「私」と「他者」の対立
「闘争心」と望み
「闘争心」を否定してはいけない、抑えてはいけない、でも他人を傷つけてはいけない、物を壊してはいけない、自分を壊すのもいけない。現代社会で生きていくには「闘争心」は厄介です。だけど、「闘争心」は本能だから、失ったらロボットと変わらなくなって、自分でいる必要がなくなってしまうことにもなります。結局、うまく付き合っていくしかないのが「闘争心」ですが、自分とだけ対話していても何も解決しません。
「闘争心」が望んでいるものは何だろう、と今、私は考える。自分自身が幸福になるため、欲求が満たされるために頑張る原動力。私の幸せって何だろう。ただ生きているだけでは満たされているとは言えない。
漠然としているかもいれないけど、私には私にしかない個性があり、それが満たされている、活用されている状態が幸福だとする。そしたら、その個性を認め、必要とし、評価する他者が必要だ。しかし、それは単に「自分はこれが得意だからこれやります」で済むものではない。
人は夢を見る。時には実現不可能な夢も見るけど、なりたい何かがある。それになれた時がきっと一番幸せだろう。自分の個性を活かしながら他人の役にも立ち、自分も満たされた気分になる。そんな状況があったら最高の人生が送れるだろう。
「闘争心」が不満を持つことがあるとしたら、このいくつかの要素「自分の個性」「自分の理想」「自分と他者との関係」に不一致があるからかもしれない。
「自分は凡庸で魅力がない」「こんなに努力しているのに報われない」「私がやりたいことをやらせてくれない」そんな不満が溜まりに溜まって一気に爆発すると、こころの病気になるのかもしれない。
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