ああ、お気持ちわかります。
私は夢落ちというか、記憶の操作がきついですね。
最近読んだ話では、疎遠になってしまっていた主人公と幼なじみがある事件に巻き込まれて協力し合い、心を通わせ互いの気持ちに気づき……というところまで進展しておきながら、事件に関する一切の記憶がなくなるという終盤でした。
記憶がなくなっても二人の思いは残って、みたいなラストではありましたが、ハチャメチャすぎて関係者全員の記憶を弄らなければ収拾がつかないなんてレベルでもなかったストーリーなので、どうしてこういう流れにしちゃったのかなと。
>明らかな「夢オチ」……「妄想」に耽る場面などは、そこから一気に現実に引き戻されるギャップとあいまって、とても面白い演出になると思います!
どう考えても都合よすぎだろ、という展開からの目覚めなら、むしろ安心してしまうことすらありますね(なぜかいつまで経っても目が覚めない話も最近は流行りのようですが)。結局は書き方次第という結論になるのかも。
作者からの返信
コメントありがとうございます!
記憶の操作! ……そのお気持ち、よく分かります!(記憶喪失も、都合の良いタイミングで記憶が蘇るのはどうかと思います!)
夢オチも記憶の操作も、最もメリットがあるのは作者の方だと思います。
ただ、これを許容してしまうと「何でもあり」になってしまうので、それが許されるような世界観、ストーリーでない限り、使ってはいけない禁じ手なのではないかと思います!
ご指摘の通り、覚めない夢オチ的な話が今は求められているというか、いかにして読者に夢を見せるかというのがポイントなのかもしれません!
コメント失礼いたします!
やはり……。「日帰りファンタジー」でスランプになってまで書いたのに公開しなかったものが「夢オチ」でした。書いててむなしくて、つらいのに、読者さんが喜ぶぞーって天啓があったので、神経ぐしゃぐしゃになりましたが仕上げました。
「夢」が見られてよかったねv
って話になるんですが。残されたのはどうにもならない現実、というオチ。
苦しかった……ほんとーに、苦しかった……
作者からの返信
コメントありがとうございます!
なんと、それは辛い思いをしましたな……!
読者のためにという思いはとても大切なことだと思いますが、作者が書いていて辛いものは、読者も読んでいて辛く感じるものだと思います。
私も書いていて辛くなるお話を書いたこともありますが、それを乗り越えることができたのも、報われる時が来ると信じているからこそでしたし、それが原動力になったのだと思います!
読書という夢は作品を読み終わると必ず覚めてしまうものですから、せめて作品は本物のまま終わりたいものです!
もしゆみさんが感じられた天啓を活かすとするならば、作品を童話のように短く抽象的にまとめることで、読者も受け入れやすくなるかもしれません!(読者が喜ぶと感じた部分に的を絞って物語にするイメージです!)