第54話 折衝

 学園長室に一人残ったクウヤは学園長と相対あいたいする。少なくとも学園の最高責任者と新入生が同席しているような和やかな雰囲気はなく、何かしら得体のしれない緊張感が漂う。

 そんな雰囲気にも気圧けおされず、クウヤは飄々ひょうひょうと答える。


「……私の問題とは、何のことでしょう? 学園長」

「試験の時に頼んだ件じゃ。帝国の情報提供をしてほしいということじゃったがな……。覚えとらんのか?」


 学園長は怪訝けげんな顔をして、クウヤを見つめる。クウヤは表情を変えず、依然学園長を見据えている。


「ま、幸か不幸か、皇帝との個人的なつながりも出来たようじゃし、この任務にはうってつけの人材と見ているのじゃよ、我が国としてはな。あとは君の考え次第なんじゃがな」


 沈黙し、何か様子を伺っているようなクウヤに対し、学園長は一人話し続ける。


「どうかね? こちらとしては、このままだと君のお友達にもご足労願わなければならないとも考えているのじゃが。君の回答次第なんじゃよ、君と君のお友達の今後が有意義なものになるか否かはな」


 学園長は言外に他の三人を裏の仕事を担わせることを匂わせる。それはすなわちクウヤが過去経験した苦い経験を他の三人にも経験させる可能性があることを意味していた。

 学園長の脅しとも取れる発言にクウヤは次第に含み笑いを表情に浮かべる。それは子どもとは思えないどす黒い笑みだった。


「なんじゃな、その笑みは……? 今の状況をわかっているのか?」

「……ええ、重々承知してますよ、学園長。この国の理念の割に脅しがきついなと思って多少可笑しくなりまして。年端の行かない子供にこの世界の矛盾のつけを支払わせるとはお笑い草ですね」


 クウヤは皮肉っぽく学園長に答える。学園長は苦虫を噛み潰した顔でクウヤを見る。

 世界の安寧という崇高な理想を掲げながら、やっていることはそこいらにいるチンピラと大差ない陳腐な脅しに、クウヤは笑いがこみ上げてくるのを抑えることができなかった。

 クウヤの考えを素早く読み取った学園長は眉をしかめる以外にできることはなかった。


「……確かに君の言う通り、矛盾したところはあるかもしれん。我が国としても非情な手段に訴えるようなことにならないよう願ってはおる。ただ、現状は次第に逼迫しつつあるのでな。それで…」

「それでなりふりかまってられないと?」

「……そうじゃ。そのことはクロシマ君が肌で感じているのではないか?」


 学園長の問いかけにクウヤはしばし瞑目する。

 しばしの沈黙のあと、クウヤは徐に口を開く。


「……確かに感じていないとは言いません。しかし、私の友人をダシにして脅しをかけるやり方、気に入りません。仮にも世界の安寧を願う国家の最高責任者の言葉としてはふさわしくないのでは?」


 クウヤはこの国の理念と学園長の発言との間にある溝をことさら学園長に問いただす。クウヤはエヴァンたちをダシにされたことにことさら強い怒りを感じていた。

 学園長は何も言わず、クウヤの言い分を聞いている。表情は固く、机の上で固く手を組み、一点を見つめ静かにクウヤの話に耳を傾けていた。


「……君の怒りももっともじゃが、現状ではそれほどきめ細かく配慮できないのじゃよ、すまんがな。我が国としてもこんな願いを君にしなければならないのは不本意ながら、世界情勢がそれを許さないのでな。君がどう思おうと我が国の君への要望は変わらん。変えようがない」

「仮に私が総ての要望を拒否した場合、どうなりますか? この国は私と私の友人をどう扱いますか? まさか、学園に入学したての新入生を強制的に諜報員に仕立てるなんてことにはならないでしょうね……。それこそ、他の国々に対し言い訳ができませんよ」


 あくまでクウヤにマグナラクシアの要求を飲ませることに固執こしつする学園長に対しクウヤも一歩も引かない。

 彼には守るべき友人がいた。その友人を謀略と暴力の渦巻く闇の世界へ引きずり込むことはなんとしても避けたかった。


「……君の言うことは最もじゃ。この学園を預かる学園長としては甚だ遺憾だと思う。じゃが、この国を預かり、この国の理念を順守する立場でもある以上、多少の矛盾は目をつむらざるを得ない」

「年端の行かない子供を人身御供ひとみごくうにしても……?」


 学園長は苦渋に満ちた表情で何も言わず首肯する。クウヤはその沈黙の返答に思わず天を仰ぐ。


「……交渉の余地なしということですか。それならば、なぜお願いという形にこだわるのです? 学園長の立場なら、強硬な手段を内々に使えるでしょうに?」


 クウヤは妥協のない要求の割に出来るだけ穏便に済ませようとする意図を感じ、それをそのまま質問として学園長へぶつけた。


「……未練じゃよ、教育者としてのな。個人的にはこんなことを頼むこと自体したくはないのだが、この国の特殊な立場上、どんな犠牲を払ってでもやらなければなければならない、それが理由じゃ。世界の騒乱を放置すれば、君の友人たちから犠牲になるものがでるだけじゃぞ。悩ましいことに綺麗な言葉だけではこの世界を騒乱から守ることはできないんじゃ、それは解ってくれ」


 しばしの沈黙の後、学園長は訥々と答えた。

 学園長の思わぬ心情の吐露とろに、クウヤは驚くと同時に戸惑う。学園長が教育者の心情と国家代表として非情な施策を実行しなければならない立場との板挟みになっているように、クウヤも悩む。


 クウヤも世界の安寧を願っていた。昔の友人のような犠牲が出ないことを願っていた。犠牲になるのも、誰かを犠牲にするのも望んではいない。


 しかし、この世界がそんな感傷を受け入れてくれるようなやさしい世界でないことも、文字通り身体で知っていた。


 くわえて、自らの力を世界の安寧に用いず、ただ己のごく狭い世界の守るために用い、世界で起きていることに見て見ぬふりをすることが非情に後ろめたい行為に思えてきた。それゆえ学園長の要望を蹴ることは過去の犠牲に対する裏切りになるように思えた。


 クウヤとしては、できれば世界の騒乱に関係なく生きていたかった。ただ、彼の立場がそれを許さないことは明白だった。

 そのことをクウヤ自身も良く理解していた。


 ――クウヤは決断した。決断したクウヤは眉をしかめ、眉間に深いシワをよせた。


「……そうですか。学園長のお気持ちはわかりました」

「そうか……わかってくれるか」

「しかし……」

「しかし? 何じゃ?」

「タダでは学園長の申し出を受けるわけにいきません。すくなくとも、この学園内では私以下三名が自由に行動できるよう配慮願えますか? それが条件の一つです」

「それぐらいなら何とかしよう。それでまだ何か条件があるのか?」


 クウヤはいくつか条件をだした。その条件とは学園内での騒ぎの免責、マグナラクシア内外での安全保障などであった。


「……わかった。できる限りのことは我が国の名誉をかけて配慮しよう。それでは、帝国の情報を提供してくれるな?」

「……はい。やむを得ないでしょう。ただ……」

「ただ? まだ何かあるのかね?」

「くれぐれも友人たちの安全確保よろしくお願いします。それだけは……それだけは絶対お願いします」

「わかった。約束しよう。この学園を預かる責任者としても……な。生徒の安全を保証するのはワシの義務じゃからな」


 学園長は幾分表情をゆるめ、クウヤの条件を飲んだ。クウヤは力なく肩を落とし、学園長は幾分ホッとしたような様子でクウヤと相対していた。


「これで、ワシらは運命共同体じゃな……。もう逃げられんぞ……今さらだがな」

「……その言葉、遅すぎますよ。断りきれないところまで追いつめておきながら……。ずるいですね、こんな子供に世界の矛盾を背負わせるなんて」


 学園長はクウヤの言葉に怪訝な顔をした。クウヤもその反応に驚く。


「……少なくとも君は子供ではあるまい。確かに外見は子供じゃが、中身は違うであろう。いったい何歳で転生したんじゃ? それを考えると幼子ではあるまい、少なくとも。ワシにはかなり分別の付く年で転生したように見えるがの。……ま、いい、いずれにせよ君一人に重荷を背負わせることはせんよ。我が国の名誉を賭けてな……」


 クウヤは学園長を恨みがましい目で睨む。学園長は対照的にクウヤをすまなさそうな目で見つめる。


「……さて、用は済んだ。帰って良いぞ。君の友人たちも待っているじゃろう、早くいっておやりなさい」


 学園長の言葉に反応し、クウヤは一礼し学園長室を出る。学園長室を出るとクウヤはがっくり肩を落とし、そのまま生ける屍のごとくゆるゆると外へ向かって歩き出した。

 

 クウヤが中心棟をでるとエヴァンたちが外で待っていた。


「……おつかれ。大丈夫か?」

「ホントに疲れてるね。大丈夫?」

「……」


 エヴァンとヒルデはクウヤにねぎらいの声をかけたが、ルーはクウヤを見つめるだけで何やらモジモジとしており言葉を発しない。するとルーが意を決したようにクウヤに擦り寄った。


「……今晩、添い寝してあげる……」

「なっ何を言い出すんだ、いきなり」


 突然のルーの発言にクウヤは目を剥き驚く。他の二人もあまりの過激な発言に固まっている。


「あたしじゃダメ?」

「いや、ダメとかそういうことじゃなくて……。心配ないよ、今晩ゆっくり寝れば大丈夫だから。いきなりなんてことを言い出すんだ。びっくりするじゃないか」

「……だって、男の人ってひどく疲れると女の人と寝たがると聞いたから……」

「いやいやいや、どこで聞いたんだい、そんな話……。ホント大丈夫だから。心配してくれてありがとう」


 心なしかわずかばかり小刻み震える小さな肩を抱き、クウヤはルーをなだめる。他の二人は驚きの硬直は解けたものの、どうしていいのかわからず少し遠巻きにクウヤたち二人を見つめるだけだった。


(しかし、どういう教育を受ければこうなるんだ……。このの考えることは想像もつかんな……)


 クウヤは首を傾げながら、ルーを見る。ルーは少しうつむいていたが震えは収まっていた。


「……さぁ行きましょうか。ここで立っていてもしょうがないです」

「そっそうだね。みんな行こう。そうだ行こう行こう」


 ルーに促されるままに、クウヤたちは中心棟から離れていった。

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