第21話 新聞社の謝罪基準に関する推測

 上毛新聞の新たな誤報と、その謝罪の迅速さにはそれなりに驚かされた。あくまで、地方紙の誤報が全国的に取り挙げられた事と、このように大事になればすぐさま手のひらを反す彼らの卑しさに対するちょっとした驚愕であるものの、この一件は私の中に新たな視点を設けてくれた。


 本当なら、次はk氏による証拠隠滅事件に関して書こうと思っていたが、 忙しぶって中々進まなかった。そんな時、丁度この報道があったため、多少の脱線をさせて頂いている次第であるが、この一件は今後上毛新聞について書く上で、彼らの考え方を知る手がかりになると思ったため、番外編ではなく本編の中で取り挙げさせて頂きたいと思う。


 私の家に関する誤報記事(2016年2月13日)から、今回の9月後半の誤報まで、上毛新聞の取材体勢を考えれば、数多の誤報がその紙上で繰り返されているはずであるが、群馬県民にとってそれは常態となっているため、大きく(少なくとも全国レベル)で取沙汰されることはなかった。まあ、そもそもあの誤報に対する上毛新聞の開き直りを見れば、彼らが誤報に対し誠意を見せ、謝罪記事を載せるということは奇跡的な確率であるだろう。


 今回、珍しく彼らが反省している風を装っているのは、偏に今回の報道が朝日新聞という大手新聞社も同様の誤報をしたからであると考えられる。大新聞社に倣うのであれば、彼らはその優秀な頭脳を一切働かせる必要もなく最善手を打てるというわけだ。


 だが、あくまで、あくまで私の個人的な推測であるが、これが仮に人名や財産に関係する誤報であった場合、果たして、今回と同様に上毛新聞は謝罪記事を掲載しただろうかと、疑問に思うのである。

 損害賠償が生じる可能性があれば、如何に大手新聞社様が先に誠意を示したとしても、彼らは付和雷同の精神を発揮しないのではないだろうか。今回の件は、仮に誤報しようとも基本的には無害な記事であった。謝罪をしても、娯楽的な興味で追及されることはあっても、実害を蒙ることはない。上毛新聞社はきちんとそのあたりを読み取り、迅速な謝罪を選択し、多少なりとも緩和を試みたのではないかと思われるのである。

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