17日目 ~自分のため、誰かのため~
こんばんは、埴輪です!
昨晩はFF14で付き合いのある方のお誕生日イベントに参加してきました!
イベントは大掛かりかつ楽しいものでしたが、何より素晴らしいと思ったのは、「誰か(お誕生日の迎える方)のために何か(お祝い)をしようと、第三者(お誕生日を迎える方のお友達)が企画したもの」だったということです!
イベントの企画・運営・実施ともなると、それはもう大変なもので、それが大規模になればなるほど大変なりますが、それをなしえたのはひとえに、「自分のため」ではなく、「誰かのため」のものだったからではないかと思います。
自分のためではなく、誰かのために……と言うといかにも綺麗事ですが、実際問題、世の中はこのルールに則って動いているのではないか、そう思った次第です。
例えば「コンビニでコーヒーを買う」という行為一つとっても、「コーヒーを飲む」という行為は自分の欲求を満たすための……自分のための行為ですが、コンビニにとってはそれは売り上げになり、それはコンビニで働く従業員の給料の一部になると考えれば、誰かのための行為だとも言えるのではないかと。
これはなぜか……その答えは単純で、「人は一人では生きていくことができない」……これに尽きると思います。
「いや、俺は一人で生きている!」……と息巻く人も、ご両親がいなければ生まれていないわけですし、今を生きるということは、過去を生きた人達が築き上げた土台の上に生きてることに他なりません。
「情けは人のためならず」という言葉もあるぐらいですし、「自分のため」と「誰かのため」という二つの選択肢があった場合、選ぶべきは後者だと言うことは明白なのですが……ついつい、「自分のため」に行動してしまうこともあると思います。
ただ、前述の「コンビニでコーヒーを買う」行為と同様、「自分のため」の行為によっても、「誰かのために」なっていることも多く、そのために上手くいったように見えてしまい、これでいいんだと、また「自分のため」に行動してしまう……そんな連鎖を生んでいるのではないかと。
こうなると、「自分」と「誰か」……どっちのために行動するのがいいかという話になってきますが、それはもうケースバイケース、と言わざるを得ません。
「誰かのために」を免罪符に、凶悪な犯罪に手を染める人だって、世の中にいないわけではありませんから。
ただ、繰り返しになりますが、「人は一人では生きていけない」という大原則に則ると、「自分が○○すればいい」という考え方は、よろしくないと思います。
これは自分の利益を追求する行為のみならず、自己犠牲……自分が犠牲になればいい……もよくないということにも繋がります。(例え優れた人が大きなことをなしても、その人がいなくなったら元通りでは、「いい」とは言えないと思います)
これは結局のところ自分で抱え込み過ぎるなということであり、一人で出来ることには限界があるということなのかもしれません。
小説の執筆は自己完結的な側面があって、全部自分でやっているという感覚があるものの、どんな作品を書いても読者がいないと成り立たないわけで……そのことは絶対に忘れてはならないと思います!
今、自分がやっていることは誰のためなのか。
そんなこと目を向けると、いつもの日常がまた違て見えてくるかもしれません。
……と、何だかよく分からないまとめになりましたが、今日はここまで!
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