Act.2

 しばらく車に揺られているうちに、紫織に睡魔が襲ってきた。

 気力で持ち堪えられるだろうと思ったが、やはり、無理があったらしい。


(これじゃ、前に海に行った時と同じになっちゃうよ……)


 紫織は何とか眠気を飛ばそうと、何度も瞬きを繰り返したり、さり気なく頬をつねってみたりしてみたが、全く効果がない。

 それどころか、ほど良い温かさと震動が手伝って、さらに夢の世界へ引きずり込まれそうになる。


 目の前の信号が赤に変わったので、車が停止した。

 と同時に、宏樹が紫織に視線を向けた。


「眠いのか?」


 ストレートに訊ねてきた。


 紫織はギクリとしたが、「違うよ」と首を振った。


「ちょっと疲れただけだから……。だから気にしないで」


「強がりを言ったって無駄だぞー」


 宏樹はニヤリと口元を歪めた。


「前にも言っただろ? 俺は変に我慢されるより、素直に寝てもらった方が助かる、ってね」


「――それはちゃんと憶えてるよ」


「だったらすぐに寝なさい。これは俺からの命令。着いた先でぶっ倒れられても困るだけだしな」


 そこまで言われてしまうと、紫織ももう、返す言葉が見付からない。


「――分かりました……」


 紫織は口を尖らせながら答えつつも、内心では、宏樹の好意をありがたく感じていた。


 そのうち、信号が青に変わった。


 宏樹が車をスタートさせてから、紫織は数分と経たないうちに深い眠りに堕ちた。


 ◆◇◆◇


 どれほどの時間が経過したであろうか。

 紫織はやっと、夢の世界から現実へと舞い戻った。


「お? 今日は自分から起きたな」


 宏樹はハンドルを握ったまま、紫織をチラリと一瞥した。


「この間は俺が起こすまで、ずーっと寝ていたからな。今日も、着いてからどうやって起こそうか考えいていたんだけど」


 紫織はまだ半分閉じた状態の瞼をこすり、怪訝に思いながら宏樹を見つめ返した。


「――何するつもりだったの?」


 そう訊ねると、宏樹は前を見たまま口の端を上げた。


「そうだなあ……。鼻を摘まむとか、頬を軽くつねってみるとか。――あとは……」


「――なに?」


 紫織は小首を傾げながら、話の続きを待った。

 だが、宏樹はそれ以上、何も言おうとしない。


「そろそろ着くぞ」


 まるで誤魔化すように告げる宏樹。


 紫織は大いに不満を感じていたが、どんなに訊いても答えてくれないのも充分に理解していたので、それ以上は何も追求しなかった。


 そのうち、宏樹の宣言通り、車はどこかの駐車場へと入って行った。


 その光景を目にしたとたん、紫織は、あれ? と思った。


「宏樹君、ここってもしかして……」


 紫織の言葉に、宏樹は「お察しの通り」と満足げに笑みを浮かべた。


「紫織が風邪を引く原因を作った場所だよ」


 宏樹はそう言いながら、車を駐車場の中の一番端に入れ、エンジンを停めた。


「さて、降りようか?」


 紫織の返事を聞く前に、宏樹はドアを開けて外に出てしまった。


 紫織は少しばかり躊躇した。


 宏樹の言った通り、ここは以前に風邪で寝込む原因となった海だった。

 海を見るのは嫌いではないが、以前にそんなことがあった以上、降りるのに迷いが生じてしまうのも無理はない。


(また風邪引いたら、お母さんになに言われるか……)


 紫織が一番に恐れているのはそこだった。


 そんな紫織の思いとは裏腹に、宏樹は閑散とした駐車場の中で、大きく背伸びをしている。

 長時間の運転は疲れる、と父親からも何度か聴いたことがあるから、宏樹も相当疲労が溜まっていたに違いない。


(ただ、そんな疲れる思いまでしてここまで来るってのも理解に苦しむトコだけど……)


 紫織は苦笑いしながら、いつまでも車の中にいても仕方ない、と思い直し、外に出ることにした。


 もし、また風邪を引いたりしたら、今度は宏樹君に責任を取ってもらおう、とそんな打算的な考えも頭を過ぎった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る