第75話「まじない」

 それから数日後、エドウィンは鞄を小脇に抱えてジスランの部屋を訪れた。


 この間の様子だと、ジスランは素直に僕を入れてくれないかもしれない。

 そう思い、エドウィンはノックもなしにいきなり扉を開ける。


「うわッ!? ……エドウィン?」


 何か書きものをしていたらしいジスランが振り返って、丸い瞳でエドウィンを見上げた。

 ……どうやら、先日の不機嫌はもう直っているようだ。


「ジスラン。これ、僕からの入隊祝い」


 エドウィンは鞄ごとジスランに街で買ってきたものを差し出す。


「あン?」


 ジスランは首を傾げ、「ありがとよ……?」と戸惑いがちに鞄を受け取って中を覗き込む。すると、すぐに怪訝な顔になった。


「……なんだコレ?」


 鞄の中には、化粧道具がぎっしりと詰まっていた。


「魔除け」


「……は?」


「知ってるだろ? 化粧っていうのは、昔の人は魔除けのためにも使ってたんだよ」


「それはまァ、知ってるけどよ……?」


 エドウィンは鞄の中から手持ちの鏡を取り出し、ジスランの顔を映し出した。


「ジスラン。僕らの顔はそっくりだ。君が城の外に出るなら、その顔はなんとかしたほうがいいと思う」


「た、たしかにそうかもな……」


 エドウィンにそっくりなジスランの顔は、つまり父である国王にもよく似ていた。


 世間では、クリスト王の子どもはエドウィンだけということになっている。

 もしも外でジスランが王の隠し子であることがバレたら、面倒なことになるかもしれない。


「ということで、化粧で誤魔化すのはどうかと思って」


 ジスランは呆れた顔になって、


「おまえ……俺に女みたいな真似しろっつーのかよ?」


「化粧はもともと男女関係なくしていたものだよ」


 エドウィンはしれっと言う。


「その顔で外に出て、面倒なことになっても嫌だろ?」


「それはヤだけどよ……。でも、それより化粧なんかするほうが……」


「面倒事を回避するためのまじないだよ。いつも君が練習してる魔法陣みたいなものだと思えばいい」


「いや、でもよ……ってうわッ!? ペン近ッ! おまっ、ペン持って近寄ってくんなよ!? 先っちょ目に入るとこだっただろ!?」


「君が動くからだろ?」と強気にエドウィン。


「いいから大人しくしててよ!」


「おまえな……!」


 瞼にアイラインを描こうとするエドウィンの手を掴んで、ジスランはぐぐぐ……っと押し返す。

 しかしエドウィンも負けじと、再びぐぐぐ……っとその手を押し戻す。


 そんな攻防がしばらく続いて、


「……だーっ!! もう、わかったよ! やりゃいいンだろ、やりゃ!?」


「……ふんっ、最初からそう言ってればいいんだ!」


 ジスランはエドウィンを睨んで、鞄の中にあった手鏡を持ち上げる。


「……で、化粧ってのは何をどうすりゃいいンだよ?」


「えっと……」


 エドウィンは鞄に詰めていた冊子を取り出して、そこに描いてある通りに兄の顔に色を並べていった。


(願いを込めて……魔法陣のように……)


 ──これ以上、兄に不幸が降りかからないように……。


 震える手で仕上げのアイラインを描くと、


「……できた! ……ふははっ!」


 完成したジスランの顔を見て、エドウィンは思いっきり噴き出す。


 カラフルな化け物みたいになったジスランの顔が、きょとんと目を丸くしてエドウィンを見つめていた。


「あ? 何笑ってんだよ? 俺、今どんな顔になって……っぶふふっ!?」


 鏡を向けると、ジスランも盛大に噴き出した。


「ぶはははははっ! な、なんだよこれ!? ……ぎゃはは!! こ、これなら俺のほうが上手くできるぜっ……!」


 目尻に涙を浮かべて、「貸してみな!」とエドウィンの手から鏡とメイク道具を引ったくる。


 一度顔のメイクを拭きとり、気を取り直して……


「っふふ、ふふふふ……!」


「てめっ、いつまで笑ってんだよ! 笑ってたら上手く描けねーだろ!? ……いひひひっ……」


「ジスランだって笑ってるじゃん!」


 ……なかなか笑いが収まらず、ようやく落ち着いてから、もう一度化粧まじないの練習をはじめ……。






 ――そして、ジスランは軍に入った。


 兄弟のまじないが効いたのか、誰一人として、王にそっくりな顔を奇抜なメイクで染め上げた少年に何か言う者はいなかった。

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