フィクションは匿名のノンフィクション

「そういうつもりで書いているわけではない」


……これは、某週刊誌の編集長がラジオ番組で語った言葉です。


ではどういうつもりで書いているかと言えば、「ファクト(事実)を淡々と書いているだけ」であり、「人をおとしめようというモチベーションはゼロ」なのに、「結果的にそうなってしまう」ので、「(記事にした人が)なんでここまで叩かれるんだろう?」と思いつつも、「それも世の中を映す鏡」だということです。


全文を掲載していないのにとやかく言うのはフェアではないと思いますし、自分の解釈によって言葉を並べ替えているのも事実なので、これ以上は言及しません……が、地取り(地域住民への聞き込み)のエピソードとして「雨の日にわざと傘を差さない」というものが挙げられており、そこまでして得た情報にいかほどの価値があるのかは疑問でしかないということだけは、言わせてください!(それは記者がコミュニケーション能力に長けているというわけでも、人に強いというわけでもなければ、図々しいの一言で済まされるようなことではない、人の親切心につけ込んだ詐欺行為だと思わずにはいられません)


――それはともかく。


私がこうした話を聞いて思ったことは、ノンフィクションは良くも悪くも、実在する誰かに何らかの影響を与えてしまうからこそ、フィクションというものがあるのではないかということです。


言い替えれば、実在する誰かに影響を与えないように、自分の考えや思いを伝えるためには、フィクションでなければならないということです。


物語においても「実話」というのは非常に説得力があります。

その一方で、極端な話ではありますが、フィクションというものは多かれ少なかれ、実話を元にしているということはまず間違いありません。

なぜなら、それがどんな空想の物語でも、自分の経験や知識……「自分という実話」を元にしているからです。


つまり「フィクションは匿名のノンフィクション」であり、「究極のプライバシー保護」なのだろうと思います!(風刺で特定の人物を表現することもありますが、そうと明言しない限り、首の皮一枚でプライバシーは保たれている……はず!)


フィクションの中からノンフィクションを読み取るのが読書であり、それを自分の好きな時間に、好きな物語で楽しめるのも、読書の魅力なのかもしれません!


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