読書って凄い!② ~セネカの言葉~

こんにちは、埴輪です!


先日の「パンセ」に続いて、昨日は「セネカの書簡」を読んだ私。

再び「読書って凄い!」と実感したので、少しご紹介したいと思います!


……と、その前に。


「パンセ」が三百年以上前の言葉なら、「セネカの書簡」は二千年以上前の言葉ということで、それが今に伝わっているという事実もさることながら、人が抱く悩みが全くと言っていいほど変わっていないことに驚かされます!(時代だけでなく、国や人種も違うのに共感できるというのも驚きです!)


それはなぜかと考えれば、古今東西「人はいつか死ぬ」ということは不変だからで、人が進化を遂げるためには、死を克服する必要があるのだろうと思います。(ただ、死を克服したものが人であるかどうかは、また別問題です!)


……と、前置きが長くなりましたが、数ある「セネカ」の言葉の中から、やはりこの近況ノートをご覧の方には興味深いであろうものをピックアップしてみました!


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わたしにとっては一人が大衆であり、大衆とは一人である。――デモクリトス


わたしには少数者で十分だ。一人で十分だ。誰もいなくても十分だ。――無名氏


わたしにはこれを多数者のために書くのはない、一人のために書くのだ。なぜなら我々二人は、一人がもう一人にとってすでに十分な数の大衆だから。――エピクロス


これらを、ルキリウス君(注:書簡の相手)、君の胸にしまっておきたまえ。君が大衆の賛同から生じる満足感を軽蔑できるように。「手紙」7-10・11

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大衆の喝采は物事の正しさの証明にはならない。正とか善という問題については、数の多少は判定者にならない。一人の正しく見る目があれば十分なのだ。


……セネカのように「軽蔑」という強い言葉を使わないまでも、大衆が賛同しているからといって、それが常に正しいとは限らないというニュアンスは、今でも十分伝わるものではないでしょうか?


そして、私はそれよりも「一人のために書く」……この精神は決して忘れたくないと思いますし、「一人が大衆」というのはとても心強い言葉だと思います!


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自分以外の誰のためにも生きていない人は、だからといって自分のために生きているわけではない。「手紙」55-5

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これは私がとても好きな言葉です!


転じて「自分以外の誰のために生きている人は、自分のために生きている」とも言えるでしょうし、まさにそれが生き甲斐……生きる意味だと思います!


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彼らは将来もっといい暮らしができるようにと、いまを忙しく立ち働いている。今の生活を犠牲にして人生を設計する。遠い先を視野に置いて計画を立てる。事実はしかし、人生の最大の損失とはまさにこういう延期、先送りなのに。彼らは遙か遠い先にあるものを得ようとして、いま目の前にある日々を未来に捧げ、未来の成果のために現在を奪うのです。だが、今日を無にして明日を得ようとするのこの期待こそ、生きる上での最大の障害なのです。運命の手中にあるあてにならぬものをあてにして、自分の手の中にあるものをとりこぼしてしまうのですから。君はどこを見ているのです? どこに向かって進もうとしているのです? これからやってくるものはすべて、不確かさの中にある。今この時をこそ君は生きるべきです。「人生の短さについて」9-1~3

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今の世の中、将来のために今を犠牲にするシステムがいかに多いことか。

……というより、子供に対する教育の常套文句が「将来のため」なのですから、全ての基盤が「将来のため」にあるといっても過言ではないと思います。


もちろん教育は必要ですが、「今やるべきことをせずに将来痛い目に合う」という選択肢が用意されていないのは考え物だと思います。(強制的に今を犠牲にさせることで、無理にでも将来に備えさせているのが現状だと思います)


将来も大事ですが、その将来のために今を犠牲にした結果、命すら失ってしまう……そんなことすら起きているのが、現代社会です。


……でもって。


「パンセ」「セネカ」と読んできて思ったことは、こうして読書する時間さえあれば、人はもっと色々な生き方ができるはずなのに……ということです。


とにかく忙しく、考える時間がない……それが現代人の実情だと思います。

それどころか、余計なことを考える必要がないからと、率先して自分を忙しくしている人すらいるのではないかと思います。


ただ、その「余計なこと」の中には、「叶えたかった夢」や「いつか死ぬという運命」など、とても大切なことも含まれているのではないかと思うのです。


そもそも、何のために働いているのでしょうか?

お金を稼ぐためでしょうか?

それでは、稼いだお金で何をするつもりなのでしょうか?

生きていくためでしょうか?

生きていくためにはそんなにお金が必要なのでしょうか?

もっとお金がかからない生き方はないものでしょうか?

それに、そんなお金がかかる生き方を、本当に望んでいるのでしょうか?

他にやりたいことがあるのではないでしょうか?

それをするためにはお金が必要なのでしょうか?

お金よりもそれをする時間がないのではないでしょうか?

もっと労働時間が少ない仕事に転職できないものでしょうか?

他の仕事がないなんて、本当にあるものでしょうか?

仕事を辞めてた途端に、衣食住の全てを失ってしまうものでしょうか?

お金がなくなってから、また仕事をすればいいのではないでしょうか?


……こんなことを考えるような人は、会社としては都合が悪いかも知れません。

色々考える人は、自分の待遇についても考えるようになり、労働基準法や労働基準監督署など、余計なことを考えるようになるかもしれませんから。


私にしても、考える時間があるのは仕事をしていないからに他なりません。

今は貯金を切り崩して何とか生きていますが、そろそろ心許なくなってきたので、4月ぐらいからアルバイトを始めようかなと考えているぐらいです。


そんな私の行き当たりばったりな生き方は、「将来どうするの?」と思われること請け合いですが、それは将来が来てから頑張ればいいことですし、そもそも、その将来が来るのかすらどうか分からないというのが、私の考えです。


私は長生きをするよりも、短くとも自分らしく生きていきたいと思っています。

そう覚悟すれば、将来のことを考えるよりも、今をどう生きるかが大事になりますし、今を大事にすることは、自ずと将来を大事にすることにも繋がります。

なぜなら、今はすぐ目の前にある将来なのですから。


……とはいえ、生き方は人それぞれです。

ただ、将来のために今を犠牲にすることがないように……という強い願いを込めて、以下の本をお勧めさせて頂きます!


■参考文献


ローマの哲人 パンセの言葉 中野考次(なかの・こうじ)

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