第143話 目覚め

「……クウヤ?」


 自分に何が起きたのか分らないルーはなんとか認識できた男の名を呼んでみた。


 名を呼ばれた男は何故か上の空のように見えた。ルーの呼びかけにも生返事するだけだった。


「るーちゃん、大丈夫?」


 ヒルデがルーのところへ駆け寄り、ルーに怪我がないか確かめる。幸いかすり傷程度だった。


「……たいして怪我はないみたいね。クウヤ君も大丈夫?」


 ルーの無事を確かめたヒルデはクウヤに話しかける。しかし、クウヤは答えない。


「クウヤ君……聞こえている?」


 再度、呼びかけるがクウヤは答えない。その場に立ちつくだけだった。


「クウヤ君! ……どうしたの?」


 ヒルデはクウヤの顔をのぞき込んで驚く。クウヤの目の焦点が合っていなかった。


「クウヤ! しっかりしなさい……クウヤ!」


 ルーもクウヤの異変に気が付き、発破をかけるがクウヤの反応はわずかだった。


 クウヤは次第に意識が戻ってきたのか、まわりを見渡し始める。


「お……れは……あの……とき……炎? うっ……」


 クウヤは突然頭を抱え、崩れるように膝をつく。


「クウヤ、大丈夫か」


 エヴァンが駆け寄り、クウヤを支える。クウヤは手のひらで顔を押さえ、身体を震わせている。


「あぁ……」


 クウヤはうめき声をあげ、苦しんでいる。胎児のようにまるまり、頭を抱え悶えている。


「クウヤ……しっかり……しっかりしなさい。あなたならこの程度なんてことないはず。……クウヤ!」


 ルーはどうしていいのか分からず、戸惑いながらもクウヤを叱咤する。


「クウヤくん、しっかりして。わたしよ、分かる? ヒルデよ」


 ヒルデはクウヤに話しかける。とにかくクウヤの意識をしっかりさせなければと声をかけ続ける。


 仲間たちの努力にも関わらず、クウヤは虚ろな表情で相変わらず頭を抱え悶えている。


「いったいどうしたんだ、クウヤは」


 手のつくしようのないエヴァンは嘆くしかなかった。


「……ここにいても仕方がない。とりあえずクウヤをあのアジトへ運ぼう」


 しびれを切らしたエヴァンは切り出した。ルーとヒルデは驚く。


「でも……動かしても大丈夫なの?」


 ヒルデはいまだもだえ苦しむクウヤの身を案じ、ためらう。


 森の闇はルーたちを包み、視界はそう広くない。その闇がルーたちの気持ちを不安に駆り立てる。


「……分らん。けど、ここにこのままいたとしても何も変わらない。タナトスさんの力を借りれば何とかなるかもしれない」


 エヴァンの提案にルーとヒルデは対案を思いつくことができなかった。森の闇の圧力に負けた悔しさではなく、自分の力ででクウヤを救うのことのできない無力さにルーは唇をかみ、拳を握る。


「よし、クウヤ起きろ。帰るぞ」


 そういって意識が朦朧としているクウヤを無理やり起こし、狩りの獲物ように背負った。


 ルーたちはなかば森から排除されるようにアジトへの帰途へついた。


――☆――☆――


「タナトスさんはいますか!」


 アジトへ着くなり、タナトスを呼ぶエヴァン。


「どうかなさいましたか?」


 急に呼ばれたタナトスは何事が起きたのかと様子を見ながら奥からルーたちのところへやってきた。


「クウヤが……! クウヤが……」


 ルーがタナトスに説明しようとしたが感情がたかぶって、口から言葉が出てこない。口から言葉が出てこないもどかしさにイラ立ちがつのる。イラ立ちがつのるほどに余計自分の思いが空回りし、うまく言葉にできない。


「落ち着いてください。大丈夫です、だいたいの状況は把握しました。一旦一息ついてください」


 タナトスはルーの両肩を持ち、落ち着かせる。


「クウヤくんがるーちゃんをかばって魔物の火を浴びたら……あ、浴びたら……ああ、もう……!」


 ヒルデは言葉につまり、ルーと同じく言葉がなかなか出てこない。ヒルデにしては珍しくイラ立ちを顕にする。


「お二人とも落ち着いて。まずはクウヤ殿の様子を見せてもらいましょうか」


 感情的になり、言葉すら出てこなくなった二人を尻目にクウヤに近づくタナトス。エヴァンはタナトスが近づくのにあわせ、クウヤをゆっくり下へおろした。


 タナトスはクウヤを触診し、様子を見る。


「外傷は……大したことないな……」


 タナトスは慣れた手つきでクウヤを診る。


「タナトスさん、クウヤは……クウヤは大丈夫なんですか?」


 ルーはいつもの強気の雰囲気はなく、別人と見間違うほど弱々しい姿をさらす。普段の彼女ならありえないがそれだけクウヤの状態が異常で衝撃的だった。


「目立った外傷はないので、おそらくは……」


 タナトスはクウヤの状態を説明し始めた。ルーやヒルデ、エヴァンまでタナトスの言葉に耳を傾けている。


「おそらくは森での出来事が精神的な傷に触れてしまったのでしょう。人は自分の処理できる出来事以上の出来事に出くわすとその出来事が無かったことにして心の奥底に封印することがあります。クウヤ殿はおそらくその状態に魔物の火が引き金になって過去の恐怖のようなものを追体験しているのかもしれません……あくまで推測にすぎませんが」


 タナトスの解説を聞いても三人には今一つ何のことかよく分らなかったが、彼らにとってもっと重要な疑問が湧き、そんなことは些細なことと流してしまう。


「……よくは分りませんがクウヤくんを治す方法はあるのですか?」


 ヒルデがタナトスに聞く。タナトスは首を振り、両手を上げる。


「具体的な方法はこの私でも分りません。何せ、クウヤ殿の心の中のこと、誰一人として目で見ることはできませんので」


 三人は絶望的な空気に包まれ、言葉をなくす。傍らでクウヤは虫の息だった。


「何にせよこんなところで冷たい土の上に寝かせていても回復は見込めません。奥の治療室へとりあえず運びましょう」


 タナトスに促され、エヴァンがクウヤを背負う。タナトスに先導されルーたちがついていった。


 とりあえず、治療室の簡素なベッドに横たえられたクウヤは時折うめき声を上げる程度で意識が戻らない。


 ルーはクウヤの傍らに陣取り、クウヤの手を握り、一歩も動こうとしなかった。タナトスは申し訳程度に回復魔法をかけることで何とかクウヤの体力を維持している。


「……本当に貴方は何をしているのよ、クウヤ。早く戻ってきて」


 ルーはただ祈るしかなかった。


――☆――☆――


「またここへ飛ばされたのか……」


 混濁する意識の中、クウヤの精神は闇の中を彷徨っていた。


 時折その暗闇の中から、光がクウヤを通過するがその光の中には虐げられ、無残に死んでいく魔族の姿が流れていく。さんざん大魔皇帝や遺跡の試練のときにさんざん見せられた光景がクウヤの意志にかかわらず延々とクウヤを通り過ぎていゆく。


「……なんでまたこの景色を見ないといけないんだ。もうたくさんだ!」


 クウヤは何とかしてその光景から逃れようとするが、何をしようとその光景から自らの意志で距離を取ることはかなわなかった。


「いい加減にしてくれ! 俺には何もできない! うわっ……」


 浮遊していたクウヤは突然何者かに足を掴まれ、引っ張られる。クウヤは恐る恐る足元を見た。


 足元には漆黒の闇が広がり、底が全く見えない。その闇からいくつもの黒い手が伸び、クウヤを乱暴に掴む。


 掴まれるたびにクウヤの中にどす黒い感情が流れ込み、クウヤを内から外から責めさいなむ。


 まだ命のあるクウヤをうらやみ、いくつもの怨霊が呪いの言葉を投げかける。その言葉はただの言葉ではなくて、痛みの伴ういわば刃を持った言葉だった。


 その一つ一つの痛みはそれほど大きなものではなかった。しかし、絶え間なく何百、何千という痛みが襲ってくればその痛みがもたらす苦痛は想像を絶するものとなる。


「……何が望みなんだ……オマエたちはもうこの世のものではないんだぞ……」


 クウヤは自分を責め苛む怨霊に語りかける。だが、怨霊はただひたすらクウヤに痛みを与え続けるだけだった。


 とある怨霊の声がクウヤに届く。


(ウラメシイ……イノチガウラメシイ……イキテイルモノガウラメシイ)


「生きているモノをうらやんでいるのか……?」


 クウヤは痛みで朦朧とする意識の中、考えていた。


 ただ恨み言をつぶやくばかりの怨霊の中にクウヤへ語りかけるような怨霊がいた。


(クルシミヲクリカエスナ……アヤマチヲクリカエスナ……イケルモノヨ)


 クウヤは朦朧とする意識の中、その声を聞いた。


「何が望みだ。俺にできることなんて大したことはない」


 それでも、その怨霊は語りかけるのをやめようとしない。


(マダイキテイルデハナイカ。シンダワレニハ、デキナイコトガデキルデアロウ)


 クウヤはもったいぶった言い回しをする怨霊にイラ立つ。


「何なんだよ、それは! 俺にはそんな力何てない。大魔皇帝を前にあいつらを逃がすだけで精一杯だった俺に!」


(マチガイヲタダセルデハナイカ、イキテイレバ。シンダモノニハデキナイコトダ)


「だから……だからなんだよ! 俺は……俺は……もうイヤなんだよ。間違いを正し……俺には……力はないんだ、みんなを救うような……」


 クウヤは力なくつぶやく。


「何も正すことなんてできない……できないいんだ……」


 繰り返しつぶやき、肩を落とすクウヤ。


 怨霊はそんなクウヤに構わず『生きているならやり直せる』と繰り返すだけだった。


 怨霊はクウヤにお構いなく、自分の恨みつらみの負の感情を絶え間なくぶつける。怨霊の負の感情は絶え間ない苦痛をクウヤに与える。その苦痛によりクウヤは徐々に抵抗する気力を奪う。


「もう……どうでも……」


 クウヤは半ば消えゆく意識で自分の意識を手放そうとしていた。


 しかし、クウヤはふとわずかにぬくもりを手に感じる。自分の手を包み込むようなささやかなぬくもりはクウヤの薄れかけた意識をつなぎとめる。


「……なんだ? 手が温かい……どこかで……」


 クウヤはぬくもりに意識を集中する。いつかどこかで感じた、ささやかなぬくもりの元を。


「温かい……」


 なぜかクウヤはそのぬくもりが愛おしく思えてならなかった。


(……ウラメシイ。ソノヌクモリヲヨコセ)


 怨霊はクウヤに命令する。恨みがこもった恐ろしい声でクウヤに圧をかける。


「……イヤだ。絶対に渡さない!」


 クウヤはハッキリと拒絶する。


(ムリョクナオマエニハ、マモレナイ。ヨコセ!)


「……無力さ……俺は……それでもっ!」


(マモルトイウノカ。オマエハ、ニゲダシタデハナイカ!)


「確かに逃げ出した。だが守る! これだけは……これだけは渡せない!」


 怨霊は怒りを隠そうともせずクウヤに呪詛の言葉をぶつける。


(ヨコセ! ワレラハ、ウバワレタ。ユエニ、ワレラモウバウ! サモナケレバ、ワレラハウカバレヌ! ヨコセ、ヨコスノダ!)


「だめだっ!」


(ヨコセ!)


 クウヤと怨霊との言い争いが続く。そのやり取りの中でクウヤは気づくものがある。


「……過ちをアンタも犯すのか?」


(アヤマチダト……? ウバワレタワレラニハ、ウバウコトガユルサレル)


「違う! その奪う奪われるが争いの根源であり、過ちだ! 過ちで生命まで奪われたのにその過ちを自ら犯すのか!」


 クウヤの喝破に怨霊は黙った。


「確かにかつて人は魔族からあらゆるものを当然のように奪った。生命ですら……」


 しつこいほどクウヤを責めさいなんだ怨霊の呪詛の言葉は今はない。クウヤの言葉に耳を傾けているようにあれほどクウヤを責めさいなむ呪詛の言葉が止んでいる。


「その過ちを繰り返してはいけない。少なくともそれだけは俺にもわかる」


 クウヤは手に感じたぬくもりを握りしめる。


「このぬくもりは……渡せない」


 クウヤは手に感じるぬくもりを強く握りしめる。


 その時、一条の光がさす。


「……この光は。あれは……」


 クウヤは光の先におぼろげながら、一人の少女の姿を見る。ただひたすらに祈りを捧げる少女の姿を。


「あれは……誰だ? 誰だ……? ……ルー? ルーって……」


 クウヤのかすみがかった意識からカスミが晴れ、段々と光に包まれる。


「ルー? ……ルー。……ルー!」


 クウヤは闇に埋もれた自分の記憶もなすべきことも思い出す。そして一番に守るべき存在も。


「ルー!」


 クウヤはありったけの声で叫び、一条の光に手を伸ばした。


 途端クウヤはまばゆい光の中に取り込まれ、クウヤは一瞬視界を奪われる。


 クウヤは簡素なベッドの上にいることに気がつく。


「ここは……? ルー?」


 クウヤがあたりを見渡すとかたわらにベッドに突っ伏す少女の姿があった。


 クウヤはふっと息を吐き、目を細める。


 疲れうたた寝をしていたルーがふと目を覚ます。今までうなされていたクウヤがルーの手を握り返していた。


 ルーは何か起きたのかわからず、じっとクウヤを見る。


 クウヤはルーに微笑みかける。


 ルーは驚きのあまり目を見開き、言葉がでない。


 クウヤはルーに声をかける。


「よう、おめざめかい?」


 ルーは目にあふれるものをぬぐう。


「何を言っているのですか? あなたはいつも……」


 後は声にならなかった。

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