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最終章 《アイハ(20~23)》-想い-

 ママがマシンに入って4年が過ぎた。


 最近、パパとジニアスは研究員らしからぬ油まみれの作業服で顔を煤だらけにしながら、夜中まで新しいマシンを作ることに没頭していた。


 たまに研究室に泊まることも多くなった二人の為に、私は車の免許を取得した。


 夜中に夜食を届けたり、二人を送り迎えする為だ。


 ジニアスはもうすっかり家族のようになっていて、時折家でご飯を食べたり、泊まることもあった。もうすっかりパパの相棒として、家でも二人で難しい話をしてばかりだった。


 12月のある日、また夜中まで研究に没頭する二人を迎えに行った。


「おいおーい。来たよ〜」


 大学の外れにあるガレージを作業場としていたので中でも息が白い。

 あったかダウンジャケットを着込んでいても、動かなければ震えがくる寒さだ。


「おーぅアイハありがとう」


 ガラガラガラ…とマシンの下から油まみれのジニアスが現れる。


「だいぶ進んだの?」


「まぁ、外側はね。でも動かしたら回路がうまく繋がっていなかったり、システムに不具合があったり行ったり来たりだよ」


 この寒いのに薄い作業着一枚で、頭から湯気を出しながらジニアスはそう笑った。


 あのヒョロガリだったジニアスは、マシン構築の肉体労働が増えたおかげで筋肉隆々の身体と精悍な顔付きへと変貌を遂げていた。


 肉体労働に勤しむ筋肉は美しいですねぇ。。。


 ペットボトルの水を飲む姿に見とれていると、ジニアスが「どうした?」と聞いてきた。


「ううん。かっこいいなぁと思って。パパは?」


「え!?そうか?あ、ラブイズさんはさっきまでパソコンでマシン調整していたんだけど…メインPCからソフトを抽出しに行ったのかな?」


「じゃあ待ってよっか。少し休も?」


「そうだね」とジニアスは逆さになったオイル缶に腰を下ろし、簡易暖房機にあたった。


「あぁアイハ」


 とジニアスが立ち上がり、掛けてある上着のポケットから何かを取り出した。


「これ」

 と私に手渡してくる。


「なぁにこれ?」


「いいから開けてごらん」


 紙袋にくるまれていたそれを開けると、中には指輪が入っていた。


「わぁ…」


「アイハ、誕生日おめでとう。今日で20歳になったね」


「え…?誕生日明日…」

 時計を見ると0:00を過ぎていた。


「一番最初に言いたくてさ。ラブイズさんに先を越されないかヒヤヒヤしたよ」


 そう言ってジニアスは白い歯を覗かせてトムク〇ーズのように笑った。


 かっこよすぎる。


 こんなに優しくて、温かくて、ハンサムで、ムキムキで、頭が良くて、お金持ちで、これはもう世界中に自慢したくなる。


「あ…ありがとうジニアス…大切にするね」


「あのさアイハ…」


「なぁに?」


「結婚しよう」


「え!?」

「こら待てーぃッ!!」入り口を見るとパパが立っていた。


「パパッ!」


 猛ダッシュでパパが綺麗なフォームをしながらこっちへ走ってくる!


「いや!ラブイズさん!違…」


 ジニアスがあわあわしてシャキッと直立不動する。


 パパは急ブレーキでジニアスの前に立つと息を切らしながら


「歯を食い縛れ…!」

 とハァハァ言っている。


「や、パパ、ちょっと待ってよ…」


「ジニアスと言えど、私が居ないうちに娘をたぶらかすとはいい度胸だ…」

 肩で息をしながらパパは野獣のような血走った目付きでジニアスを睨む。


「いや!ラブイズさんちょっと落ち着いてください!変な意味じゃないんです!ちょっとパソコンのし過ぎて目が血走って怖いですよ!」


「黙れ!貴様に鉄拳制裁を下す!」


「あ…はい…」


 ぎゅっと目をつむり歯を食い縛るジニアス。


 いやいやいやいや。

 私の王子様を返してくださいよ。


「パパ…」


「ぬぅ!アイハは黙っていろ!」


「パパ…?」


「む…?」


「せっかくのジニアスのサプライズがパパのせいで台無しです」


「むぅ…」


「はい正座」


「いや!だってジニアスが…!」


「正座!」


「むぅ…」


 私も正座をすると、なぜかジニアスも正座しだした。

 コンクリートの床がちべたい。


「パパ、空気を読んで」


「むぅ…」


「パパは空気を読まな過ぎです。私は今日20歳になりました。ほぼほぼ大人です」


「でも“結婚”とか聞こえたから…」


「そうですね。確かにびっくりする案件でした。ジニアス、あれはどういう意味ですか?」


「いや…すぐとかじゃなくて…20歳になったしそろそろかと思って…」


「なぁ…アイハ…」


「なぁにパパ?」


「床ちめたい」


「そだね。立とうか。もう帰る?」


「うん、今日は帰ろうか。ジニアス、泊まっていくか?」


「あ、すみません。じゃぁおじゃまします」


 そうやってぞろぞろと車に乗り込む。


 もはや“ジニアスとの結婚話”は我が家ではコント的な位置付けになっていた。

 パパも本気では怒っていない。というかパパも多分ジニアス以外ではもう考えられないと思う。


 まぁパパにも思うところはあるんだろうけれども。


 帰り道にパパが言った。


「ジニアス、明日はオフにしよう」


「え?あそこの回路繋がったんですか?」


「いや、せっかくアイハの20歳の誕生日なんだ。たまには二人で遊びにいっておいで。夜は皆でご飯を食べよう。私が作って待っているから」


「パパありがとう!ジニアス、私見たい映画があったんだ」


「ラブイズさん…」


「ジニアス…いつもありがとうな。君のおかげでだいぶ助かっているよ。父さんももう年だし、一人でやっていたらゾッとするね。

 だからたまにはアイハと出掛けておいで。アイハも資格の勉強ばかりでろくに遊んでなかっただろ?」


「パパ…ありがとう。甘えさせてもらいます。ねぇ明日は楽しみだねジニアス!」


「すみませんおと…ラブイズさん」


「あ!今“お義父さん”って言おうとしただろう!“お義父さん”はまだ早いって言ってるだろう!」


「いやおと…ラブイズさん。聞き間違えですよ」


「ほらまたぁ!」


「ジニアス!パパもいちいち反応しないの!」


「だってジニアスが…」


「だってじゃない」


「むぅ…」


 膨れっ面のパパを余所にジニアスが話し掛けてきた。


「ねぇアイハ、今日のご飯はなに?」


「今日は遅いので、“おにぎり”です」


「おにぎりかぁ…僕はアツアツのが苦手だから冷めたのがいいなぁ…中身はオカカにしてくれよ」


「おにぎりはアツアツが至高だろう!君はわかってないな!あ、アイハ、私のは鮭にしてくれ」


「ラブイズさん!アツアツのは匂いがキツイんですよ」


「青二才が…」


「まぁまぁ、ジニアスは温いおにぎりでパパが熱々にするから。二人とも、明日の為に早く寝ようね!」


「わかったよアイハ!」


「アイハ…アツアツの炊きたておにぎりの良さがわからない人間とは結婚しちゃいかんぞ」


「おと…ラブイズさん…」


「あ!また!」


「もー!二人ともいい加減にしなさいッ!喧嘩しないのッ!」


 …そうやってその日の夜はふけていった。冬の凛とした空気の中、満天の夜空が光輝く素敵な夜のドライブだった。ジニアスもすっかりパパに慣れていて、私は改めて家族の温かさに触れていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 翌朝、カーテンを開けるともうすっかりと日は昇っていて、時間を見ると9:00を過ぎていた。


 机の上に置いたジニアスからもらった指輪を眺める。昨日も寝る前にニヤニヤ眺めていた。小さなピンクダイヤが付いているプラチナのリング。はめてみるとぴったり左手の薬指に収まるサイズだ。付けてみて、ニヤニヤしたり、ゴロゴロしたり、まったりと堪能をした。

 一通り儀式を済ませリビングに行くと、ジニアスが泊まりに来た時の為に買ったソファベッドになぜかパパが寝ていて、ジニアスは隣のリクライニングチェアで小さくなって寝ていた。


「ぐおおおお!ぐぱあああああ!」


 パパがお酒を飲んだ時のイビキをかいている。

 テーブルには飲み掛けのブランデーグラスが二つ置いてあった。


 ジニアス…付き合わされたんだな…


 すぴーすぴーと鼻息を立てて眠るジニアスがなんだか可愛い。

 二人を起こさないようにそぉっと部屋に戻り、着替えて買い物に繰り出した。近くのファストフードでお持ち帰りのサンドイッチとコーヒーを買い、家に戻るとジニアスがイスに座ってボーっとしていた。


 パパは変わらず「すぴぴぴぶにゃあー」と奇跡のイビキをかいて寝ている。


「ジニアス、私の部屋にいこ」


「んあ?」


 そうやってぽやぽやしているジニアスを部屋に呼んで、二人でブランチをすることにした。


 部屋に行く途中、ジニアスはトイレに行き、冷蔵庫からペットボトルのお水を出してゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクゴクといつ息をしてるのかと心配になるくらい飲んでいる。


 私の部屋に行くと、ジニアスはむさぼるように二つのサンドイッチをたいらげた。そしてお腹がいっぱいになって眠くなったのか、またうつらうつらしだしている。


「ジニアス、少し私のベッドで休みなよ」


「…いや…見たい映画…見に行こう…」


「いや、ちょっと休んだ方がすっきりするよ。いいから少し寝てからにしよう?」


「…うん」


 寝癖全快でスウェット姿のジニアスが私のベッドに潜り込むと2秒と待たずに寝息をたて始めた。鼻が詰まっているのか、スピスピースピスピーと奏でている。


 ジニアス…いつも夜遅くまでパパに付き合ってくれて…疲れているんだな…私はそのままずっとジニアスの寝顔を見詰めていた。ママがマシンに入ってから、ジニアスはパパの研究室に入った。今は大学院に進み、修士過程を取得しつつあった。初めてあった時は、なかなかエキセントリックで気弱な印象だったけれども、今はパパの右腕として実力申し分なく働いている。


 …もう付き合って4年になるんだ…


 こっそりジニアスにキスをする。ジニアスは「うぅん」と向こうを向いてしまった。


 ジニアスとのファーストキスは付き合ってすぐだった。私がキスってどんな感じなのか、興味本位でしてみたかったからだ。すごいドキドキして、心臓がはち切れんばかりだったのを覚えている。それからジニアスは手は繋いでくれたけれども、キスはしてくれなくなった。後で聞いた話だと、付き合いたての頃はケンおじいちゃんの言い付けもあって、半分は私とパパに近付く為に付き合ったことが、ジニアスにとっての罪悪感になっていたようだった。もちろん私のことは好きだったみたいだけど。


 それからジニアスがパパと研究室で一緒にいるようになると、私よりもパパといる時間の方が増えてしまって、ますます二人でゆっくりいる時間はなくなってしまっていた。


 この頃は家にもよく来るようになったので、パパの目を盗んではチュッチュしていたのだけど、当然それ以上することはなかった。なんだか、それなのにもう家族みたいに一緒に居る。


 結婚ってなんだろう?子供を作る為に必要だからなのかな?だったらまだママのことがあるから考えられないな…でも、もう結婚しているみたいだよね?だって、私のベッドで寝ている男の人なんて、パパ以外ではジニアスしかいないもん。


 ジニアス…


 ジニアスは私に交わした覚悟を、目に見える形で一所懸命がんばって全うしている。だけどそれは“私の為”が根底にある。だからジニアス。

 私はあなたに私の全てを捧げます。二十歳の誓いとして。


 …………………………


 あー…なんだか私も眠くなってきたな…ジニアスの隣で寝よう。

 向こうを向いてスピスピ眠るジニアスに後ろからぴったり抱き付いて私も惰眠をむさぼった。


 夕方。目を覚ますとジニアスが隣で私の顔を見ていた。


「あ…起きたの?」


「うん、ちょっと前にね。おはようアイハ」


「えへへ、おはようジニアス」


「もう夕方になっちゃったね。ゴメンよ、すっかり寝てしまって」


「ううん、私も寝ちゃったし。少しは疲れ取れた?」


「うん、おかげさまですっかり元気だよ」


「良かったぁ」


「指輪…付けてくれたんだ…」


「うん。すごく可愛くて気に入っちゃった♪」


「アイハ」


「うん?」


「誕生日おめでとう」


「にゃはぁ、ありがとう〜」


「映画、見に行こうか」


「ううん、また今度にする。今はずっとこうしてたい」


「そう?」


 ジニアスが頭を撫でてくれる。気持ちいい。


 バン!

「ジィ〜ニィ〜アァ〜スゥ〜ッ!!」


「ラブイズさん!いや!これは…!」


「パパ!?」


 振り向くと、鬼瓦のような形相でパパはベッドにいる私達、いや、ジニアスを睨み付けていた。


「…私が寝ている間にアイハに手を出すなんて上等だなァ…!?」


 怒り過ぎて震えている様子が秀逸だ!


「ラブイズさん!ホント違います!違います!」


「チュウはした」


「な!?アイハ!?」


「チュウ〜ッ!?」

 タコみたいな顔でパパがドシンドシン近付いてくる。ジニアスは顔面蒼白だ。


「ちちちちち違います!違います!ホント何かの間違いですッ!」


「間違いだぁ!?貴様…うちの娘と間違いを犯したとでも言うのか…!?」


「いや!寝てただけです!寝てただけです!」


「なぁに〜?あの甘々トークはなんだ…?」


「パパ!聞いてたの!?」


入り口を見ると、空のコップが置いてあった。盗聴だ!


「ラブイズさん!」

 とジニアスがベッドから飛び出して、ジャンピング土下座をする。


「ジニアス…」


「おと…ラブイズさん…」


「…お義父さんでいい」


「!!」


「アイハ…孫は男の子がいいな」


「パパのバカ!盗み聞きなんてしちゃだめだよ!」


「いやぁだって気になったんだもん」


「“だもん”じゃない!」


「ラブイズさん…お義父さんって呼んでもいいんですか…?」


「まぁもう息子みたいなものだろう。アイハも二十歳になったし、たまにはいいよ。ただまだ外ではダメだ」


「ラブイズさん…」


 ジニアスが男泣きに泣いた。やっぱりなんだかんだで嬉しかったのだろう。さっきの顔面蒼白も本気っぽかったし。


「でもおまえ達、あんまり家でイチャイチャするなよ。私の居場所がなくなるからな」


「はぁい」


「うっ…うっ…わかりました…」


「ほらもう泣くなジニアス。アイハと映画を見に行くんだろう?早くしないと暗くなっちゃうぞ」


「はい…ずみまぜん…」


「じゃあパパも準備するかなー!」

 そう言って伸びをしながらパパが部屋から出ていこうとした。


「パパ」


「ん?なんだい?」


「ありがとう」


「うん…アイハ」


「うん?」


「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて、ありがとう」


 パパはそう言うと洗面所に向かっていった。


 “生まれてきてくれてありがとう”


 パパのその言葉が胸の奥に響いていた。


「グス…いい…お父さんだよね」


「うん…最高のパパだよ」


「よぉし!僕もラブイズさんに負けない、いいダッドになるぞ!」


「パパね、男の子がいいってさ♪」


「結婚…してくれるの!?」


「いやぁ…それはまだかなぁ…?」


「うん…そうだ…ね。でもいつか、必ず。僕待ってるから」


「うん、約束します。その時は私の全てをあなたに捧げます」


「アイハー!」


「ジニアスー!」


 ぎゅうぅと抱き締め合う二人。そしてドアの隙間から私達を見守るパパ…


 パパ!?


 シャコシャコ歯を磨きながら、じーっとこっちを見ている。

 私とジニアスもじーっとパパを見る。


 じー…


 すっ、とパパはまた洗面所に向かって口の中の歯磨き粉を吐き出すとガラガラガラガラ…と口をすすぎ、ペェッと吐き出す音が聞こえた。


 ペタペタペタ…


 じー…


 また見てくる。

 私とジニアスもじーっとパパを見る。


「フッ…」


 とパパは笑ってリビングに行った。


 勝った。


 リビングではガチャガチャと音が聞こえていた。私とジニアスは抱き合ったまま、まだドアから視線を外してはいない。


 ペタペタペタ…


 <パンパンパン!> 


「痛ッ!痛ッ!イタタッ!」

「痛!痛て!ラブイズさんちょっと!」


 オモチャの銀玉鉄砲を持ったパパは腕だけを出して私の部屋を乱射していた。


「パパッ!!」


 その後、『もう二度と人に向けてオモチャの鉄砲を打ちません』という反省文をパパに書かせた。

 そうしてから、パパが「じゃあ準備があるから二人は外に出てきなさい。7時までには帰ってくるように」と、半ば強引に家から閉め出された。


 ジニアスが「映画見に行く?」と聞いてくる。


「ううん。もう時間無いし、うーん。そうだ!ジニアスとパパの作業着の替えを買いにいこう!」


「いや、今日位はアイハの行きたいところに行こうよ」


「私の行きたいところ?じゃあ新しい作業着を買いにレッツゴー!」


 ジニアスはやれやれといった感じで「じゃあ行きますか」と車を発進させた。

 近所のワークショップへ着くと、ジニアスの方が目を輝かせて「あの電動ドライバーの新機種が出たのかッ!」とか「このシリーズはパワーがイマイチなんだ」とか男の子っぷりを発揮していた。


 ジニアスも仕事で使う道具もたんまり仕入れて、ご満悦の様子で、山程色々と研究所(倉庫)宛まで送っていた。


 私は二人が着る新しい作業着を物色していたけれど、やっぱりあのブルーの作業着が耐久力、汚れ落ちに優れている為、そこに落ち着いた。


 帰り道にコーヒーショップに立ち寄ると、ジニアスは今日の戦利品について熱っぽく語った。


「やっぱりカタログと違って現物に触れられるのがイイね!規格外になるからマニュアルは細かくなるけれども飛躍的に作業効率が進むよ!例えば8mmの電線を使うより12mmの方が送れる電力は増えるんだけど、その分処理をするスピードが上がる。そして余剰分のパワーをあそこに流せば…いやいやいやいや、早く試したいよ!」


 ジニアス…

 初めて会った時にサカナクンさんの話を熱く話していた頃を思い出した。たまにハコフグハットの話をすると、本人的には黒歴史だったようで「止めてくれよ!」と顔を赤らめる。今でもサカナクンさんは尊敬しているようだ。


「あ、もうこんな時間だ。そろそろ行こっか」


 家に帰るとなにやら薄暗い。

「パパ出かけちゃったのかなー?」


 ジニアスと一緒に玄関の鍵を開けて中に入ると、

<パンパンパン!>

「ハッピバースデーアイハ!!」


 薄暗がりから鼻眼鏡を掛けたパパがクラッカーを鳴らしてきた。


 ちょっとびっくりしていると

「さぁさぁ入った入った!」

 と私とジニアスをリビングに招き入れる。


 テーブルの上には熱々のグラタンとコーンスープ、鳥の唐揚げと大きなケーキが真っ赤なテーブルクロスの上に並んでいた。


「パパ…これ…」


 いつもママが私の誕生日に用意してくれたごちそうだ…

 私の両目から涙がポロポロ流れ落ちた。


「いやぁ!ママみたいにうまくいかなかったけれど、一所懸命作ってみたよ!さぁさぁ席に座って!」


 パパは普段以上のテンションで私とジニアスを席に座らせる。


「じゃあ…ロウソクに火を点けるよ…」


 シュボッ…とマッチを点けると、薄暗がりのリビングがぼんやりと明るくなった。


 パパが一つ一つロウソクに火を灯していく。


 部屋を見渡すと、折り紙で作った色とりどりの飾り付けの真ん中に「ハッピーバースデーアイハ」の文字があった。


 まだパパもママも元気だった3歳の誕生日。

 そのままの光景がそこにあった。


 パパが笑っていて、ジニアスもにこにこしている。

 そして20個目のロウソクに火を灯された。


「さぁ全部点いた。みんなでハピバースデーを歌おう!

 さん、はい!

 ハッピーバースデーアイハ〜

 ハッピーバースデーアイハ〜

 ハッピーバースデーディアアイハ〜…

 ハッピーバースデーアイハ〜

 おめでとう〜!ほら!火消して!」


 ふぅ〜とローソクの火を消すと、パパとジニアスがパチパチと拍手をしながら「おめでとう!」と口々に言ってくれた。


「えへ…ありがとうパパ、ジニアス」


「はいアイハ」とパパが包みに入った箱を差し出す。

「プレゼントだよ。開けてごらん」


 包装紙を丁寧に開いて箱を開けると…

 そこにはあの時計が直っていた。

 パパがマシンに入る前に私にくれた時計。踏み潰されて時の止まったままの時計が新品のようになって、しっかりと時を刻んでいる。


「…パパァ…パパァ…」


「うん…うん…きっとさ…ママの時間もさ、またこの時計のように動き出すよ…」


 パパも鼻眼鏡の中から目を真っ赤にさせていた。ジニアスが優しい顔でこっちを見ている。


「お義父さんに付けてもらいなよ」


「…うん…」


「あぁ、どれ、手を出してごらん」


 言われるままに左手を差し出すと、パパは優しく私の手首に時計を付けてくれた。


「ちょっと…幼すぎるかな…?」


 ピンクの大きなハートのついたその時計の、目一杯まで端のベルトの穴にパパが留めてくれた。あの時は一番小さくしてもくるくる回っていたあの時計が、今は一番大きく付けても少しキツイ位になっていた。


「…ベルトだけ今度買い換えようか?」


「いや…このままでいい…」


「うん…そうか…じゃあごはんを食べようか!冷めてしまわないうちに食べて食べて!」


「あ!じゃあお義父さんいただきます!」


「おぉ食え食え!」


「パパ…ありがとう」


「うん、アイハもいつもありがとう」


「えへへ…すごいね、これ」


「だろう?ちょっと焦げたけれど、味はまずまずだと思うよ」


 その言葉通りちょっと濃い目の味付けだったけれども、とても美味しかった。


<ピンポーン>


「あら、誰かしら?」


「僕が行ってくるよ」


「さぁアイハ飲め飲め!」


 その時玄関からジニアスの「あぁッ!」という声が聞こえた。


「アイハーッ!」

「アイハちゃーん!」

「ガハハハハッ!おるかーッ!」


 ジニアスファミリーだ!


「ケン大老!」

 パパは鼻眼鏡を吹っ飛ばしてびっくりしている。


「シィエお姉さん!外出て大丈夫なんですか!?」


「アイハちゃん!誕生日おめでとう!お祖父様がね、今日の為に装甲車並の車を作ってくれたの!アイハちゃんの誕生日だから特別だって!久しぶりに外に出たの!」


「アイハ!食事もいっぱい持ってきたわよ!ささ!ジニアスちゃん運んで運んで!」


「マァームッ!」

 ジニアスは早速使われている。


<ピンポン>


「アイハーおめでとう!」


「おじいちゃん!」


「マリーも連れてきたぞ。せっかくのアイハの二十歳の誕生日だからな!」


「おばあちゃんも!?」


「うっうっ…アイハちゃん…良かったね…ぐす…」


「テムズさん!」


 それからはなし崩し的にみんなで宴会が始まった。


 ジニアスママがずっと話続けていたり、テムズさんがそれを聞いて感動して泣いていたり、パパがまたジニアスに銀玉鉄砲を乱射したり、おじいちゃんがケンおじいちゃんに強いお酒を飲まされていたり、シィエお姉さんと私の部屋に行ったり、パパがジニアスにお酒を浴びせたり、二人で裸で踊り出したり、ジニアスのお腹にピョ〇吉をマジックで書いたりとやりたい放題だった。


 私は少し落ち着いてから、おばあちゃんと一緒にみんなの姿を見て笑っていた。


「ぁ…ぁ…」


 おばあちゃんの方を見ると、おばあちゃんが確かに笑っていた。

 無表情で口をポカンと開けたまま、おばあちゃんは確かに笑っていた。

 左手にはジニアスの指輪とパパからの腕時計。

 これでママが居てくれたら… 


 ママがいない。そのことだけが、ほんの少しだけ胸をツキンと痛めていた。


 だけど…だけど、みんな…みんな私の為に集まってくれた。

 私の周りにはこんなにも私を見てくれている人たちがいる。

 みんなからたくさんの温もりをもらった、心温まる二十歳の誕生日だった。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私の誕生日が過ぎてから、おばあちゃんが目に見えて変わってきた。

 まず、私の顔を見付けると「ぁ…ぁ…」と声を発するようになった。なんとなく顔が上気している感じがして、なんとなくいつも嬉しそうな感じがした。その事をおじいちゃんに知らせると、とても嬉しそうな顔をして「マリーにとってアイハが一番の元気の素だな」と笑ってくれた。それからおじいちゃんも今まで以上に会いに来るようになった。


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 ある日のこと


 庭でおばあちゃんとお散歩をしていると、おじいちゃんが向こうから手を振って歩いてきた。


「…ケン…ジロ…」


「は?おばあちゃん…なんて…?」


「どうしたんだい?アイハ?」


「今…多分“ケンジロウ”って言った…おじいちゃんの名前だよね…?」


「…ッ!マリー!?確かにマリーが言ったのかアイハ!?」


「うん…多分…」


「マリー!?私がわかるのかいッ!?マリー!?」


「…」


 おばあちゃんはいつも通り前を向いて無表情な顔をしていた。


「マリー…マリー…」


 おじいちゃんはおばあちゃんの両手を握りながら、しばらくその場で泣いていた…


 それからおじいちゃんは更に、おばあちゃんのところに頻繁に来るようになった。


 ジニアスから、そのせいでママの為のマシンの構築に遅れが生じるとは聞いていた。けれども、パパは何も言わなかった。


 ある日、倉庫に行くとパパの怒鳴り声が聞こえた。


「何度言ったらわかるんだジニアスッ!!」


「…お言葉ですがお義父さん、サイトウ博士の怠慢は度が過ぎると思います。博士がおばあちゃんのところへ行く度に、僕らの進行は足止めを食らう。それでは間に合わないかも知れないんですよ!」


「そうじゃない…そうじゃないんだジニアス…!『手段が目的になってはいけない』といつも言っているだろう!」


「…でもですよ!?仕事はきっちりこなしてもらわないと、お義母さんはいつどうなるかわからないじゃないですかッ!」


「そんなことは百も承知だ!!だからと言って、父さんと母さんを離すことはダメだ!」


「離す訳じゃないですよ!前ぐらいの頻度会ってもらって、仕事に支障をきたさないでもらいたいだけです!」


 ジニアスはパパの目を真っ直ぐ見てそう言った。パパは少し目を伏せながら、「…なぜわからないんだ…」と呟いた。


「わからない!?僕がですかッ!?僕がどれだけの想いでこの仕事に取り組んでいるのか知っているでしょうッ!?」


「まーまーまー」


「…アイハ!」


「…アイハ…」


「どうしたのさ二人とも。熱くならないで話し合おうよ」


「いや…前も話したろ…?博士がおばあちゃんのところへ行くから、こっちの作業に遅れが生じているんだ…」


「そう…パパは?なんでジニアスを怒鳴ったの?」


「……ジニアス…聞いてくれ…我々はなぜここでマシンを作っているんだ?」


「それはお義母さんを救う為ですよ」


「ジニアス…こんなことを言うのもなんだが、君はキキョウに会ったこともない。なぜそんな君がキキョウを救いたいんだ?」


「わかっているでしょう…ただ、今はアイハの為だけではありません。お義父さん、博士、テムズさんのことや、誰かの為という訳ばかりでなく、僕自身もこの仕事を通じてたくさん成長することが出来たからです。

 僕は今、この仕事に誇りを持って取り組んでいるんです。それの何がいけないんですか?」


「いや…それはいいんだ…ジニアス…君が思う“真実の愛”とはなんだ」


「アイハです」


 ジニアスは真顔で即答した。


「…ありがとう。アイハをそんなに大切にしてくれて…ただジニアス、前にも伝えたが、我々のこの研究のファミリーとして目的は“真実の愛”を追究する為だ。君がアイハを想う気持ちは確かに“真実の愛”だと私も思う。ただ私は更に思う。“愛”には段階があるのではないか?と」


「段階…ですか…」


「うむ、まずは“自己愛”これは原始の愛だ。全てはここから始まる。自らの愛を満たす為に人は行動する。

 次が“性愛”だ。性差のあるなしに関わらず、他人を好きになる。そこから発生する愛だ。相手が愛で満たされると自分も満たされる。ただこれは人が限定される。結局はエゴ、いわゆる自己愛から派生したものに過ぎない。

 そこの次の段階が“種族愛”、“人類愛”と言われるものだ。種族やそれに関わるものへの愛に拡がる。

 ジニアス…私が今、最も大切だと思うのが“世界愛”だ」


「世界…愛…?」


「そうだ。この世は愛に満たされている。この世界全てを包む愛、それこそが“真実の愛”に他ならないと思っているんだ…ジニアス…君は今、君の持つ電動ドライバーに愛を今感じるかい?」


「この電動ドライバーですか?」


「そう…それは昔、誰かが新しい何かを作る為に開発をして、我々はその恩恵を授かっている。それは我々に対する大いなる愛だ。この地面もそうだ。誰かがコンクリートを開発して、それが歩きやすい地面、作業しやすい地面を提供してくれている。

 もっと言えばこの大地はどうだ。陽の光、心地よい風、広大な海、その全ての自然は我々に大いなる恩恵という愛を与えてくれる。とどのつまり、我々も自然の大いなる愛の一部なんだ。

 エゴから生ずる愛は限定的だジニアス…自然に生きて、大いなる愛を知り、それを体感し、我々は生きている。大自然の中の大潮流の中に我々はいる。

 博士が母さんを愛する気持ちは、博士のエゴイズムに過ぎないかも知れない。しかし、我々はそれすらも愛の一部として受け入れるべきなんだ。

 博士には博士の人生があり、今までたくさんの愛に貢献してきた。ならば…我々はそれを受け入れて生きていくべきだと思わないか?博士の理論がなければ、我々はここまで到達出来なかったんだ。ジニアス…君にはそれをわかってもらいたいんだ」


「……お義父さん…言っていることはわかります…ただ、今の僕には納得出来ません…」


「うん…そうだな…それでいいんだジニアス…さっきは怒鳴ってごめんよ。…ただ、私がそう思っていることを知って欲しかったんだ…」


「お義父さん…」


 パパ…


 パパの言っていること、私わかるよ…小さい頃からなんとなく思っていた。

 なんでみんな人を傷付けるんだろうって。

 なんで周りに居てくれる人を傷付けるんだろうって。


 子供も

 大人も。


 “在ること”が当たり前になっているから、その存在に感謝出来なくなってしまう。

 “有難い”とは在ることが難しいことなのに、今は“有安い”世の中になってしまったからかも知れない。

 息を吸うことは当たり前のことで、毎日空気に感謝している人は少ないと思う。

 水に溺れて死にそうになった人は、本当の空気の有難さを知っているかも知れない。

 ジニアスが言ってくれる“真実の愛”である私がいなくなれば、より大きな愛に気付けるかも知れない。

 ただ人はそれを望まない。

 今ある人生の枠を飛び出して、苦労をしてまでそれを得ることはしない。それには心身の苦痛を伴うからだと思う。人間はいかに苦痛を取り除き、快楽を追い求めていくかの生き物だから。

 きっと、その中で人は、その苦楽の中に人は、“生きる”という行為に意味を見出だすのだろう。思い通りにならないから、思い通りにするべく努力をする。そうして世の中は成長発展してきた。

 もし世の中の全ての欲求が叶えられたその次には、何が生まれるんだろう。


 私は“真実の愛”に気付くことだと思う。

 パパの言った、“愛の段階”を人間の個々が昇る時に、本当の意味で“満たされる”という感情を知ることが出来るのだと思う。


 私は…私は常に満たされなかった。

 ただ、パパとママの幸せに過ごした記憶だけを頼りにここまで生きてきた。小さな頃から人の気持ちを、私の思う幸せを、たくさん考えてきた。私はただ幸せに過ごしたいだけだった。パパと、ママと一緒に…


「…ジニアス…」


「…なんだいアイハ…」


「あなたが満たされてきたばかりの人生を歩んできたとは私、思わない。

 シィエお姉さんを見てもかごの中の鳥のように生きているように思える。あなた達の一族の特殊さがあなた達を世間ずれさせている。それが家族にこだわるあなたの気持ちの根底にあるのかも知れない。

 おじいちゃんは完璧な人間じゃない。おじいちゃんはおばあちゃんの為だけに生きているの。

 私ね、思うんだ。“子供が大人になったのが大人なんだ”って。だからね、出来ないことがあってもいいじゃない。

 ようはおじいちゃんの代わりがいればいいんでしょう?なら私がおじいちゃんの代わりになる。おばあちゃんはおじいちゃんに任せて、私がおじいちゃんのポジションに座るよ。それなら問題はない?」


「簡単に言うけどアイハ…おじいちゃんの代わりなんて務まるはずがないだろう!」


「…いや…いいかも知れないな…」


「お義父さん!」


「アイハ…出来るか…?コンピューター言語を一から覚えることから始まるけど、それはアラビア語を一から覚えるようなものだぞ」


「世界一難しいと言われる日本語をネイティブ並に喋れる私よ?今更コンピューター言語なんて訳ないわ」


「…お義父さん…僕はアイハには無理だと思います…アイハ…気持ちはわかるけど、全く別の話だ。博士の知識や経験をそのまま君が出来るはずないだろう?」


「でも私には若さがあるわ!」


「アイハ…勢いだけで生きていけたら誰も苦労しないよ…」


「まぁジニアス、そう言うな。今は猫の手でも借りたいくらいだろう?

ただアイハ、仕事の片手間に中途半端にする位ならいない方がいいのは確かだ。今の仕事を抜けられるのか?逆に今の仕事が中途半端になるならパパも許さないぞ。アイハの助けを得て生きている人が一人でもいるなら、そっちを優先すべきだ」


「う…ん、そうだね、施設長に相談してみる」


「そうだね、それがいい。ただアイハ、悪いがパパは現実的にそこまでアイハに期待している訳ではない。だから無理なら無理だと言って大丈夫だからね。パパはパパで他の方法を探す。

 ジニアス、君の力は本当に頼りにしている。私が逆に今こう言えるのも君のお陰なんだ。君が来てから開発は飛躍的に進んだ。だから私が考えていた進捗しんちょくよりまだ余裕はある。君は君の仕事に邁進してくれている。本来のペースがこの程度なんだ。言うなれば周りが君について行けていない状態だ。

だからジニアス。まだ焦る時期じゃない。大丈夫だ。

 今は君の仕事をそのままで取り組んで欲しい。…本当に感謝しているんだ。有難うジニアス」


「お義父さん…」


 パパがジニアスを誉めるところなんて見たことがなかった。ジニアスは少し柔和な表情を見せながらも難しい顔をしていた。


「さぁ今日はここまでにしよう!アイハ、今日のごはんはなんだい?」


「今日はジニアスの好きなエビフライだよ」


「おぉ!」

 ジニアスの表情が明るくなった。


 …パパ…パパの言うことは最もだ。今の仕事をないがしろに出来ない。明日、施設長とおじいちゃんに相談してみよう。


 そうしてその日は家に帰った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 翌日、施設長に話を聞く機会があった。

 ラモル施設長は40代の女性施設長で、私は高校生の頃からお世話になっている。私はまだ学生ということもあり、今はアルバイトという名目で働かせてもらっていた。


 ラモル施設長は良い意味でドライだった。常に合理的な行動を考え、施設の中に小さな“国”を作り上げていた。

 利用者目線の考えは、“利用者の真の幸福を尊重する”理念の元に初老者、中老者、功老者、重老者に分けられ、合理的で理想的な老人社会として運営されていた。

 初老者はまず施設に入ると仕事の中から出来るものを選び、それに従事する。中老者はそれをサポートし、功老者は指示を出す。重老者は自分で動くことの出来ないサポートされる側の人達で、おばあちゃんは重老者にカテゴライズされていた。


 平均寿命が伸び、新しい高齢化社会のモデルケースとして作り上げられたこのシステムは、一見社会がうまく回るように見えてその実、過剰医療費に対する問題や、重労働者の皆無など色々な課題を抱えていた。


 社会の枠組みとしての様々な事案を、一つ一つ解決していくラモル施設長は弁護士としての顔も持ち、法的な部分から老人社会の道徳まであらゆることを任されていた。


「あなたが抜けることは他なりません」


 ラモル施設長は眼鏡をクィッとあげながら冷淡な目でそう言った。実際はすごく優しい人だけれども、その話し方と無表情に近い顔のせいでマネキンのように見える。


「施設長、どうしてですか?私まだバイトなんですが…」


「はいアイハ、理由は3つあります。

 一つ、あなたはこの施設の“アイドル”だからです。あなたがいるだけで場が明るくなります。“アイドル”が老人社会に必要なことに気付けたのは、私にとって非常に有力なことでした。今、あなたをベースに“老人社会とアイドル”の有効性についての状況分析をしています」


 アイドル!知らんかった…私、老人社会のアイドルなんだ…確かに年寄りにモテる傾向は否めない。施設に来ると飴もらい放題食べ放題だ。

 ラモル施設長、そんなこともしてたのか…


「二つ目は、今居る利用者達についてです。アイドルであるあなたが居なくなることによって、少なからず落胆はするでしょう。施設の仕事としてはまだアルバイト程度ですが、それでも職員からは信頼も厚く感じています」


 いやぁ、そう言われると悪い気はしないですけれど…


「3つ目は、資金のことです。マリーさんがいる限り当面は大丈夫ですが、この施設や大学自体がほぼ劉ファミリーからの支援で成り立っています。あなたがここに居てくれる限り、この研究が打ち切られることはなく、さらに様々な恩恵を得られます。

 以上、3点の理由により、当施設から席を外すことは、運営上、利用者並びに職員の精神衛生上に許可しかねる案件と考えます。話は以上で宜しいですか?」


 お金か…そうだよね…なんだかんだ言っても、お金が無いと何も出来ないもんね…

 さすがドライでリアルなラモル施設長。なんとなく、ぐぅの音も出ない。


「…わかりました。逆に言えば、3つの問題が解決出来れば、私の思うように行動しても宜しいでしょうか?」


「NO。

 私はあなたを離しません。それはあなたが必要な他に、私はあなたが好きだからです」


 ラモル施設長は上から押さえ付けるような冷たい目でそう言い放った。


 このギャップ。このギャップが職員や利用者達を骨抜きにする。めっちゃ冷たい目線と声色なのに、話の内容がハートフルなのだ。それは普段の態度から表れている。何をするにしてもいちいち“有難う”を欠かさなかったり、利用者達がつまずく恐れがないような小さな障害物でさえ、自らが動き移動させたり、気遣いがとても女性らしく細やかなのだ。


「いやぁ…」思わず頬がさくら色になり頭をポリポリかいていたら、「ではこれで」とラモル施設長は立ち上がり、スタスタ歩いて行ってしまった。


 むむむ。なんかちょっと色々難しそうだ。

 私も昨日は勢いでおじいちゃんの代わりになるとは言ったけれども、以外と簡単には行かないのかも知れない。最初から出来ないと言うのは嫌だけど、ちょっと考えなしに言っちゃったかなぁ…?

 はて待て、とりあえずおじいちゃんにも聞いてみなきゃだね。


 その時、強烈な視線を感じた。

 振り向くと4歳年上のキャロラインさんが私をじっと見ていた。キャロラインさんは介護サポート職員としてこの施設に勤務している方だった。


「あの…」とキャロラインさんが話し掛けてきた。


「はい?」


「勝手…勝手過ぎると思います!」


「はい?」


「私、ここに入りたくて入りたくて、やっと入ることが出来たんです!あなたみたいに何もかも恵まれた環境じゃないんです!それを…中に入ってかき乱すようなこと止めてくれませんか!?」


「はぁ…」


「あなたが居ると平穏じゃないんです!利用者さんも迷惑している人もいます!ラモル施設長は資金面であなたを引き留めたいだけなんです!この仕事が嫌ならさっさと辞めればいいじゃないですか!あなたが居るだけでなんだかここが変になってしまう気がするんです!だから…!」


「は、はい、なんかすみません私のせいで…」


「それ!そうやって自分が悪者になっていいフリして…!」


「いや…そういうワケじゃ…」


「そうでしょう!いい顔見せて、そうやって色んな人を取り込んで!ジニアスさんだってあなたに騙されているんだわ!きっとそうよ!じゃないとあなたみたいな娘にかまうはずないもの!」


「はぁ〜?」


 段々腹がたってきた。なんなんだこの人!?勝手に人の気持ちにズカズカ乗り込んできて!


「何なんですか一体…!?」


「ほら本性を出した!そうやって言われるとすぐに攻撃する!私が親切で言っているのにあなたにはわからないのね。“年上の人の言うことを聞きなさい”って親に教わらなかったの!?ははぁ…あなたの母親も周りに迷惑を掛けっぱなしですもんね…」


 ブチンと頭の中で何かが切れた音がした。


「…あなたに何がわかるの…」


「分かるわ!あなたはあなたのワガママでみんなを振り回しているの!あなたが分からないだけじゃない!自分だけ特別扱いされてチヤホヤされているから気付かないのよ!私はね!あなたが憎くて言っている訳じゃないの!あなたの為を思って言っているのよ!」


「あぁ〜ん?!」


「はい!そこまでそこまで!」


 振り向くとパパがそこに居た。そして気が付くと拳をギリギリと握り締めている自分がいた。


「キャロラインさん…だったかな?アイハの父親です。うちの娘がご迷惑をお掛けしたみたいで申し訳ありませんでした」


 日本式のお辞儀をするパパ…パパ…なんで…!


「ふ…ふん!わかればいいのよ…!」


 そう言ってキャロラインさんはスタスタ歩いて行ってしまった。


「パパ…なんで…!」

 悔しくて涙が出てくる。パパはあの人の言うことを信じるんだ!ママが…ママが馬鹿にされたのに…!パパなんて…!パパなんて…!


 無言で涙を溢しながらパパを見つめていた。パパは困ったような顔をしながら私に言った。


「ごめんなアイハ…悔しい思いをさせて」


「パパ!なんで言い返さないの!悔しくないの!?」


「そりゃパパも悔しいさ」


「だったらなんで…!」


「アイハ、とりあえず外の空気でも吸いに行こうか…」


 そう言ってパパは私を外に連れ出した。キィンと冷たい空気が頭を冷やしていったけれども、怒りで胃が突き上げるようにムカムカしていた。


<チャリンチャリン>

<ガシャン>

「ほら」とパパが温かい缶コーヒーをくれる。


「開けれない…開けて…」


「ハハハ、ほら」

 プシ!とプルタブを開けてくれる。


 ごくごくごく…

 プハァ!


「アイハ…悔しかったなぁ」


 そういうとパパは淋しそうに笑った。


「パパ…なんで怒らなかったの…?」


「あぁ…パパね、怒るのはもう止めたんだ」


「怒るのを止めた…?」


「うん…“怒りで自己表現をしてはいけない”ってね前に気付いたんだ。もちろん、怒りも大切な感情だ。時としては必要だと思う。だけどそれは大切なものを守る時だけだ」


「私…傷付いたよ…我慢したよ…パパは私やママが大切じゃないの…!?」


「パパは二人がとても大切だよ。うん…そうだねアイハ。君は傷付いた。そして悔しい思いをした。でもキャロラインさんはどうかな?」


「あの人は何も私たちのことを知らないくせに…」


「そうだね、だけど我々は彼女の事をどれだけ知っているだろうか…?」


「でもパパ、あんなにママのことまで侮辱して…!」


「うんアイハ。いいんだよ。知らない人はそう思うのかも知れない。

ママにはママの苦しみがあった。それを我々はわかっていればいいじゃないか…キャロラインさんにもキャロラインさんの苦しみがあるかも知れない。

 それをアイハはわかってあげられるかな…?」


「あの人の苦しみなんて分からないッ!あの人はただ私とママを侮辱したッ!絶対に許せない!」


「うん…そうか…そうだね…ごめんねアイハ…悔しかったよね」


 そう言ってパパは私を抱き締めてきた。


「ぅぅ…ぅわああああんッ!ぅわああああんッ!」


「そうか…うん…そうだね…ごめんねアイハ…」


「ぅわああああんッ!ぅわああああんッ!」


 よしよしとパパは何度も頭を撫でてくれた。私はパパの胸で泣き続けた。頭の血管が切れそうな程、大きな声で泣いた。ただただ、悔しかった。パパの言いたいこともなんとなくわかってはいたけれども、どうしても、どうしても悔しかった。


「うん、うんアイハ…ごめんなぁ…パパまた間違えちゃったなぁ…」


「うっ…うっ…うっ…うっ…」


「ごめんなアイハ…ごめんな…」


「うっ…うっ…パパ…ごめんなさい…私…悔しくなって…!」


「いいんだよ…いいんだよアイハ…パパが悪かったよ…」


「ごめんなさい…ごめんなさい…私…私…」


 わかっていた。パパがあの場を丸く納める為に頭を下げたこと。

 でも、それでも私は悔しかった。悔しくて、悔しくて、止めどなく涙が溢れてきた。


 たくさんの人がいて、たくさんの思いや想いがあることは知っているつもりだった。

 けれども、私は悔しさを抑えきれなかった。

 パパは凍るような冬の空の下で、私をずっと抱き締め続けた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 次の日の朝、珍しくパパがコーヒーを淹れてくれた。


「おはようパパ、早いね」


「アイハおはよう、昨日はごめんよ。コーヒー飲むかい?」


「あ、もらおうかな。昨日のことはもういいよ。私こそ大人気なかったから」


「うん…パパもね、あれから色々考えたんだ。

きっとキャロラインさんもキャロラインさんなりの正義があるんじゃないかって…」


「もういいよ。私も気にしないから」


「うん…でもキャロラインさんが困るかと思って…」


「私が気にしなきゃいいでしょう?なんで?パパあの人のこと気になるの!?」


「まぁ落ち着いて聞いてくれるかな…

 例えばキャロラインさんの気持ちになった時に、我々の力はこの地域では強大だ。

 きっと彼女も後悔しているんじゃないか…?そう思ったんだ…」


「別にいいじゃないどうだって。それはあの人が自分で招いた事でしょう!?」


「うん…“思考の方向性が人生を決める”とした時、そして“正しい人間関係が幸せを呼ぶ”とした時、相手のことを知らないまま、ただ感情に任せてはいけないと思うんだ」


「はぁ?じゃあ知らない人に何言われても黙ってニコニコしてろって言うの?そんなの私には出来ない!」


「いや…そういうことじゃないんだ。アイハ、大切なことだとパパは思うんだ…」


「私はパパの研究対象じゃない!小難しい話をいつも並べて!理想だけ語るなら誰だって出来るよ!もう朝からイライラする!せっかく気持ちよく起きたのに!パパなんてだいっきらい!!」


「アイハ…」


 ツカツカツカ

 バタン!と不機嫌に自分の部屋の戸を閉めてベッドに転がり込む。


 なんなのッ!

 なんなの朝からッ!

 パパはパパの理想を追ってばかりで!

 散々色んな人に迷惑掛けてるクセに偉そうに!

 私の気持ちなんてこれっぽっちも考えてくれない!

 パパのバカ!パパのバカ!バカバカバカバカバカバカバカバカバカ!


 ふぅ〜!

 ふぅ〜!


 …全部あの人が悪いんだ。私がこんな思いをするのも…あの人が悪い。あの人が。私を傷付けた。パパにもなんだか怒られた。あの人があんなに私を傷付けたのに、パパはあの人を擁護する。私が悪いっていうの!?なんなの!?なんなの一体!?ひどい。あの人もパパもひどい。私はただみんなが上手く行くように考えているだけなのに!


 …


 ふと時間を見ると8:00を過ぎていた。気だるい鉛が乗ったような身体を起き上がらせる。ベッドの上で一人。世界中にたった一人になったような気がする。心の中に渦巻く黒い何かが私の心臓を締め付ける。

 苦しい。

 苦しい。

 ママ…!

 その時、初めてママの気持ちがわかったような気がした。そばに誰かが居ても、心はたった一人ぼっちのような…


 ママ…ママ…


 たまたま休みだったその日に私は、ただベッドの上で惰眠を貪った。そしてその胸の苦しさは消えることがなかった。


 そしてその日から数日経った。

 あの日からキャロラインさんの姿は見えなかった。だけどあの時を境に職員から私を見る目付きが変わったような気がする。きっとあの人があることないこと周りに吹き込んでいたに違いない。私は段々と周りの目線が気になっていったけれど、気に留めないように努力した。


 パパとジニアスとはいつも通りに過ごしている。あの事をジニアスには言っていない。言えばどこからかあの人のことがあのファミリーに伝わってしまう。そうした時にひょっとしたらあの人を排除しようとするかも知れない。それは私も望んでいない。私が我慢をすればいい。私だけ黙っていればそれでいいんだ。


 介護の仕事を辞めたいとは思わなかった。辞めてママの為の仕事を考えたことには勢いもあったし、何より利用者さんが私をいつも温かく迎えてくれた。必要としてくれている限り、また、他の誰かが、私の代わりになる誰かがいれば仕事に支障をきたすことはない。


 そう考えるに至った。


 おじいちゃんは相変わらずおばあちゃんのところに通いづめだった。そしてある日の夜、パパが私とジニアスに言った。


「お義父さんを呼ぼうと思う」


「おとう…ブシおじいちゃん?」


「ラブイズさん…ブシおじいさんですか…?」


「うん、私も色々考えたんだけど、ジニアスのサポートに入ってもらおうと思うんだ。どうだろう?」


「どうだろうって…ブシおじいさんって大工ですよね?システム的なことは出来ない…ああ、そういうことですか」


「え?なになにジニアス?どういうこと?」


「いや、つまりシステム的なことは僕がやって、マシンの組み立ての方をブシおじいさんにサポートしてもらうって、そういうことですよね?」


「うん、ただそれだとまだ父さんの穴は埋められない。だからタローとジローを使う」


「タローとジローって、前に私に話し掛けてテムズさんにボコボコにされたあの二人?」


「うん、そう。あの二人は我流なんだけど機械とかシステムとかに詳しいんだ。いっつも小悪党みたいなことばっかりしているから丁度いい機会だろう。

教えるのは時間が掛かるかも知れないが、システムの維持には最適だろうと思う。あいつらはいつも暇だからなぁ。近くに部屋でもあげれば24時間でも見てくれるだろうさ」


「…パパとあの二人ってどういう関係なの…?」


「あぁ、ちょっと昔ね」


「昔?」


「まぁ弟みたいなもんだよ」


 …パパやっぱり昔悪かったのかなぁ…でもずっと勉強してたって言うし…今度あの二人に聞いてみよう。


「ラブイズさん話はわかりました。で、ラブイズさんはどうするんですか?」


「私は父さんのシステムの改良に取り掛かる。ジニアスも感じている通り、ナノマシンからコンピューターへの投影がまだスムーズに変換しないところもある。やはり、現場を知らないで頭の中での構築だけではリアルにことは進まないからね。もちろん君達に指示も出していく。ようは総指揮でプロジェクトを取りまとめていくことにするよ。それでアイハ」


「はい」


「君には我々のサポートをして欲しい。その中でもちろんマシンに携わることもあるだろうけど、生活の部分をお願いしたいんだ」


「うんわかった。でもそれじゃあいつもと変わらないんじゃない?」


「いいや、お義父さんも来るし、出来る範囲でいいんだけれども、タローとジローのこともサポートしてやって欲しいんだ。あいつらは基本的にだらしないからね」


「そうか、わかった!」


「ラブイズさん!アイハを半グレのようなヤツラに会わせられないですよ!だめ!絶対!」


「そうかジニアス、じゃぁ何か他にいい案はあるかい?」


「僕が2倍働きます!」


「悪いけどそれは却下だ。もう十分に君は働いてくれている。つまり現実的な案ではない」


「じゃあ僕が誰か連れてきますよ…」


「それもいいかも知れないけどねジニアス、また誰かを連れてきた時に私はその人がどんな人か知らない。どこまで意志が通じるか、イレギュラーはなるべく減らしたいんだ。

 その点あの二人は…いうなれば『器用なバカ』なんだよ。私の言うことは聞くし、そこにシステムの疑問を持たない。よってスピードを重視した時に、彼らを使うことが私の計画には適切なんだ。ただジニアス、今は力になる人なら誰でも欲しい。だから君の眼鏡に叶う人なら一考してみるよ。誰か居たら紹介してくれないか?」


「そういうことならまぁ…わかりました」


「ありがとうジニアス。アイハもいいかい?」


「うん、私がんばるね!」


「アイハ…僕は変な奴等に君が絡まれないか心配だよ…」


「まぁ大丈夫だよ。そんなに心配するな。それよりアイハ」


「うん?」


「施設の方はどうだい?」


「…うん、まぁぼちぼちだよ!」


「そうか、何かあったらいつでもパパに相談しておくれ」


「わかったよ。ありがとうパパ」


 ふいに寂しそうなパパの横顔が見えた。


 パパ。何か感じてくれているんだろうか。私が施設で上手くいっていないと感じていることを…


「そんな訳でお義父さんには連絡しておいたから。アイハ、今日の午後一に空港まで迎えに行ってきてくれるか?」


「え〜!今日の午後〜!急過ぎる〜!」


「難しいか?」


「いや、大丈夫だけどブシおじいちゃんはいいって言ったの?」


「二つ返事だったよ。さすがサムライだよなぁ」


「そこは“武士”だよパパ!」


「ブシ?」


「そう、武士」


「そうかぁ」


 絶対わかってない。


 そんなこんなでパパのチームにはブシおじいちゃんとタローとジローが加わった。


 そしてそのすぐ後だった。

 世界中の全てのインターネットが不通になったのは。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 世界中からインターネットが無くなった日、世界は騒然となった。

 金融期間は麻痺し続け、銀行の窓口に人が溢れ続けた。電子取引をしていたほとんどの会社は機能を停止し、ただ地に足を着けて地道に仕事を続けていた会社が残った。一時的に失業者が溢れかえり、自殺者が後を経たなかった。世界は混沌の渦に飲まれて行ったかのように思えた。


 テレビでは連日の混乱模様の様子の特番ばかりで、世の中が急に30年前に戻ったようだとパパが話していた。


 私達は変わらなかった。


 治安は一時的に荒れた様子を見せていたけれども、昔ながらの指揮系統を駆使し、すぐにケンおじいちゃんとシィエお姉さんが鎮圧した。


 ママのマシンはその特異性から、全てのインターネットの環境からシャットアウトされており、維持するには変化が無かった。


 その代わり、パパやジニアスが部品探しに奔走することになったけれども、いち早く到着していたブシおじいちゃんからの日本のツテもあり、早々に目処がたっていた。


 ブシおじいちゃんはさすが変わらなかった。


 公共の移動手段も麻痺し、日本に帰ることもままならない状態だったけれども「なるようにしかならん」とのお言葉をいただいた。


 40歳以上の大人の適応力には舌を巻いた。

 混乱が起きてしばらくは困ったことが多いようだったけれども、サーバーの復旧が難しく、回復の見通しがつかないことを知るやいなや、すぐさま代替えの方法に辿り着いていた。


 新たに開発されたそのほとんどのサーバーは公共のライフラインに縛られ、一般の人が使えることは無かった。


 固定電話はその有効性が再認識され、仕事のその大半がファックスや電話でやり取りをしていた。その為、固定電話が飛ぶように売れ、一時期は品切れ状態が続いた。


 たった30年ほど、無法状態であったインターネットの環境におかれた世界は、無情にもその便利さ故に、無くなったそのことに対する不便さと、その利益を得ていた主に40歳以下の人々に絶望を与え続けた。


 そしてたくさんの喧騒の中で、キャロラインさんは自殺した。


 40歳以下の自殺者を“インターネット難民自殺”とメディアはひとくくりにまとめて報道をしていた。


 毎週のように葬儀に参列する中で、その出来事自体がライフワークに取り込まれていき、悲しみは徐々に薄れていった。


 人生の大半を電脳世界に傾倒した人。ライフワークにSNSが組み込まれていた人。私にはわからないけれども、世の中にはそういう人がたくさんいるようだった。


 あんなに許せなかったキャロラインさんがいなくなった。けれども世の中はまた回っていく。またいつの日か、インターネットが世の中を席巻する日は来るのだと思う。


 今までが異常な状態だったんだと誰かが言い出した。その言葉に先導されるように、世の中にはスローライフが持て囃されるようになった。


 電脳世界に囚われた人々により、世界に精神病患者が爆発的に増えた。人々は彼らを“ネットクラッシュの迷い子”と呼んだ。キャロラインさんはその一人だった。


 キャロラインさんにはネット上に彼氏がいたらしい。本当にいたのかはわからないけれども、少なくともネットで繋がっていた人達がたくさんいたようだった。


 現実社会での鬱憤を匿名掲示板で晴らし、自分の都合の良い時間に、都合の良い人達と親交を深めていく。その行動は、現実社会での理不尽を真っ向から受け止めてくれる、自分の心をさらけ出せる唯一無二の場所であり、心を平静に保つ為の逃げ場所にもあるように思えた。


 現実世界から逃げなかった人々が、今大地を踏み締めて生きている。それはある意味、神からの制裁により選ばれた民であるとある宗教家は言った。仮に第3次世界大戦が行われたとした時よりも、人口の減少は著しいとの見解もあった。


 ただ、私にはわからない。私はただ、現実を生きている。変わったことなんて特にない。ただ、ママを救う為。それがみんなの仕事だった。


 そしてそんな世の中になってからまた2年の月日が経過していた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 パパ達の仕事は最終調整に入っていた。


 発生の可能性のあるイレギュラーのシュミレーションを基に、システムの細かなすり合わせを何度も行い、完成に近付きつつあった。


 ブシおじいちゃんがこっちに来てから、マシンの構築は飛躍的に進んだ。ミリ単位の誤差も許さないブシおじいちゃんは、最初マシンを見た時に、一からやり直すように言い放った。当然ジニアスは反発したけれども、パパはそれに従い、外装は一から作り直すこととなった。そこには匠の技術が惜しまなく敷き詰められ、ただの機械の塊だったマシンの外装は、私から見ても美しく、一つの生き物のような外観に収まった。白を基調にした卵型のマシンは、きれいな流線型を描き、冷たいはずの表装に温かさを感じさせた。

 最初は渋々従っていたジニアスも、狂いの許さない卓越されたスピーディーな仕事が、電送系の機類がいつもよりもスムーズに作動されたことを感じると、貪るようにその技術を盗み、身に付けていった。


「ブシおじいさんとラブイズさんはやっぱりスゴいよ!」


 事あるごとにジニアスは二人をリスペクトしていた。


 また、新しくシステム維持に参入したタローさんとジローさん。どこかの漫画に出てきそうな長身やせっぽっちと岩のような身体のデコボココンビは、最初は何かある度にパパを呼び出して、パパの仕事が遅れが生じていたけれども、3ヶ月を過ぎる頃には、テムズさんも舌を巻く程の細かなサポートを実現させた。彼らは現実の厳しさというものを身に染みて体感しており、機械に頼るということは無かった。機械はあくまでも道具であり、自分達の目で見たものだけを信じることを信条としていた。


 一度、マシンのテスト起動で大学中に停電騒ぎがあったことがあった。


 ママのシステム維持には予備電力がいくつか装備されている為、大事には至らなかったけれども、モニターでママの顔を見たタローさんとジローさんが、いつもとママの様子が違うと言い出した。


 その場にいた私も、確かにそう言われれば違和感がある程度だったけれども、特には気が付かなかった。タローさんとジローさんが辺りをよくよく調べると、停電の喧騒の中たった一つ、排気口の切り替えシステムがショートしており、その小さな排気口が機能していないのが見つかった。


 ママのマシンのそばに行くには、完全防塵服を着込まなくてはならない為にそばに居ても空調には気が付きづらい。また、機類のモニターには変化が無いので機械からは判断が出来ない。“生きた人間の状態を観る”という介護の基本を彼らは体感して会得していた。

 彼らにして見れば当たり前の出来事だったけれども、テムズさんには大きな衝撃だったようだった。

 その後、テムズさんは感情で涙することは徐々に少なくなっていった。泣いて感情をコントロールするよりも、その一瞬一瞬をただ懸命に生きるタローさんとジローさんの姿に何かを得たように感じた。


 一度タローさんとジローさんに何でパパの言いなりになっているのか聞いたことがあった。

「あの人はスゲーよ!俺、あの人みたいになりてーんだ!」とタローさんは目を少年のようにキラキラさせながら言っていた。

ジローさんの方は、「あの人の役に立ちてぇ」と目を潤ませながら言っていた。

答えにはなっていなかったけれども、二人とも何かしらパパを尊敬しているようだった。


 パパは画期的なシステムの構築に取り組んでいた。それは全く新しい人工知能の取り組みで、既存のAIの根本から違うものだった。

 ナノマシン一つ一つを細胞の一つと見立て、互いにパルスを相互交換しながら記憶を構築し、重なりあったそれぞれのナノマシンは一つの個体として集約していく。有機物である身体を無機物で構築していくというものだった。


 インターネットクラッシュの前に、脳と遺伝子のシステムはかなり世間的に解明されていた為、癌という病気は風邪を治すように無痛で治療する技術は既にあった。不良細胞である癌に至る原因は生活習慣によるものも大きく、その環境を整えることが周知されてはいた。パパはそこから、テムズさんの手足に施された技術を応用して、不良細胞自体が発生しないナノマシンシステムを向上させ、その技術を確立するようにしていた。


 おじいちゃんはその後、急速に認知症が進み、今ではおばあちゃんと一緒に施設に暮らしている。仲睦まじい二人の姿を見た新しい利用者さんはみんな夫婦だと思っているようだった。


 私はそんなみんなのお世話をしながら暮らしている。

 二年前のあの時、パパが言ったキャロラインさんに対する言葉の意味が、最近少しずつわかるような気がする。人には人それぞれの人生があり、全ての人にはそれぞれの正義がある。前にパパが“お互いの正義がぶつかるから争いが起きるんだ”と言った。私には理解出来なくても、また相手には理解出来なくても、人には人それぞれの思いや想いがある。それを“自分が傷付けられた”と思うのではなく、“相手の正義に反したんだな”と理解を示すことが大切なんだと今は思う。パパが言う“思考の方向性が人生を決める”とはそういうことなんじゃないかなと、今は朧気ながらそう思っている。


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「もう…そろそろいいか…」


 パパはそう呟くと椅子に深く腰を掛けて一息深い溜め息をついた。温かい淹れたてのコーヒーを用意すると「ありがとう…」と一言パパが言った。


「お疲れ様。たいぶ区切りはついたの?」


「あぁ…とりあえずは“完成”だ」


「完成?パパの仕事が?」


「あぁ…」


「それってつまり…」


「全てのプロジェクトの完了だ。まだ時間まではギリギリ調整は必要だが…」


「パパ…やったね…」


「あぁ…ありがとうアイハ…君のお陰だよ」


「うぅん…パパ…お疲れ様…」


 そう言ってパパに抱き付いた。パパは私の頭を優しく撫でながら「キキョウ…」と呟いた。


 …そうして遂にマシンは完成した。

 厳密に言えば未完の状態だけれども、かなり細部の部分まで詰めたところまで持っていっていたので、これ以上の改良は時間的にも難しいとのことだった。


 ささやかな慰労会を兼ねてケンおじいちゃんのお屋敷で皆でお食事をした。


 パパ、おじいちゃん、おばあちゃん、ジニアス、ブシおじいちゃん、ケンおじいちゃん、シィエお姉さん、ジニアスママ、テムズさん、タローさん、ジローさん。


 皆が代わる代わる来館して、まるで親戚一同が集まるような様子だった。

 パパは全員一人一人に労いの声を掛けて回っていた。


 ブシおじいちゃんはケンおじいちゃんと何か合い通じるものがあったのか、二人で盃をもくもくと交わしていた。


 おじいちゃんはにこにことおばあちゃんの手を繋ぎながら車イスに座っていた。


 おばあちゃんは相変わらず無表情だったけれども、心なしかにこやかな表情に感じた。


 ジニアスはジニアスママに捕まり、執拗に孫の催促されている。


 テムズさんは端っこでタローさんとジローさんと談笑していた。


 お手洗いから戻る途中、シィエお姉さんが窓から外を眺めていた。


「シィエお姉さん!」


「あ…アイハちゃん。みんなのお世話、大変だったでしょう。お疲れ様」


「シィエお姉さんやみんなのおかげです。こちらこそ本当にありがとうございます」


「ふふ…アイハちゃんはいつも礼儀正しいよね。私は特に何もしていないから…」


「そんな事ないです!シィエお姉さんが居てくれたから、私、たくさん頑張れました。いつもいつも励ましてくれて…」


「そうかぁ…私も少しはお役に立てたかしら?」


「ええ!とっても!」


「アイハちゃん…これからまた…ううん…ラブイズさんが決めたことだものね…」


「あ……はい…ただ…心配じゃないといえば嘘になります…でも…でもきっとパパなら…パパならきっとママを救い出してくれるから…私は待ってます。また一緒に家族で暮らすことが出来るように…あの家を守っていきます」


「…そう…そうね。アイハちゃん、いつでも遊びにいらしてね。私、アイハちゃんが来てくれると嬉しいんだ」


「はい“もう来ないで!”っていうくらい遊びに来ますね!」


「ふふふ…ありがとう。でもアイハちゃんももう立派なレディだよね。いつ本当のお姉さんになれるのかしら?」


「いやぁ、シィエお姉さんまで〜!」


「ふふふ、ごめんなさい。だけど初めて会った時はまだ16歳だったからね。早いなぁ…」


「16歳でしたね!怖いもの知らずでした〜」


「そうそう!あの時ね!…」

そう言って初めて会った時の昔話に花が咲いた。


 …あれから実に6年もの歳月が過ぎていた。

 私は22歳になっていた。


 一時の賑わいが終わり、久しぶりに飲み潰れたブシおじいちゃんをジニアスに任せ、私はパパと二人で家に帰った。


 家に着いてソファに腰を下ろしてフゥと一息ついていると、パパは私に「話があるんだ」と切り出した。


「あ、うん、なぁにパパ?」


「ママのことなんだけど…」


「うん…」


「ママがマシンに入ってから6年が経過した。おそらくママの記憶から推測するに、今ママは一番辛い最中さなかにいるはずだと思う」


「そう…なんだ…」


「ママは今また、記憶の中で一人ぼっちになっている。早急にパパはママを助けに行くことにしたいと思う。アイハ…これを君に渡しておく」


そういうとパパは一冊の日記帳を差し出してきた。


「これはママの記憶、ママの日記帳だ…もし、私に何かがあったとしたら…アイハ…君はジニアスと一緒になって幸せに暮らして欲しい」


 パパはそう言うと、ママの日記帳を私に手渡した。


「パパ…」


「さぁ今日はもう遅くなったら寝ようか」


 そうしてパパは自分のベッドで倒れ込むように寝てしまった。


 パパから手渡されたママの記憶…誰もいないリビングで、その日記を開いた。そこにはママの壮絶な人生の思いが散りばめられていた。


 生きるということ。

 この世に存在するということ。

 人の温もり

 人の冷たさ

 エゴなのか

 利他なのか

 悲しみや苦しみ

 喜びや痛み

 あちこちの文章の欠片から心に突き刺さってきた。


 今改めてママの気持ちがわかる。


 人を愛するということ。

 人に憎まれるということ。

 その全てを愛で包括すること。

 そしてその想いすら、自らが産んだエゴであるということ。

 その全てを利他で生きるにはこの世界では難しく感じること。

 人の想いは儚く、ただそれを知った想いはまた新しい利他へ結ばれ、紡がれていく。それが人として生を受けたものの定めなのかも知れない。


 一晩中、ママの想いを、ママの気持ちを、噛み締めるように読んだ。


 何度も

 何度も。


 窓の外がうっすらと白み掛かった頃、私はパパの気持ちがわかったような気がした。


 パパはもうすぐ、マシンに入るんだ。


 そう思った。


 私は…私は二人の子供だから…それを最後まで見届けよう。まぎれもなく二人の愛の証である私が、パパとママの行方を見届けよう。


 そう心に誓った。


 ソファでうとうとしていると、パパが起きてきて私の肩をそっと叩いた。


「アイハ、こんなところで寝ていたら風邪をひくよ」


「う…ん…」


「パパは色々準備があるから、今日はゆっくりしていなさい。あ、晩御飯は今日はいいから。たまにはジニアスとご飯でも食べに行っておいで」


「あ…はぁい…」


「じゃあ行ってくるね」


「いってらっしゃい…」


 バタン、ガチャンと鍵を閉める音が聞こえ、パパは出掛けた。


 眠い。昨日というか今日寝てしまったのが4:30くらいだから、今は…7:00か…パパ早いな…ダメだ…寝よう…

 ママの日記帳を持って自分のベッドになだれ込む。


 モフモフモフモフ…


 そのうちまた深い眠りについた。


----------------------


 夢を見た。


 ママは暗闇の中、一人ぼっちで膝を抱え、虚ろな視線でただじっと何かに耐えていた。


 ママのところに行こうとしても、手足は空を切るばかりで前へ進まない。


 手を伸ばしてもママには届かない。


 ママはただじっとうずくまり前を見詰めている。


 以前のおばあちゃんのように…


 私の声も何も届かない。


 ただ隣に居たいだけなのに。

 ただ抱き締めて温めてあげたいだけなのに。


 私の全てが無情に感じ、

 私の全ての行動が空虚の闇に飲み込まれていく。


 私とママは一定の距離を保ちながら、ただ別々の空間にいるような…


 そのうち一筋の光がママを照らし出し、そしてその先には誰かが手を差し伸べているようだった。


 あれは…パパ…?


 光をまとったパパが、ママの手を取ろうとするけれども、ママは立ち上がることも出来ない。


 そしてパパはママの隣にただ座った。


 じっと二人で、手を繋いで、寄り添い合い、ただじっと座っていた。


 そのうちママの胸に一つ、ぽっと光を放つのが見えた。


 その光は時間が経つにつれて段々と大きくなり、ママの身体全体を包み込んだ。


 そしてパパはそれを見届けるとゆっくり立ち上がった。


 ママもそれに続いて立ち上がると、ゆっくりと、ゆっくりと光の差す方向へ歩いて行った。


 見えない階段を一段ずつに登りきると、二人はこちらを向いて優しい笑顔を見せてくれた。


-----------------------


 そこでパチッと目が覚めた。


 パパ…!ママ…!


「私を置いていかないでッ!!」


 知らないうちに涙が流れていた。


 私は着の身着のままタクシーを捕まえママのいる大学へ向かった。


 なんだか胸騒ぎがする。


 パパ…!

 ママ…!

 

 時刻は夕方を回っていた。大学へ着くと一目散にママのいる研究室へ向かって走った。


 走って

 走って


 息をきらせて研究室の扉を開けると、テムズさんが少し驚いた顔をして、そしてゆっくりと口を開いた。


「今、ラブイズさんがマシンに入りました」


「どうして!パパ!」


 研究室の窓からは防塵服に身を包んだタローさんとジローさんが作業を終えたところだった。


「アイハ…ごめんよ、急にこんなことをして…」


「ジニアス!なんで!?なんでパパは私に黙って行ってしまうの!?」


「…お義父さんから手紙を預かっているから…ほら、マシンと人工知能との接続が完了したよ…」


「パパァッ!パパァッ!なんで!なんでなの!?」


「…お義父さんはね、お義母さんの日記帳をずっと君に見せるかを悩んでいたんだ…きっと、それを見てしまったらアイハがお義母さんの元に行くって言い出すだろうって…そうした時に、お義父さんは君を止めることが出来ないことを知っていたんだ…だから…」


「ジニアスは知っていたの!?テムズさんは!?みんな知っていて私に黙っていたの!?」


「アイハ…ごめんよ…」


「内気圧、血圧、脳圧全て正常値内。ナノマシンを投入します」


「テムズさん!」


「ごめんね、アイハちゃん。ただこれはラブイズさんから託された私の仕事なの。私はもう泣かない。私はラブイズさんと約束したから…」


「パパァ!パパァ!」


「見守ろうアイハ。ラブイズさんは最後まで悩んでいたんだ。君が一人になってしまうことを…だけどラブイズさんは“自分がキキョウのそばに行きたいんだ”とも話していた。僕はずっと見ていたんだ。ラブイズさんの苦悩も、アイハへの想いも…」


「パパァ…パパァ…なんで…」


 その時、研究室にタローさんとジローさんが戻ってきた。


「お嬢ちゃん…来ちまったか…」


「タローさん!なんでパパを行かせたの!?」


「そりゃあ大将に頼まれたら嫌とは言えねぇさ。お嬢ちゃんには悪かったとは思うよ」


「なんで…!なんで勝手に…!」


「ラブイズさん…悩んでいたぞ…お嬢ちゃんに言わないで行くこと…わかってやんな…」


「…ナノマシンが安定したわ。キキョウさんのマシンとの接続を行います」


「ジニアス…ママ…パパと…会えるの…?」


「理論上はね、さぁみんなで見守ろう…」


「セット…オン…!」



その瞬間、まばゆい光が研究室から溢れ出した。


「ママ…!パパ…!」


――――――――――――――――――――――――――――――――――

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 彼もアイハも居なくなってしまった…私はなんの為に生きてきたんだろう…彼を精一杯支えたこの何年間に何の意味があったのだろうか…家族を失い…結局私なんて生きている価値は無いんだろう…ただ…アイハ…あの子の為だけに生きなくては…あの後に私が自殺をして、あの子が悲しむことのないように…


 ただ息をして生きていこう…感情があるから傷付くんだ…だから私には感情なんていらない…


 深く…

 深く…


 心の奥底に深く…感情が水面に顔を出すことの無いように、ただ息をして生きよう…


 公園のベンチに腰を掛けて、私は一人佇んでいた。彼とアイハと何度も訪れた思い出の公園に私はいた。


 何度も死のうと思った。夜になるのが怖くて、震えながら何度も暗闇を耐え忍んだ。目が覚めても、そうでなくてもアイハのことを想い続けた。


 私の全てが悪かったのか?

 私はまだまだ足りなかったのか?

 私には私の思う幸せなんて、考えることすらおこがましいのか?


 ただぼんやりと周りの家族を眺めながらそんなことを考えていた。


「やぁ、今日はいい天気だね」


 隣で誰かが話し掛けてくる。


「えぇ…とってもって…ラブイズ!!」


「ママー!見ててねー!」


「アイハッ!!」


 急いで立ち上がろうとすると、彼が優しく言った。


「まぁ見てようよ」


「え…?あぁ…はい…」

 彼に促されてその場に座る。これは…夢?


 しゅたん、しゅたん、しゅたん、しゅたた、びーん。


「もっかい見ててー!」


 しゅたん、しゅたん、しゅたた、びーん。


「あ~もっかい!」


 しゅたん、しゅたん、しゅたん、しゅたん、しゅたたびーん。


「ああッ!」


「ア…アイハー!落ち着いてー!」


「ハハハ頑張れアイハー!」


 彼と二人、アイハのすぐそばの芝生に腰を下ろして彼女を応援する。


 …しゅたたん!しゅたたん!


「できたー!見たー!?」


「おー!見てたよー!すごいなアイハー!」


「えへへー♪もっかいやるから見ててねー!」


 …彼は目を細めながら愛娘を見守っている。私は彼と一緒にアイハを見守っている…


 ずっと…ずっとこんな日を夢見ていた。

 夢でもいい。ずっとこのままでいられたら…


「久しぶりだねキキョウ」


「えぇ…でもあなた、二度と私には会いたくないんじゃなかったの!?」


「あぁ…いや…私が悪かったよ…ごめんなキキョウ。傷付けてしまって…全ては私のエゴだったんだ…キキョウ…君は悪くない。私が悪かったんだよ…」


「いいえラブイズ…私も悪かったわ…本当はあなたのことを考えていた振りをしていたの…本当に私、わがままだったわ…自分の考えをあなたに押し付けてばかりで…」


「でも君は私のことを考えた上でのことだったんだろう?私がわがままだったんだ。


キキョウ、いたずらに君を傷付けたのは私の方だ」


「いいえラブイズ…私が悪かったのよ…ごめんなさい…ごめんなさいラブイズ…」


「うん…まぁ…お互い謝ったことだし、またやり直していかないか?」


「でも…私がいると、あなたは幸せになれないでしょう…?」


「あぁ…“幸せ”か…

 何を持って“幸せ”と思うかだと今は思うんだ…

 君のせいじゃない。


 私の心が“幸せ”に思えるかどうかだと思うんだ。

 ようは幸せか不幸せかは自分の心が決めることだってようやく気付いたんだよキキョウ。


 だから…だから君は悪くないよ…

 君は最後まで私とアイハのことを見捨てなかったじゃないか…きっと、その気持ちこそが“真実の愛”なんじゃないかな?今、私はそう、思うんだ…」


「ラブイズ…」


「パパー!ママー!見てたー!?」


「おー!見てたよー!すごいなアイハ!どれ!パパに貸してごらん!」


 彼は立ち上がってアイハから縄跳びを受け取ると、軽く縄跳びを始めた。そしてその内、シュタタタタタタタタタ!とまるでボクサーのようにその場で走りながら縄跳びを始めた。


「パパすごーい!ねぇ!もっかい見せて!もっかい見せて!」


「ハァハァ、もう一回?どぅれ!」


 シュタタタタタタタタタ…!


「早ーい!パパ早ーい!」


「ぬおおおおおおッ!!」


 顔をしかめて真っ赤にしながらアイハのリクエストに答える彼を見ていると昔を思い出した。


 負けず嫌いで

 格好つけで

 真面目で

 我が強くて

 優しくて

 一所懸命で

 温かくて

 繊細で

 泣き虫で


 たくさんの彼を私は知っている。


 …子供特有のしつこいリクエストに懸命に答える彼がへたばりながら、私に手招きをする。


「あ!ママあれ見せて!あれ!」


「あれ?あぁ…うん、いいよ!」

 そして私は二人の前でアイハに見せたことのあったX飛びをお披露目した。


「ママもすごーい!パパ!あれ!すごいしょ!」


「おー!キキョウ!やるなぁ!」


 しゅたん、しゅたん、しゅた…「はい終わり~」

 二人を見るとパチパチパチパチ拍手をしてくれた。


 アイハはちゃっかり彼のお膝元をキープして座っている。その隣にはバスケットがあった。


 彼が言った。

「じゃあ…このままお弁当にしようか?」


「たーべるー!」


 その場に敷物を広げて、3人で座る。


 彼と、アイハと、私。


 並んでサンドイッチを頬張り、公園の景色を見る。


 …様々な幸せそうな家族の姿が目に入る。私達は今、その中の一員になれたのだろうか?


 なんだかほっこり胸が温まっていく感じがして、知らないうちに涙が溢れ落ちた。


「あ~ママ泣いてる~!」


「アイハ…ラブイズ…」


「…大丈夫かい?」


 優しく彼が話し掛けてくれた。


 静かで…響きのある彼の声。

 私の大好きな彼の声。


 前にもこんなことがあったような気がする…


 この温かい気持ち

 彼の言葉

 アイハの言葉

 彼の息遣い

 アイハの天真爛漫さ

 心地良い風

 優しい陽の光

 青々とした芝生から溢れ出るような新緑の匂い


 家族の温かい空気…


 …忘れていたこの感覚…


 アイハの腕には、彼女の手首より一回り大きい腕時計がくるくる回り、キラキラと輝いていた。


「さぁ家に帰ろうキキョウ。話したいことは山ほどあるんだ」


「えーまだかえりたくないよ~!」


「ははは、アイハの好きなグラタンでもみんなで作ろうか?」


「グラタン!食べるー!ママ早くかえろ!?」


「うん…そうね。帰ろっか!」


 そして彼とアイハと三人で夕暮れの公園を歩いた。彼は嬉しそうに私の顔を見て笑っていた。


 私は彼とアイハと手を繋いだ。


 その途端、たくさんの記憶が彼の手を通じて流れ込んできた。


 やがて手と手は繋がっていき、光を放っていった。そして光は段々と大きくなり、私と彼とアイハを包み込んでいった。


 柔らかな温かい光に包まれていく中、彼の声が聞こえたような気がした。


(キキョウ…・・・・・・・…)


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 パパとママのマシンの中から光は放たれていた。


「ジニアスくん!二人の手がナノマシンによって分解されて始めているわ!マシンを停止しなくてわッ!」


「なんだってッ!?どういうことなんだッ!?今お義父さんが入ったばかりのマシンは停止出来ないぞッ!!」


「ものすごいスピードで身体が分解されている!あぁ!もう肩まできたわ!間に合わないッ!」


「パパ…ママ…」


「な…!テムズちゃん!俺達はどうしたらいいんだッ!?」


「わからない!わからないわ!あぁ!足からも段々消えていく…!」


 光を放ちながらパパとママはマシンの中で消えていった。


 ジニアスやテムズさん達が慌ただしく動いている中、私はその光景をずっと見続けていた。


 モニター越しにパパとママの顔が光に包まれて顔の輪郭から消えていく…その時、二人とも安らかな、穏やかな顔をしていた。


「パパ…ママ…」


 パパとママが消え去ると、研究室には一時の静寂が訪れた。ただ機械の音だけが虚しく響いていた。


<ブゥン>


 その時、反対側にあるナノマシンAIシステムのモニターからふいに音が鳴った。振り向くと、モニターの中ではパパとママが映っていた。


「パパ…!ママ…!」


『あー、みんな居るかい?こっちの声は聞こえているのかな…?誰か、ウェブカメラでいいから設置してくれないか?』


「自分!持って来るッス!」

 ジローさんが慌ただしく部屋の外へ掛けていった。


『さてみんな、びっくりしていると思うが、どうやら私とキキョウはナノマシンAIに取り込まれた形になった。もちろんそれを証明する手段はない。ひょっとしたら私達はナノマシンAI自体が見せている幻かも知れない。ただ、“魂の世界”とはこの世界を言うのかも知れないね。私とキキョウは別々の意識も持ちながらも、お互いの意識を共有している。心と感情はナノマシンAIによって感知反応されているようだ。ここには老いも時間も無い。きっと私達はこのままで居続けることが出来るだろう』


<バタン!>

「ウェブカメラ持って来たッス!」


「ジローさん、貸してください」

 ジニアスがメインモニターにカメラを取り付けると、ママはびっくりした様子でこっちを見た。


『あぁアイハ…!見えるわ…!随分大きくなって…!あなた…!』


『あぁ…みんな…見えるぞ…アイハ…来ていたんだね…』


「パパ…」


『急ですまなかったねアイハ…キキョウ…アイハだよ…』


『アイハ…』


「ママ…!」


『今回こんなことになって本当にごめんなさい。

 ママね、あの時は自分がもう必要の無い人間なんだなぁって思っちゃったんだ…でもね、今は大丈夫。パパが迎えに来てくれたから…アイハ…辛い想いさせてごめんね…』


「いいの…いいのママ…!」


『…ジニアス、近いうちに集音器も取り付けてくれるかな?君たちの声が聞こえないんだ』


「わかりました…お義父さん…」


『一つ、みんなに話しておきたいことがある。

 “過去は変えられる”

 これを知ってほしいんだ。

 それは“今”をきちんと認識し直すことから始まる。

 過去を「あの時こうだったから」

 “またそうに違いない”と後ろ向きに捉えるのか。

 “今度はこうしよう”と前向きに捉えるのかで人生は劇的に変わる。

 私は今わかった。

 人生に後悔の無い人なんていない。それがあるから、人間はより良く生きることが出来るんだ。

 “今、ここ、私”

 みんな、現在いまをきちんと見詰め直し、大いなる愛に気付いて生きて欲しい。

 そして今、自分にとって大切なものが何なのか、もう一度よく考えてみてほしい。

 私は心の病に冒されていた。そして今、過去に囚われ、心に傷を抱えて生きている人々がなんと多いことかを知った。

 私はその人生の中で、たくさんの後悔をし、“愛情とはなんだろう”“家族とはなんだろう”“幸せとはなんだろう”とたくさん考えた。

 そしてその中で、“どうやって生きていけばいいのか”ではなく、人は“世界中の愛に生かされて生きている”ことに気付いた時に私は変わった。

 どうか、みんながたくさんの愛によって、自分が生かされて生きていることに気付いてほしいんだ。

 そしてみんなが、より良い素晴らしい人生を歩んでいってほしいと心から願っている。

 それに気付かせてくれたのは家族や身の周りの君達だったんだ。

 ありがとう。

 みんなのおかげで私はたくさんのかけがえのないものに気付くことができた。

 そしてアイハ、

 私達のところに産まれて来てくれて、本当にありがとう。

 君が産まれて来てくれたおかげで、私達の人生は実りの多いものになったよ。

 アイハ、もう淋しくない。これからはいつでもパパとママに会える。ただ、パパはしばらくママとゆっくりお話しをしたいんだ。だから何かあったらいつでもここで呼び出しておくれ。なので一旦はこれでオフにするよ。

 アイハ…ありがとう。君はたくさんの愛をパパとママに教えてくれた。これからは、新しい愛をたくさんの人達と育みなさい…じゃあ、またね…』


『またねアイハ…』


<プツンー>


「パパ…ママ…」


「お義父さん…」


「ラブイズさん…」


「ぐしっ…ラブイズさん電脳世界に行っちまったゼ…」


「…相変わらずクールだよなぁ…」


「…もう、あなた達、アイハちゃんの気持ちも考えてあげて…!」


「いいんですテムズさん…ねぇジニアス」


「なんだいアイハ?」


「結婚しよう」


「はい喜んで!…ってそれは僕に言わせてくれよ!」


「散々今までプロポーズしてくれたじゃん」


「いや、そうだけどさ…何となくだよ!」


「何それ?意味わかんない!けどまぁ、これからも宜しくね!」


「こちらこそ宜しくお願い致します」

 ペコリ


「はい、宜しくお願い致します」

 ペコリ


「アイハー!」


「ジニアスー!」


 ぎゅうぅぅぅ


「子供は何人欲しい?」


「たくさんかな!」


「…おめでとう…おめでとう!ジニアスくん、アイハちゃん!」


「ひゅうひゅう!見せつけてくれるねぇ!ズビビッ!」


「…二人とも…良かったな!」


「ヘヘへ…ありがとう…じゃあみんなでジニアスの家に報告に行こうか!」


「アイハ…いいのかい…?今はこんなことになったから、少し落ち着いてからの方がいいんじゃないか…?」


「ん?いいのいいの。パパとママは宜しくやってるみたいだし、なんだかまた会えるみたいだしね!それより結婚は勢いっていうじゃない?」


「アイハちゃん…でも私…マシンの様子を見ないと…」


「いいのいいの!二人でゆっくりさせてあげよう!じゃあまたね!パパ!ママ!さぁ行こう!」


 そうしてみんなを連れてまたジニアスの家に行った。


 パパ、ママ。

 私にはもう新しい家族がいるんだ。だから心配しないで二人で楽しく過ごしていてね。


 私はこっちの世界で生きていきます。

 またみんなで一緒に暮らせる日を楽しみにしながら…

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