Act.2
しばらくして、私は街中を外れて小さな住宅街へと入っていた。
街中へはよく来ていても、ここを訪れるのは初めてだったので、まるで異世界にでも迷い込んだような不思議な感覚だった。
――どこ行ったんだろ……?
キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いていると、目の前に公園が見えた。
といっても、中にある遊具は、錆び付いたブランコと鉄棒、小さな砂場のみの、小ぢんまりした場所だった。
私はその公園の前で、はたと足を止めた。
砂場の中に、小さな女の子がひとりいた。
年は多分、五、六歳ぐらいだろうか。
肩にかかる程度の癖のない黒髪を持ったその子は、手が汚れるのも気にしないで黙々と砂を弄っている。
私は公園の中へ足を踏み入れた。
何となく、その女の子が気になってしまったのだ。
「こんにちは」
女の子の前にしゃがんで、私はニッコリと挨拶した。
女の子は私の存在に気付き、こっちを一瞥したけれど、興味がない、と言わんばかりに砂弄りを再開した。
あまりの素っ気なさに、私も複雑な心境だった。
それなのに、何故か、ここから離れようという気持ちは起きない。
「ねえ、何してんの?」
私が訊ねると、女の子はつまらなそうに、「すなであそんでる」とだけ答えた。
――取り付く島がないな、こりゃ……
私は肩を竦め、しばらく女の子の行動を観察した。
女の子は砂で何かを作ろうという気は全くないらしい。
ただ無心に、砂山を作っては崩しを繰り返し、時おり、その辺に落ちていたであろう棒切れで砂を掻いている。
「それ、楽しいの?」
沈黙に堪えられなくなった私は、再び女の子に話しかけた。
「別に」
女の子の返答は、やっぱり素っ気なかった。
同時に、間抜け過ぎる質問をしてしまった自分が滑稽に思えた。
――この子も呆れてんだろうなあ……
そう思っていたら、今度は女の子が、「ねえ」と私に向かって呼びかけてきた。
「おねえちゃん、どこからきたの?」
曇りのない、真っ直ぐな瞳を向けながら訊ねてきた。
私も思わず口元に笑みが零れる。
「私? 私はK市から来たんだよ」
「けえし……? そこってとおいの?」
「うーん……。そうだね、ここまで来るには電車を使わないといけないから、やっぱり遠いかな?」
「ふうん……。デンシャにのらないとダメなんなら、とおいんだね」
女の子は、私の言ったことをほとんどそのまま返してきた。
これが同級生であればイライラするところだが、小さな子が相手となると、ただ単純に可愛らしいと思う。
「あなたはこの辺に住んでるの?」
今度は逆に私から訊いた。
女の子は小首を傾げた仕草をしながら、「そうだよ」と答える。
「お友達は? 一緒に遊ばないの?」
「そんなのいないよ」
憮然として、女の子は私を睨んだ。
「ようちえんにいっても、あたしはいつもナカマハズレだもん。みんな、あたしのことがキライなんだって。どうしてかわかんないけどさ……」
女の子は淡々と語っているようだが、その言葉のひとつひとつに彼女の深い哀しみを感じ取った。
「ひとりで淋しくない?」
どうしても気になってしまって、また質問した。
すると、今度は苛立ちを露わにして、「うるさい」と言われてしまった。
「おねえちゃん、いったいなんなのっ? いきなりあたしにはなしかけてきたとおもったら、あれは、これは、といっぱいきいてきて!
あたしはべつに、さみしくなんかないよ! それに、パパもママもいつもおしごとでいないから、ひとりなんてへっちゃらだもん! あたしは、ようちえんのこたちとはちがうの!」
そこまで言いきると、女の子は、今度こそ何も話すまい、という姿勢を頑として見せた。
私から視線を逸らし、先ほどのように砂弄りに没頭し始める。
女の子が相当強がっているのは私もよく分かった。
それに、この子を見ていると、胸を締め付けられるような苦しさを覚える。
この子を放っておけないと思った。
私は嫌がられるのを覚悟の上で、女の子の頭をそっと撫でた。
その時、砂を触っていたその子の手がピタリと止まった。
私は何事かと思い、女の子に手を載せたままその子を凝視する。
すると、女の子は突如、肩をプルプルと震わせた。
――何笑ってんの……?
そう思ったけど、すぐに笑っていたのではないのだと理解した。
砂に目を落とすと、黒い染みがあちこちに広がっていた。
「――泣いてるの……?」
女の子の顔を覗き込もうとすると、女の子は即座に顔を背けてしまった。
「な、ないてなんかないもんっ!」
女の子はそう言いながら手の甲で目をこすろうとしたので、急いで「待って!」と制止した。
「手、汚いでしょ? ちょっと待ってな」
私はバッグからハンカチを探り出すと、強引に女の子の顔を自分に向かせた。
思った通り、女の子は泣いていた。
「そのままじっとして」
女の子は口を尖らせながらも、抵抗はもはや無駄だと観念したらしく、素直に私に従った。
私は女の子の頬に流れた涙を、出来る限りハンカチで優しく拭う。
本当はこんなことは全く慣れていないから、もうひとりの自分は、子供相手になにやってんの、と問い質していた。
◆◇◆◇
「よし! いいでしょ!」
一通り拭き終えてから、私は女の子の顔からハンカチを離した。
「――どうして……?」
女の子は怪訝そうに私を見上げた。
「どうしておねえちゃん、あたしにそんなにやさしくするの? みんな、あたしのこと、『わるいこだ』ってゆうんだよ? ねえ、どうしてなの?」
女の子は汚れた手で、私のコートを強く掴んでくる。
不愉快だという気持ちは湧かなかった。
それよりも、女の子が疑問に思ったように、どうして自分がこんなにこの子が気になるのかが不思議だった。
私はしばし口を閉ざしたまま、女の子を見つめた。
それまで意識していなかったのだけど、この子は誰かに似ている。
けれど、それが誰かが分からない。
「ねえ、ひとつ訊いていい?」
ほとんど無意識に口を開いていた。
女の子は「なあに?」と首を傾げる。
「――あなたのお名前、教えてくれる?」
私の質問に、女の子は目をパチクリさせる。
そして、少しの間を置いて、「いいよ」と頷いた。
「あたしのなまえはね……」
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