第十三回 隈蘇台

「旅は良いものだ」


 赤橋が、そう言った。

 これで何度目だろうか。行く先々で、赤橋はその言葉を口にする。

 怡土を出て三日。隈府までは、あと二日という距離である。

 小高い丘陵。その頂きに転がる巨石の上で、睦之介と赤橋は昼餉の握り飯を頬張っていた。

 目の前には、青々とした草原と幾つもの岩が隆起した奇景が広がっている。このような草原は怡土には無い。広い平野はあるが、全てが耕地になっているのだ。

 西には大隈山おおくま隈蘇国くまそこくの象徴として鎮座する火山だ。隈蘇国は俗に〔焔国ほむらのくに〕と呼ばれているが、その所以は大隈山の火山から来ている、と赤橋が教えてくれた。

 風が吹いた。心地良い、秋の香りを含んだものだ。草原の緑を凪いでいく。丸でその光景は、まるで波のようだ。


「馬で駆けたいものだな」


 目を細めて言う赤橋の言葉に、睦之介は頷いて応えた。

 これが天下に名高い、隈蘇台くまそだいの原野。天領という事にされているが、管理は隈府藩に任されているという。


「隈府藩は、騎馬隊の精強さで名高い」


 竹筒の水筒を口に運びながら、赤橋が言った。


「この隈蘇台で、騎馬の調練を繰り返しているからだろうな」


 戦国の御世、菊池の騎馬隊は〔菊池駒武者きくちこまむしゃ〕と呼ばれ、その蛮勇で九州中を席巻した歴史を持つ。今も菊池駒武者の伝統を引き継ぎ、この泰平の世になっても隈府藩士は武骨な気風を保っていると言われている。

 それにしても広い。何処までも草原である。そして、誰もいない。隈府まで最短距離で行こうと街道を外れて隈蘇台に入ってからと言うものの、人の姿は全くない。見掛けるのは、野兎と野生の馬群だけである。


(赤橋様の申す事も判るな)


 旅はいい。全てを忘れさせてくれる。出来るのならば、お役目や煩雑な時勢など忘れて、気の向くまま、雲のように旅をしたいものである。ただ、それは一人ではない。紀和と共にである。


「帰るのが嫌になるな」


 赤橋が、睦之介の心中を見透かしたように笑う。


「ええ。本当に」


 出来るならば、この景色を紀和にも見せたいものだ。妻になってもお転婆が治らない紀和は、この景色を見てどんな反応をするだろうか。


「さて、益々嫌になる前に先に進むか」


 と、赤橋が立ち上がった。

 この旅は、目付組の役目ではない。故に気乗りがせず面倒だと感じていたが、こうした景色を見られるのは思わぬ僥倖というものだった。

 また、赤橋と二人で話す事が出来たのも嬉しい事の一つである。赤橋は、様々な事を語ってくれた。お役目や時流の事だけではない。江戸に留学した話や、かつて惚れた女の話まで。思えば、大目付たる赤橋とここまで話したのは初めての事だった。


「あれは」


 西の方角。丘の稜線に黒い点が見えた。数は十ほど。野生の馬群だろうか。睦之介は目を細めた。


(いや、違うな)


 野生馬にはしては、整然と揃っている。


「赤橋様」


 睦之介は、咄嗟に赤橋の前に出た。旗が挙がる。軍旗。家紋までは見えない。しかし、それで確信した。稜線に現れた馬群は、騎馬隊である。


「お出迎えかな?」


 赤橋が呑気に言った。


「迎え? 何故私達が此処を通ると知っているのでしょうか?」

「さて。隈府にも、諜報に携わる忍びもおろう。何処かで我々を尾行していたのかもしれんな」


 そう赤橋は答えたが、ここまでの旅で尾行されている気配は感じなかった。


「どうしましょう?」


 そう訊いた睦之介を一瞥し、赤橋は鼻頭を指で掻いた。


「君も存外小心な奴だ。怡土でも屈指の剣客になったというに」

「私は小心者ですよ。だから、知恵のある赤橋様にお伺いをたてているのです」


 皮肉を言う睦之介の横で、赤橋が一笑した。


「諦めが肝心だ、睦之介。相手は多勢。二人で斬るにしては骨だし、逃げようにも相手は馬。隠れようにも周囲は草原と来ている。どうしようもないのだ」


(なるほど)


 確かにどうしようも出来ない。袋の鼠、四面楚歌だ。だとしても、睦之介には赤橋のように達観は出来ない。


「赤橋様。こちらに来ます」


 騎馬隊の中から一騎だけが駆け出してきた。栗毛を駆っている。よく見ると、物々しい甲冑姿だ。それを見て、睦之介は身構えたが、赤橋は相変わらず呑気に腕を組んでいる。その武士は砂煙を立たせながら、二人の前で馬首を返した。



「そこの二人。いずこの御家中であるか?」


 男の無礼な物言いが、癇に障った。更に一歩前に出た睦之介は、


「人に名を尋ねる時は、まず自ら名乗るべきではないか」


 と、吠えた。


「これは、御無礼を。拙者は隈府藩、御馬組中頭の村野忍太郎むらの おしたろうと申す。改めて訊くが、いずこの御家中でござるか?」

「私は怡土藩大目付、赤橋頼母、これなるは与力の大須賀睦之介と申す」


 赤橋が名乗り、それに合わせ睦之介は黙礼した。


「おお、左様でございましたか」


 村野と名乗る若い武士は、下馬すると深々と頭を下げた。歳は同じ頃だろう。陽に焼け精悍なように見えるが、筋の通った鼻梁には知性を感じさせる雰囲気がある。


「我が主、菊池丹弥の使いで参上いたしました」

「お迎え痛み入る。して、その姿は何事かあったのかな?」


 すると村野はニヤリと笑い、頭を一つ振った。


「いいや、これが我ら菊池駒武者の誇りを受け継ぐ隈府武士の正装でござる。当世、甲冑が重いと軟弱な事を申す武士が多いと申します故」

「ほう。それは殊勝な心掛け。怡土藩も見習わねばならぬな」

「強き事は、隈府の誇りでござる」


 と、村野が手を挙げた。

 稜線の騎馬隊が、一斉に動き出した。横一列。駆け下りてくる。先頭を駆ける男が手を挙げると、横一列から鋒矢の隊形と変化し、村野の目の前に来ると、また横一列に整列した。


「見事だ」


 赤橋が手を叩いた。

 甲冑武者の一糸乱れぬ動きは壮観だった。そして、変幻自在。例えるならば、一頭の獣。このような騎馬隊を有する藩軍は精強だろう。天雷山党の討伐で失態を見せた怡土藩軍と比べ物にならない。

 騎馬武者は、全員下馬すると片膝を付いた。その動きも統制が取れていて、並みの錬度ではない事が窺える。

 睦之介は、その武装にも眼が行った。槍を持つ者、火縄銃を持つ者と分かれているが、全員が腰に短銃を装備している。戦国の軍制を貫く怡土藩軍とは、ここも違う。そもそも怡土では、騎馬武者が火縄銃を持つ事も、単一の部隊として動かす事も無い。

 繁々と目を向ける睦之介に、村野は低い声で笑った。睦之介は些かムッとして一睨みしたが、村野は意に介さず、


「さ、これから我らが隈蘇台の出口まで同道仕ります」


 と、部下に空馬を二頭曳いて来させた。


「どうぞ、これに」


 栃栗毛とちくりげと鹿毛。どちらも引き締まった体躯である。隈蘇国は、〔隈蘇駒〕と呼ばれる名馬の産地である。その名望は高く、種堅の愛馬も隈蘇駒を取り寄せ、愛馬としている。

 赤橋が鹿毛に颯爽と跳び乗るのを見て、睦之介も栃栗毛の鞍上に移った。


「ご注意を。隈蘇駒は、並の武士には些か難しい馬でござる」


 村野が、睦之介に馬を寄せてきた。


「私が乗れぬとお思いか?」


 睦之介は、憮然として応えた。どうもこの男の言動には、人を小馬鹿にした色がある。


「そうではござらぬが、大事な客人に怪我などされては困る故」

「心配ご無用」


 赤橋と睦之介は、騎馬隊に交じって隈蘇台を疾駆した。

 確かに、難しい馬だ。兎に角、気性が荒い。睦之介はその鞍上でほぞを噛んだ。見事に乗りこなし、村野に一泡吹かせようと思ったが、これでは騎馬隊に着いて行く事がやっとである。

 一方で、隣りを駆ける赤橋は流石の手綱捌きを見せた。隈蘇駒の荒馬を見事に乗りこなしている。怡土が誇る文武両道の秀才の面目躍如だ。




 隈蘇台の出口には、夕暮れ前に到着した。

 そこには陣屋があった。隈蘇台陣屋という名らしい。物見櫓を中心に、幾つかの侍長屋と厩を丸太で囲っただけの簡単な砦である。防御力は皆無。守るより、攻める事を意識しているのだろう。今夜は此処で一泊と、村野が言った。


「遠路遥々ご苦労でございます」


 一行を出迎えたのは、羽織袴姿の大きな男だった。

 上背は六尺二寸、重さは見た目で二十二貫目ほどか。筋骨逞しい体躯で、猪首に支えられた四角の顔は、濃い髭に覆われていた。


「拙者は御馬組大頭で、この隈蘇台陣屋を任せられている石倉善兵衛いしぐら ぜんべえと申す」


 男の声は、腹に響く野太いものだった。大きな目と太い眉。武骨な男だ。


「満足な歓迎も出来ませぬが、どうぞ酒など飲んで語らいましょうぞ」


 石倉が合図を出すと、周囲が俄かに騒がしくなった。甲冑を脱いだ騎馬隊の面々も現れ、焚火と夕餉の準備が始まる。


「まるで、戦場いくさばですね」


 その様子を見て、睦之介が言った。


「常日頃からこうする事で、泰平に慣れぬようにしておるのです。武士の本分は、戦う事でございますからな」


 睦之介は感心するように頷いた。菊池藩軍の精強さは、こうした所にあるのかもしれない。だが、これを取り入れようにも、莫大な銭を要するだろうし、その余裕は怡土にはない。


(ん?)


 何とも言えぬ臭いが流れてきた。それは嗅ぎ慣れぬもので、睦之介は思わず顔をしかめてしまった。

 目を向けると、焚火で肉が焼かれていた。四角に切り分けられ、枝に刺して焼いている。解体されているので、何の肉なのかは判らない。


「あれは?」


 赤橋が、焼かれている肉を指さした。


「獣肉でござる。山鯨、牡丹、兎、野鳥ですかな」

「ほう、これは珍しい」

「我々は、獣肉を普段から食べておるのです。血肉を増やし、強靭な身体を作るともととなりますから」


 と、石倉が手下の一人を呼んだ。肉が刺さった串を持ってこさせる。それを赤橋に手渡した。


「これは隈府の名物で、〔うっちゃい〕と申す。猪や鹿、兎、野鳥の肉を串や枝に刺し、塩か山椒を塗して食すもの。お二人は獣肉は大丈夫ですかな?」


 睦之介は、赤橋と顔を見合わせ、首を横にした。


「頂戴します」


 焚火を囲むように座った。上座は石倉と赤橋で、睦之介の席はその隣りだった。

 円座には、自分と赤橋を含む十五人。その中に村野もいる。この十三人は、隈蘇台陣屋の将校だと紹介された。他の者は、方々で輪になっている。

 小者が酒を注いで回り、〔うっちゃい〕と呼ばれる串焼きも、笹の葉に乗せられて運ばれた。

 獣肉は初めてではない。怡土でも、山鯨や紅葉は常にではないが食べている。だが、それは鍋にしてだ。焼いて食べる事は無い。

 取りあえず、串を一本手に取った。肉の塊が、三つ刺してある。嗅ぎ慣れない臭い。だが、不思議と嫌とは思わなかった。何処かで空腹を刺激するものがある。

 思い切って、口に入れた。堅い。それが最初の印象だった。親の仇のように噛んだ。すると次第に柔らかくなり、濃い味が染み出て来た。


(趣味が別れる所だな)


 だが、睦之介には旨いと感じた。次の肉は柔らかく、噛んだ瞬間に肉汁が弾けるように飛び出した。これは野鳥だろう。やはり、これも野性味のある濃い味だ。

 睦之介は、咀嚼しながら盃に手を伸ばした。既に酒が満たされている。

 香りは無い。水のようだ。しかし、口に含むと強烈な辛味が襲う。そして強い。喉、そして臓腑が焼けるようだ。


(これは好みじゃない)


 もっと嫋やかで、とろみがある甘い酒が好みだ。隈蘇の酒は、そうした要素が一切ない。男性的、或は無粋と言うべきか。

 座は直ぐに乱れた。まず石倉が名を呼び、その者に謡えと命じた。男は円座の中心に進み出ると、


菊池今様きくちいまよう


 と、言って腹から太い声を捻り出した。

 戦国の御世、一騎当千の菊池駒武者がいた。右手に大身槍、左手には野太刀を持ち、十度の戦で百もの首を挙げた。しかし、その男は出世しなかった。何故なら、十度の戦で百もの首を挙げる武者は、菊池家中に沢山いるからだ。十度の戦で千の首を挙げてこそ、真の菊池駒武者という。


(千の首など挙げられようはずはない)


 睦之介は、失笑を堪えて拍手を贈った。内容は兎も角、歌声は悪くない。

 次は槍を持って舞う者、更には腹踊りを見せる者と、余興は進んだ。隈蘇国の男達は陽気だと聞いていたが、噂に違わぬ明るい席となった。


「どうでござるか? 隈蘇の酒は」


 村野が傍に来て言った。顔は赤いが、理知的な表情は崩していない。


「強いですな。正直驚きです」

「左様でござろう」


 と、得意げに鼻を鳴らした。


「慣れない方には厳しゅう口当たりでありましょうが、この辛味が何とも美味でござる」

「ほう。思えば、この国は全てが濃いですな。この〔うっちゃい〕といい、酒といい、陽気な男衆といい」

「大須賀殿、濃さは強さでござるよ。薄味の軟弱さとは違う。獣肉を喰い、強い酒を飲む。そして大いに笑う。これが強さの源。隈府武士を支えているものでござる」


 したり顔で言う村野に、睦之介は適当な相槌で返した。この男の発言には、


「お前達は弱い」


 と、言いたげな侮蔑が見て取れる。


(ああ、確かに弱いさ。怡土は弱い。だから、こんな場所に来ている)


 どうも気に入らない。村野という男もだが、この国の武士の気風も。隈府今様もそうだ。自分達の強さを自慢している。謙虚さが無いのだ。だからどうも、強欲ではしたなく見えてしまう。


(しかし、大丈夫なのだろうか)


 しきりに自慢している村野を無視し、睦之介は赤橋を一瞥した。石倉と二人で話し込んでいる。笑顔だが、何やら真面目な話をしている雰囲気だ。


(ま、赤橋様ならば無策ではあるまい)


 だが心配だ。この国の武士は、強さを何よりも大切にし、最高の価値基準にしている。その様な気質を持つ者に、


「我が藩は弱いので後方に配置して下さい」


 などと、言えるだろうか。

 言えるはずはない。鼻で笑われ、叩き返されるのがオチだ。全く、何という役目を引き受けた事か。もしや赤橋に失点を与え、大目付職を解きたいが為に、種堅は命じたのか。そう思えるほど、困難な交渉になるだろう。


(全てが気に入らん)


 人も酒も歌も。この〔うっちゃい〕という獣肉と、隈蘇台の自然以外は、全て。

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