第5話 クウヤの憂鬱
(今日もかぁ……。しんどいなぁ…………)
いつものように剣と魔法の鍛錬を受けたクウヤは疲れはて、やり投げな気分になる。それに数日前から始まった座学にも、疲れからあまり集中できず、ソティスから大雷を落とされたことも気分を落ち込ませる。
(やることが増えるばかりで……。嫌だ。………………逃げ出そうか?)
彼の考えることはこの程度である。子爵の苦悩もソティスの心配も彼の眼中にはない。
「そうと決まれば…………」
一人つぶやき彼は行動に移す。普段の彼ならば、考えるだけでさっさとベットで惰眠を貪るのであるが、この時は違った。自室へ戻ると、護身用の短剣を持ち身支度を整えた。
「さて、いくか」
いつになくしっかりとした決心をしたクウヤは辺りをうかがいながら、そっと自室の扉を開けた。自室の前の長い廊下には夕暮れ時の光が窓から差し込み、仄かに橙色に染まっていた。幸か不幸か、廊下にはひと気はなく、ひっそりとしている。クウヤはこれ幸いと足音を忍ばせ歩いていく。
「これはついているかも……」
辺りをうかがいながら歩いていたクウヤは想う。気配を殺しながら、更に歩みを進めていくと、子爵の自室の前にさしかかる。わずかに空いた扉からかすかに話し声が聞こえる。
「……ん? なんだろ……」
部屋から聞こえてくる声に耳を傾けた。
「…」
「……」
声が小さく、よく聞き取れないクウヤは抜き足差し足で扉の隙間に近づく。そしてその隙間からそっと中の様子をうかがった。子爵と誰かが話をしているようである。
「誰か!?」
(やばっ……)
室内から声がかかり、クウヤは思わず身をすくめる。クウヤは抜き足差し足でその場から離れようとした。
「そんなところにいないで入ってきたらどうだ?」
クウヤは部屋の中からの声に恐る恐る戸を開け、室内へ入った。
部屋の中央に子爵が深く腰掛けている。その上、なにやら難しい顔したソティスと知らない誰かが子爵に相対するように立っている。
「おぉ、クウヤか、ちょうどよいところに来たな。紹介しておこう。公爵様の思し召しで、うちの領内の教学所の教師をやってもらうハウスフォーファー氏だ。ほれ、あいさつせい」
「ハウスフォーファーです。よろしく」
「クウヤ・クロシマです」
子爵がクウヤに促すとクウヤはハウスフォーファーに軽く会釈をした。
クウヤの気のない挨拶に子爵は苦笑したが、怒気はなく、予想の範囲内といった雰囲気を醸しだしている。
「まぁいい。お前には教学所で学んでもらう。ハウスフォーファー氏は本土で錬金術と魔術を研究されている公爵様の覚えがめでたい方だ。帝国でも随一の俊英だから、学ぶところも多いとおもうぞ。しっかり学べ」
「……へ?」
子爵の唐突な申し出に面食らったクウヤは
「ところで教学所ってなんですか?」
クウヤがその場の雰囲気にそぐわないピントのずれた質問をする。
「教学所は主に貧民子弟に読み書き算術、初歩の魔術なんかを教えるところよ」
ソティスが仕方なくクウヤに諭すように耳打ちする。それを聞いたクウヤは何かを思いつく。
「それじゃぁ、ソティスの授業は無しということでしょうか?」
内心なくなって欲しいと願っているクウヤは恐る恐る子爵に尋ねる。
「バカもの。ソティスの分は別だ。気を抜くなよ」
子爵はクウヤの意図を見透かし、クウヤに宣言した。
「……はい。わかりました」
クウヤはあからさまにガックリと肩を落とし、力のない声で返事をした。
「まぁ、そうあからさまに肩をおとすな。教学所に行けば、同じぐらいの子がいるから友達もできるだろう。楽しいこともあるぞ。期待しておけ」
子爵は苦笑しながら、クウヤを諭す。
「それから、図書室の鍵を渡そう。なくすなよ。本は好きに読め。これから様々な知識を身につけてもらわなければならんのでな」
そう言うと子爵は机から鍵を取り出した。クウヤは力なく返事をし、古びた唐草模様の意匠のある鍵を受け取った。
「まぁそういうことだから、しっかり勉強しろよ。来月初めから授業開始だ、忘れるなよ」
にこやかに子爵はクウヤを励ます。
「ところで、クウヤお前どこへ行くつもりだったんだ? そんな格好で」
子爵が含みのある笑を浮かべつつ、クウヤに尋ねる。とたんにクウヤは顔色が変わり、言いよどむ。
「まぁ、よい。あまり勝手に出歩くな。もう良いぞ」
うなだれつつ、クウヤは子爵の部屋を後にした。
「まいったなぁ……。父上には何もかもお見通しかぁ……。……そうだ、図書室にでも行ってみるか」
すっかり気を削がれたクウヤは頭を掻きながら、図書室へ歩いていった。
――――☆――――☆――――
「彼が公爵様のお気に入りの少年ですか……。ところで本土にいるときに噂を耳にしたのですが、子爵の領地で小さな村が全滅したとか、公爵様が関わった大掛かりな実験を行なっているとか……。公爵様は何をお考えなのでしょうねぇ?」
ハウスフォーファーが子爵に尋ねた。
「さてね。公爵様のお考えは計り知れない。一地方植民地の司政官に過ぎない私では分かりませんな」
子爵が机に両肘を付きうつむき加減になり、上目遣いでハウスフォーファーを見つめ飄々と答えをはぐらかした。
「ふん、さすがは帝国随一のタヌキといったところでしょうか。今日のところはご挨拶だけなのでこのぐらいにしておきましょう。これからたっぷり楽しいことが起こりそうですな、子爵。それではこれで失礼する」
忌々しそうにハウスフォーファーはそういうと、
扉が締まると同時に、ソティスはハウスフォーファーを放置しても良いか確認を求めるように子爵に尋ねた。
「やむを得んだろう。どこかの国が本気で探りを入れてきたとはいえ、公爵直々のお達しだ。こちらとしては無下にはできん。それにこちらからクウヤを教学所へ通わせてくれと要請した弱みもある。…………と言っても、奴さんもすぐには動かんだろう。あれだけあからさまに直言してきたところからすると、探りを入れるのと同時に何らかの警告の意味があるのかもしれん。であれば、積極的な動きは当面ない。まぁ、狐と狸の化かしあいが続くだけだ。今までとそうかわらん」
子爵は考えながら、ソティスに答えた。
「潜り込めませんか? 教学所に。相手の目論見がわからない以上、看過はできません」
ソティスは真剣に子爵に言った。
「まぁそうあせるな。この件は追々公爵から動きがあるだろう。なにせお前も公爵お声掛りなのだから、表向き教学所で働くこと自体は可能だろう。しばらく待て」
子爵はソティスに指示を出した。ソティスは承知しましたとだけ素っ気なく答える。
「……あとはアレが問題を起こさなければ良いのだが。ソティス、頼んだぞ」
言葉もなくソティスは子爵の言葉にいつになく決意を込め頷いた。
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