Act.2
「紫織ー!」
頼りない外灯の下を小走りで通り過ぎながら、俺は大声で紫織の名前を呼び続けた。
辺りはとっくに暗くなっている。
人によっては迷惑だと気分を害してしまうかもしれないが、今はそんなことをいちいち気にしている場合じゃない。
事は一刻を争う。
無事だと信じたいけれど、万が一、ということも考えられる。
――早く見付け出さないと……!
俺は小走りで、ありとあらゆる場所を探し回る。
公園、紫織の通っている幼稚園、大好きな店の前――
ところが、どんなに探してみても、紫織らしき姿は見当たらない。
こんな時間帯に、幼い子供がその辺をウロウロしていれば、結構目立つはずなのに。
――どこにいるんだ……?
真冬の夜の冷気は、俺の体力を少しずつ奪ってゆく。
寒さに堪えられるだけの自信はあるつもりでも、さすがに長時間となると厳しい。
――紫織はどうなんだ?
ふと、寒さと暗がりに怯えて泣いている紫織の姿が目に浮かんだ。
ひとりっ子で、俺を本当の兄のように慕って甘えてくる紫織。
可愛いと思う半面、正直な気持ち、煩わしさを感じることもあった。
朋也という本当の弟ですら、時々、相手が面倒臭いと思っていたほどだった。
――あいつらさえいなければ、俺はもっと自由だったはずだ……
そんなことを考えたら、躍起になって探すのに嫌気が差してきた。
もう、どうでもいい。
もしかしたら、今頃きっと、父親か小父さん辺りが見付けたかもしれない。
俺はその場にしゃがみ込んだ。
何度も息を切らし、その姿勢のままで夜空を見上げる。
重苦しい雲が空を占領している。
月も星も全く見えない。
見ているだけで、自分の気持ちもどんどんと沈んでくる。
探したくなんかない。
けれど、親父達が見付けていなければ、紫織は心細さと寒さのあまり、どこかで泣きじゃくっているだろう。
――もう少し探すか……
俺は再び立ち上がった。
そして、改めて、落ち着いて紫織が好んで行きそうな場所を考えた。
と、その時だった。
『あのね、あたし、とってもすごいところをみつけたんだよ!』
つい数日前、紫織が言っていた台詞が頭に浮かんできた。
俺は記憶の糸をたぐり寄せる。
『ほら! ここ、まるでひみつきちみたいでしょ?
ほんとはだれにもいわないつもりだったけど、コウキくんにだけはおしえたかったの。あ、トモヤにもぜったいにいっちゃダメだよ!』
「そうか!」
俺の心の中に光が差し始めた。
――間違いない! 絶対あそこに紫織がいる!
俺は全速力で走った。
紫織がいるように、と強く願いながら――
◆◇◆◇
着いた場所は、大きな土管が無造作に置かれている空き地だった。
まるで、小さなトンネルのようになっているそれには、小さな子供であれば余裕で入ることが出来る。
「紫織ー!」
俺は大声で呼びながら、空き地の中へと足を踏み入れ、土管の中をひとつひとつ確認する。
その時、どこからともなく、幼子のすすり泣くような声が聴こえてきた。
――まさか……!
俺は耳を澄ましながら、泣き声のした方へと近付く。
声は少しずつ大きくなっていった。
「紫織!」
俺は、一番声が響いてきた土管の中に向かって呼んだ。
すると、それに呼応するように、這うような姿勢で小さな身体がこちらへと向かって来た。
それは、紛れもなく紫織だった。
「コウキくん!」
土管から出た紫織は、真っ先に俺に抱き着いてきた。
一瞬だけ触れた手は氷のように冷えきっていて、どれほど寒さに凍え続けていたかが伝わってきた。
「ったく、みんな心配してたんだぞ?」
「えっ……うっ……ごめん……なさ……いっ……」
泣きじゃくりながらも、必死で謝罪する紫織。
そんな姿を見ていたら、怒る気持ちも湧かなくなった。
◆◇◆◇
寒さの限界を超えていた紫織は、歩く体力がすっかりなくなっていたため、帰りは俺がおぶった。
紫織は、落ちないようにと一生懸命しがみ付き、俺もまた、何度も小さな少女を背負い直す。
「コウキくん」
背中越しに、紫織が声をかけてきた。
「ん? どうした?」
「ねえ……、ずっと、あたしといっしょにいてくれる?」
紫織の言葉に、俺は答えに窮した。
ずっと一緒に――
その願い、聞き入れてあげられるだけの自信はなかった。
けれど、無下に否定することも出来ず、「ああ」と頷いていた。
「一緒にいてやるよ」
やっとの思いで口にした。
「ほんと? ずっといっしょだよ?」
「――ああ、ずっとだ」
「よか……った……」
紫織の声が、ゆっくりと掻き消されていった。
そして、その後を追うように、今度は、スウスウと寝息が聴こえてくる。
俺の方便に、紫織はすっかり安心したらしい。
「約束、か……」
俺はひとりごち、空を仰いだ。
すると、夜空から白いものがはらはらと舞い降りてきた。
「――雪だ」
今年に入って、初めての雪だった。
生まれたてのそれは、地上に落ちると、あっという間に消えてなくなってしまう。
だが、そんな儚い雪も、降り続ければ辺りを銀色の世界へと染め上げてゆくだろう。
「明日が楽しみだな、紫織」
眠っている紫織に言ってみる。
当然、紫織からは答えが返ってこない。
その代わり、何か夢でも見ているのか、何やらごにょごにょと寝言を呟いている。
「呑気な奴……」
俺は苦笑すると、紫織を背負い直した。
日に日に成長しているのか、以前におぶった時よりも重みを感じる。
「女の子に『重い』ってのは禁句だよな」
誰にともなく言うと、雪の降りしきる中、俺はみんなが待っている家へと向かった。
[Modest promise-End]
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