大いなる虚構〜文豪への挑戦〜

コォヒィ

漂う①(芥川龍之介「羅生門」)

 鮮やかな橙色をしていた空に段々と雲が現れていき、遂に埋め尽くしたかと思うと、雨だれがぼたぼたと天から落ち始めた。

 塗装の禿げた門の下で、それをやり過ごすことに決めた男は、ふと呟いた。

 「お天道さんまで、腹を空かしていると、見える……」

 しかし、その声を聞いたのは、男の目の前の柱に居た一匹の昆虫のみであった。

 

 ここ数年、この地を地震や辻風、火事、飢饉が襲っていた。数年の間続いているものであるから、この地の荒廃ぶりには目を剥くものがある。災害が一息に終われば、その後にはおそらく復興が果たされるのであると思うのだが、しかし、それはどこか寂しく、空虚な期待に感じられた。


 自然の暴力の前に人間の力の介在する余地はなかった。かつて神は、世界に絶望し、生命の母なる海を変貌させ、世界を再び無に帰した。その際、選ばれた一部の生命のみ助けられたという。では、我々は選ばれなかったとでもいうことになるのだろうか。


 男は思考することのみはやめなかった。というより、他にすることがないのである。帰るべき家すら持たないこの男にあるのは、時間ばかりであったが、皮肉にも、それは到底消費することすらままならぬほどの量があった。時は金なりという言葉が文字通りの意味であれば、男は今頃貴族にもなれたであろう。

 まぁ、今の男に必要なのは、金ではなく食べ物であったのだけれど。


 男は宗教者ではない。しかし、強大な力、絶望的な局面、到底自分の力では解決できないと思われる事柄に接した時、人間のとる行動は祈ることか、嘆じることか。そこに神の存在を用いることは、決して、不自然なことではない。


 さて、私は先ほど、この男に帰るべき家がないと言った。それは、男がつい先日、仕えていた主より、突然暇を出されたためだ。長年の間忠義を尽くし、謹直に働いてきた男である。この男に非はなかった。しかし、運もなかったのである。

 所詮雇われている身の上である。どんなに男が抗議しても、聞き入れてはもらえなかった。ひとえに、時代のせいである。こればかりはどうしよもない。

 このようであるから、正しくは、「門の下で雨を止むのを待っている」ではないかもしれない。この男には雨が止んでも行くところがないのである。この門の下を、自分のねぐらにすることが、あるかもしれない。


 一向に降りやむことのない雨を見ながら、男は再び呟いた。その声は、低く抑えこまれた声で、悲嘆、哀愁に満ち、聞くものの心を芯から冷え込ませるような、陰鬱な声であった。

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