13 遺失物5

 店を出てから三十分ほど走っただろうか、夏樹の住むマンションの前で車が止まった。


「ありがとうございました」


 久志の視線からやっと開放された夏樹が、ほっとした様子で頭を下げた。

 車の中で感じた久志からの視線に緊張はしたものの、決して嫌な感じはしなかった。それどころか、自宅に帰ったときのあの何とも言えない嫌な雰囲気のことを考えると、もうちょっと久志の側にいたいとさえ思ってしまう。


「それじゃあ、失礼します」


 正直言って部屋に戻りたくはないが、いつまでもこんなところにいるわけにもいかない。

 夏樹は久志にくるりと背中を向けると、マンションの入り口へと歩いていった。




「あの、久志……さん?」

「ん? 何だ?」

「ええと……芹澤さんもですが、何をしているんですか?」


 マンションの入り口で別れたはずの久志と芹澤が夏樹と一緒にエレベーターが来るのを待っている。

 自分は夏樹の恋人だと公言している久志がついてくるのは何となくわからないでもないが、なぜ芹澤まで一緒にいるのだろうか。

 もしかして二人とも、夏樹がちゃんと部屋にたどり着くまで送ってくれるつもりなのだろうか。


 いくら年相応ではない見た目とはいえ、これでも夏樹は一応れっきとした成人男性だ。そこまで心配されるのも正直どうかと思う。

 もうここまでで大丈夫ですと夏樹が口を開こうとしたとき、ちょうど降りてきたエレベーターの扉が夏樹たちの前で開いた。

 当然のようにエレベーターの扉を手で支えた久志が、夏樹へ早く乗るようにと目線で促す。


「何階?」

「……四階です」


 夏樹の背後に立った久志が夏樹のことを背後から包み込むように腕を伸ばし、エレベーターのボタンを押す。

 頬を掠めるように伸ばされた久志の腕に、思わずどきりとしてしまった夏樹が小さく肩を竦めた。


 ここ最近、例の嫌な気配のお陰で自宅へ帰るのに変な緊張感を持っていた夏樹だった。だが今日は久志と芹澤の二人が一緒にいる。

 半ば強引に夏樹の後をついてきた二人に、初めはどうしたものかと思ったが、エレベーターが四階に到着する頃にはいつもの嫌な緊張感を感じることもなく、二人が一緒にいてくれてよかったと夏樹は思った。

 まもなくエレベーターが夏樹の部屋がある四階に到着した。


「芹澤」

「はい」


 エレベーターの扉が開くと同時に芹澤が外へ出る。

 その後について外へ出ようとした夏樹を久志が引き留めた。


「え? あの……どうしたんで……」

「異常はないようです」

「夏樹。降りなさい」

「あ、はい」


 久志に促され、夏樹がエレベーターから外に出る。


「松本くん、鍵を」


 先にエレベーターから降りていた芹澤が、夏樹の部屋の前に立っている。部屋の鍵をと言って差し出された芹澤の手に夏樹が困惑したように首を傾げた。


「夏樹。部屋の鍵は?」

「鍵? はい、鍵ならここに……」


 久志に促され、夏樹が鞄の外ポケットから鍵を取り出すと、当然のようにそれを芹澤が受け取りドアを開ける。

 あまりにもさりげない芹澤の動きに夏樹はただ呆然と眺めているだけで、久志に肩を叩かれてやっと自分がその場に立ち尽くしていたことに気づいた。芹澤は先に部屋の中へ入ってしまっている。


「え、あの……どうして芹澤さん」

「中へ入りなさい」

「……はい」


 夏樹の部屋なのに、なぜか久志に促されて一緒に中へ入る。すると芹澤が何やら大型のトランシーバーのようなものを手に、部屋の中をうろうろと歩き回っているのが見えた。


「芹澤、どうだ?」

「――はい、ちょっと待ってください。ええと……電波が複数飛んでいますね。まず奥の部屋から見てみましょうか」


 そう言うと、芹澤は夏樹が寝室として使っている洋室に入っていった。


「松本くん、ちょっといいですか?」

「え……あ、はい」


 芹澤に呼ばれて夏樹が奥の部屋に入る。すると、ベッド下の隙間に芹澤が頭を突っ込んでいた。


「芹澤さん?」

「このベッドを動かしたいのでちょっと手伝ってください」

「ベッド、動かすんですか?」

「ほら、さっさとしてください。まだリビングも調べないといけないんですよ」

「――あ、はい」


 芹澤から急かされ、夏樹と芹澤の二人で壁際に置かれたベッドを動かす。そうしてできたベッドと壁の隙間へ芹澤が入り込む。


「松本くん、私の鞄を持ってきてください。ああ、大きい方の鞄です」


 言われた通りに夏樹が鞄を渡すと、その中から芹澤はドライバーを取り出した。


(ドライバー?)


 夏樹が鞄の中を覗いてみると、中には色々な形のドライバーが大きさ別にずらりと並んでおり、他にも夏樹が見たこともないような工具類がきちんと整頓されて納められている。

 秘書の仕事というのが実際にどんなものなのか夏樹はよく知らないが、会社での仕事だけではなく多方面に精通していないといけないようだ。

 夏樹が芹澤の仕事ぶりに改めて感心していると、移動させたベッドの縁から芹澤がひょいと顔を出した。


「松本くん」

「はい」


 芹澤はベッドと壁の間の隙間に入ったまま、器用に腕だけを出して一センチ四方ほどの小さなプラスチックの箱のようなものをベッドの上にぽんと乗せた。


「これ何ですか?」


 ベッドの上に置かれたものを夏樹が指で摘む。


「コンセントの中に隠してありました。専務に渡してください」

「――?」

「ほら、さっさと動く。渡したらベッドを戻しますので手伝ってくださいね」


 言うだけ言うと、芹澤は再度ベッドと壁の間に隠れてしまった。


「コンセントの中にあったそうです」


 黒いサイコロのような箱を受けとると、久志はそれを指先につまんで目の前に掲げた。

 久志の眉間が僅かに寄る。


 その後、リビングや浴室など1LDKの夏樹の部屋の中から計五つ、なにかの部品のようなものが発見された。

 それぞれ形や大きさは様々だが、それが一体何に使うものなのか夏樹には全く見当がつかない。


「――あの、すみません。これ何ですか?」


 ローテーブルの上に並べられたそれらの中のひとつを手に取り、夏樹が芹澤に尋ねた。


「盗聴器ですね。ああ、今松本くんが持っているのはカメラです。奥の部屋のクローゼットの上に設置してありましたよ」

「――はあ、盗聴器…………えっ!? 盗聴っ? 何ですかそれ、何でそんなのが俺の部屋にあるんですかっ!?」

「それはこっちが聞きたいくらいだが。夏樹、身に憶えはないのか?」


 身に覚えなど全くない。夏樹はカメラだと教えられた、長さ一センチほどの筒状のものをしげしげと眺めながら首を横に振った。

 直径は鉛筆ほどで、なるほどよくよく見れば筒の先端につまようじの先で突いたような穴が空いている。どうやらこの部分から撮影するらしい。


 奥の部屋のクローゼットの上ということは、夏樹が寝ているベッドを上から見下ろすように撮影していたということだ。

 知らないうちに、寝ているところを誰かもわからない人物から見られていたなんて。

 夏樹は今更ながら自分が置かれていた状況を理解し、背筋を震わせた。

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