Act.4
あれから宏樹と瀬野は、三時間以上も同じ居酒屋で粘り続けた。
最初はのんびり飲んでいたのだが、次第にピッチが上がり、気が付くと、中生五杯、焼酎三杯、挙げ句の果てには熱燗を徳利三本分空けていた。
アルコールには強いと自負しているが、さすがに今日は飲み過ぎた、と宏樹は多少なりとも後悔していた。
しかも明日も仕事がある上、車は職場に置いてきてしまった。
いつもよりも早起きしなくてはならないと考えると、よけいに気分が沈む。
(仕事中に居眠りなんてしようもんなら、今日以上に課長の雷が落ちるな)
日中のことを改めて想い出して、宏樹は溜め息を吐いた。
要は、宏樹自身が気を引き締めてさえいれば問題ないことなのだが。
(それにしても、今夜も一段と冷えるな)
宏樹は家の前まで来たが、ピタリと立ち止まり、そのまま夜空を仰いだ。
空気が澄んでいるからだろう。
闇の中に、宝石の欠片を散りばめたように星が点々と瞬いている。
星に特別な想いは特にないはずだが、それでも見入ってしまう。
心のどこかでは、美しいものに癒されたいと渇望しているのか。
(ガラじゃないな、全く……)
そんなことを思いながら、微苦笑を浮かべた時だった。
「宏樹君!」
こんな遅い時間帯に、あり得ないはずの少女の声が耳に飛び込んできた。
宏樹は夜空から視線を外すと、ゆっくりと首を動かした。
「遅かったね」
少女――紫織は、水色のセーターに焦げ茶色のロングスカートだけという、非常に寒々しい格好でそこに立っていた。
宏樹は微苦笑を浮かべた。
「紫織こそどうした? 風邪、まだ完全には良くなってないんだろ? こんな時間にそんな格好で外に出ていたら、またぶり返すぞ」
そう注意すると、紫織は自らの身体を両腕で抱き締めながら「だって」と続けた。
「たまたま部屋の窓から外を見ていたら、宏樹君が帰って来たのが見えたから。けど、家にも入らないでぼんやり突っ立てるんだもん。――私、何だか気になっちゃって……」
「俺を心配してくれたの?」
「――うん」
はにかみながら頷く紫織に、宏樹は「そうか」と言って、そっと髪を撫でる。
宏樹のこの行為には特に深い意味はない。
しかし、紫織にとっては違うのは彼も分かっていた。
それでも昔からの癖になっているため、どうしてもやめることが出来ずにいる。
「そういえば」
ふと、紫織が口を開いた。
「宏樹君、憶えてる? 私が迷子になっちゃった時のこと」
「迷子……? ――ああ、あの時か」
紫織から改めて訊ねられ、宏樹も過去のことを想い出した。
あれは今から十年前、ちょうど、宏樹は今の紫織や朋也と同じ年の頃だった。
まだ六歳だった紫織は、こんな寒空の下、しかも真っ暗な中で、〈ひみつきち〉と称した大型の土管の中でひとり怯えていた。
宏樹を見たとたん、土管から泣きじゃくりながら這い出てきた紫織。
あの時の紫織の心細さは、宏樹の想像を遥かに超えるものだっただろう。
「ほんとに、あの時は見付からなかったらどうしようかと思ったよ」
当時のことを振り返りながら言うと、紫織はばつが悪そうに「ごめんなさい」と呟いた。
「で、今さらだけど、何であんな時間にそこにいたんだ?」
宏樹の質問を受けた紫織は、目をキョロキョロと忙しなく動かしていた。
だが、やがて小さな声で、「ちょっと、困らせたかったから」と答えた。
「困らせる? 誰を?」
「――お母さん。
実は……、あそこへ行く前、お母さんに凄く叱られちゃったから。もちろん、悪いことをしたから怒られたんだけど……」
宏樹は呆気に取られた。
よくよく聞くと、本当に大した理由じゃない。
紫織を叱る紫織母に、わんわんと泣き喚く紫織。
そんな母子のやり取りを想像していたら、つい笑いが込み上げてきた。
「あっはははは……! まさか、そんな可愛い理由だったとは! なるほどなあ! あの頃の紫織は、家出をしたつもりだったのか!」
豪快に笑われた紫織は、頬を真っ赤にし、口を尖らせながら俯いている。
やはり、笑い飛ばされたことが大いに不満だったようだ。
当然ながら、宏樹もそれに気付いていた。
だが、アルコールが入っているのも手伝ってか、いつもよりもテンションが上がっており、笑うのをやめることが出来ない。
しばらく、宏樹の笑い声は冬の闇夜の中に響き渡った。
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