第31話 修学旅行・午前 <表舞台>

「みんなー、遅いよ……」

 集合時間に遅れてやってきた吉野泰介達を非難するのは、駅の隅にぽつんと立った狭山敬さやまけいだ。泰介達を見るなり、その顔つきがほっとしたものに変わる。

「ごめんね、敬! だいぶ待たせてるよね!」

 よく通る声がすかんと響く。秋沢さくらが軽やかに駆けて、待ちぼうけの敬の元へ急いだ。泰介はさくらに続こうとして、佐伯葵が遅れを取っているのに気付く。幼馴染の非力がここに極まっているように思え、振り返りながらさすがに呆れた。泰介が荷物を肩代わりしても苦行は変わらないらしい。旅行から帰ったら筋トレでもすべきだと思うが、どうせ続かないのは分かっていた。

「葵ちゃん、無理しないで」

 敬が手を口に当てて葵に叫ぶのが聞こえてくる。泰介は学ランの胸元で交差したボストンバッグの肩紐を掴み、リボンの付いている方を足元へ置いた。女子の荷物は何故男子の荷物の二倍の重量があるのだろう。そのくせ体力は二分の一ときているので理解に苦しむ。たかが三泊四日の旅行くらいで大げさなのだ。

「置いとくからな、葵」

「あ……ありがとう」

 葵は息切れしながら言ったが、泰介は居心地の悪さから「あー、別に」と濁した。元はと言えば泰介が悪いので、礼を言われても複雑なのだ。

 そんな泰介の内心を葵は察したらしく微笑んだが、謝るのが先と割り切ったのだろう。敬に向き直ったので、泰介もそれに倣う。

「ごめんね、敬くん」

「わり。敬。待ったろ」

 頬を掻きながら、泰介も言った。たったそれだけの言葉だが言い難かった。非が自分にあるのは十分承知していても、謝るという行為はいつだってばつの悪さが先に立ち、言葉尻が乱暴になる。

「もういいよ。皆、そんなに気にしないでも。えっと……一応、全員揃ったんだし。事故とかじゃなくてよかったよ。問題は……集合時間をとっくに過ぎてる事なんだ」

「……」

「グループでは確かに集まってるんだけど、ほら、クラス単位でも一回集まんないといけないから……」

「敬、もしかして、島田センセに電話してくれたの?」

 さくらが訊くと、敬は頷いた。

「泰介達は遅れるってメール早い段階にくれたけどさ、やっぱり集合時間過ぎたら先生から電話かかってきちゃって」

「わあ……遅刻の言い訳なんてさせてごめん……」

 葵が引き攣った顔で言う。敬は班長だから連絡を受けたのだろうが、その班長だけは時間を守っているのだ。それなのに遅刻した泰介達の為に言い訳を考えさせられる敬を思うと、さすがに不憫だった。

「敬、先生になんて連絡したんだよ?」

「みんな欠席です、とか?」

「おい、さく……」

 さくらはきゃらきゃら笑ったが、すぐにしゅんとうな垂れて「ごめん」と謝った。敬は「いいよ。さく」と苦笑した。

「クラスの方は解散だって。でも島田先生厳しいから、帰ったら何か書かされるかも。反省文とか」

「うわ」

「げっ」

 泰介とさくらがそれぞれ呻いた。島田の厳しさは御崎川高校一を誇っているのだ。泰介とさくらの所属する陸上部の先輩によると、友人達と島田の顔をゴリラ呼ばわりしていた所を不運にも聞かれてしまい、憤怒の形相の島田にこってり絞られたという。皆がその逸話を知っているので、泰介達の間に重い沈黙が降りた。

「ほんとにごめんね、敬くん。もし反省文書くことになったら、私が代わりに書くから」

 申し訳なさそうに言う葵へ、「ほんとにいいよ。葵ちゃん」と、敬は微笑んで繰り返した。

「それにさ、遅刻の原因って泰介が間違って普通に学校に登校した、とかじゃないの? 泰介、中学の修学旅行でそれやらかしてたじゃん」

「そ、そんなんじゃねえよ!」

 痛い所を突かれながらも泰介が喚くと、さくらがにやりと愉快そうに笑った。

「泰介、早起きなのにねぇ。でも土日はいつも走りこみしないの。走ってるのはガッコある日だけ。だから、ほら。今日土曜日じゃん。目覚ましかけ忘れて寝坊までしてんの。家族の人用事で何日か家空けてるから誰も起こせなくってさあ、葵の電話でやっと起きたの。で、巻き添えで全員遅刻。バカでしょ?」

「さくらあぁ!」

 ぺらぺら喋るさくらに向けて叫んだが、もう後の祭りだった。

「反省文よろしく。泰介。じゃ、行こっか」

 呆れ笑いを浮かべた敬が、足元のバッグを両手で持ち上げた。

「あ、敬くん」

 ボストンバッグを提げた葵が、敬に駆け寄った。旅行用にと結い直されたお馴染みの青いリボンが、動作に合わせてひらりと揺れる。

「仁科のこと、メールで言った通りだから」

「うん、オッケー」

 敬が鷹揚に頷く。済まなそうにする葵が痛ましく思えたのか、敬も人の良さそうな微笑をほんの少し陰らせた。二人の密かなやり取りを気にしながら、泰介はさくらを盗み見る。

 こちらは二人とは対照的で、活気に満ち溢れた笑顔だった。今からこのメンバーで始まる旅行が楽しみで堪らないのだと顔に書いてある。

 そんな三者の様子を見て、ここにはいない一人を思う。

 事態の面倒臭さに辟易して、泰介は溜息を吐き出した。

 文句を言いたい所だが、折角の修学旅行に水を差すのも気が引ける。

 そうなると泰介にできるのは、沈黙を貫く以外にないのだった。


     *


 御崎川高校二年の修学旅行は少し趣向が変わっていて、自由行動がメインに組まれた三泊四日の京都旅行だった。

 与えられた期間をどう過ごすかは、全て生徒達に決定権が委ねられる。京都内であればどこを巡っても構わないし、名所巡り、食べ歩きのようなツアーを班毎に計画するのも自由だ。極端な話、有意義な目的さえ存在すれば旅館から出ない日があってもいいという。行き帰りの新幹線さえ団体行動ではなく、間で集合を挟むもののグループ行動だ。

 もちろん、それでは何の為の修学旅行か分からない。帰ってから一日の休養を挟んで登校した後、行程をレポートにまとめるという申し訳程度の作業もあるが、御崎川の修学旅行といえば、まず誰もが大喜びする一大イベントだった。

 そこで何かを学習するというよりも、日頃の行いの良さへの飴玉、勤勉な学習態度への労い。そんな側面を強く持った修学旅行は、この歴史ある高校の伝統らしい。父兄の中にはお祭り騒ぎのような軽い修学旅行の是正を求める声もあるようだが、学生としては喜ばしい限りだし、学校側も今まで羽目を外した生徒はいないと主張している。きっとこの方針は、これからも続いていくのだろう。

 こうして泰介達は、クラスでのグループ決めを経てここにいる。

 同じ中学出身メンバーばかりでグループを組むのは、何だか奇妙な縁だと泰介は思う。修学旅行のある二年生で、これだけ揃うのは面白い。これが一年や三年の時でなくてよかったという素直な気持ちはあったが、それだけでは割り切れない感情も、正直なところ根深い。

 泰介は自然と葵の姿を見ながら、首を振った。今更思い煩ったところで、もうどうしようもないのだろう。

 眼前の道路の両側には、軒を連ねる土産物屋。それらの店を一軒一軒冷やかしながら、泰介達四人はぶらぶらと歩いた。事前にどこを回るかは軽く決めていたが、別にその通りに行動する必要はないので気楽なものだ。

 都会育ちの泰介には京都の景観は新鮮で、遠い所まで来たのだという不思議な感慨が湧いた。空気はやや肌寒いが、今朝の遅刻騒動で走り込んだ所為か体温は上がっている。それでも汗が引けば、また寒さを感じるのだろう。

 京都の夏は暑く、冬は寒い。そう聞いた事がある。

「あーあ。秋かあ。どーせ見るんだったら桜が満開のきれーな時がよかったのにぃ。四月だったらきれーだったんだろーなぁ」

 さくらがぼやくと、「さくらってば。ほら、紅葉も綺麗だよ。私は秋でよかったかな」と葵が相槌を打った。

「ふぅん? 葵、それ春だと虫出るからでしょ? 毛虫とか、なんかよく分かんない飛んでるやつとか」

「ちょっと、やめてよさくら」

 悪乗りしたさくらが葵をからかうと、やり取りを聞いていた敬が吹き出した。

「両方のイメージがあるよね。桜も紅葉も。やっぱり町並みに似合うからかな」

「そうだよね」と、その花を名に冠したさくらが嬉しそうに笑う。

「ね、葵。後で扇子見に行こーよ。さくね、桜柄のがいーなって決めてるんだ」

「うん。私も気に入るのあったら欲しい」

 泰介は、敬と視線を交わし合った。京都には綺麗な物が多いだろう。男子は女子の買い物に振り回されて、あちこちの店を梯子させられそうだ。

「敬は買うもの決めてんのか?」

「僕は、家族に八橋買って帰ろうかな。後は妹に何か買って帰んなきゃって思ってるけど、気に入らないって言われたらショックだし。さくと葵ちゃんに見立ててもらおうかな」

「優しいんだな。ま、あいつらに連れ回されるのはもう仕方ないにしろ、土産の荷物持ちとかさせられないように気をつけた方がいいぜ」

「聞こえてるからね、泰介」

 前を葵と並んで歩いていたさくらが、すぐさま泰介に噛み付いた。

「そんなにここで散財するわけないじゃん。明後日までもたせなきゃいけないし。帰ったらカラオケ行くんだから」

「は? カラオケ?」

「泰介も参加でしょ? ほら、旅行から帰ったら次の日休みじゃん。今んとこ参加者はー、さくと、葵と、朝ちゃんとー、ってとこで企画が止まってるんだけど、敬と泰介もおいでよ」

「ちょっと待て。お前今いつっつった?」

「修学旅行から帰った次の日。療養休み。ね、いーでしょ」

「休む間とかなしかよ」

「善は急げって言うし。いーじゃん別に。いこーよ」

 さくらは楽しそうに絡んでくる。泰介は思わず渋面を作った。

 嫌だとまでは思っていない。だが、参加は無理だ。

「俺、パス。今言った朝ちゃんって舟木の事だろ。俺、あいつの事あんま知らねーもん。あいつも俺の事なんか名前くらいしか知らないだろうし。あいつが気まずいだろ」

「そうだね……朝ちゃんと泰介じゃ完全に他人だもん。仕方ないよ、さくら」

 頷いたのは葵だ。さくらの突然の誘いは葵にとっても予想外だったようだ。どことなく顔つきが神妙だ。

「あー、そだね。じゃあ、敬は?」

 さくらは最後に敬を振り返ったが、敬も難色を示した。

「泰介が行かないなら、僕も。女の子ばっかりの中に、男一人はちょっと」

控えめながらも確かな拒否に、さくらは「そっかぁ」と残念そうに呟いた。

「仕方ないよ。さくら」

 とりなすように繰り返した葵は、「あ、そうだ」と、明るい声を上げて、全員を見回した。

「私、何か甘い物食べたいなって思ってたの。さくらも抹茶アイス食べたいって言ってたでしょ? たくさん走ったし、どこかで休む時間作ろうよ」

 空気を読んだのだろう。やはり葵はこういう所で気が回る。泰介は幼馴染の手腕に感心しながら、薄く唇を引いて笑った。

「へぇ。それうまいのか?」

「分かんないから試すの」

 葵も、笑った。

「帰ってきた後の事より、今を楽しまないと。せっかく京都に来たんだもん」


     *


 泰介は携帯を開くと、メールを一応チェックする。そして新着メールはないと分かるとフリップを閉じた。

「仁科君、気になる?」

 隣を歩く敬が訊ねてきたが、泰介はズボンのポケットへ携帯を戻すと「別に」とぶっきらぼうに言った。

「この場にいなくても一応メンバーだからな。集合時間に足並み揃わないと、お前に迷惑かかるだろ」

「泰介が言う? それ」

 敬が可笑しそうに笑った。遅刻してきた泰介を責めているというよりも、平然と矛盾を述べる泰介が純粋に可笑しい。そんな風に泰介の目には映る。

「仁科君、クラスで集合の時に合流って、葵ちゃんから聞いてるよ」

 そう言って敬は、足を止めた。

「僕は気にしないからさ、仁科君もやっぱり一緒に来たらいいのに。そうしたら葵ちゃんが申し訳なさそうにする事もなかったんじゃないかな……って」

「仁科に関してだけ言うなら、深い意味はないと思うぞ」

 妙に勘ぐり過ぎている様子の敬へ、泰介は一応釘を刺した。

「あいつは単純に団体行動が面倒臭いだけだと思うぜ? せっかくの遠方の旅行を煩い御崎川の連中と連れ立って、ぞろぞろとそぞろ歩くのが本気で怠いって思ってるに決まってる。……だから、別にいいんだよ。一人で行動すること自体は。勝手にすればいい」

「相変わらず仁科君相手になると、ひどい言いようだよね、泰介って」

 苦笑する敬の表情は晴れない。泰介は引っ掛かりを感じたが、何も言わなかった。おそらく仁科の事で何か思う事があるのだろうが、泰介では敬が望むような言葉など何一つ掛けられない。そうなれば、余計に傷つくのはどちらか。泰介であっても分かっている。

 失望を与えるくらいなら、何も言わない方がいい。泰介には不器用にしかできない事を簡単にこなす奴が、同じグループ内にいるのだ。

 だから今回の事に関しても、泰介が気を揉むよりも葵に任せていればいい。

 そもそも、葵に任せる以外にやりようもないのだ。

 敬に倣って泰介も足を止めると、数歩離れた先の店舗で葵とさくらが扇子を眺めているのが見えた。

「葵、見て見て! 楽譜柄だ。朝ちゃんとか好きそう。吹奏楽もやってるし」

「あ、ほんとだ。さくらはどうするの? 何か買ってくの?」

「そのつもりだけど……うーん、今は保留かなー。後でこれよりいい! ってやつ見ちゃったらヤじゃない? あ、でも他の人に買われちゃったらどうしよ」

「もう、さくらってば。保留にするんじゃなかったの?」

「だってぇ。……好き! って思ってるのを人に取られちゃうの、ヤなんだもん。……やっぱり買おうかなぁ」

 二人の会話に何気なく耳を傾けながら、泰介はげんなりした。やはり女子とグループを組んだ以上、相当な時間を買い物に費やされそうだ。

「せっかく京都来たってのに、お前ら寺とか見ないでいーのかよ」

「キョーミないもん」

 さくらは笑って言ってのけた。

「お寺はさ、金閣と銀閣明日行くんでしょ? だったらもうそれでいいじゃない。それとも、お寺めぐりに興味ある子、この中にいるの?」

 そんな言い方をされたら、興味があってもあるとは言いにくいものだろう。だがここにいる者は皆さくらのそんな言い方には慣れていたし、悪気がないのも分かっていた。

「僕、隣のお店行ってていいかな? 家族のお土産見ときたいんだ」

 敬が話題を逸らすように言うと、さくらが不意を衝かれたような顔をした。

「敬、後の方がいいんじゃない? 嵩張るよ。一日目だし。帰りにも多分同じ道通るよ」

「うん、だから今は見とくだけ。いいのが見つかったら後で買うから」

「そっか」

 さくらは表情を曇らせたが、ぱっと明るく笑うと「じゃあ敬の方が早く済むと思うし、後でこっちに来てね」と手を振った。敬はさくらに手を振り返すと、扇子の並ぶ店舗から背を向ける。

 その後ろ姿に、泰介は声を掛けた。

「敬、待てよ。俺もそっち行く」

 呼び止められるとは思っていなかったらしい敬が、不思議そうに泰介を見た。

「さく達、泰介みたいな人が時々声掛けないとなかなかお店から出ないんじゃない?」

「けど、あっちの店の匂い。お香か? 俺には長時間あれに耐えれる自信ないや。敬が行くって言ってなかったら俺が言ってた」

「そんな大げさな」

 敬は呆れ顔で泰介を見やると、「でも、泰介らしい」と笑った。

 さわさわと髪が風に揺れる。外気を胸いっぱいに吸い込むと、空気の爽やかさを改めて感じた。空の青さも目に眩しい。辺りを見回しながら泰介は言った。

「ほんとに、俺らの制服見ないな」

「今の時間がもう十一時過ぎだしね。それに一本道だし、皆はもっと先に行ってるよ。今日お寺を見に行ってるグループもあるみたいだよ」

「俺らはまだ名所もちゃんと巡ってねえし、これじゃほんとに学校の行事っていうより、遊びに来てるみたいだな」

「遊び、かあ」

 敬が向かった店の軒先にはガラスケースがあり、和菓子を輪切りにして餡を晒したものが幾つも陳列されていた。客は泰介達しかおらず、店員も見たところ一人だけだ。雑踏や雑音に慣れた泰介の耳にはここは静か過ぎて、別世界に紛れ込んだ気分になった。敬は団子の断面を眺めていたが、顔を上げるとにこりとした。

「いいね、そういうの。泰介の遅刻もいい方に作用してるって事じゃん」

「誉めてんのか責めてんのか、はっきりしろよ」

 泰介が軽口を叩くと、不意に、敬の表情が陰った。

「ねえ泰介」

「ん?」

「ちょっと出よっか」

 敬は入ったばかりの店内にいきなり背を向けて、暖かな日差しの射す表へ歩いていく。泰介は訝しんだが、促されるまま外へ出て、道路に面した歩道に立つ。敬はこちらを振り返ると、また笑った。

「次いつこんな風に話せるか分かんないからさ、ちょっと聞いてほしい事があるんだけど、いいかな?」

 泰介は目を瞠る。その声音から、敬の真剣さが分かったのだ。

「……俺、相談事とか向いてないと思うぜ。分かってるだろ」

「でも、話すなら泰介がいいって思った」

 敬は泰介の顔色を窺いながら、おそるおそる言った。

「泰介、モテるでしょ」

 バッグが地面へ落ちた。ぼすっと硬い布地が歩道に叩きつけられる、くぐもった音がした。完全に不意打ちだった。

「お前、何言ってんだよ……?」

「あはは、ごめん」

「なんか敬誤解してるけど、そんな事ねえから」

「ほんとに?」

 敬が苦笑を引っ込めて訊いてくる。泰介はその視線を受けて、何だか見ていられなくなって目を逸らした。

「……高校入ってから、三回。言っとくけどな、全部断ってるからな! それに断ったら三人共からそのまま嫌われてるから」

「どんな振り方したらそうなるの」

 敬は呆れていた。

「言い方が乱暴とかデリカシーないとか、なんか色々言われた気がするけど、そんなのいちいち覚えてねえよ」

「じゃあ、泰介は自分も好きな子に告白されたら?」

「は……? そりゃ、付き合うとか、そうするんじゃねえの?」

 泰介はまごつきながらも、思いついた事をそのまま言う。だが敬は泰介の答えを聞くと、少し悲しそうに目を伏せた。

「でも、友達に、自分の事を好きかもしれない子がいるんだ」

 ぴん、とすぐに連想が働いた。

「さく」

「え」

「さくだろ? それ。あいつ分かりやすいじゃん。俺でも分かるくらいなんだから」

 敬が目を見開いて「知ってたんだ」と呟くので、「今になるまで気づかなかったお前が鈍すぎるんだろ。あいつがお前のこと好きなのって中一からだぜ」と言ってやった。さすがにバラし過ぎたと遅れて気づいて慌てたが、敬はただ俯いた。

 そして、さらりと言った。

「僕、さくのこと好きだよ」

 あっさりとしたものだった。聞かされた泰介の方が恥ずかしくなる。飾り気のない言葉はすっきりと簡素で無駄がない。だがその躊躇いの無さは、さくらへの好意があくまで友達としてのものだという何よりの証左に思えて、泰介は少しだが、さくらが不憫になった。

「さくの事は好きだけど、それは泰介や葵ちゃんに対するものと変わらないんだ。友達なんだと思う」

「男の俺まで引き合いに出すなよな」

 泰介はわざと乱暴に言ってやった。できるだけこの話題を、軽く扱いたかった。「お前の好きな奴って誰?」と訊ねると、敬は口こそ開けたものの顔を赤くして何も言わない。今度は泰介が呆れる番だった。

「お前は女か。ちゃちゃっと吐けよ」

「……泰介が言ったら」

「うぜえ。黙れ。ふざけんな」

 敬はもじもじしつつも、今度は素直に言った。

「舟木さん」

「舟木?」

 てっぺんにまで上りつめた太陽が、立ち尽くす二人を頭上から照らした。仄白く柔らかな日差しの中で、敬はそれだけで体力を使い果たしたかのように下を向いた。やはり女子のようだと泰介は思う。

 舟木朝子ふなきあさこという少女は、真面目で大人しい印象の少女だ。朝早めに登校して席に着き、黙々と勉強している姿をよく目にする。泰介はおそらく会話を交わした事さえない。先程さくら発案のカラオケ騒ぎで名前が挙がった生徒でもある。

 改めて舟木朝子について回想してみると、あの真面目な舟木朝子が本当にカラオケになど来るだろうかと泰介は疑問に思った。さくらが嫌がる朝子をそうとは知らず無理やり誘う図が容易に想像できて、泰介は事の真相を見た気がした。

 それにしても、正直意外だった。

「そういや、敬も朝早かったっけ。だから話すのか。でも、それにしたって……」

 普段つるんでいる所を見ないだけに、意外だという思いが強い。それを言おうとすると、「でも」と敬の声が割って入った。

「最近、よく分かんなくって。舟木さんは……なんて言ったらいいか、よく分かんないんだけど。さくだったらすぐに言っちゃうような事でも、言わなくて。静かだよね。我慢強いって言ったらいいのかも」

「おう」

「さくとは、ちがくて。さくは、もっとストレートじゃん。隠すって事しないでしょ。何か不満があれば、相手に嫌われるの覚悟でがんがん言っちゃうよね。それにすぐ怒るし、泣くし。同じだけよく笑うけど。僕みたいな地味なのは、さくみたいな派手な子って歯牙にもかけないって思ってたのに……なんでだろ。気づいたら、中学の時からつるんでた」

「友達だからだろ」

「友達だから?」

「さっき自分でそう言っただろ。敬。さくは友達だって」

「……」

「舟木はどうなんだよ」

「え?」

「だから、舟木は。お前のこと好きなのか?」

 泰介は居心地の悪さを堪えて頭をがりがりと掻きながら訊ねた。敬はぽかんとした表情を見せたが、つっかえるようにして「多分」と言った。

 なんだ、と思う。人をけしかけておきながら。つい剣呑な目で敬を睨んだ。

「お前と、舟木が付き合うような事になったら。さくにどんな顔で向き合えばいいか分かんなくなるとか、怖いとか、そういう事で悩んでるって事かよ?」

 泰介が不慣れなりに懸命に考えて口にすると、敬は曖昧に頷いた。

「怖いよ。でも……それだけじゃない気がする」

「……」

 隣の店へと目を向けると、セミロングの黒髪が、真っ先に視界に飛び込んでくる。バッグに結わえた、青いサテン地のリボン。葵だ。

 その葵の隣にいるのは当のさくらだ。少し離れた所でこんなやり取りがなされているとも知らないで、さくらは無邪気な笑みを見せている。

 敬は中学からだが、さくらは小学生からの付き合いだ。泰介がつまらない挑発に乗って同級生と喧嘩をした時も、間に割って入って相手を罵倒したのはさくらだった。自分の感情に対して真っ直ぐな奴だと泰介は思う。そんな愚直さはきっと、女子の社会で生きていくには非常に分が悪いだろう。その辺りには男子の泰介にも通底するものがあるので、幾らか共感できる面もある。泰介は、笑うさくらを見ながら思った。

 不思議と、気分が良かった。

「敬。今のお前見てると、昔の葵見てる気分になるんだよな」

「? それ、女子っぽいって事?」

「めちゃくちゃ優柔不断で気弱でむかつくって言ってる」

「ちょっと泰介ひどくない? 優柔不断なのは分かってるけどさ」

「でも合ってるだろ。だってお前、さくが好きかもしれないじゃん」

「……へ?」

「今頃さくの事が分かるくらいに鈍いお前だから、まだ時間かかるんだろうけど、自覚しろよ。お前がいつから舟木を気にかけてたかなんか知らねーし興味もねえけど、それってほんとに今もなのか? さくが気になるんだろ」

 敬が、驚きの顔で泰介を見つめた。泰介は笑ってやった。

「急ぐなよ。いつも誰よりも堅実的なのがお前じゃん。考え方が二股っぽくてむかつくけど、あいつらには黙っといてやるよ」

 泰介は俯く敬の頭をぐしゃぐしゃに掻き回した。「わわっ」と叫んで慌てた敬が、必死になって抵抗する。

「やめてよ泰介っ」

「うるせえよ! 俺はこうやって中学時代に身長低いの散々からかわれたんだからな! お前も同じ屈辱を思い知れ!」

「僕だって泰介と身長変わんないじゃん! あと二股なんてかけてない!」

 敬は泰介と一緒になって騒いでいたが、唐突に「あれっ?」と声を上げると動きを止めた。

「どうした?」

「葵ちゃん」

 敬が指をさす。その先を見ると、買い物袋をボストンバッグに押し込みながら店を出る葵の姿が見えた。さくらは一緒ではなく、まだ店内にいるようだ。

 葵はきょろきょろと道路の左右を確認してから、ぱっと車道へ飛び出して対岸の歩道へ駆けていく。そのまま店の一つへ入ってしまった。看板を見て、泰介は嘆息する。

 どうやらオルゴールだとか硝子細工だとか、そういったものを売る店らしい。

 敬も同様に看板を見て、泰介の内心を察したのか苦笑いを浮かべた。

「観光地って結構こういうお店あるよね。家族旅行で行った先にもあったよ。こんな感じの可愛いお店」

「どこにでもあるって、そういう事じゃねーかよ」

 泰介はげんなりした。女子はこういった店を見るとすぐにほいほい入ってしまう。元々寺などには興味が薄いメンバーだといっても、これではあまりに酷い。

「京都に来てまでこれかよ……」

「まあまあ。大方、さくが出てくるまでってつもりだと思うよ」

「まあ、そうだろうな。それに……あいつ、昔からああいうの好きだったし。買わないくせに」

 昔から、葵の所持品は少なかった。物をあまり買い足そうとしない葵の持ち物はいつも最小限に抑えられていて、友達同士で買い物に出かけた時でさえも、一人だけ何も買わずに帰ってくる事がざらだという。

 さっき何かを買ったのだって、泰介から見れば珍しい。姉の蓮香への土産の可能性が高いが、もし自分用ならきっと大切にするのだろう。泰介は、敬を振り返った。

「俺、ちょっと行ってくる。お前はさくのとこ行けよ。あいつ、すぐふらふらするし。さくの買い物終わったら、こっち渡って来い」

「うん、わかった」

「変な心配すんなよ」

 背を向けかけた敬に、泰介は言った。

「さくを怖がる理由なんて、お前にはないだろ」

「……ありがと、泰介。泰介にこんな話したら困るだろうなって思ってたけど、やっぱり話してよかった」

「俺を何だと思ってるんだよ」

 敬は柔和に笑うと、さくらの元へゆっくりとした足取りで歩いていく。その背中を見送りながら、泰介はやれやれと息をついた。

 手のかかる友人と、男勝りな女子。そんなちぐはぐな二人を見るのは嫌ではなく、店内で話し始めた二人に不思議な安堵を感じた。穏やかで清々しい気持ちをそのままに、泰介は歩き出す。

 葵が消えた、オルゴール店。そこへ向かう為に、葵同様、道路を横断しようとした。

 横断、しようとした。

 道路を、横断しようとした。

 泰介は、道路を、横断しようとした。

 道路を。

 横断。

 泰介は。




 ぶつん。

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