「健康で文化的な最低限度の生活」と「帰省のお知らせ」
こんにちは、埴輪です!
突然ですが「東京で独身者が一人暮らしするのに必要な金額は約24万円だという試算」なるものがあるそうです。
それがいかなる方法によって導き出されたのかを知らない私ですが、長年「東京で一人暮らしをしている者」として、この金額について考えてみました。
率直に言えば、「生きていくだけ」なら24万円も必要ないと思います。
私の場合、家賃・税金・光熱費・保険料・年金・食費・通信費……あらゆる出費を考慮しても15万円ほどで生きていけますが、では9万円の差は何かといえば、老後や「もしも」に備えた蓄え、また、経済を回すために必要な金額だろうと思います。
あらゆる出費には「娯楽」も含まれていますが、幸いにして私の娯楽は「オンラインゲーム」と月々数千円ほどの出費で済むものですし、小説を書いてネットで公開するのも無料なら、読書も図書館なら無料、音楽や映画もレンタルショップなら数百円と……本当、良い世の中になったものです!
お金がないならないなりの生活を送れば良い……言葉にすれば簡単な話ですが、この考え方は産業の点から考えると、非常に厄介だろうなぁとも思います。
例えば旅行産業一つ取って見ても、旅行をしたい人がいるからこそ成り立っている訳で、旅行するお金もないし、別に旅行をしたいとも思わないという人が増えれば増えるほど、産業の規模はどんどん縮小していきます。
その一方で、娯楽が多様化した昨今、先に挙げた通りお金をかけることなく楽しめることも多く、それなのに、なぜお金をかけなければならないのかと思う人もいるでしょうし、それが私の考え方でもあります。(「実質無料」が何と多いことか!)
もちろん私は旅行などのお金がかかる娯楽を否定している訳ではなく、それを娯楽としている人もいれば、そうではない人もいるという、極めて単純な話をしているのですが……それでは困る、経済が、産業が、社会が、国が成り立たないという人達がいるからこその、「24万円」という金額なのだろうと思います。(私の生活水準では、子孫を残すことはおろか、老後の生活も覚束ないですからね……!)
本来ならば、国民がもっと安い賃金でも生きていけることこそ必要だと思うのですが……国の水準を保つだけでなく、より発展させていくことを優先するならば、国民に「もっと稼げ!」という話になってしまうのも無理はないと思います。
日本国憲法第二十五条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とあります。
これを受けて、国は貧しい人が「健康で文化的な最低限度の生活」を送れるようにするのではなく、貧しい人を裕福な人にすることで、それを達成しようとしています。
この二つは同じことのようで、その主体……国が国民に寄り添うか、国民が国に寄り添うか……が異なるわけですが、どちらが主体になるべきなのか、そのために何をすべきなのかは、よくよく考えるべきだと思いますし、いずれにしても、それは単純に賃金を上げれば解決するというものではないと思います。
また、「健康で文化的な最低限度の生活」が「生きていくだけ」を指しているのか、はたまた「生きて子孫を残す」ことまで含んでいるのか……その解釈の仕方によっても、何をなすべきかは変わっていくだろうと思います。
……今は「生きていくだけ」で精一杯の私が、果たして「健康で文化的な最低限度の生活」を送っているのかどうかは分かりませんが、皮肉でもなんでもなく、私は今の生活を楽しんでいますし、そんな生活を送ることができる世の中はそう悪くないと思っている訳ですから、賃金を上げることよりも、国民一人一人が自由に生きていくことができることこそ、「健康で文化的な最低限度の生活」に必要なことなのかもしれません!(戦争でも起きたら、それどころじゃありませんからね……!)
さて、私は明日から三日間ほど、実家に帰省します!
近況ノートの更新もお休みさせて頂きますので、ご了承ください!
よ~し、何もしないぞっ!
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