第11話「旅の夜」

「あ? なんでだよ」


 ラクロの眉間に深い皺が刻まれる。


「……嫌いなんだ、そういうの。誰だって嫌いなものの一つや二つはあるだろ?」


「別に気にすることねぇだろうが、そんなもん」


「い、嫌なものは嫌なんだっ。……だから、わかった? 絶対来るなよ!」


 太陽が完全に沈んだ、夜。

 結局、森を抜けられなかったセシルたち一行は、森の中で野宿をすることになった。


 オーガの血の臭いは頑固で、一度ついてしまうとなかなか取れなかった。

 そこで、セシルたちは近くの川で水浴びをすることになったのだ。


 すると、まずいことに水浴び中のセシルの護衛をラクロが買って出た。


「おまえ、弓がないとものすげぇ弱いじゃねぇか! 水浴び中にアンシーリーでも出たらどうすんだよ!」


「うっ……そ、それはそうだけど……」


 ……それでも、まずいものはまずいのだ。


 裸体を見られたらセシルが女であることがばれてしまうし、


(ていうか、そもそも見られたくないし……!)


「……でも、嫌なものは嫌なんだ!」


「だったら、こういうのはどうでしょう?」


 と、セシルとラクロの間に割って入ったのはテレジオだった。


 先ほどのオーガを解体バラした狂気はなりを潜めて、にこにこと人当たりのいい笑顔を浮かべている。


「セシルが水浴びをしてる間、すぐ近くでラクロが後ろを向いて待機している、というのは。何事もなければ、絶対にセシルの方は見ないという約束で」


「む……まあ、そういうことなら……」


 テレジオは今度はラクロのほうを向いて、


「ラクロ、約束できますか?」


「んだよ……わかったよ! 見なきゃいいんだろ、見なきゃ」


「はい。これで解決ですね」


 キャンプの場所から数十メートル下った先に、小川があった。

 セシルは後ろをついてきたラクロを振り返って、


「……あっち、向いててよね」


「……わかってるよ」


「絶対、見るなよ?」


「見ねぇっつーの」


「……本当に、絶対だからな?」


「しつけぇな! わかったっつってんだろ!」


 ラクロはセシルに背を向けて胡座あぐらで座り込む。

 セシルはちらちらとラクロを警戒しながら、服を脱いだ。


「さっさと終わらせろよ」


「わ、わかってるよ」


 下着まで全部脱ぎ、セシルは生まれたままの姿になって、さらさらと流れる小川に足先を浸す。


「ひゃっ……」


 水は思ったよりも冷たくて、思わず足を引っ込める。


「変な声出すじゃねぇよ、女男」


「う、うるさいなっ」


(誰が女男だっ!)


 セシルはもう一度、今度こそ変な声が出ないように注意しながら、小川に足をつけた。

 そして、


「……ねぇ、君はどうして王都に行きたいの?」


 昨日から気になっていたことを、訊いた。


 ……ずっと気になっていたのだ。

 今の生活を捨てて、王都に行く理由が。


(私が持つ推薦状が鍵だと言った、その理由が……)


 ややあって、ラクロが口を開いた。


「……俺も騎士になるんだ。王国騎士団の」


「え……?」


 予想外の答えに、セシルは思わずラクロの背中を振り返った。


「……どうして? 戦争が、始まるんだろ。そのために王は騎士団を強化してるんだろ? そんな危険なときに、どうして……」


「だからだ」


 ラクロの声は、冷たい小川の水みたいに凛としていた。


「だから、俺は戦いたいんだ。この国で……」


「…………」


 セシルはなぜか、それ以上深くは訊いてはいけないような気がして、


「ふうん……」


 と、無難に会話を打ち切った。


 しばらくのあいだ沈黙が降り、


「……俺も、おまえに訊きたいことがある」


 今度は、ラクロが口を開いた。


「おまえの目……なんで光るんだ?」


「は?」


 セシルは思わず間抜けに口を開けた。


「アウルベアの洞窟で弓矢を使ってたとき、光ってただろ、おまえの目。魔術の類か?」


「は……? 目が光る……?」


「……まさか、気づいてないのか?」


「…………」


(お母さん……)


 と、セシルは祈るように心の中でつぶやく。


 ──きっと母は、自分と同じ、銀の髪と瞳を持っていたのだろう。


 だって、父の髪も目も、セシルの色とは似ても似つかない普通の茶色だったから。


 銀色の髪と瞳を持った人間を、セシルは今まで見たことがない。


(私は、普通じゃないのかもしれない……)


 たまに、そんな風に思うことがあった。


 もしも両親がいれば、頭を撫でて「そんなことはないよ」と言ってくれたのかもしれないけれど。


(でも、私は……)


 ──一人ぼっちだから。


 誰も、そんなことは言ってくれないのだ。


「……いい。忘れろ」


 と、ぶっきらぼうなラクロの声が夜風に乗って聞こえた。


 セシルは答える言葉を探して、


「…………」


 結局見つからずに、また沈黙に戻る。


 そして、静かに身体の汚れを洗い落とし、


「おまえ、いつまで浸かってんだよ? いい加減に…………ってぇ!」


 ピュンッ! とラクロの頭の横を石が通過していった。


「……今、こっち見ようとしたな!」


 セシルは石を投げたままの体勢で言った。


 ……ちら、と一瞬だけラクロがこちらを向きそうになったのが見えたのだ。


「してねぇよ! ちょっと態勢変えただけだろうが!」


「いーや! 見ようとしたね!」


「してねぇっつーの! つーか石投げんじゃねぇよ、危ねぇだろうが!」


「当てなかっただろ!? 君は痛いって言ったけど! 頭の横を飛んでったろ!」


「ああ!? んっとにいちいち面倒臭ぇ野郎だな……!」


 ……それから数分間、セシルはラクロと背中合わせで口喧嘩をして。


 胸にしまい込んだ不安のことなど、すっかり忘れていたのだった。

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