漂う②(芥川龍之介「羅生門」)

 「人生は縄のようだと言った人がいたなぁ。幸運と不運とが、交互にやってくることになっているって話だ。だとすると、俺の縄は随分不細工なんだろうなぁ。こう一方ばかりながいんじゃぁ、頼りなくて、そのうち千切れちまうよ」

 男はそう言うと、腕をにょきっと天に向けて伸ばし、姿勢を良くしたかと思うと、背伸びをし始めた。どうやら、自分の運命を嘆じ、ふざけ始めたようである。確かに、男のその姿は、糸のように細長い。長年の飢饉により、ロクに物を食べることが出来なかったのだろう。無理もない。


 しかし、次の瞬間、男は突如しゃがみこんだ。

 「いけねぇ。何を馬鹿なことをしてやがるんだ。動いたら、また腹が減ってきちまう」

 ふむ。


 その時、男の眼前に数羽の鴉が舞い降りた。鴉たちは、そこで食事を始めた。男はそれを気味悪そうに、しかし、何処か羨むように見つめる。


 荒廃したこの地では、飢え死にする者、病に死ぬ者が後を絶たない。人間にとって、死体は死体である。見たいものではないから、通常であれば、墓場に持っていき埋葬するなり、なんなりするが、いちいち埋葬していては、もはや切りがないほどであった。そのため、捨て置かれているのである。

 しかし、人間にとっては所詮死体に過ぎないが、鴉にとってはごちそうであった。貴重な栄養源が、ごろごろと溢れている現在のこの地の状況は、鴉にしてみれば、むしろ悪いことではなかった。


 男の空腹は、最大限に達していた。しかし、流石に人間の肉を食べる気にはならぬのか。鴉に向けて石を投げるが、避けられるばかりである。

 眼前で行われる醜怪な生命の盛りを、男はしかし、あえて見つめる。もしかしたら、空腹が少しは紛れるかもしれないという、通常なら到底理解し得ない行動であるが、それだけ窮状にあるということが察せられる。

 呆然としたように、男は石を投げたその手を、空中に漂わせていた。


 男の飢えに比例するように、雨の勢いもいよいよ増してきた。食事をとうに止めた鴉たちが去った今、男の周囲に他の生物の姿は認められない。

 男は、しかし、未だ思考を続けていた。しかし、その思考は、先ほどのような、ふわふわとした毛玉のような妄想ではなく、実際的な計画であった。

 「いよいよ、ダメだ」


 空気に浮かぶ埃のような思考の氾濫があった。荒廃したこの土地では常日頃、埃っぽく、黄色く汚れた空気が漂っていた。しかし、この日の雨はそれらすべてを洗い流したようである。そうして洗い流された埃は、地に落ち、根がれた先で、一つの大きな集合体となる。それと同じ現象が、今の男の脳内で起きていた。栄養の足りていない、澱んだ脳の活動の結果。それは、普段であれば選択し得ない結果であっても、追い詰められた者にとっては、天啓ともなり得るのだ。


 男は、もうどうしようもないのだというように立ち上がると、やがて柱に取り付けてある梯子に手をかけ、ゆっくりと登り始めた。

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