語り部パルヴィーズ

 アルコヴァルの辺境を守る城塞都市タルトゥスの領主が代々受け継いできた家訓の中に、不思議な一節がある。


『もう一つの指輪を携え、黄金の髪と蒼空の瞳を持つパルヴィーズという名のまれびとは、いかなる時でも誠意を持って招き入れよ』


 タルトゥスの基礎を築いた二代目の王ラヴァルが書き残したものとされているが、その真意は、領主から次の代へと直々に受け継がれるのがならいであるという。



 ラヴァル王の時代より、タルトゥスはアルコヴァルにゆっくりと静かに併合されていった。アルコヴァル王の信頼厚く、一定の自治権を託された辺境都市は、武芸と学術を重んじ、勇猛な戦士と軍馬デストリアを生み出し、ティシュトリアの攻撃から王国を守る厳しい自然に囲まれた堅固な城塞として今日こんにちに至っている。



***



 金の髪の雇い主が語り終わると、片膝を立てて床に座り込み、身動きもせずに耳を傾けていたシグリドが静かに口を開いた。

「弟の元には戻ったのか?」

「……もちろん、戻りましたよ」

 いつものように微笑んでみせたパルヴィーズの、哀しくも美しい笑顔が痛々しい、とシグリドは思った。

「死の床に横たわる年老いた弟を見て、自分が本当に『呪われた子』なのだと気づきました……私の腕の中で無邪気に笑っていた赤子が、私を残して先に逝ってしまうのですから」


 弟だけではない。時の流れにさえ取り残されたまま、同じ姿で何百年も生き続けるのだとしたら……シグリドは、果てなく続く苦悩に満ちたうつろな日々を思って、思わず身震いした。

 シグリドが知る「語り部のパルヴィーズ」は、どこか世間離れした雰囲気と、どうにも掴みどころのない、それでいて、誰もを惹きつけてやまない不思議な魅力を持つ、笑顔の美しい貴人だ。

 だが、今、目の前にいるのは、愛する家族を失った悲しみを心に秘めたまま、人知れず故国を守り続けて来た孤高の戦士だった。




 いつまでも若く美しくあり続ける姿は、死すべき人の子からすれば「魔の系譜」と見られて当然だろう。

 己の身体が普通ではない事に気づいていた若きパルヴィーズは、父王の臣下の者達が騒ぎ出す前に、人々の前から姿を消そうと心に決めていた。その前に、何としてでも弟の王位継承を確固たるものにしておく必要があった。

 激昂した父王が振り上げた剣の前に身を投げ出した時、これで弟の即位を阻む己の存在を消してしまえると思った。恐怖など微塵も感じなかった。戦士のやいばで妖魔の魂が宿る身体を滅ぼせない事は、アプサリスから聞いていたから。


 血飛沫を上げて床に倒れこんだ瞬間、聖魔アプサリスの手によって「狭間はざま」に引き込まれたパルヴィーズは、取り乱す父王の前に自分にそっくりな「何か」が血塗れで横たわる姿を見つめていた。

『オトゥール山に年老いた青狼ヴォールが住んでいたのを思い出してな。我に魂を捧げる代わりに妖獣の身体を与えてやろうと言ったら、喜んでお前の身代わりを買って出たわ。そこに転がっているのは老狼の抜け殻よ』 

 左の肩口から斜め下に冷たい刃でばっさりと切り裂かれ、流れ出る血を止めようと両手で胸を押さえていたパルヴィーズは、見る間にふさがっていく傷口に驚いたまま声も出せずにいた。

 夢魔の女王は美しい顔を歪めて面白そうに、くくっとわらった。

『お前の願い通り、この城塞都市を我の結界ですっぽりと覆ってやるついでに、ちょっとした幻覚も仕掛けてやったぞ』

 アプサリスは細くしなやかな腕をパルヴィーズの身体に巻きつけて妖しく微笑むと、傷口があったはずの左胸に顔を埋め、こびりついた血糊を柔らかな舌でねっとりとめあげた。

『見よ、パルヴィーズ。お前をさげすんでいた臣下どもが、年老いた狼の亡骸に膝まづいて涙しておるぞ。人の子の目にはあれがお前に見えるのだよ。何とも愚かで愉快ではないか』

 

 狼の亡骸は、「謀反を企てた妾腹の子」として王家の墓に埋葬されることもなく、密かに浄化の炎に焼かれて灰となった。

 兄の死を受け入れられないまま嘆き続けたラヴァルが王に即位すると、「年老いた狂王をいさめようとして殺された」憐れな兄の名誉を回復し、母ラウィネが眠る墓所の隣に墓碑を建て、パルヴィーズが遺した長剣を亡骸の代わりに納めた。



「あんな形で姿を消した私を、弟はずっと待っていてくれました。そればかりか、自分の死後も、私がタルトゥスに戻れるよう手筈まで整えて……優しいラヴァルの想いを無駄にせぬよう、折を見てはタルトゥスに戻って、その行く末を見守ろうと誓ったのですよ」

 パルヴィーズがふと見上げた空間が揺らぎ、銀灰色の鴉が羽ばたき出て、差し伸べられた腕にそっと舞い降りた。

「そうそう、この気まぐれな銀色の姫君が編み上げた結界がほどけていないか、この眼で確かめるためでもあります。ねえ、サリス」

 鴉は腕伝いに肩に飛び乗ると、金色の髪の中に身体を埋めた。パルヴィーズが愛しそうに撫でるのを少し迷惑そうな顔をしながらも、されるがまま身を委ねている。

『案ずるなと言っておろうが。我が結界を叩き斬るのは、そこに居る火竜の子くらいのものよ。お前は昔から必要以上に心配が過ぎる。年寄りくさくて嫌になるわ』

「実際のところ、年寄りですからね」


 くすくすっ、と面白そうに声をあげて笑うパルヴィーズを見て、シグリドは少しだけ微笑むと、ゆっくりと立ち上がった。

「ファランが探しに来る前に皆の元に戻った方がいい。余計な詮索をされずに済むからな」

 他人の感情に共感することが出来るあの娘なら、今のパルヴィーズの心の内を敏感に感じ取ってしまうだろう。死者のために祈りを捧げ、聖獣の傷を癒し、狂気にさいなまれた精霊の心を取り戻させた治癒師の娘は、「呪われた子」にも癒しの手を差し伸べようとするに違いない。だが、深すぎる心の傷を癒すことが出来ないと分かれば、ファランが苦しむことになる……シグリドは赤い巻毛の小さな治癒師を思って、顔を少し曇らせた。

「大丈夫ですよ、シグリド。私の心は何の癒しも必要としてはいません」

 左眼に獣の瞳孔を持つパルヴィーズにとって、無愛想な若者の心の内を読み取るなど、容易たやすいことだった。

「両親と弟に心から愛され、戻るべき故郷もある。愛すべき姫君も傍にいる。そして今は、共に旅するあなた方二人がいる……私はあなたが思うほど、孤独ではなかったのですよ」

 金色の髪の貴人は鮮やかに微笑むと、もう一度、肖像画に手を触れた。


「また参ります、母上。ラヴァル、いつもお前のことを想っているよ」



***



 パルヴィーズを迎えに行ったまま戻って来ないシグリドを心配して、ファランは廊下の途中まで二人を探しに来ていた。

 シグリドを見つけて赤い巻毛を揺らしながら嬉しそうに駆け寄ってきた娘が、はた、と立ち止まってパルヴィーズを見つめると、その青灰色の瞳を大きく見開いて、はあっと大きく息を呑み、両手で口元を覆った。


 シグリドは立ち尽くす治癒師の娘の腰を引き寄せて、腕の中に抱きしめた。

「大丈夫だ、ファラン。パルヴィーズにはアプサリスがいる」

 ファランの頬を涙が伝うのを感じた。いつもそうだ。この娘は人の痛みや悲しみを自分のもののように感じては涙を流す。

「ファラン、驚かせてしまったかもしれませんが、私があなたの知っている『語り部のパルヴィーズ』であることに変わりはありませんよ。これからも、ずっと」

 シグリドの胸に顔を埋めたまま動こうとしない娘を見て「困りましたね」と苦笑いすると、パルヴィーズはそっとファランの巻毛を撫でてやった。遠い昔、なかなか泣き止まない小さな弟にそうしてやったように。


「さて、泣き虫な治癒師さん、このまま廊下で動かずにいると三人とも凍えてしまいますよ。今の季節、タルトゥスの夜の寒さは骨身に沁みるほど厳しいですからね。暖かい広間で身体の温まるお茶などれてはもらえませんか?」 

 まるで幼い頃にファランが大好きだった昔話の王子様が囚われの姫を救い出すかのように、パルヴィーズは渋り顔のシグリドから小さな娘を奪い取って優しく抱き上げると、タルトゥスの年若い領主とその従兄が待つ広間へと続く廊下をゆっくりと歩き出した。

軍馬デストリアを手に入れたら、また皆で旅を始めましょうね、ファラン」

 ファランは顔を真っ赤にしてパルヴィーズの温かい腕に抱かれたまま、さらりと頬をくすぐる金色の髪におずおずと手を伸ばして、するりと指に巻きつけた。

「とってもきれい……」

 

 まるで、きらきらと輝く陽の光を散りばめたよう。


 まだ幼かった頃、同じように逞しい腕に抱かれながら、月の光に似た銀色の髪を指に絡めた事をふと思い出した。


 ……あの人は今頃どうしているのかしら。


 フュステンディルの祭の夜以来、ロスタルはファランの前から姿を消した。「狭間」で出会って以来、こんなにも長い間、全く姿を見せない事など一度もなかったというのに。

『お前だけを愛しみ、守り、お前の命果てるまで共に居ると誓おう。ずっと離れぬと……俺のそばに居ると誓え』 

 あの時、ロスタルの心の叫びにも似た言葉に答える事が出来なかった。


 もし、シグリドに再び巡り会っていなければ、私はロスタルと一緒に居る事を選んだのかしら? 

 聖魔さまの眷属であるあの人と人の子である私が共に居て、二人とも幸せになれるのかしら?


「パルヴィーズ様は寂しくなかったのですか? 愛する人達が自分を置いて『果ての世界』に旅立ってしまったのに、たった一人で長い時間を生き続けるのは虚しいと感じた事はなかったのですか? 全てを終わらせたいと願った事はなかったのですか?」

 パルヴィーズは一瞬立ち止まると、小さな娘の顔を優しく見つめた。その眼差しには少しの迷いもなかった。

「あなた達二人に巡り会えて、共に旅する喜びを知る事が出来たのですよ。こんなに幸せな事はありません」



 二人の後ろを歩いていた火竜の傭兵が、驚いたように顔を上げると、参ったな、と小さな声でつぶやいた。

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