夏に想う

砦の姫の恋

「何か、物語でもお聞かせ頂けませんか?」



 少し困らせてやろうと思った。七王国時代に始まるタルトゥス王家の血を受け継ぐ「砦の姫」を、ただの小娘などとあなどらせぬために。



***


 

 大国アルコヴァルの政略上の駒となるのが「最後の砦」タルトゥスの習いとは言え、降って湧いたような政略結婚に、レティシアは怒りを抑えきれずにいた。


 この縁談をアルコヴァル王に持ち掛けたのは、ティシュトリア王だと聞く。表向きは、大陸の和平を担う両国の絆をより深めるためだが、その実、我がタルトゥスを手懐てなずけてアルコヴァルに攻め入る機会を狙うつもりなのだろう。

 しかし、よりにもよって「王の盾」の嫡子が結婚相手とは……エレミア王にしてみれば、第一の側近の子だからこそ故国を裏切るはずはないと踏んだのだろうが、嫡子を奪われた側近の心中は察するに余りある。臣下の者を己の欲望の犠牲にするのは、どこの君主も同じという訳か。


 レティシアを何より驚かせたのは、あの懐疑心の塊のような従兄いとこが、この縁談に大乗り気だという事実だった。

「タイース殿がお前の夫となるなら、俺に異論はない。お前のように可愛げのない娘を御するには、あれくらい生真面目な男が丁度良いのさ」

 事後承諾の形でティシュトリア軍に加わったアルスレッドが「天竜の統べる王国ラスエルクラティア」で共に戦ったのが、「王の盾」の嫡子タイースだ。貴族然とした優雅な物腰の若者が戦場で見せた勇猛さは、さすが「東の武装大国」の王都軍を率いるイスファル将軍の息子らしい、と感嘆したのだとか。


「俺と歳も近いようだし、子供扱いされないように気をつけろよ、レティ」

 いつも自分を子供扱いする従兄にひたいを指で小突かれて、レティシアは思わず顔を真っ赤にして、ぷうっと頬を膨らませた。

「言ったばかりだろう? そういう顔はタイース殿には見せるなよ。ああいう男は、たおやかで守ってやりたくなるような色めいた女を好むんだ。残念ながら、お前とは大違いだが……今からでも遅くはないぞ、レティシア。教育係の者に女らしい立ち振る舞いを一から叩き込んでもらえ」

 道端の小石も磨けば輝くものさ、と憎まれ口を叩く従兄の横っ腹に、レティシアは思い切り突きを入れてやった。

 それが、勝気な年下の従妹の性分を知り尽くしたアルスレッドの「策略」だとも気づかずに。



「くそっ……こうなったら、アルス従兄にいさまが惚れ直すくらい、良い女になってやる!」

「姫さま、先ずは言葉使いから直さねばなりませんねえ」

 レティシアの黄金色の長い髪に櫛を入れていた乳母が、鏡の前で大きなため息を漏らした。



***



 婚礼の衣装に包まれたレティシアは、アルスレッドでさえ息を呑むほどの美しさだった。

「こりゃ驚いた。小石が化けたぞ」

 いつもなら顔を真っ赤にして喰ってかかるはずの従妹が、底意地の悪そうな微笑みを浮かべたのを見て、アルスレッドの心に一抹の不安が浮かんだ。

「レティ、まさかと思うが……お前、此の期に及んで、何か良からぬことを企んではいないだろうな?」

「はて、何のことでしょう、アルス従兄さま?」

 にっこりと花嫁に相応しい笑顔を浮かべたレティシアの心の中で、タルトゥスの「砦の姫」としての矜持がふつふつと燃えていた。


 剣を振り回すしか能のないティシュトリアの男になど、好きにさせるものか。

 この砦のあるじは誰なのか、思い知らせてやる。タルトゥス王家の姫は、男達の手に運命をもてあそばれる哀れな女達とは違うのだ、と。





 タイース・ウォルカシア・ティシュトリエンの名が、ウォルカシア・タルトゥスに変わった日。


 オトゥール山脈から吹き降ろされる初夏の爽やかな風が、心地よく領主の城館を吹き抜ける夕刻。タイースとレティシアは天竜の祭壇の前にひざまずき、おごそかに婚姻の誓いを立てた。

 アルコヴァルとティシュトリア両国の賓客達を招いての祝祭のうたげが夜通し催される中、タイースは従者に連れられて迷路のように曲がりくねった薄暗い廊下を歩いていた。

 婚姻の誓いを立てた後、花嫁はつつがなく初夜を迎えるべく、花婿以外の男に姿を見せぬよう閨にこもるのがタルトゥスの習わしだと言う。


 

 「天竜の統べる王国ラスエルクラティア」での戦いを終え、ようやく普段のありふれた穏やかな日常を過ごす事が出来る……そう思っていた。

 「嘆きの森」にかくまわれていたファランとシグリドを連れてティシュトリアに戻ったタイースを待っていたのは、穏やかさから程遠いエレミア王の言葉だった。

「次の新月明けに、タルトゥスのレティシア姫とお前の婚礼を執り行う」


 玉座に腰掛けたエレミアの、悪巧みを企む時に見せる不気味な笑顔を目にした瞬間、嫌な予感はしたのだ。

 だが、婚礼の話など、今の今まで耳にした事もない。タイースは混乱する心を必死に抑えながら、王の傍らに佇むイスファルに助けを求めるような眼差しを向けた。

「婚礼……ですか? しかし、王よ、タルトゥス王家の末裔であるレティシア様と、一介の武人に過ぎぬ我がウォルカシア家とでは、あまりにも釣り合いが……」

「問題ない。既にアルコヴァル王の許しも得ている。そうだな、イスファル?」

 御意、と頷く父の姿に呆然とする若者を、エレミアは面白そうに眺めている。

「ですが、ウォルカシアの家はどうなるのです? 嫡子である私が他国に婿入りとなれば、父の後を継ぐ者が……」

「アルファドをイスファルの養子にする。『王の盾』の後継者ともなれば、あの男以外に添い遂げるつもりはないと言い張る愚かな我が娘を嫁にくれてやる事も叶う。そう言う事だから、タイースよ、俺を助けると思って、タルトゥスに行ってくれ」



 結局、押し切られるような形で、数日後にはティシュトリアを出立した。

 砦の正門でタルトゥスに到着したタイースを出迎えたのは、アルスレッドだった。

「強情で、跳ねっ返りで、可愛げのない娘だが、領主としての責任の重みに耐え切れず涙をこぼす弱さもある。あんなだが、俺の大切な従妹いもうとをよろしく頼む」

 そう言って、頭を下げたアルスレッドに驚かされた。


 気づけば婚礼の日を迎え、花嫁の顔さえ見る間もなく婚姻の儀式が行われ、こうして今、レティシアの居室の前に立っている。

「姫様、タイース様をお連れしました」

 お通しして、と涼しげな声が告げる。

 訳も分からぬ間に花婿となったタイースを残して、御付きの者達は静かに部屋を立ち去って行った。

 タイースは大きなため息を吐くと、ゆっくりと辺りを見回した。砦の領主の居室らしい豪奢な作りの部屋だ。中央に置かれた大きな寝台に、少し恥ずかしそうに腰掛けている少女に気づいて、タイースはこうべを垂れた。

「こちらにいらして下さい、タイース様」

 少女が、か細い声で告げた。


 この春、十六になったばかりだというレティシアは、想像していた以上に幼い顔立ちの、愛らしい少女だった。武芸をたしなむと聞いていたが、男達と共に戦場に立つティシュトリアの女戦士達とは比べものにならぬ程、小柄ではかなげだ。

 膝の上で握り締められた小さな両手が震えている。政略結婚とは言え、見ず知らずの十も年の離れた男の妻になることを余儀無くされたのだ……そう思うと、タイースは憐れみを覚えた。

 怯えさせぬようにゆっくりとそばに近づき、少女の前で静かにひざまずく。

「レティシア殿、隣に腰掛けても構いませんか?」

 ぴくり、と小さな肩が震え、かすれた声が、どうぞ、と告げた。


 驚かせてしまったか……無理もない。砦の姫君として大切に育てられた御方だ。まさか、無骨なティシュトリアの戦士に嫁がされるなどとは夢にも思っていなかっただろう。


 タイースはレティシアから少し離れて腰を下ろすと、天井を見上げたまま、どうしたものかと考えを巡らした。


「何か、物語でもお聞かせ頂けませんか?」


 突然の事に、タイースはレティシアの顔を覗き込んだ。夜明けの空を思わせる薄紫色の瞳を潤ませて、少女はもう一度、同じ言葉を繰り返した。


 初夜の床で、花婿が花嫁に物語を語る……?


「……それもまた、タルトゥスの習わしなのですか?」

 少し首を傾げて、タイースが静かに問いかけた。



 困惑した様子のティシュトリアの戦士を尻目に、レティシアは年上の侍女から教えられた『男を虜にする、少し気怠けだるそうな甘ったるい声』を出そうと躍起になっていた。ああ、まどろっこしい……そう思いながら。

「いいえ。ただ、何だか緊張してしまって。今夜から床を共にする私の夫が、こんなにも素敵な方だとは夢にも思わなかったものですから……タイース様、私、このままでは眠れそうにもありませんわ。ですから、何か、物語をお聞かせ願えないかと」

 初夜に恥じらう処女おとめを演じながら、レティシアは笑い出しそうになるのを必死にこらえた。


 ほら、困っているわ。

 当たり前よ。戦うことと女を凌辱りょうじょくすることしか頭にないティシュトリアの男に、吟遊詩人の真似事など出来っこないもの。「王の盾」の嫡子ならばティシュトリアの王族に次ぐ高位の貴族だわ。気位も相当高いはずよ。戦士の誇りを傷つけられた、と怒り出すに決まっているわ。

 ああ、眉間にしわまで寄せて……そうよ、怒鳴りつけてごらんなさい。ついでに手も上げてみる? 

 やってごらんなさい。あなたが相手にしている小娘が、この砦の主である事を思い知らせてあげる。タルトゥスにはタルトゥスの流儀がある事を……

 

「どんなお話がよろしいですか?」

 

「……え?」

 

「物語をお聞きになりたいのでしょう? レティシア殿は、どんなお話がお好きですか?」

 予想していた反応とは程遠い、穏やかな表情で話し続けるタイースに、レティシアは言葉を失った。

「タルトゥスの姫君に相応しい物語となると……」



 眉を寄せて腕を組み、真剣に考え込むタイースを、レティシアは呆れた表情でしばらく見つめていた。

 が、一向に音を上げる様子も見せず、ああでもない、こうでもないと真顔でつぶやきながら考え込む男を前に、とうとう堪忍袋の尾が切れた。

「ああ、もう……焦れったいったら……もう、止めた! 大体、こんなまどろっこしいこと、私の性に合わない!」

 レティシアは顔を真っ赤にして立ち上がり、花嫁衣装を膝までまくり上げて地団駄を踏みながら、大声を上げた。

「タイース様、もう悩まなくて結構! 初対面の、しかも初夜の臥所で、武人であるあなたに吟遊詩人の真似事でもさせれば、さぞや愉快だろうと思っただけですから! 生意気な小娘の子供じみた悪戯いたずらと思って頂いて結構! ほんの出来心で、あなたを困らせようとしただけですから!」


 そこまで言って、はあっと大きく息を呑んだレティシアが、両手を口元に当てて薄紫色の瞳を見開いた。


 ああ、しまった……つい、いつもの口調で……!

 こんなこと、アルスレッド従兄にいさまの耳に入ったら、何を言われるか……

 

「ええ、本当に困りました」

 慌てふためくレティシアに気付く素振りもなく、タイースは相変わらず腕を組んだまま、難しい顔で考え込んだまま、何やらつぶやき続ける。

「ティシュトリアに伝わる物語は戦士にまつわるものが多く、血生臭いものがほとんどで、初夜には相応しくない。となると、やはり、恋の物語が良いかと思うのですが……愛らしい貴女の前ではどの話も色褪せてしまうようで……」

「あの……タイース様? 私が言ったことは……」

 どうやら、聞こえていなかったようだ……レティシアは、ほっと胸をなでおろした。

 それも束の間、『砦の姫』としての『ささやかな抵抗』だったはずが、目の前の男がこんなにも真剣に受け止めてくれたことに驚愕すると同時に、きゅうっと心が痛みもした。

「あの……タイース様、お疲れになったでしょう? 今宵はそれくらいにして……」

「ああ、そうだ! 異国の地に伝わる女王のお話にしましょうか? あ、いや、でもあれは、女王の恋人が殺されてしまうんだったな……さすがに、それはまずい……困りましたね」


 レティシアはついに堪え切れなくなって、くはっと笑い声を漏らした。


「ああ、ごめんなさい……でも、タイース様ったら……」

 お腹を抱えて涙を流しながら大声で笑い出した「砦の姫」を前にして、タイースが驚きの表情で口をつぐんだ。

「ああ、可笑しい……アルス従兄様から聞いてはいたけれど、本当にタイース様ったら、驚く程、生真面目なのね」


 ようやく事の成り行きに気づいて、タイースが気まずそうに苦笑いして、はあっと気が抜けたように息を吐き出した。

 領主の居室に、初夜には似合わぬ花嫁の笑い声だけが響き渡った。



***



「タイース様にとっては迷惑な話しだったのでしょう?」

 笑い疲れて寝台に倒れ込んだレティシアが、少し悲しそうな微笑みを浮かべた。その様子を目にして、タイースは少し気遣わし気な表情を浮かべ、真っ直ぐ少女の顔を覗き込んだ。

 澄んだ緑色の瞳で見つめられて、レティシアは胸の鼓動が高まるのを感じた。

「こんなにも真面目でお優しいタイース様だもの……『王の盾』の嫡子なら尚の事、ティシュトリアの女達が放っては置かなかったでしょう? 私みたいな子供の相手など……」

 寝転んだまま、少しねたように唇を尖らせてつぶやくレティシアの様子があまりにも可愛らしくて、タイースは静かに立ち上がると、驚きを隠せぬ顔をした少女のすぐ隣に腰かけて、ゆっくりと手を伸ばし、赤く染まった頰にそっと触れた。

「レティシア殿こそ、こんなに愛らしくていらっしゃるのに……私のように無粋な男の花嫁になるには惜しいお方だ」

 穏やかに微笑む夫の甘やかな言葉に、レティシアは身体中が熱くなるのを感じた。

 

 ああ、落ち着かなくちゃ……騙されては駄目だ、レティシア! 

 戦士とは言え、貴族の息子だもの。女を口説くなんてお手の物に決まっているじゃないか! 


 でも……


 タイース様の手、大きくて温かくて……とても優しい。

 耳に心地よい言葉も、嘘をついているようには聴こえないし……

 

 ……え? ええっ? 

 ああ、嫌だ、私ったら……まさか、これって……?


 

「あの……タイース様」

 レティシアは自分の声が震えている事に少し驚きながら身を起こした。

 タイースに子供だと思われたくなくて、火照った顔を見られないようにうつむくと、高鳴る胸の鼓動を聞かれないようにと心に願いながら、出来るだけ冷静さを取り繕った。

「お話し、して下さいな」 

 頰を優しく撫でる大きな手の上に、小さな手をそっと重ねる。

「とても甘い恋のお話が良いな。それから……あなたの事を、もっと知りたい」


 幼すぎる妻が頬を染めてつぶやいた愛らしい我儘わがままに、タイースは優しく微笑んだ。



 初夏に芽生えた淡い想いは、真夏の日差しを浴びて燃え上がり、砦の姫の恋が実りを迎えるのは、タルトゥスの地に優しい秋風が吹き始めた頃の事。

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