第八話 壊したいほどに

Act.1

 初雪が降ってから二週間が経過した。

 辺りを覆い尽くさんばかりに積もった雪は、ここ数日の間に天候に恵まれて徐々に融けつつあった。


(こういうのが一番ヤなんだよなあ……)

 シャーベット状になった雪の上を歩きながら、紫織は顔をしかめた。


 学校に行く時以外は長めのブーツを履いているが、すぐ側を車が通ると泥雪を撥ねられるから、それもあまり意味をなさない。

 酷い場合は、足元だけでなく、コートまで汚されてしまう。


 ちなみに今日は日曜日。

 普段であれば自主的に出歩くことは滅多にないのだが、涼香と逢う約束をしたので、こうして外を歩いている。


(そういえば、涼香と学校の外で逢うなんて珍しいかも)


 融けかけの雪をなるべく避けて歩きながら、紫織はふと思った。

 紫織と涼香の家は、学校から全くの逆方向にある。

 そのせいで、互いに用事があっても全て校内で済ませてしまうし、一緒に帰っても、結局は駅で別れることとなる。


(何だか変な感じ)


 いつになく、紫織は緊張していた。

 やはり、私服で逢うのは、制服の時とは気分が違う。


(涼香はどんな格好で来るんだろ?)


 普段は決して見ることの出来ない涼香の私服姿を想像しながら、紫織は口元に笑みを浮かべた。


 ◆◇◆◇


 待ち合わせ場所となっている高校の最寄り駅には、約束の十分前に到着した。


 紫織は駅の構内を見渡して涼香を探すが、それらしき姿は見当たらない。

 まだ来ていないのであろうか。


(しょうがないなあ)


 紫織は一番分かりやすい改札の前に立ち、涼香が現れるのを待つ。


 時間は刻々と過ぎてゆく。


 そのうち、電車から降りて来た人達を数人見たが、その中にも涼香はいなかった。


(あーあ、時間過ぎちゃったよ)


 腕時計に視線を落としながら、紫織は小さく溜め息を吐く。


 マイペースな涼香のことだ。

 もしかしたら、一本遅い電車に乗り込んだ可能性も充分に考えられる。


(ちょっとぐらいならいいけど、勘弁してほしいよ……)


 そんなことを思っていた時だった。


 突然、ガッツリと両肩を掴まれた。


「――……!」


 紫織は驚き、危うく大声を上げそうになってしまった。


(だ、誰……?)


 恐る恐る振り返る。

 すると、そのすぐ目の前では、いつも見慣れた顔がニヤリと笑っていた。


「――りょ、涼香……」


 正体が分かったとたん、紫織はホッと胸を撫で下ろした。


「ビックリさせないでよお……」


 脅かされた恨みを籠めて涼香を睨みながら言うと、涼香は「ごめんごめん!」と謝罪してきた。

 だが、どう見ても、心の底から申し訳ないとは絶対に思っていないのが嫌というほど伝わる。


「何はともあれ、お互い、無事にここまで来れて何より! よし! それじゃあ早速行こうか?」


 紫織の複雑な心境などお構いなしに、涼香は意気揚々と歩き出す。


 紫織は何も返す言葉が見付からなかった。


(全くもう……)


 紫織は苦笑いを浮かべながら、涼香と並んで歩いた。


 ◆◇◆◇


 街中は、どこもかしこもクリスマスムード一色となっている。

 派手に装飾が施され、定番のクリスマスソングがひっきりなしに流れる。


 そんな中を、紫織と涼香はしばらく歩き回っていたが、涼香が空腹を訴え出したので、手頃なファーストフード店へ入って昼食を摂ることにした。


「もう十二月なんだよねえ」


 空いていた席に落ち着くなり、涼香が口を開いた。


「でも、クリスマスだからって、特別なことなんてなんもしないけどさ。ちっこい頃は、毎年、サンタさんからのクリスマスプレゼントが待ち遠しかったけど、さすがにこのトシになってまではねえ。

 せいぜい、家族揃って、ちょっといいご馳走とケーキを食べるぐらいでさ」


「まあ、確かにそうだね」


 これは紫織も涼香に同意した。


 所詮、クリスマスなんてものは子供か恋人同士のためのイベント。

 〈子供〉とも呼べなくなった年頃であり、報われることのない恋をし続けている紫織には、無縁としか言いようがない。

 もちろん、それは涼香も同じだ。


「――上手くいかないね……」


 ほとんど無意識に口にしていた。

 涼香はテリヤキバーガーの包装紙を剥がそうとして、ピタリと動きを止めた。


「――大丈夫?」


 いつになく深刻な表情で涼香が訊ねてくる。


 紫織はそこで、ハッと我に返った。


「え? ああ、別に大丈夫だよ」


「ほんとに?」


「ほんとだってば! もう! そうやって勘繰るのやめてよ!」


 紫織は眉根を寄せながら、いそいそと自分のチーズバーガーを開けた。

 水滴を吸い込んだバンズは重みがあり、口に入れてみると水っぽさを感じる。

 決して不味いわけではないが、やはり、味より安さがウリなだけあるなあ、とついついよけいなことを考えてしまう。


「今さら隠しごとなんてなしだよ?」


 不意に涼香が言った。


「確かに私はこんな奴だけど、これでも、紫織の話はいつだって真剣に聴いて考えてんだからさ。――まあ、ここじゃ話しづらいかもしれないけど」


 涼香は辺りをグルリと見回すと、肩を竦めながら苦笑した。


 それに釣られるように、紫織も口元に笑みを浮かべる。


 涼香がいい加減な人間でないことは、紫織もよく分かっていた。

 他人の目に付く場所では、救いようのないキャラを演じてはいるが、それも全て自衛のためなのだ。


 本当は繊細で、誰よりも傷付くことを恐れている。

 それは、授業をサボったあの日に改めて知ることが出来た。


「――食べたら、もう少し落ち着ける場所を探そうか?」


 紫織は自然と口にしていた。


 涼香は、それがよほど嬉しかったのか、ニッコリと笑った。


「よし! それじゃ、とっとと食っちゃいますか!」


 嬉々として声を上げると、涼香はテリヤキバーガーとポテトをどんどんと胃に収めていった。


 いつもながらの食べるスピードの速さに、紫織は呆気に取られつつも、自分もすぐに片付けないとと思い直し、黙々と食べ続けた。

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