知らないことを知るのは、おもしろい。

「誰にとっても、いいことはひとつもない……、か」

 満足そうにフンッと鼻息を漏らしたミャイは、前のめりになって大きな目をキラキラさせる。

「それで、どうしよっか」

「なにがだ」

「準備よ、準備。二階を探検する準備! どんなものが必要かな。誰に相談に行く? どういう計画で行動をするか決めなくっちゃ」

 ウキウキするミャイのヒゲが興奮にピンと張り詰め、しっぽもまっすぐになっている。いますぐにでも飛び出したいと体現するミャイに苦笑して、ちょっと考えてみるも具体案など思いつかない。

 それもそうだ。

 私はこの町の住人を、一部しか知らないのだから。相談をする相手と言われても、ミャイの両親か木の実屋の店主くらいしか浮かばない。

「ミャイ」

「ん?」

「大工とは、なんだ」

 え、とミャイが目をパチクリさせる。

「大工を知らないの?」

「うむ」

 ご主人はそんな単語を口にはしなかった。私の知識のほとんどは、ご主人がしゃべったものだ。なにせ、ここに来るまではケージの中と、ご主人の部屋の中、手のひらの上のほかに経験をしたことはないのだから。

 ああ、医者というものもあったか。

 顔をしかめた私に、ミャイは肩に顔を埋めるように首を低くして、上目遣いでおそるおそる問うてきた。

「怒った?」

「なぜ怒らねばならんのだ」

「だって、怖い顔をしたから」

 シュンとするミャイに首を振る。

「怒ってはいない。ただ、記憶を探っていたら医者を思い出してしまっただけだ」

「お医者さん? どうして」

「私の知識の中には、どんなものがあるかを確認していたら思い出したんだ」

 ほえー、とミャイが妙な声を出す。

「モケモフさんは、お医者さんに行ったことがあるんだ」

「ご主人に連れられてな」

「ふうん?」

 わかったようなわからないような、興味があるのかないのか不明な返事をしたミャイは、「それで」と話題を元に戻した。

「大工っていうのは、家を作る仕事のことなの」

 とっさに私は部屋中を見回した。これを作ったものがいる。そんな当たり前のことにすら気がつかなかった自分を恥じた。ご主人も私を家に連れ帰って、まずはケージを組み立てていたではないか。あまりにも幼いころの記憶なので、すっかり忘れていた。

 ということはつまり、ご主人は大工なのか――?

「じゃ、明日は大工さんの仕事を見学しに行こう!」

 ポンッと肉球を打ち合わせて、ミャイが席を立つ。

「そうと決まったら、さっさと休んで明日の準備をしなくっちゃね。ちょうど作っている最中の家があるの。そこを見させてもらいましょっ!」

 言いながら食器を盆に乗せたミャイは、部屋を出る前に振り返って「仕事、明日はちょっとはやめに終われるように、急いでね」と言って去っていった。

 仕事の見学か。

 知らないことを知るのは、おもしろい。

 ここに来てから、それを知った。知っているものと知っているものが、知らないことを知ってつながった瞬間の、えもいわれぬ輝きは極上のヒマワリの種を味わう瞬間に似ている。

「大工……。いったい、どんな仕事なのか」

 これほど大きなものを作れるのだから、きっとご主人のように大きな動物なのだろうなと予想しつつ、私はベッドにもぐりこんだ。

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