討伐大魔皇帝編
第132話 追憶のルー
――私たちは
大魔皇帝の力は圧倒的でまったく歯がたたなかった。剣で切ろうと魔法で攻撃しようとかすり傷を与えるのがやっとで、それ以上はできなかった――
ルーはマグナラクシアに身を寄せ、大魔皇帝の闇が世界を覆っていくのをただ静観するしかなかった。悔しい思いを胸に港から海を見つめる日々が続いている。
ルーたちが大魔皇帝のもとから脱出して、一年経つ。その間に状況が大きく動いた。
リゾソレニアは魔物の大海嘯とも言うべき襲撃を受け、上皇派が独自に大魔皇帝との和議に動き分裂崩壊した。現教皇タナトスは少数の近習とともにマグナラクシアへ亡命した。それとともに、ベリタ教は大魔皇帝を神と崇めるへ変質、現教皇はその教えを真っ向から否定したためベリタ教団から破門の身となった。
また、魔族穏健派のオモイカネ一派も、魔の森から追放されマグナラクシアへ亡命した。
辛うじて、カウティカは大規模侵攻を免れているが大魔皇帝に従属を余儀なくされ、大魔皇帝の気分次第ではいつ飲み込まれるかわからない、いわば風前の灯火であった。それでも商魂たくましいカウティカ代表は一人気を吐いていたという。
大魔皇帝の侵攻前の勢力を保ち続けている主要国は帝国とマグナラクシアのみという状況で、大魔皇帝は侵攻の意欲をなくす気配がなかった。
連合軍もその象徴たるクウヤを失い、かつての勢いはなかった。
とりあえず戦線の維持はしているが押し返すだけの力はなかった。小競り合いが続き、兵たちは次第に疲弊していく。
世界は次第に大魔皇帝のもたらす闇に沈んでいった。
――☆――☆――
「クウヤ……生きているの?」
学園の寮のベランダに立ち風に吹かれながら、ルーはクウヤを思う。一年も経つのにクウヤの消息はようとして知れなかった。
「るーちゃん……」
黄昏れるルーに声をかけるが、次に何を言っていいのかわからなくなるヒルデ。この一年ルーは当てもなく物思いにふけることが多く、ヒルデはルーの気持ちがわかる分、余計にどう接したらいいのか迷っていた。
学園内は世界の動乱とは関係なくいつもどおりの穏やかな風景が広がる。
「おーい」
女子寮の下から声が聞こえる。ルーは何かを期待してベランダから階下をのぞく。
下でエヴァンが愛剣を担ぎ、手を振っているのが見える。ルーとヒルデは何ごとかと下へ降りた。
「何かあったのですか?」
「いや、特に何もない」
ルーが訝しげに聞くとエヴァンはあっけらかんとして答える。
「……特に用事もないのに呼ばないでください」
ルーは憮然としてエヴァンを恨みがましくみる。
「細かいことは気にすんな。そんなに思い悩んだところでアイツは帰ってこないぞ」
どうも彼なりにルーを心配してのことらしい。ただそのことがルーの癇に障る。
「貴方に何が分かるのですか! クウヤを……クウヤを……見捨ててしまって……」
エヴァンはルーを慰めようと続ける。
「そのことは気にしないでいいと思うぞ。アイツが覚悟してやったことだ。アイツはそんなことで恨んだりしない」
エヴァンは確信して断言する。
「少なくとも、ルーよりアイツとの付き合いは俺のほうが長い。アイツはそんな了見の狭いヤツじゃない。誓ってもいい」
親指で胸を指し誇らしげに語るエヴァン。
「……エヴァンに何を言っても無駄ですね」
捨て台詞のように言い放ち、顔をふせるルー。
エヴァンは苦笑いする。
クウヤを全面的に信頼しているエヴァンの様子にさらにいらだちを感じたルーは憎まれ口をたたかずにはいられなかった。
ルーは例えようのないいらだちを感じていた。彼女にはその感情が何かわからなかった。
全面的にクウヤを信じているエヴァンに嫉妬していることに気が付かない。
「……るーちゃん、いくら何でもそれは言い過ぎじゃない?」
ヒルデはルーを諌める。ヒルデもルーの気持ちは理解していたが、慰めようとしているエヴァンをあまりにないがしろにしている態度が気に入らなかった。
「るーちゃんの気持ちは分かる。分かるよ。辛いよね……でもエヴァンは心配して声をかけているのよ? それなのにそんな冷たい言い方はない! ……と思うな」
ヒルデは自分の怒りを抑え、努めて冷静にルーを諭す。しかし自己コントロールに長けた彼女にしては珍しく、ところどころ語気が強くなる。
ルーは何も言い返せず、拳を握り小刻みに肩を震わせている。
彼女も自分の過ちに気がついていた。しかし、どうしても湧き上がる感情を抑えることができない。次第にエヴァンへの嫉妬が自分への怒りに変わっていく。
何も言えなくなって、ルーは踵を返し、寮へ戻ろうとした。
「お、そうだそうだ忘れていた。学園長の爺さんが用があるって言っていたな。行くかい?」
エヴァンは唐突に言い出した。
「学園長が……?」
意外な名前がエヴァンの口から出たことに驚くルー。
「まあ、あのタヌキ爺の呼び出しだからろくなことじゃないだろうけどな」
エヴァンはウインクしながら、親指を上げることで冗談めかす。
「るーちゃん、行きましょう。断る理由はないよね?」
ヒルデもルーを誘った。ただ物思いに耽るよりも少しはマシと思ったからだ。
ルーはヒルデにまで誘われ、不承不承ながら学園長のもとへ行くことにした。
――☆――☆――
「すまんな、こんなときに呼び出して」
学園長は好々爺然としていつものごとく切り出した。
「それで学園長、今日はどんな要件で呼び出されたのでしょうか?」
ヒルデがそう切り出した。ルーは訝しげに学園長を見つめながら腕を組んでいる。エヴァンは愛剣を肩に担いだり、おろしたりして時折学園長を見ながらストレッチしている。
「いや何、他でもない。リゾソレニアへ行ってもらおうと思ってな」
その国の名を出された瞬間、全員に緊張の色が浮かぶ。
「……学園長よぉ、今更あの国へ行って何をさせようってんだい?」
エヴァンが若干学園長に対しすごみながら尋ねる。
「エヴァン、それほど疑うな。それほど大した話ではない。さる噂を確かめてきてほしいんじゃ」
話を聞く前から疑いの眼を向けるエヴァンをたしなめながら学園長は説明する。
「……実はな、かの地で魔物を人知れず葬る黒い戦士の噂があってな。その真相を探ってほしいんじゃ」
学園長の説明にエヴァンは疑いの眼を向けるのをやめた。そして若干の侮蔑の色を帯びた視線を送り始める。
「……学園長さんよぉ、いい加減その手の話を俺たちに振るのはなしにしてくれないかな? 俺たちもそうヒマじゃないんでね」
エヴァンはそう言い捨てると学園長に背を向けた。
「まぁそう言うな。この話はお前さんたちにもまったく無関係の話ってわけではないのじゃからな」
部屋を出ていこうとするエヴァンを引き止めるよう学園長は続けた。
「どういうことですか、学園長?」
その言葉に反応するエヴァンよりも早く、ルーが学園長に尋ねる。
「いや何、その噂の黒い戦士というのがお前さんたちがよく知っている人物に似ているなと思ってな」
学園長は口角を微妙に上げ、含みのある笑みを浮かべる。その笑みにエヴァンはただ気味悪がるだけだったが、ヒルデは何かを察したように学園長の顔をみる。
「……その黒い戦士ってどんな感じなんです?」
ヒルデは自分の直感を確認するために学園長に聞く。
「何でも、
腹に一物あるようなやや黒い笑みを浮かべ、学園長はわざと言葉を切った。
「――もう一人ぐらいしか知らん」
ヒルデは学園長の言葉や態度で確信に至る。エヴァンですら、学園長の言葉の意味に息を呑み驚きを隠していない。
学園長はまるでいたずらが成功しご満悦な子供のような笑みを浮かべる。
「……どうかな? 必ずしも悪い話ではないと思うがの」
学園長は特にルーへ向けて尋ねた。
他の二人は学園長の意図に気がついて反応を示したがルーは反応しなかったからだ。
話を振られたルーはそれでもなお反応しなかった。
学園長の執務室にしばし重い沈黙の空気が漂う。
「……その黒い戦士とかいう
この場の雰囲気に強制されるようにルーが学園長に尋ねる。
「さて? ……この度のお願いはその噂の確認じゃからな。どうじゃ、行って自分の目で確かめてみんか?」
学園長はルーを諭すようにリゾソレニア行きを促す。しかし、ルーの表情にみるみる影がさし始める。
「……あまりにも情報が不確定過ぎて、意欲がわきません……失礼してもよろしいでしょうか?」
そう言うとルーは踵を返し、出入り口の扉へ歩き出す。
「るーちゃん待って!」
慌ててヒルデがルーを止める。
「離して。あやふやな話であんな遠くまで行くのは時間の無駄ですね……」
ルーは伏し目がちにヒルデに抑揚なく答える。
「るーちゃん! どうして……。るーちゃん?」
ヒルデはルーがかすかに身体を震わせていることに気づく。
「ま、それほど急ぎの案件と言うわけでもない。少し考えてくれんかの」
学園長はルーの様子に脈なしと判断したのか、結論を先延ばしにした。
「……失礼します」
ルーはそれだけ言うと学園長のほうをかえりみることもせず、部屋から出ていった。
「あ、るーちゃん! 失礼します!」
ヒルデも慌ててルーを追って出ていった。
「……しゃあねぇな」
エヴァンも挨拶もそこそこサッサとヒルデを追って部屋を出ていった。
部屋には一人学園長が残された。
「気持ちはわからなくはないが……世界の騒乱を鎮めるためにはクウヤが必要なんじゃ。なんとしてもクウヤの消息を明らかにせんといかん。しかし如何せんルーシディティがあの様子では……」
学園長の眉間のしわがさらに深くなった。
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