第百十八話 鳩 II

 ひとかけらの菓子を巡って、俺たちの間で争奪戦が起こる。それを半ば怖がり、半ば面白がって見ている男がいて。その男から少し視線を逸らした女が薄く笑っている。

 先ほどは男も女も菓子を食い、何やら黒っぽい水を飲んでいたから、仙人のように何も飲み食いせずに生きていけるわけではないんだろう。ただ、俺たちのようにあくせくするか、しないかが違うだけだ。


 男が手持ち無沙汰に菓子を恵んでくれるのは、隣の女とそれほど親しいわけではないからだ。今後その距離が近づくのか、そのままか、開いてしまうのか。俺の感知するところではないが、中途半端な距離感が菓子の供給につながるのなら俺たちにとってはありがたい。

 食いっぱぐれた俺は気を引こうと男の足元にまとわりついたが、男の視線がどうにも落ち着かない。俺たちと散る桜の間をふらふらとさまよい、女と目を合わさない。どうにもだらしないやつだ。


 ぽろっぽー。


 閑話休題。俺は今年も女にふられた。鳩の間では、毎年のようにつがいが変わるということはなく、夫婦となった鳩はどちらかがあの世に行くまで仲が続く。そして、俺のように彼女を作れなかった野郎は伴侶を得るチャンスがどんどん減るんだ。そらそうだろ。どんな女だって、ぴちぴちの若い男の方が魅力的に見えるからな。


 俺が見上げている男も女もなにやら恋を失ったか、失ったままのようだが、あんたらは死ぬまで伴侶探しをするし、できるだろ。俺たちはその前に生存競争に敗れて、最後は虚しくトンビか猫に食われるんだ。冥銭の代わりに菓子のひとかけらくらい恵んでくれたっていいのにな。けち。


 ぽろっぽー。


「まぁ、いろいろあるよな」


 男がぼそりと口にした。そうだな。確かにいろいろある。俺たちは食うだけで手いっぱいだが、それ以外のことに多くの時間を振り分けなければならないニンゲンてやつは、本当にいろいろあるんだろう。ご苦労なこった。


 ああ、俺たちには同情してくれなくてもいいよ。鳩には鳩の幸福と不幸があり、それは必ずしもニンゲンの幸不幸とは合致しないんだ。実のところ、目の前の男と女もそうかもしれん。男女の感じる幸福、望む幸福、目指す幸福がどれほど相互にシェアされるかは、時と運に左右されるのだろう。俺たちの生死が時と運に強く左右されるようにね。


 まあ、せいぜいがんばってくれ。俺は菓子にありつけなかったが、それはあんたらのせいじゃない。俺の時は来ていないし、俺に運がなかっただけだ。他を当たるさ。


 ぽろっぽー。じゃあな。俺も仕事だ。あばよ。



【 了 】

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