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  • 第九章  《サイトウ(65)》 -狂愛-

第九章  《サイトウ(65)》 -狂愛-

 私はマリーが好きだった。もうずっとマリーに囚われている。


 いつからだろうか“マリーの本当の笑顔”を見ることが私の人生の目的になったのは…


 私は日系ブラジル移民で幼い頃にこの街に引っ越してきた。

 薄暗いアパートに住み、日銭を稼ぐ父と母。その中で私とマリーは兄妹のように育った。


 マリーはいつも同じお気に入りの黄色い薄汚れたワンピースを着て、二人は外を駆け回って遊んでいた。


 東洋系のスラム地区にいたマリーは良く虐められていた。白人達に“イエロー”と揶揄され続けられた大人達の鬱憤が、白人の幼いマリーに事あるごとにぶつけられた。そしてそれはその子供達にも受け継がれ、日々マリーは何かと目の敵にされていた。


 マリーの母親は娼婦だった。その男性遍歴のツテからここに移り住んでいた。マリーの母親は大人達の白人への鬱憤を晴らされるかのように身を粉にして働いていた。それは虐げられるだけが自分の生きる道だと言わんばかりに、いつも誰かに乱暴に抱かれ、まるでこの世の全ての鬱憤を自ら受けているようで、いつも違う男をアパートに連れ込んでいた。そして全くマリーに関心の無い母親だった。


 そんな環境の中でマリーは育っていった。そんなマリーを不憫に思った私の母親が、マリーを家族のように扱うようになった。


 私はマリーと一緒に成長した。


 そんな中でもマリーはいつも笑顔を絶やさず、私達にたくさんの笑いと愛嬌をもたらしてくれた。


 私の生活にはいつもマリーが一緒にいた。


 マリーが虐められたと聞けば、スラムを出てまで虐めた相手を探しに行き、徹底的に痛めつけた。その内、スラムに溜められた鬱憤を晴らすように力が力を呼び、仲間が集まった。


 10歳になる頃にはこの近辺で、私とマリーに逆らう者は居なくなった。


 小さなギャング達は警察に捕まり、少年院に行くことを“出張”と呼び、まるで大人達の真似事をしているかの如く、“出張”が終わればまた仲間に戻る。その度に私はまるで会社の社長のように地位を与え、徐々に組織は強固なものへ変わっていった。


 私は捕まる訳には行かなかった。マリーを守り、常に側にいる為に。そして日々やることが見出だせず、鬱憤ばかりだった仲間達は、暴力の捌け口に“私とマリーを守る”という大義を被せ、それは地域の警察も見過ごすことの出来ないくらい大きくなっていった。


 私は子供だった。


 マリーを守ることで自分の自尊心を守っていることに過ぎなかったことが気が付かなかった。


 マリーを守ることが私の全てだった。


 私は腕っぷしも強かったが、それはあくまでも子供の力の話だとでいち早く気付いていた。それで私はマリーを守る為に周囲をまとめることに力を費やした。


 スラムにはいくつかのギャングやマフィアが、まるで闇の雲のようにたゆたって存在していた。明確な区切りを持つファミリーもあったが、スラムそのものに独特の世界があった。犯罪が横行する雑然とした空気を例えるとすれば、昨日笑顔で挨拶してくれた大人が、次の瞬間沸騰した怒りで銃を容赦なく人に向けることがよくある日常だと言えば伝わるだろうか。


 ある時一人の大人が私に近付いてきた。


「妹を守りたいかい?」


 そう言って近付いてくる男に私は視線を外さなかった。


 その男の動き、息遣い、表情、衣服などから全体的な戦闘力や真意を量り知る為に全ての集中力をその男に敵意と共に向けていた。


 突然、その男は笑顔でシャツを脱ぎ捨て私を抱き締めてきた。びっくりした私はもがき、その男から逃げ出した。

「信頼のハグだ」


 男は笑ってそう言った。そして、そうやって私のグループに入ってきた。


 その男は狡猾であざとく、そして私よりも老獪だった。私からの敵意を無くすために、男は私の周りから懐柔していった。


 ある者には金で

 ある者には地位で

 ある者には信頼で

 ある者には女で


 最初はマリーを守る為にと皆に近付き、その内男はただの小さなギャング達を一端の犯罪者集団としてまとめあげた。


 表面上はマリーと私を守るために。

 私よりも大きな力を使って。


 今思えば需要と供給の仕組みを男は作りたかったのだろう。ファミリーの下部組織を作り、犯罪を起こさせ、治安を守る名目で地域から金を巻き上げる。表面上は対立している組織が、裏では手を組んでいる大人などたくさん見てきた。それをその男は大きな力でしているだけだった。


 ある日私はマリーの姿が見えず、男のアパートを尋ねた。そこには見覚えのある娘が裸でベッドに横たわっていた。


 マリーだ。


 私はマリーが凌辱されたのだと思い叫んだ。マリーは眠い目をこすりながらこう言った。


「あたし、この人の女になったの」


 男は「そういう事だ」というと素っ気なく扉を閉めた。


 その時に私は知ったんだ。


 “マリーが好きだった”


 自分の宝物がぐちゃぐちゃにされたようで気が狂わんばかりだった。しかしそれも“マリーを守る”為には仕方ないことだと、“マリーは妹なんだ”と、“力ある大人に守ってもらった方が安全”だと、自分の気持ちを押し込めて日々を過ごした。まるで王女に仕える騎士のように、私はマリーの為に男の言うことに従った。


 今思えばそれが男の狙いだった。ただ唯一救われたのは、男はマリーを今まで通り大切に扱ったことだった。


 男はあるファミリーに属していた。“華僑”と呼ばれるそのファミリーは“五常の徳”と呼ばれる“仁義礼智信”を重んじていた。


 男はそれを欠いた。私から乗っ取り、組織化した我々を“ファミリー”と呼び、自分の為だけに動かし出した。当然のように華僑からの“報復”が始まった。マリーが拐われて監禁されたのだ。


 組織の要であるマリーを拐い、牽制を促す。今まで通り柔順に従うなら良し、従わなければ悪し。


 男は従わなかった。己の力を過信していた。


 男は激怒し、マリーが拐われたことを仲間に告げ戦争を仕掛けた。その間、私は一人でひたすらマリーを探し続けた。


 そんな時、真っ白いスーツに身を包んだある一人の紳士的な青年が私に近付いてきた。


「マリーの居場所まで連れていく」青年はそう言うと私を車へ促した。


 私はその時に正常な判断が出来なかった。言われるがまま車へ乗り込んだ。ただマリーが無事であることを祈りながら。


 とある倉庫の一角に連れて行かれると、そこには凌辱の限りを尽くされた無惨なマリーの姿があった。


 私は取り巻きの男達を突き飛ばしながらマリーを抱き上げた。マリーは虚ろな目で私を呼ぶと急に気を失った。


 私はゆっくりとマリーを下ろし、私を連れてきた青年に向かって狂犬のように突進し、その男を殴り続けた。青年は抵抗もせずに殴られ続けた。


 しばらくして、私が殴り疲れると、ボロボロになった身体を引き起こしながらその青年は言った。


「取引をしよう」と。


 そこで私は事のあらましを知った。


 私の組織は大きくなり過ぎたこと

 最初の男はファミリーから派遣されてきたこと

 次第にファミリーの意見に従わないようになったこと

 マリーを牽制に使ったこと

 楯突いた男はファミリーで処分するということ

 残った組織は私にまとめてもらい、ファミリーに入るということ

 拒否することはこれ以上凄惨な目に合わなければならない覚悟が必要だということ。


 青年の目は真剣だった。そしてこれ以上無く組織は調べ尽くされていた。


 私はマリーがされたことに怒りを覚えていたが、ボロボロになった青年の顔を見て怒りが急に冷めていった。


 この青年はわざとに私に殴られたのだ。私の怒りを真正面から受け止めたのだ。


「…私にも家族がいる。ただ君の暴力に訴えるやり方ではいつかまた君は同じ目に合うだろう。そうならない為にも今君は我々に学ぶべきだ。暴力は解決の一つの方法に過ぎないことを」


 私はその目の奥に宿る蒼白い炎に似た力に、彼の言葉を信じることにした。その青年の名はケンと言った。


「和解成立だな」と言ってその青年は私と固く握手を交わし、すぐにマリーを手厚く保護した。


 私は男の手先になっていた仲間を次々に説得して回り、隠すことなく事の顛末を話した。その結果、皆私に同調してくれた。


 ただマリーは違った。ファミリーが用意してくれた病院に何ヵ月も虚ろに居続けた。私は毎日マリーの元に通った。毎日花を届け続けた。マリーは時折、あの男に会いたいと喚き続けた。もうこの世にはいないあの男を夜な夜な病院を抜け出し、探し求めるようになった。


 ある日私は告げた。あの男はもういないということを。マリーは知ってか知らずか「そう」と呟いたきり、口を閉ざすようになった。


 私の家族も頻繁にマリーの元へ通った。ただマリーの母親が来ることは無かった。


 初恋を無惨に散らしたマリーと私は生きていく方向性を見失っていた。私は組織を全てファミリーに預け、必死にマリーの元へ通った。


 そしてある時、マリーの母親が居なくなった。ただ、部屋はそのままにしておいた。いつかマリーと母親が何気なくそこで会えるように。しかしマリーの母親はそれっきり帰ってくることは無かった。


 一ヶ月程が過ぎ、マリーは病院を退院した。そしてマリーは変わっていった。寂しさ故にひたすらに私に身体を求めるようになった。そして暴力や暴言を吐き、私を責め立てる日々が続いた。


 私はマリーが辛い目に会ったが故の一時的な感情だと、そして自分こそがマリーを救うことの出来る唯一の人間だと信じていた。そして私に暴力や暴言を振るうその姿は、私を頼るが故の行動だと盲信した。


 その内マリーは家に近付かなくなっていった。そして行きずりの男を漁り、一時の快楽と安心感に身を委ねるようになっていった。


 私は身を切られる思いを感じながらも、どうやったらマリーが元の笑顔になれるかを探し続けた。


 二度の妊娠、堕胎を繰り返し、その内マリーは何もない部屋で一日中虚ろに自らのお腹を撫でる日が続いた。私はずっとマリーのそばに居た。


 それを見かねたケンは、私にある提案をしてきた。それはマリーを救う為には私は様々な真理を知らなければならないという、華僑の教育だった。


 あの時私に殴られるままのケンが与えてくれた気付きを信じ、私は華僑の教育を学んだ。


 歴史、思想、行動、帝王学、マナー、生き方、様々な事を学んだ中で、私は心と身体は表裏一体であることを知り、心理学に興味を持った。


 東洋思想と西洋心理学を併せれば、マリーを救えるかも知れない。そこから私は勉強に身を委ねた。ファミリーの後ろ立てもあり、私は大学検定を取り、今の大学へ入学した。マリーは躁鬱を繰り返し、自らを傷付けながら長い闇に囚われていた。そして会う度に私を罵倒し、私の身体を貪っていた。


 医師免許と臨床心理士の資格を取り、多くの臨床を重ねた先にはいつもマリーの笑顔という目的があった。


 新しい薬や、民間療法、認知行動療法など、あらゆる組み合わせを試し、有効だと感じたものは全てマリーに施した。


 しかしマリーは変わらなかった。


 どんどん躁鬱の幅は酷くなり、マリーは段々壊れていった。何度も自殺未遂を繰り返すマリーに、私は格子のついた病院へ何度も入院させた。


 その内マリーは誰かの子を宿した。それがラブイズだった。ラブイズを宿してからはマリーは変わった。いつもお腹を大切にし、いつもよりほんの少し穏やかになった気がした。


 私は確信した。ラブイズこそがマリーを救う糧になることを。


 私はマリーを手元に置き、大切に大切に十月十日を過ごした。誰が父親なんかには興味は無かった。マリーの笑顔だけを探し続けた私は、時折お腹に微笑むマリーを見ているだけで救われていた。


 しかし、マリーはラブイズを産むと、子育てには興味が薄かった。自分もされたネグレストの為か、産まれたばかりのラブイズを疎ましく扱うようになり、夜遊びを繰り返し、その内娼婦になって生活の糧を得ていた。


 私はファミリーから援助を仰ぎ、マリーとラブイズの生活を陰ながら見守った。ラブイズがいることによって、それでもマリーは以前よりも安定しているように見えたからだ。


 私はマリーの生きる力を信じた。マリーの生活から私への依存を断つ為に、私は徐々にマリーからフェードアウトしていった。


 マリーとラブイズの生活は一般家庭からみる幸せで平穏な日々とはかけ離れていた。しかし私はマリーの生きる力を信じたかった。様々な治療の効果を確かめたかった。


 時折、マリーはラブイズを罵倒しながらも暴力を振るうことは無かった。私は以前より体調の良くなったマリーを見て手応えを感じていた。娼婦といえど、曲がりなりにも仕事をし、一般的とは言えないまでもラブイズを育て上げていた。


 ただ、マリーの心はゆっくりと蝕まれていった。時にマリーの客を装った私の仲間に大学病院まで連れて来させ、部下を用い診察を行っていた。


 その内ラブイズに変化が表れた。その環境からか心理学に興味を示しだした。私はあくまでも自然に教師や周囲の影響を与え、ラブイズの進路を導いていった。心理学を学ぶことによりラブイズの心は強くなり、必ずマリーの笑顔を取り戻す力になることを確信していた。


 ラブイズが私の大学へ入学したのを機に私はラブイズに近付いた。私はラブイズを自分の息子のように思い、あくまでも親友としてのスタンスを取り成した。


 その頃のマリーは若い頃の美貌は寂れ、娼婦としての仕事も無くしており、アパートに引き隠る日々が続いていた。そして、徐々に心を無くしていくマリーを私はまた手元に手繰り寄せた。新しい介護施設を開設したのもこの為だった。


 愛しいマリーの笑顔をまた見るために…


 マリーが手元に来てからは、また毎日マリーに会える日々が続いた。私は心を無くしたマリーの笑顔を取り戻す為に様々な治療をラブイズと施した。次第に薬の影響か、マリーは発狂することは無くなったが、あらゆる感情を無くしていった。


 まるで糸の切れた操り人形のように。ただ息をして、食事をして、排泄をする。ただそれだけの日々だった。


 そしてキキョウ、君が現れたんだ。

 ラブイズと君が結婚した時、マリーは確かに笑った。確かに笑ったんだ。


 私は君達の家族こそがマリーの笑顔に欠かせないものだと感じた。それで君やアイハのことを興味深く観察することにしたんだ。


 私の頭では、あのはちきれんばかりの笑顔で笑うマリーの顔がこびりついて離れなかった。


 私はマリーにならなければならなかった。本当の意味でマリーと一つにならなければならなかった。


 そして私はラブイズと共に一つのマシンを作り上げたんだ。


 全てはマリーの笑顔の為に…


 そこで一つ誤算が生じた。ラブイズに予想外の精神不安が発症した。


 それからは君の知る通りだキキョウ。ラブイズは私よりも先にマシンに入り、そして見事生還した。マリーを笑顔にする為のエビデンスを持ち帰ってね。


 わかるかいキキョウ。君ならわかるはずだよキキョウ。


 愛する者に心から拒否される恐怖と絶望が。


 私の人生は全てマリーに捧げているんだ。それは魂の深いところで結び付いている。それを知って君まで私を否定するのかい?今まで人生を掛けてまで陰日向から君達を支えてきた私を、君まで否定するのかい?


 キキョウ…


 マリーの笑顔を見る為には君達がどうしても必要なんだよ。


 あのマシンに精通したラブイズとそのラブイズの安定の為の家族がね。

  

 もちろんその存在自体がマリー自身にも必要なんだ。


 わかるかいキキョウ。私の気持ちがわかるかい?君のラブイズに対する愛情となんら変わりのないものなんだよ?自分ばかりが否定された人生を歩んでいると思っているのかい?


 ねぇキキョウ、私は間違っているのかい?


――――――――――――――――――――――――――――――――――


 キキョウは感じていた。

 おぞましい化け物がそこにいた。


 全ての愛憎がぐちゃぐちゃに混ざり合った思考の果ての怨念がそこにあった。


 この人は私達の幸せなんかこれっぽっちも考えていない。


 表向きでは良い人を演じ、外面だけを良く体裁を整え、その全てを彼の母親の望まない生活に導いてきた悪魔だ。


 ただ、同時に思った。これは私の一つの未来の姿だと。


 狂気に導かれた二人の暗闇がそこに在った。そして私達は悪魔の共謀を始めた。


 サイトウは自身がマシンに入る為の技術を私に与える算段を提案してきた。私はその技術を用い、自分だけの世界へ逃げる為の算段を企てた。二つの狂気は別々の思惑を抱えながら一つの方向性を見出だしていた。そしてその日から二人の奇妙な生活が始まった。


 サイトウは私の家庭教師よろしく、自分の持てる知識を余すところなく私に詰め込み始めた。私はがむしゃらにその知識を詰め込んだ。


 3日に一度、アイハにメールを返す作業が最も苦痛な時間になった。その度に不安定になる私をサイトウは黙って抱き締めてくれた。


 全てはマリーの為に。

 全てはこの世から逃げ出す為に。


 人を幸せにする為という名目で生まれたマシンは完全にその意味を失い、サイトウと私は、己が己を救うべく為すべきことに取り組んだ。


 ただ一つ、違ったことはサイトウは“マリーの為に”という自分が成したいことという気持ちに気付いているのかいないのかそれに盲信しており、私は私自身の為に取り組んでいた。


 そしてそのまま3ヶ月が過ぎた…

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