52 遠距離1
「すみません、遅くなりました」
「大丈夫ですよ。出発までまだ時間がありますから。それよりこちらこそ突然無理を言ってすみませんでした」
「いえ、そんな。家でぼけっとしていただけですし」
頭を下げる芹澤に、山下が慌てたように顔の前で両手を振った。
「全く……いくらやる気になったからって極端なんですよ」
駅構内のコンビニで弁当を物色している久志を芹澤がちらりと見やる。
「は?」
「何でもありません、こっちの話です」
予定では翌日の昼前に出発予定だった件の出張を、妙にやる気を出した久志が急遽予定を前倒ししたのだ。
今回の出張は久志と芹澤、あと営業から山下と山下のサポートに一人同行することになっている。仕事とは関係ないが野添も一緒だ。
久志のわがままからの突然の変更だったが、同行する営業の二人も揃った。何とか最終の新幹線には間に合いそうだ。
「専務、そろそろ移動しますよ」
ちょうどコンビニから出てきた久志に芹澤が声をかけた。
「悪い、待たせたな」
「悪いと思うなら、しっかりお仕事に励んでください」
「もちろんそのつもりだ。今回の展示会、うちの商品が一番の注目を集めるに違いないからな」
週末の二日間、パソコン周辺機器の展示会が開催される。今回の展示会はわりと大きな規模のものだ。
KONNOも展示会に合わせて『思わず仕事が楽しくなる』をコンセプトにあらゆるタイプのマウスとキーボードを用意した。
中でもリアルどんぐりマウスが、久志のイチオシだ。
夏樹の意見を取り入れて、キーボードもリアル丸太仕様にした。きっとアウトドア派な人たちに大ウケ間違いないとは久志の台詞だ。
「仕事をしながら、思わず飯ごうで炊いたご飯が食べたくなる。なかなかいいと思わないか?」
腕を組み、ひとり頷く久志を芹澤が冷めた眼差しで見やる。
久志はああ言っているが、予算の見積もりや会議の資料を作りながら、飯ごう炊さんに思いを馳せる人たちがいるとは芹澤にはどうしても思えない。
だが、侮ってはいけない。ヒット商品を生み出す久志の目は確かだ。もしかしたら、これからアウトドアブームが起きるのかもしれない。
「今度、夏樹とキャンプに行きたいな。リスが夏樹のことを仲間だと思って集まってくるかもしれない――なあ、芹澤もそう思わないか?」
「……はあ」
話を振られても困る。久志の言う通り、夏樹のことを山のリスたちが仲間と間違えて集まってくる様子は想像できなくもないが、久志ほどの妄想力を芹澤は持ち合わせていない。
「ところで芹澤は何も買わなくてよかったのか?」
「そうですね……まだ少し時間もあることですし、ちょっと失礼して飲み物でも買ってきます」
「あ、芹澤さん、僕もご一緒します」
コンビニへ向かう芹澤の後を、山下が小走りでついて行く。
「山下くん、先にお店に行っててください」
「え?」
「私は松本くんに電話を入れてみます」
コンビニの店頭で芹澤がそう言うと、山下はわかりましたと先にコンビニの中へ入って行った。
「――松本くんですか? 芹澤です。今電話は大丈夫ですか?」
『…………』
しばらく夏樹と話していた芹澤が、ふと時計に目を向けた。新幹線の出発までそう時間がない。話した感じ、とりあえず夏樹も元気そうだ。夏樹は大丈夫そうだと久志へ伝えようと芹澤が顔を上げると、券売機で久志が乗車券を買おうとしているのが目に入った。
「ちょっと待ってください――専務! チケットは私が持っています」
全く、目を離すとあの男はすぐに勝手に動く。久志は気を利かせて新幹線の乗車券を買おうとしていたのだろうが、芹澤が事前にチケットを手配していないなんてあるはずがないのに。
「――すみません、何でしょう」
『久志さんと何処かに行かれるんですか?』
「例の出張ですよ。専務が変にやる気を出しまして、出発が前倒しになったんです。全く、振り回されるこっちの身にもなってもらいたいです」
芹澤が大きくため息をつく。
それから二、三、夏樹と言葉を交わし、芹澤は携帯をスーツの内ポケットに入れた。
「芹澤さん、紅茶でよかったですか? 僕、買っておきました」
「すみません、山下くん。つい話し込んでしまいました。それいくらでしたか?」
「これくらいいいですよ。それより松本くんは? 風邪で休んでいたんでしょう、元気そうでしたか?」
「ええ。思っていたより元気そうでしたよ」
山下へありがとうと言って、芹澤がミルクティーのペットボトルを受けとる。
「ゆっくり休んでいれば、私たちが帰る頃には、よくなっているでしょう」
とりあえず夏樹に心配はなさそうだと安堵していた芹澤には、山下が複雑な表情をしていたことには気づかなかった。
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