Act.2
あれから朋也は、紫織とほとんど会話を交わすことがないまま家に着いた。
何とも言いがたい重苦しい気持ちのまま、朋也は玄関のドアを開けると、スニーカーを脱いで中へと入り、そのまま自室のある二階へ向かおうとした。
「朋也?」
階段を上りかけた時、リビングから母親が出て来た。
朋也は片足を一段目に載せたまま、首だけを動かし、わずかに顔をしかめている母親と視線を合わせた。
「あんた、帰ったんなら挨拶ぐらいしなさい」
予想通りの小言が彼女の口から飛び出した。
朋也は心の中で軽く舌打ちすると、「はいはい」と軽く受け流して再び足を動かした。
「全く! 可愛げがないったら……」
階段の下で、母親がブツクサ言っていたが、まともに聴いていたらキリがないのも嫌と言うほど分かっていた。
朋也は知らんふりを貫き通し、階段を上りきって自室へと入った。
◆◇◆◇
中に入ると、白い息が浮かび上がるほど冷えきっている。
朋也は部屋の隅に置かれた電気ストーブのスイッチを入れると、学生服を脱ぎ、寛げるスウェットに着替えた。
着替えてからは、脱ぎ捨てた学生服を手に取り、面倒臭いと思いつつハンガーに掛け、全ての作業が終わると、崩れるようにベッドに倒れた。
考え込むのはあまり好きではない。
しかし、ひとりでいると嫌でも紫織のことばかりを考えてしまう。
自分に対しては可愛げがなく、愛想の欠片も見せようとしない。
それなのに、ふとした瞬間に見せる笑顔を見ると、やはり紫織を好きなのだと自覚させられてしまう。
もちろん、笑顔は宏樹だけに向けられているものだと分かっていても、だ。
「――めんどくせえ……」
天井に向かって、朋也は呟く。
いっそのこと、紫織を嫌いになってしまえたらどんなに楽かとも思ったが、一度意識してしまった気持ちはそう簡単に切り替えられるものではない。
紫織が宏樹に切ない想いを抱いているように、朋也もまた、届かぬ紫織への想いに苦しんでいる。
恋というのは、何故こんなにも複雑で厄介なのか。
悩みばかりが増えてゆくばかりで、楽しいことなど全くない。
まるで、出口の見えない迷路の中を延々と歩き続けているようだ。
(こんなに悩んじまうなんて、ほんと、あの頃の俺には考えられねえよ……)
不意に、まだ無邪気だった幼い頃を想い出しながら、朋也は自らを嘲り笑った。
◆◇◆◇
「……や。……もや……」
夢と現実の境目で、誰かが呼んでいるような気がした。
「……ん……」
朋也は小さく呻くと、重くなっている瞼をこじ開けた。
いつの間にか眠っていたらしい。
陽はすっかり暮れ、点けっ放しにしていた電気ストーブの明かりが暗闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
朋也はゆっくりと身を起こして、ベッドの上で胡座を掻いた。
すると、今度ははっきりと、「朋也!」と苛立ちの籠った声が耳に飛び込んできた。
「んだよー!」
その場から一歩も動かず、朋也は面倒臭そうに怒鳴り返した。
ドアの向こう側からは、階段を昇ってくる荒々しい足音が聴こえてくる。
「『んだよ』じゃないの! こっちは何度もあんたを呼んでたのに!」
部屋のドアを開けたのと同時に、母親が朋也を嗜めると、辺りをグルリと見回して大きな溜め息を吐いた。
「あんた、真っ暗にして何ぼんやりしてんの……?」
「別に好きで暗くしてたんじゃねえよ。寝てたら暗くなってただけで」
「呆れた! ほんとにあんたは暇さえあればよく寝るわねえ……。だから図体だけがやたらとデカくなったのかしら?」
「うるせえ! それより何なんだよ? 用がないならとっとと出てけ!」
「何なのその言い方は……!」
母親は朋也を一瞥すると、再び溜め息を漏らした。
「ご飯が出来たから呼びに来たのよ。――食べたければ降りてらっしゃい」
これ以上は相手しきれない、とでも言いたげに母親は黙って部屋を出て行った。
残された朋也は、ストーブの明かりをしばらく見つめていた。
とりあえず、母親のお陰で頭も完全に覚めた。
同時に、〈ご飯〉という台詞を耳にしたとたん、急に空腹を感じ始めた。
「飯、食うか……」
朋也はひとりごちると、ベッドから降りてストーブのスイッチを切り、静かに部屋を出た。
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