第23話
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驚きのあまり、持っていた物を手から滑り落すという漫画のような光景を実際に見たのは初めてのことだった。
「……明日香、どうしたんだ、その怪我」
待ち合わせの本屋で雑誌を立ち読みしていた黒羽さんは、僕の姿を見るや否や、笑みを浮かべた顔を強張らせた。
自らの問いの答えを探すかのように、僕の体を上から下、下から上、と繰り返し震える視線でなぞる。
無理もない反応だ。
服や髪は乱れ、殴られた頬は熱を持って腫れ上がり、膝からは血を流している恋人が待ち合わせ場所に現れれば、誰だって同じ反応をするだろう。
「大丈夫か? 痛くないか?」
僕の体をさすりながら、痛ましげな表情できいてくる。
その足元でさっき彼が落とした雑誌がぐしゃりとひしゃげていた。
表紙はクラスの女子が西條と似ていると黄色い声で騒いでいた若手俳優だった。
反射的に西條と似たその顔に心臓が飛び跳ねたが、とりあえず頷いた。
本当はまだ殴られた頬も、血を流す膝も痛かったし、西條から受けた屈辱や恐怖で乱れに乱れる胸中は全く大丈夫と言える状態ではなかったが、頷いた。
それは彼に心配を掛けさせまいとする健気な気遣いからではなく、首を横に振れば、また繰り出されるだろう質問に答えるのが面倒だという、彼の心配とは不釣り合いなひどく冷淡な気持ちからのものだった。
僕の返答にとりあえずは安心したようで、黒羽さんはほっと息を吐いた。
そして、
「すぐそこの店で消毒液を買おう。あと冷却シートも。可愛い顔に痕でも残ったら大変だ」
今更傷跡のひとつやふたつ増えようが問題のない顔だが、僕の手を引き本屋を後にする彼の歩調には、一分一秒の遅れが傷を深刻化させかねないと信じて疑わない焦りが滲んでいた。
雑誌コーナーを立ち去る間際、ちらりと雑誌の表紙を見遣った。
黒羽さんの足跡と寄せ集まった皺の中、世の女性を虜にする甘い顔は依然として笑みを崩さずそこにいた。
ドラッグストアまでの道のり、その笑みを思い出しては胸に言い様のないざらつきを覚えた。
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