第94話 ルーの慟哭

「我が帝国は議長提案に乗ろうではないか。事態が切迫している現状ではやむをえまい」


 会議参加者たちが驚きの顔で皇帝を見る。提案者である学園長ですら、一瞬の驚愕を隠せないでいた。学園長としてはこの案にどこの国も積極的に乗る可能性が低いことを前提に提案したからである。あくまで議論を収束させるためのきっかけと位置付けて提案していた。しかし、皇帝の一言が学園長の思惑と現実を乖離させ始める。


 この皇帝の一言により、会議の流れは一気に学園長提案でまとまる方向に変わった。このことにより、帝国が主導権を握ることになる。打開策を提案したのは議長たる学園長だが議論をまとめるきっかけを作ったのは皇帝だからである。


(やられたか。さすがは皇帝というべきか……。ここは主導権を帝国に渡さざるをえまい)


 ひそかに学園長はほぞを噛む。


 細部については事務レベルで協議することを確認し、会議は集結するかに見えた。しかし、皇帝はとある話を始めた。


「最近、内々で耳にした話なのだが、魔の森で学園の生徒が大魔皇帝復活の兆しを見つけたということを聞いた。学園長、お宅のところの生徒が魔の森へ調査に出たことは事実だな?」


 学園長は皇帝が突如魔の森の調査の一件について話し出したことに、かすかな不快感と不信感を醸し出しながら答える。


「陛下、今なぜこのような場所でその話を持ち出されたのか? 確かにうちの生徒が魔の森の調査団の一員として調査に向かったのは事実じゃが、通常行っている学術調査の一環にすぎませんぞ」


「事実なら結構。実は調査に向かった生徒に一人というのは我が帝国貴族の子息でな。多少話を聞かせてもらっている。その調査の過程で大魔皇帝復活の兆しがあるという風聞を聞いた。この件についてはいかがかな?」


 学園長はわずかに片目の目尻上げ、顎に手を当てる。


「……口さがない連中は常に何かと噂を立てたがるもの。陛下ともあろう御方がそのような風聞に煩わされるとは、いかがなものでしょう」


 学園長は皇帝の質問には直接答えず、はぐらかした。皇帝はわずかにに口角を上げ、笑ったような顔になるが、その目はしっかりと学園長を捉えており、眼光するどかった。


「……ま、風聞は風聞。単なる噂であれば、余としても安泰なのだが。しかしながら国を預かる者として、可能性がたとえ万に一つのことであっても、大魔大戦のような著しい被害をもたらす事態に対しては対応を考えておかなければならん。大魔皇帝復活が事実かどうかは今のところ不明であるが――」


 皇帝はおもむろに言葉を切り、会議参加者を見回した。参加者たちも徐々に皇帝の話に耳を傾け始める。


「――今回のように魔の森界隈が不穏な動きがある以上、何らかの対応を考えねばなるまい。今回の件が大魔皇帝復活につながるのかどうか今後の調査を待たざるを得ないが、万が一の事態に備える必要がある。そこで、『連合国軍』の創設を提案したい」


 皇帝は爆弾を投げ込む。学園長をはじめとする参加者はあっけにとられ、皇帝を見つめるだけだった。さらに皇帝は続ける。


「当然、我が帝国は兵力・物資等の供出を惜しまない。とはいえ我が帝国だけでこの世界を守り切れるものではない。そこでこの会議に参加している諸君の協力を仰ぎたい」


「実に面白い提案ですが、軍を編成して誰が指揮をとるので? 陛下御自ら指揮されるのですか?」


 リゾソレニアのタナトスが尋ねる。他の参加者は皇帝の返答を固唾を飲んでまつ。


「それもまた一興。しかしながら、それでは諸君らもおもろくなかろう。この世界を守る軍にはそれ相当の人材を充てる必要がある」


「それは誰ですかな、陛下? まさか、大魔皇帝相手なら伝説の魔戦士にでも頼むなんておっしゃらないでしょうね?」


 カウティカ代表ペルヴェルサが多少茶化すように皇帝に尋ねる。それに対し、皇帝は不敵な笑みを浮かべる。


「…………ふっふっふ。そのまさかじゃよ。帝国は魔戦士の復活を図り、その者を旗頭に万が一の事態に備えたい」


「はっはっは……陛下ともあろうお方が。今のような危機的状況を乗り切るための冗談だと思われますが、あまり笑えませんねぇ」


 ペルヴェルサは皇帝の提案を一笑に付す。タナトスも困惑顔で皇帝を見ていた。学園長だけは瞑目し、腕を組みながら、皇帝の次の言葉を待っている。


「……確かに魔戦士云々に関しては我が帝国においても現状では夢物語にすぎん。じゃが、連合軍に関しては夢物語ではない。魔の森より押し寄せきたる魔物の大海嘯。これが大魔皇帝復活の狼煙とは考えられんか? 今の段階では確証はない。しかしながら、我々が確証を得たときには遅いのではないのか? 大魔大戦の歴史を思い出せ。あの時の過ちを繰り返してはならん」


 皇帝にしては、奇妙な発言だった。帝国の国益を第一に確保するべき立場の人間がまるで自国の権益をなげうつような発言を繰り返す。世事に疎く、無知蒙昧な下民ならば泣いてありがたがるような発言に参加者、特に学園長はその真意を測りかねていた。


「とはいえ、まだまだ余の話では半信半疑といったところであろう。……そこでじゃ、我々は魔の森の様子について知らねばならん。学園長、魔の森へ行った生徒の証言をこの場で聞きたいのだが?」


 学園長はこの発言を聞くと同時に目を見開き、皇帝をにらむ。


(これが狙いか! 皇帝……クウヤたちを引きずりだして何をさせようというのか)


 学園長はしばしの間をとる。


「魔の森の調査については現在報告書をまとめているところでしてな。概要だけなら、その報告書をお読みいただけるとありがたい」


 学園長はわざとはぐらかし、皇帝の出方を見る。皇帝はわずかに口角を上げる。


「それはそれで後ほどいただくこととしよう。しかしこの場で余が求めたものは生の目で見た魔の森の様子じゃよ。手垢にまみれた報告文なのではない。そこはお分かりいただけますかな?」


 皇帝も一歩も引かない。あくまでクウヤたちをこの会議の場に引きずり出そうと画策する。


「しかし、年端もいかぬ子供らの証言。いかほどの価値がありましょうや?」


 学園長はなんとかクウヤたちがこの場に立つことを回避しようとはぐらかす。


「……今回の問題の当事者として、魔の森について少しでも知りたい。学園長、生徒たちを呼んではもらえないだろうか?」


 思わぬところから、皇帝に対する援護射撃が始まる。リゾソレニアのタナトスである。学園長は驚きを隠しつつ、タナトスを見る。


「……ペルヴェルサ殿はいかがか?」


 思わぬ方向からの不意打ちを交わすために学園長はペルヴェルサに振った。


「ワシか? ワシは報告書の文字を読むよりかは話を聞くほうが望ましいがな。しかし、このような話題で時間を取ることが惜しい。すぐに話を聞けるならさっさと聞いたらどうだ? そのほうが話が早い」


 いささかいらだち気味でペルヴェルサはまくし立てる。その発言を聞き、皇帝はこれまでにないほど、どす黒い笑みを浮かべ学園長を見る。


「……いかがですかな、学園長。話はほとんど決したと思われるが」


 皇帝が勝ち誇るように学園長に宣言する。途端に学園長の顔が苦渋に満ちたものとなる。


(……皇帝め。謀ったな)


 学園長は決断を下さざるをえなかった。やむなく学園長は口を開く。


「……それではウチの生徒たちから、魔の森の報告してもらうことにしよう。それでは一旦休会し、改めて集合としよう」


 散会を宣言することしか学園長にはできなかった。


――――☆――――☆――――


「……ワシとしても釈然とせんがな」


 学園長は控室でクウヤたちを呼び、事の顛末を話していた。

 対するクウヤは迷惑顔を隠そうともしない。


「……事情はわかりましたが、随分と厄介な話のようですね」

「すまぬ」

「ま、いつものことですから仕方ないですよ」


 クウヤは両手を上げる。

 学園長はさらに眉間のシワを深くする。


「それで魔の森の話はどんな話をすれば?」

「ここまで来たら、大魔皇帝復活の話だけでなく……一種の賭けになるが……魔戦士候補者であることを公表する。帝国に主導権を握られている以上、これを覆すにはこれぐらいの手段を取らなければならん――」


 そこまで言い、学園長は言葉を切り、瞑目する。

 学園長はクウヤたちの前で初めてハッキリとマグナラクシアをあずかる者としての立場を表明した。その言葉でクウヤたち、特にルーの目つきが変わる。ルーの口角がかすかに上がり、徐ろに口を開く。 


「――それでマグナラクシアが主導権を帝国から奪う……ということですね?」


 異例のことだった。いつもなら、クウヤと学園長との会話にルーが割り込むことは無かった。しかし、こと国益と国益が衝突するような事案である以上、口を挟まざるを得なかった。


「……ルーシディティよ、これ以上は口を挟まぬほうがよいぞ。お前はウチの生徒というだけでなく、カウティカの国益を左右しかねない存在なのじゃぞ。忘れてはおらんじゃろうな?」


 学園長は学園の教員の長として彼女をたしなめる。しかし、彼女は怯むことなく反論する。


「そうですね。でも、それならクウヤだって変わらないですよ。クウヤだって帝国貴族の子息。どうしてクウヤだけ、何もかも背負わされるんです? おかしいじゃないですか!」


 学園長はルーの指摘に渋面に渋面を重ねる。


「……言わんとするところは分かる。しかし、クウヤは特別なのじゃ。……クウヤはな」

「何がどう特別なのでしょう? 魔戦士になるべく『造られた存在』だからですか? 『人ならざる者』だからですかっ?! クウヤは……クウヤは……」


 ルーは話をしているうちに感情が激しく高ぶる。そのうち彼女自身も感情の高ぶりに自分の思いを言葉にできなくなる。学園長も彼女の思いについては理解はしてるようだった。しかしながら、世界の安寧と調和を司るマグナラクシアの長としてはそういうわけにはいかなかった。


「ルーシディティ、気持ちはわかる。ただ、今はこらえてくれ。世界が危機に瀕しつつあるのはどうやら間違いないようじゃ。この危機に立ち向かえるのは、クウヤの――魔戦士の力だけなのじゃよ」


 学園長は優しくルーを諭し、理解を求める。しかし、ルーにはそんな理屈は通じない。彼女の感情が激しく高ぶる。


「そんなこと誰が決めたのよ! ろくに探しもしないで、諦めるなんて……そんなことない……そんなことない……」


 思いのたけを吐き出し、泣き崩れる彼女に、ヒルデでさえかける言葉を失っていた。

 クウヤは泣きじゃくる彼女にそっと近づく。


「……ありがとう。そんな風に泣いてくれるのは君だけだな」


 ルーは何か言おうとするが、感情が先走り、言葉にならない。思わず彼女はクウヤに抱き着く。クウヤは優しくルーの肩を抱き、頭を撫でる。その間も彼女は泣き止まなかった。


「……俺は死にに行くわけじゃないんだぜ。未来を守るために戦いに行くだけさ」

「本当に……? でも……それでいいの? 貴方は貴方よ。 もっと他のやり方を探せないの……。貴方はもっと自由に……」

「おっと、それ以上はなし! それにルーだってわかるだろう。誰かがやるべきことなんだ。……おハチが回ってきたみたいだな」


 ルーが顔を上げると、ややはにかみながら苦笑するクウヤの顔がある。


「クウヤ……」


 ルーはそれ以上何も言わず、クウヤの胸に抱かれていた。

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