アンパヴァールの城館

 西の小国ヴァリスの最果てにある城塞都市アンパヴァールは、かつては名も無い小さな砦だった。



 大陸の覇権を巡って、七人の王が熾烈しれつな争いを繰り広げたと伝えられる七王国時代。

 レンオアムダールの動向を探り「火竜」を監視する、という王族達の思惑によって辺境の地アンパヴァールに送り込まれた兵士や貴族達は、いつの頃からか砦の外壁を強固にし、故国から妻子や親族を呼び寄せ、街を築き民を集め、自治権を奪い取り、現在の城塞都市の基盤を造り上げた。



***



「止まれ! 身分と名を名乗れ!」

 まだ陽も高いというのに、領主の城館へと続く門は固く閉ざされ、年若い兵士がシグリドの行く手をはばんだ。


 「火竜の谷」にほど近いアンパヴァールの城門と望楼を護衛する傭兵の中には、シグリドの顔見知りの「火竜」も多い。しかし、領主の城館ともなれば、わざわざ他所者よそものの傭兵を雇い入れずとも、代々領主に仕える貴族の子弟が常備兵として居住しているはずなのだが……

 この城は、何かがおかしい。シグリドの目の前にいるのは、実戦経験のありそうもない幼さを残す少年兵だ。年の頃はまだ十五にも満たないだろう。長槍を携えた手が小刻みに震えている。凍てつくようなシグリドの視線に圧倒され、兵士は視線を宙に漂わせながら声を荒げた。

「お……おいっ! 身分と名を名乗れと言っているのだ!」

 弱い犬ほどよく吠えると言うが、領主の城の護衛がこれでは……小さくため息を吐いて、シグリドは言われるがまま、口上を述べる。

「城の刀鍛冶師シエル・レンオアムダールの弟、シグリドだ。兄に呼ばれている。鍛冶場にいるはずだが」

「えっ? シエル殿の……弟?」

 兵士は驚いたようにシグリドの顔を覗き込んだ。

「全然……似てないな」

 余計なお世話だ、とシグリドが鋭い視線でにらみつけると、兵士は少し身震いしながらまた声高に叫んだ。

「ぶ……武具の携帯は禁じられているっ! 調べるので外衣を取れ!」

 シグリドは兵士を見つめたまま、腰帯に挿していた短剣を取り出し、外衣を脱いで足元に滑り落とした。左腕に刻まれた異形の竜があらわになった途端、兵士は真っ青な顔で「ひっ……火竜!」と叫んで後退あとずさりした。


「おい、そのくらいにしておけ。そいつを無駄に足止めすると、痛い目にあうぞ」

 兵士の背後から野太い声が響いた。

「大隊長殿!」

 安堵したような声を上げて兵士が振り返る。その視線の先に現れたのは、シグリドより頭一つ分ほど上背の高い大男だった。

 金の髪を短く刈り込み、浅黒く日焼けした肌に無数の古傷が残っている。一見すると粗野な傭兵のようだが、その自信に満ちたたたずまいが高貴な血筋を思わせる。 

「久しぶりだな、シグリド。また剣を駄目にしたんだってなあ。朝っぱらからシエルがぼやいていたぞ」

 笑いながらシグリドの頭に、ぽんと手を置いて、ぐしゃぐしゃと黒髪を撫でまくった。

「……いい加減にしろ、アスラン。兵が見ている」

 子供扱いするな、と言わんばかりにアスランを睨みつけたシグリドが、大きな手を振り払う。そんな事はお構い無しに、まるで我が子を見つめる父親のように嬉しそうに目を細めると、アスランは年若い「火竜」を見つめながら笑い声を上げた。

「お前、また背が伸びたか? これではすぐに俺を追い越しそうだなぁ」


 

 大陸の東の武装大国ティシュトリアの軍人だったアスランが、どのような経緯で西の果てのアンパヴァールに辿り着き、領主の居城を守る兵士となったのかを知る者は少ない。過去を多く語らぬ軍人崩れの流れ者をいぶかり、妻子を殺し故郷を追放されてこの地に流れ着いたのだ、などとまことしやかに噂された事もある。

 「火竜」の傭兵相手に互角に戦うアスランの腕前に惚れ込んだ前任の大隊長が自らの配下に置き、やがて、飾らない性格と性来の面倒見の良さで部下達に慕われるようになると、根拠のない噂もいつの間にか立ち消えた。



「積もる話もあることだし、鍛冶場までは俺が案内しよう」

 そう言うと、アスランは先程の兵士に何事か早口で告げた。兵士は憧れの眼差しを向けたまま、真剣な顔で年上の男の指示に聞き入っている。最後に大きくうなずいて敬礼すると、少し緊張した面持ちで、すうっ、と息を吸った。

「伝令!」

 少年兵が声を上げると、目の前に突然、小さな赤茶色のクズリに似た妖獣が現れた。小さな翼をゆっくりと羽ばたかせながら宙に浮き、「魔の系譜」特有の縦長の瞳孔が浮かんだ金色の眼をくるくると動かしながら。

「伝達! 刀鍛冶師のシエル・レンオアムダール殿に弟御がお見えだと伝えよ!」

 兵士の声に、妖獣はちょっと首をかしげたかと思うと、ぐにゃりとゆがんだ空間に吸い込まれるように消えた。



「この城では、いつから兵士ごときが術師まがいに使い魔を呼ぶようになったんだ?」

 門をくぐり抜けた先にある兵舎を勝手知ったる様子で足早に歩きながら、シグリドは無愛想にアスランに問いかけた。傭兵の例に漏れず、シグリドも術師に良い感情を持ってはいない。

 「谷」の術師は優れた叡智と伝承を伝え、 治癒を施し、結界を紡いで民の安住の地を守る最も尊敬される存在だ。だが「谷」を一歩出れば、外界には幻術で人を惑わす怪しげな術師が多く存在する。彼らが自然本来の力を利用する点は良しとしても、命あるもの、それが例え妖獣であっても、かけがえのない命を私利私欲の為だけに利用し不要になれば打ち捨てる……それがシグリドには納得いかなかった。


「あれはザラシュトラの使い魔だ」

 周りに誰もいない事を確かめながら、アスランが苦い顔で告げる。領主お抱えの術師の名を敬称もつけずに呼び捨てにするところは、生粋の軍人としての誇りの表れだろう。

「ここ最近、脱走兵がやけに多くてな。新兵の補充が間に合わんのさ。信頼の置ける熟練の者が残っているのがせめてもの救いだが……で、とうとう城の警護にも支障が出始めたんで、領主殿に掛け合った結果、使えるものは使い魔でも使え、と言う訳だ」

「道理で兵舎が閑散としていたわけだ」

「まあ、伝令としては優秀だし、若い兵士達の中には名前をつけて可愛がっている奴までいる……俺には理解し難いがな」

 そう言いながら、アスランは肩をすくめた。人外のものを部下と同等に扱う事に抵抗があるのだろう。

「使い魔は契約したあるじだけに従うのだろう? 契約者でもない者がなぜ使い魔を従えることが出来るんだ?」

 それはこちらが聞きたい、と言わんばかりにアスランは片方の眉を吊り上げ、また肩をすくめた。


 城内の居住区を鍛冶場に向かって歩いている途中で幾人かの貴族達とすれ違った。 シグリドは彼らが連れている従者の中に、異質なものの存在を感じ取った。床まで届く長いローブを身にまとい、深々と被った頭巾の下の顔も目の部分以外は全て覆われている。そこに妖しく光る縦長の獣の瞳を、火竜の傭兵は見逃さなかった。


 ……何かがおかしい。

 城内に一歩足を踏み入れた時から感じていた気配に、アスランは気づいているのだろうか? 


 隣を歩く男の顔が以前より険しさを増しているのを感じながら、シグリドは鍛冶場と続く庭園に足を踏み入れた。

 城の薬草園も兼ねた庭園には、色とりどりの花に囲まれて様々な趣向を凝らした噴水や石像が置かれている。甘い花の芳香と薬草の清々しい香りが辺りを漂い、湧き出る水の音と風に揺れる木々のざわめきが心地よい。

 ここだけは空気の流れに違和感がない、清浄だ……そう、シグリドの本能が告げる。

 時折、その先にある鍛冶場から、金属を叩く槌音つちおとと何かが燃えるような匂いが湿った温かい風に乗って運ばれてくる。いつまた戦場に赴くかもしれないシグリドのために、シエルが新しい「火群フラムベルク」を鍛えているのだろう。早朝から鍛冶場に行くと言って出掛けたきりだった。


 突然、シグリドの目の前の空間がぐらりと揺れて、先程の妖獣が現れた。

「伝達。火竜のシグリド・レンオアムダールへ。庭園でしばらく待っていてくれ。切りの良いところでそちらに向かうよ」

 翼を持つ金色の眼の獣がシリルそっくりの声でそう告げるのを聞いて、シグリドは身震いした。


 何かがおかしい。

 城内に漂う死の気配を感じて、血臭と死の恐怖に満ちた戦場を生き延びてきた傭兵の本能が、ここから逃げろ、とシグリドにささやいた。

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