54 遠距離3

 展示会の一日目、KONNOのブースはなかなかの盛況ぶりだ。

 なかでも久志イチオシのリアルどんぐりのキーボードとマウスのセットは、女性を中心に好評で、午前中にしてすでに何件もの注文を受けた。


「結構いい感じだな」


 同行した営業の二人が、来場者に商品の案内をしているのを見ながら、久志が言った。

 芹澤が久志のことを凄いと思うのはこんな時だ。

 試作品が出来上がり初めて芹澤がそれを見たとき、なぜ久志はこんなおもちゃのようなものを作ったんだろうと思った。

 夏樹にぴったりだと言って、試作の段階から夏樹をイメージして作らせていたのも見ていたため、その時は遊び半分で仕事をする久志に頭を抱えた。

 だが実際、表に出してみるとこの人気ぶりだ。

 久志の予想していたアウトドア派の人たちとは客層は異なるが、この分だと午後からの集客もかなり期待できる。


「山下くん、交替しましょうか。私と専務が替わりますから、お二人は休憩に行ってください」


 ちょうど客足が途切れたところで芹澤が営業の二人に声をかける。


「ありがとうございます」

「すみません」

「そろそろお昼になりますし、食事もとってきてください」

「はい」


 営業の二人に替わって、KONNOのブースに来た久志が芹澤の隣に立つ。


「その後の動きはどうだ?」

「特に目立った動きはないですね。もともとが単独で動いていたようですし、今は松本くんと接触するのも難しい状況ですから」

「……まあ、そうだな」

「大丈夫だとは思いますが、一応、気はつけておきます」


 久志が会場の中をぐるりと見渡した。

 夏樹のことをつけまわしている相手を早く捕まえて、夏樹を安心させてやりたい。

 相手の正体もわかっている。だが、決定的な証拠を掴んでいないため久志も動き様がないのだ。

 思い通りにいかなくて、もどかしい思いがつい顔に出てしまう。


「専務、顔が怖いですよ」


 険しい顔をしている久志は、隣に立つ芹澤から、お客様相手なのだからもっとにこやかにと注意を受けてしまった。


「芳美!」


 聞き覚えのある声に、今度は芹澤が久志以上に不機嫌そうに顔を歪めた。


「いやあ、なかなかの人出だ。俺も色々と見て回ってきたが、今後の制作活動の参考にもなったし、とても勉強になった――紺野さん、今回は同行させていただき、ありがとうございます」


 そう言って、野添が久志に頭を下げた。おそらく初めて見るであろう野添の真摯な様子に、芹澤の眉間に寄っていたシワが浅くなる。

 久志の趣味に付き合い、芹澤と一緒に旅行ができるからという軽い気持ちで、野添が今回の出張についてきたとばかり思っていたが、違うようだ。野添は野添で、きちんと仕事と勉強のために久志について来ているらしい。

 芹澤に対してふざけたことばかり言ってはいるが、本当はとても真面目な人間なのかもしれない。


「野添くん、私はあなたのことを誤解――」

 

 芹澤が野添に対して、これまでの失礼な態度を詫びようと口を開いた。


「これだけ大勢の人がいても、やっぱり芳美が一番素敵だ。君を見ているとアイデアが泉のように湧きあがるよ…………俺のミューズ!」


 恥ずかしいくらいのオーバーアクションで、野添が芹澤の肩を抱き寄せる。何かのアトラクションとでも思ったのか、いつの間にか芹澤と野添の周りに人垣が出来ていた。


「ほら見てごらん、芳美の美しさに人が集まって来ているよ」


 野添が誇らしげに周囲に集まった人達を見渡す。

 ダメだ。この男にまともな考えを求めても無駄だった。

 芹澤は心底嫌そうに野添の腕を解き、体を突き放した。


「ちょっと野添くん、何を変なこと言っているんですか。沸いてるのはアイデアではなくて、あなたの頭の中じゃないですか?」

「頭の中……そうだね、俺の頭の中は芳美への想いが溢れかえっているよ」


 野添はすでに自分の世界に浸りきっている。

 この男はこうなってしまうと、芹澤はもちろん他人の言葉など聞く耳を持たない。聞いたとしても、頭の中で勝手に野添ワードに変換され、都合よく解釈されてしまうのだ。

 まともに相手をするのは時間の無駄だ。

 芹澤は、自分の世界に浸っている男を完全スルーすることにした。


「――何ですか?」


 いやに楽しげな様子で、芹澤らのことを眺めている久志を芹澤が横目で睨んだ。


「いや……芹澤、顔が怖い」

「…………っ」


 先ほど久志へ注意したことをそのまま返され、芹澤が言葉を詰まらせる。


「顔が怖いって、ちょっ……」

「だけど楽しそうだ」

「…………」

「なんだ?」

「……いえ、何でもありません」


 呑気に話している二人を、会場内の離れたところから山下が眺めていた。


「一体、どうなっているんですか?」

『……すまない。ちょっと目を離した隙にいなくなってしまったんだ』

「いなくなってしまったじゃ済まないですよ」

『わかってる。すぐに何とかするから……だから、私が、その……』

「…………」


 しどろもどろとしか答えない相手に、山下は携帯を耳に当てたまま、イライラと空いている方の指先を噛んだ。


『わ、渉くん?』


 反応のない山下に、電話の相手――青嶋がおろおろと焦った声を出す。


「――わかりました。逃げられたのは仕方がないです。僕が戻るまで何もしないでください」

『えっ、でも……渉くん、それだと……もし松本くんがこの事を誰かに話したら……』

「大丈夫ですよ。多分、彼は誰にも言わないと思います」


 まだ数日は久志も芹澤も出張で不在だ。それに夏樹の性格だと、彼らの仕事の邪魔をするのは避けたいと思うはず。

 ということは、久志らが出張から戻るまでは夏樹が捕らえられた事実がバレることはない。


『渉くん、やっぱり私がもう一度……』


 幾分余裕のある山下に対して、自分の失態で夏樹を逃がしてしまった負い目のある青嶋は、何とかして自分の手落ちを挽回しようと必死だ。


「いいと言っているじゃないですか。変に手出しして、また失敗したら、今度は僕も許さないですよ」

『…………』

「安心してください。あなたが学院の男子生徒に手を出して、ホテルに連れ込んだなんて父には言いませんから――叔父さん」

『渉くん、頼むよ。理事長には絶対に言わないでくれ! 私の嗜好は誰も知らないんだ……理事長だけじゃない、娘にまで知られたら……私は……』


 青嶋が携帯の向こうから山下に懇願する。

 山下が叔父のしたことを知ったのは偶然だった。どうやら二人の好みは似ていたようで、夜の街でたまたま出会った好みの男から、コトが終わった後に青嶋とのことを聞かされたのだ。


「今のところ誰にも言うつもりはありませんよ。だけど、もし叔父さんが僕の言い付けを守らなかったら……わかっていますよね?」

『わかった、わかったから……』

「それじゃあ、僕はまだ仕事中ですので」


 そう言って山下は青嶋との通話を切った。


(さて、どうしようかな……)


 山下はちょっと考えると、今度は違う番号を呼び出した。


「――――あ、理央? いい子にしていたかい? 実はお願いがあってね……」

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