第83話 切り札の切り時、適材は適所へ
「完成しました」
目の下にうっすらとクマのできたカグヤが、自らの芸術を公表する芸術家のように両手を向けた。彼女の手の先にある上下開きの自動ドアが幕のように上がる。そこからしずしずと現れたのは、穏やかな微笑みを浮かべたクシナダだった。どこか虚ろな目をしているのは気のせいだろうか。
「クシナダ?」
声をかけてみる。すると彼女は、ゆっくりとした動作でこちらを振り向く。穏やかな笑みを浮かべたまま、しかしけして目尻に皺をよせない、口元だけで浮かべる笑みを作った。昔聞いたことのある舞台女優特有の笑い方だ。
「あら、タケル様。どうかなさいましたか?」
・・・誰だこいつは。
「どうなさいましたの? そんな怪訝な御顔をなされて。ワタクシの顔に何かついてまして?」
ついているというか、憑いているというか。
彼女の隣に立つカグヤに視線を送った。僕の疑念に満ち満ちた視線をどう勘違いしたのか、彼女は満足げにやりましたよ! みたいな顔でガッツポーズを取りながら僕を見ている。
何も言えない僕をよそに、虚ろな人形と化したクシナダのお披露目がプラトーやラグラフの前で続く。歩き方、お辞儀、椅子に座る動作、食事やお茶の作法から、想定される問答や感情の表し方など、完全なるカグヤの模倣を演じていた。
「素晴らしい。たった七日しか訓練していないとは思えぬ、洗練された所作だ。お見事ですぞクシナダ殿!」
プラトーが喝采を上げ、クシナダを褒め称える。それにからくり人形みたいな笑い方でクシナダは応えている。
「これならば家族でも見破れないだろう」
太鼓判に、周囲が盛り上がる。どうでもいいけど、この戦いが終わったら彼女の洗脳された人間みたいな状態は治してもらえるのだろうか?
僕に強い違和感を、クシナダに消えないトラウマ的な何かを、カグヤに半端ない達成感を与えた数時間後、艦内の空気に緊張感が混じり始めた。理由は、彼らの本星レムリアから超長距離通信による連絡が届いたためだ。
一億光年も離れているのにどうやってこんな短時間で連絡のやり取りをするのだろうと疑問に思ったので尋ねてみたら、電気信号もワープさせられるらしい。艦でワープすると、その痕跡がインターネットの履歴、キャッシュみたいに残るらしく、互いに通信連絡を取りたい相手同士のアドレスが分かっていれば、履歴を経由して連絡することが可能だそうだ。物体がワープできるんだから電気信号もワープできて当然と言えば当然か。
「当宙域に到達するのが十時間後だ」
ラグラフが周辺の地図をプロジェクターで投影させた。
「直接取りに来たか。して、命令の内容は?」
プラトーが問うと、ラグラフは地図の隣に命令文書を映す。さっぱり読めない僕たちを気遣ってか、ラグラフが内容をかいつまんで説明してくれた。
「内容は、姫様と破滅の火の引き渡しについてだな。ポッドに拘束した姫様と破滅の火だけを乗せ、自動航行で向かわせろとある」
「他に誰も乗せるなって?」
当初の計画では、僕、ラグラフ、プラトー、ネイサンも一緒に乗り込む予定だった。ラグラフ曰く、自分以上に白兵戦が強い兵士はまずいないとのこと。であれば、内側で命令系統を寸断し、外側からラグラフ配下の連中がプレッシャーをかければ乗り込んだ先を制圧できると思っていた。
口を挟むと、ラグラフは渋い顔でそれを肯定した。
「やはり、信頼されているわけではなかったようだな」
それもお互い様か、と口を忌々しげに歪める。
「隠れて誰かが乗りこむことは可能ですか?」
カグヤの問いに答えたのはネイサンだ。
「難しいと思われます。事前に使者を送り込むと言っています。彼らの監視と検査のもと、使者の乗ってきたポッドに乗るように、と。ポッドにはすでに監視カメラや人感センサーが備え付けられているとみていいでしょう。また、護衛と称して中型戦闘艦を四機配備すると」
「不審点があればすぐさま撃墜するつもりじゃ。後は横槍からの防衛が目的か、もしくは」
受け取った瞬間、こちらを攻撃、撃墜するつもりか、だ。最悪の場合は想定して、すぐさま戦闘が開始できるようにしておくべきだろう。
そしてそれは、一人ポッドに乗り込むことになるクシナダにも言える。内部に潜入できるのはクシナダだけだからだ。危険度で言えばここにいる誰よりも高い。誰が合図したわけでもないが、全員の視線が彼女に集まった。
「ま、何とかなるでしょ?」
全員の心配と不安の視線を受けた本人は、あっけらかんと言ってのけた。ようやく洗脳が解除されて、役と本人を使い分けられるようになったようだ。一安心だ。
「で、標的のジョージワードはどこにいるの? もしかしてあなた達の星まで行くことになるのかな?」
「それなんだが、ジョージワード自ら出向いてくるそうだ」
ラグラフの言葉に全員の目の色が変わった。こちらの選択肢が増えたからだ。いざとなったら全面戦争に持ち込むという選択肢だ。単純で良い。それに、その方が僕にとっては都合がよくなる可能性が高い。
「じゃあ、さっきのタケルみたいに、ジョージワードの前まで連れて行かれたら奴を人質に取ったらいいのね? で、周りに言うことを聞かせる、と」
最善で理想のスピード解決展開だが、問屋が簡単に卸すだろうか。
「それが理想ではあるが、想定通りに進まないと思って行動した方がいいだろう。最悪の場合、クシナダ殿は艦内で一人取り残されることになる。しかも儂らは助けに行けないかもしれない」
ラグラフは自分たちが全滅することまで考えていた。
「敵艦内の案内はこちらで指示できる。だが、突破する手助けは出来ない。・・・覚悟はよろしいか」
窺うように問われたクシナダは、力強く一つ頷いた。
「大丈夫よ。ここまで来て止められて、私のあの七日間を無駄にすることの方が恐ろしいわ」
この状況でも軽口を叩けるようになった彼女は本当に強くなった。ちょっと前の、村にいた頃の彼女に今の自分を見せてやりたい。一体どんな顔で驚くだろうか。
「わかった。あなたの協力に感謝する。・・・では、計画を詰めようか」
最後の打ち合わせが完了し、各々が作戦開始までを過ごすことになった。とは言っても僕はクシナダのように何かを受け持っているわけではないので艦内を散策していた。一応僕たちは表向き囚われの身なので、限られた区域だけになる。クシナダはプラトーたちと最終チェックを行っているから一人だ。
そうか、ここ最近僕は一人なのか。思い至って軽く驚く。そして、いつから僕は一人だったかを考える。高校では友人と呼べる人たちがいた。けれど、姉の死以来疎遠になってしまっている。復讐を終えた僕は、普通の、善良な彼らに逢わせる顔がなかったからだ。逃げるように住んでいた場所を離れて、誰も僕のことを知らない街に引っ越した。そこからクシナダの村に飛ばされるまでだから、二年くらいか。そう考えると、僕の人生で一人だった時間なんて一割程度だ。円グラフだと後の方、統計ならその他と同じくらいだ。
反対に、これだけ誰かと共に暮らしたのは家族以来だ。家族の場合は学校や職場に出かけているから顔を合わせないこともあった。けれど、クシナダとはこっちに来てからほぼほぼ行動を共にしている。密度的にはクシナダの方が高い。
だから何だ、と苦笑する。隣にいつもいた人がいなくて淋しがるような、普通の人間だったか? 戻れるわけがない。人を殺めても平然と生き続けている僕のどこが普通だと?
脳裏に浮かんだ過去を振り払うように首を振って、僕は散策を続ける。
士官専用の食堂で、何で出来ているのかよくわからない茶緑色の固形の栄養補助食品を食べた。味は塩味のクラッカーに似ていて、ぱさぱさで口が渇く。喉に詰まらないようにもらった水は軟水だそうだ。宇宙でもカルシウム含有量で軟水、硬水と呼んでいるんだと妙な関心をした。
艦の最上階にやってきた。長距離の航行に備えて、乗組員のストレス軽減のためにアトランティカの風景を模した庭園がつくられているらしい。どこでもストレス問題は深刻なのか、と進んだ科学技術でもままならない人の心や精神の筋金入りのままならなさを称賛しつつ、ドアをくぐる。
庭園は一周百メートルのトラックくらいの広さだ。足元は土が敷き詰められていて、道が敷かれている。道以外の場所には樹木や噴水などが設置されていた。面白いことに小鳥が飛んでいる。小動物との触れ合いがストレスを癒すのだろうか。
ゆっくりと道なりに進む。ちょうど入口から反対側にはベンチが備え付けられていた。ベンチの前は迫力のガラス張りだ。
「タケル」
後ろから声をかけられた。
「カグヤか。どうかした?」
僕と同じで暇を持て余したわけでもあるまいに、こんなところに来ていていいのか? 尋ねると「自分の準備は終わりましたので」と答えた。暇を持て余していたようだ。
「座りませんか」
彼女の提案を断る理由もないので、ベンチに座った。隣に彼女が腰を下ろす。
「私は、何も分かっていなかったのですね」
何か話があるのかと、話し始めるまでしばらく星を眺めていたら、しばらく経ってからぽつりとカグヤが言った。突然何を言い出すのかと、顔をそちらに向ける。彼女は俯いて、組んだ両手を額に当てていた。
「私だけが、使命を背負っていると思いこんでいました。私が成し遂げなければならないことだと。そして、それだけの力があると思っていました。私以上にアトランティカのことを考えている人はいないと思っていました」
けれど、と彼女は否定の言葉を口にする。
「いざ蓋を開けて見れば、私は自分一人では何もできない弱虫だったのです。敵を倒す意志すら持てず、あげくこのような危険で重要な役割ですらクシナダに頼る始末です」
理想と現実の差が激しすぎて嫌になります。そう言って歯を食いしばった。
「人のことを慮る余裕すらなかった。誰も彼もが、結局のところ命令でしか動かないと思い込み、どうして誰も一緒になって考えてくれないのか、協力してくれないのかと憎み、蔑みさえしました。まったくもってそんなことはなかった。プラトー、ネイサン、ラグラフをはじめ、皆、アトランティカの為に死力を尽くしてくれていました。思い上がりだったのです。私が一番考えているなど。私だけが救えるなど」
力無く首を横に振る。
「今なら、あなたが私に苛ついていた理由が分かります。あなた達のような歴戦の猛者から見れば、私は理想ばかりを語り、しかして実態は自分の手を汚すことを恐れるばかりの小娘だったのですね。だからあなたが戦闘機を撃墜したという報告を額面通りにとって、乗組員を味方に組み込む深い考えに思い至らなかった。裏を読む力がなかったから」
いや、それは完全なる僕都合だし、結果はただのオーライなんだが。そんな畏まって思い至られたら、そこに至ってなかった身としては深読みされ過ぎてこそばゆいんだが。
「ラグラフにしたってそうです。私が逃げる事しか考えていなかった間も、少しずつ味方を集めてくれていました。逃亡についても、私はプラトーとネイサンに言われるがままで、大変なことは彼らに全部押し付けてしまった。王家と言うのは、何とも都合のいい身分ですよね」
そう思いませんか、と自嘲する。僕は少し考えて「全くだね」と同意した。
「でも、それでいいんだと思うよ」
「どこがいいと言うのですか! こんな、こんな役立たずに皆がついてきてくれている。申し訳なくて恥ずかしくって、情けなくて涙が出ます!」
「好きなだけ流せばいいよ。多分、あんたしかそんなことが出来る人間がいないし」
僕の涙は一生分流したし、プラトーたちも流してる暇はない。そんな余裕はないのだ。誰かのことを思って涙を流せるのは、多分彼女だけだ。そう言うと、カグヤは目に涙を浮かべたままきょとんとした顔をした。
「みんなさ、きっとあんたにそこまで期待してないよ」
「そんなこと、言われなくても分かってます。だから・・・」
「いや、分かってないね。あんたが活躍できないのは当たり前なんだよ。あんたの活躍の舞台はここじゃねえからだ。あんたの舞台はこの戦いが終わった後。だから、いらねえんだよ。殺し殺される覚悟とか意志とかはさ。あんたは多分、彼らの未来とか、希望であれば良いんだ。あんたが掲げる甘っちょろい理想とやらを実現するために、それが叶う未来のために、彼らは今泥をかぶるつもりだ。その事であんたを恨んだりしやしない。むしろ喜んでいるだろうね。今のあんたに求められているのは、あいつらを安心させることだ。後のことは全て任せろ、って。あんたがそう言えば、彼らはきっと安心して戦える」
彼女の覚悟の見せ所はそこだ。金でも道具でも意思表示でも切り札でも最終兵器でも何でもそうだが、最大限の効果を発揮するためには、使い所が肝心だ。
「あんたはあんたの仕事をしろ。だけど舞台は『ここ』でも『今』でもない。『今』『ここ』は、彼らと僕たちの晴れ舞台だ」
幕が上がるまで、あと数時間。
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