこへ、ラグラフからの一喝が、彼らに指針を与えた。

「焦るな! こんな時こそ日頃の訓練を思い出せ! この程度ではまだ艦は落ちん。自分のパフォーマンスを最大限に生かすためには、体は怒りで熱く燃え上がろうと、頭だけは氷のように冷たく保て! さすれば勝利!」

 人間の心理は面白いもので、不安やパニックに陥っている時に、自身を持って行動を支持されると人はそれに従う。それがたとえ、通常であれば考えられない話であっても、自分の中の不安や恐怖から逃れるために、その行動以外の考えを捨てる。

 この時、彼らの前には彼らが従うべき上官、雲の上の存在と言ってもいい最高指導者が乗っている艦を攻撃しろという通常ではありえない指示だったが、彼らはそれに従った。中にはまだ迷う者もいたが、自分の直属の上官、先輩が文句も言わずに指示に従うのを見て、間違いではない、という裏取りと安心感を得る。当然、彼らの上官はラグラフ配下の連中だ。問答無用で攻撃を受けた、と言うのも彼らが違和感なくラグラフに従うのを助長した。死の恐怖は命令違反の恐怖を超える。生き残るためには彼に従うしかないのだから選択の余地など彼らにはなかった。こうして、アルカディア、ひいては宇宙の平和を守る為に戦いに彼らは知らないうちに引き込まれていった。

「内部にいるクシナダ殿は?」

 指揮を執りつつ、ラグラフは近くでクシナダの逃亡をサポートしているネイサンに声をかけた。彼はオペレーターの一人としてラグラフと共に管制室に残っている。

「まだ艦内に取り残されています。彼女の話ですと、戸惑う様子もなくこちらに対処してくる、と。思ったよりも敵の動きが良いようです。どうやら、初めからこうなることも想定していたような感じですね」

 報告を聞き、ふうむ、とラグラフはあごを撫でた。

 どうもおかしい。開戦してから、ラグラフはその思いにとらわれていた。例えこちらのことを疑っていたとしても、何の警告もなく攻撃してくるなど考えられない。通常の手順に則って勧告を行えば、こちらは全員を掌握していない身だ、混乱を誘うことも可能だったはず。自分に反感を抱く者だって潜り込ませていたはずなのに。攻撃してきたからこそ、こちらは自衛という立場で全員が一丸となることを、向こうが気づかないはずがないのだ。

「よもや、戦いを起こすことが目的か? しかしそんなことをして何のメリットがある?」

 ジョージワードが考えもなくこんなお粗末な手段を取るわけがない。下手をすれば艦が撃墜され、自分の身に危険が及ぶのに。そんな危険を冒してまで、破滅の火を欲したというのだろうか。

 ラグラフの認識では、破滅の火は取り扱いが危険なだけの、ただのエネルギー貯蔵庫みたいなものだ。そこまでする価値があるとは、彼には到底思えなかった。確かに無尽蔵ともいえるエネルギーは脅威だ。理論上は可能であってもエネルギー問題によって廃止された強力な兵器はごまんとあり、それらと掛け合わせることによってようやく効果を発揮する。有り体に言えば、今ここにあっても何の効果もない、むしろ下手すれば自分を吹き飛ばす可能性のある危険物だ。

「これは、まずい」

 ラグラフの思考がネイサンのうめき声で途切れる。

「どうした」

「出口を固められました。どうやら彼女を一歩も外に出す気は無いようです」

「クシナダ殿の正体は既にばれているよな。姫様本人であるならともかく、彼女を捕らえる理由は奴らにあるのか?」

「分かりません。幾ら彼女が腕利きだからといって、我々との戦いもあるのに、なぜここまで人員を割く?」

 最後はネイサン自身に浮かんだ疑問が口から出た形だ。しかし、聞こえていたラグラフも同じ疑問を抱いていた。

「ただ、このままではクシナダ殿が危険なことに変わりは有りません。どうします。今からでも救援部隊を送りますか?」

「それは出来ん。双方の弾幕が飛び交う中で飛び出すなど自殺行為だ」

「彼女を見殺しにするのですか?」

 想像以上に冷たい声が出たのをネイサンは自覚していた。上官に向かって使う口ではないが、彼にとってもクシナダは恩義のある人物だ。こちらの勝手な都合に巻き込んでおいて、みすみす死なせるわけにはいかなかった。反対されれば自ら戦闘機に乗り、救出に向かうのも辞さない覚悟だ。しかし、ラグラフはネイサンを咎めず、また彼女の見殺しに関しても否定した。

「見殺しにするつもりはない。すでに、策は打ってある」

 一応な、と、どことなく呆れたように、投げやりな感じでネイサンに伝えた。

「あらかじめ、別部隊を送り込んで、といっていいものかな、あれは」

 妙に歯切れが悪そうにラグラフ。

「あらかじめ、ですか? しかし、どうやって? ポッドには確かにクシナダ殿しか乗っておりませんでしたし、その後も監視の目が合って一機も出動しておりませんよね?」

「確かに一機も出てはおらん。だが、一度だけカタパルトは作動している」

「まさか、ステルス性能の高い機体を?」

 確かに表面に特殊加工を施し、レーダーに捕らえられず姿を完全に溶け込ませる機体がある。しかし、相手だってそのことを警戒していたはずだ。射出直後にはどうしたって方向転換する。そのときにスラスターから噴射される熱源を見逃すはずがない。あの四機の戦闘艦には当然高性能のレーダーが搭載されている。距離があるならともかく、目と鼻の先で反応しなかったなど考えられない。

「う・・・ん、そうだな、確かにステルス性は高いと言えば高いか」

 ラグラフが、だんだん苦虫を噛み潰した様な苦々しい顔に変わっていく。認めるのは甚だ遺憾だが認めざるを得ない何かに直面しているようだ。

「一体何なのですか。もったいぶらずに教えてください」

「教えてもいいが、信じられんと思うぞ、ネイサン。儂らのような、長年宇宙で戦っている者は特にな」

 ラグラフの物言いに、ネイサンは辺りを見回した。さっきまで一緒にいたあの男の姿が見当たらないのだ。

「一体誰が考え、実行する? 砲弾飛び交う中、その身一つで宇宙を泳ぐなど」

 答えを聞いた瞬間、ネイサンの顔が青ざめた。

「・・・ま、まさか」

 そういえば、とネイサンは思い出した。クシナダは気づかれないように戦闘機に生身で飛んで近付いて撃墜していたことを。どれほど優れたセンサーも、想定されていないことを感知することはできないのだ。

「そう、そのまさかだ。お前以上に彼女の身を案じた男は今、宇宙服と簡易スラスターだけで宇宙空間内にいる。服一枚隔てた場所に死が蔓延する場所に、あの男は飛び込んでいったのだ」



「きりがないわね」

 数えきれないほどの兵士を倒しながら、クシナダはため息をついた。倒しても倒しても、後から敵は沸いてくる。それに厄介なのが、銃とかいう武器だ。剣のように振りかぶるでもなく、突然光の矢が放たれるのだ。タケルからいくつかの対処法を伝授されているとはいえ、躱し続けるのは骨が折れる。

 実際は骨が折れるどころではない事なのだが、彼女はそれを可能にしていた。タネは簡単。彼女の優れた視力の賜物だ。

 弓の名手である彼女は、銃が向けられている方向から弾丸が飛んでくるであろう軌道を簡単に予測することが出来た。予測できるのならば、後はいつ発射されるか、と言う問題を解決するのに彼女の視力が物を言う。指がトリガーにかかった瞬間、彼女姿はその銃の軌道上からいなくなる。一発外れている間に接近し、相手の銃を弾き、意識を刈り取る。その繰り返しだ。好都合なのはクシナダが銃弾をなんてことないように躱す度に相手が動揺してくれることだ。まあ、普通銃弾が躱されたら誰でも驚くが、彼女はその普通を知らない。矢とか投石とかと同じような物だと思っている。面倒だが、恐れるほどのものではないから、思い切った行動もできる。それが相手の兵士たちには予想外の動きとなって隙を生み、彼女はそこにつけこんでいる。

 だがさすがに、百を超える被害を出したところで、相手も彼女の対処法を考え始めたようだ。点ではなく面での攻撃、艦内の被害を顧みず広範囲に銃弾を乱射して彼女の足を止めていた。さすがのクシナダもこれは躱しようがなく、徐々に追いつめられていった。ネイサンが指定した脱出口を目の前にして、二の足を踏んでいる。

「後ろからも来てるわね。これは」

 自分の足裏に感じる振動は、大勢の兵士がこちらに向かって走っていることを意味している。完全に追い込まれてしまった。今まで自分が罠を用いて追い込んでいた獲物も、こんな気持ちだったのかな、などと考えながら、それでも彼女は逃げるために考え続ける。彼女はタケルのように死んでもいい、なんて考えは持ち合わせていない。むしろ他人を犠牲にしてでも生き残ろうとした村の住民だ。もちろんそんな物騒で利己的な考えを今なおすることは無いし、そもそもそんな考えを持っていてカグヤを助けたい、などと思う訳がない。ただ何が何でも生き残る、というその一点のみが強く作用している。

「とはいえ、流石に厳しいわよね」

 再生能力には限界がある、とはタケルが言っていたことだ。さて、私はどれほどまでなら耐えられるか。

「おとなしく出て来い!」

 背後からこちらを呼ぶ声がした。

「武器を捨て、投降しろ! そうすれば命までは取らない」

 そう言われたので、ためしに来ていた上着を脱ぎ、落ちていた銃にひっかけて、そうっと物陰から出してみた。瞬間、目の前を閃光と弾丸が行き交い、瞬く間に穴だらけの襤褸雑巾と化した上着が、はらりと落ちた。見え見えの嘘をよくもつけるものね、と感心する。向こう側から舌打ちが聞こえた。次いで、ゆっくりと前進してくる気配。

『クシナダ殿』

 いよいよ覚悟を決めるべきか、と考えていた時、ネイサンから通信が入った。

「どうしたの? ちょっと今、大変なんだけど」

『そちらの状況は把握しております。すぐに援軍を送りますので』

「援軍?」

 彼女としては想定外だ。自分一人でここを切り抜けなけっればならないと思っていた。

『ええ。あなたの右手側に、ロッカーがありますよね。多分くぼみがあると思うので、そこを掴んで開けてください』

 言われた通りロッカーを開ける。中は二段になっていて、下段には少しだぼっとした大きめの、全身を包めるような服が置いてあった。上段には丸くて透明な兜が置いてあった。

『急いでそのスーツを着て、ヘルメットをかぶってください。密閉された瞬間から、スーツ内に備えられた生命維持装置が作動します』

「え、っと。これ着方よくわかんないんだけど」

『とりあえず、腕と足を通してください。体温を感知して形状変化機能が作動し、自動的に体に合わせて閉まるようになってます。今は私を信じて、早く!』

 言われるがまま、袖を通す。不思議なことにだぼだぼだった服が徐々に体に沿って形を変えていく。指の先から足の先までぴっちりと密閉されたクシナダは、ヘルメットと呼ばれる兜を手にとり、頭にかぶった。

「かぶったわ」

『確認しました。では、目を閉じ、衝撃に備えてください』

 ネイサンの声が途切れ、一拍。

 すさまじい轟音と衝撃がクシナダを揺さぶり、遅れてとてつもない力で体が引き寄せられた。必死で何かに掴まろうにも、掴んだものも一緒に流されていく。目を開いてみれば、自分を追い込んでいた兵士たちも何人かが一緒に流されていく。行く先に目をやると、真っ白だった壁の一部が失われ、宇宙空間が広がっていた。艦内に充満した空気がそこから漏れ出しているのだ。

 真っ黒な口が彼女を飲み込む。重力も失われ、上下左右の間隔が失われる。視界に広がるのはどこまでも続く闇。そのなかにぽつんと放り出されたのだと脳が理解し、恐ろしいまでの不安を彼女は感じた。孤独、という言葉が実態を持ち、体に流れる血に混ざりあって全身を冷やしていくかのようだった。これがもしずっと、一生続いたら、そんな思いがぶるりと体を震わせ、心までをも凍らせていく。

 ぽう、と腕が暖かい何かに触れた。視線を巡らせると、誰かの手が自分の腕を掴んでいる。熱源はその手だ。ぐい、とそのまま引かれ、抱き寄せられる。ゴツン、とヘルメットが相手のヘルメットにぶつかった。

「・・・タケル?」

 ヘルメットのせいでくぐもった声が相手に聞こえたかどうかは分からない。けれど彼女の驚いた顔を見たタケルは、にや、と笑い、掴んでいた彼女の手を自分の腰に回させた。掴まれ、ということらしい。大人しく従い、彼の腰に両手を回して抱きついた。抱きついている部分から温もりが伝わり、彼女の冷えた体を温め、全身に巣食った不安を駆逐していった。彼女はこの時、重力の重要性を身を持って体感した。誰もが持っているわけだ。これほど、誰かを求めてしまうのだから。

 クシナダは頬が赤くなってくるのを止められなかった。どこの世界でも女性にとって、自分のピンチに駆けつけてくれる男性は白馬の王子そのもので、クシナダにとっても例外ではなかった。もとより、今まで共に行動しているのだから悪く思ってはいないし、異性として意識したこともたびたびあった。進展しなかったのは二人の性格やタイミングその他諸事情によるものだ。危機的状況により生まれた吊り橋効果のせいか、今日、それがちょっと加速した。

 もう少しだけ力を込めて、クシナダは彼に抱きついた。

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