~GENOCIDE~

Ep.0 狂い咲く不死鳥と戦慄の小悪魔

 信じられなかった。

 私は、霊能力者として思うがままに生き、その代わり人として与えられるはずのものを、一切捨てなければならなかった。

 人に対する愛情も、そのひとつに数えられていた。

 永遠に清浄なる肉体であること。

 すなわち、処女であること。

 さらに下った言い方をすれば、男と交わらないということ。

 それが、私たち一族が能力を発現する条件であったし、それを喪った女は、血筋を引き渡す為の道具にしかならない。


――それが、札切ふだきり家の唯一にして絶対の掟であった。


 だから、私はあの日から女であることを捨てたのだ。

 女にしか与えられない能力でありながら、女であることを捨てることによって、逆説的に能力を保持できる。それは、皮肉で歪な理であり、私が生き抜くための唯一にして完全な解であった。


――そして、札切家を滅ぼすため、私が背負った宿命でもあった。


 しかし、私は気がついた。

 この世で最も、気がつきたくないことに。



 寒い。

 道の所々が白くなっている。

 天気は雨。この時期だから、時雨だったか、そんな名前がついていたように思う。

 雨であろうが雪であろうが、冷たいことには変わりない。コートの襟を立てながら、僕は先を急ぐ。

 ホームセンターで買った猫用の砂、キャットフード、寝床用のケージが重い。こんなことなら眞鍋でも呼べばよかった。

 拾ったばかりの猫を世話しようと思ったのは、彼女が真っ白で美しい毛並みだったから、というだけではない。なぜだか、その中に咲子の面影を見たような気がしたからだった。もちろん、そんなことを話しても誰も信じてはもらえないだろうし、いくら咲子でも、猫に変化する理由も意味も能力もないはずだ。つまり僕自身のどうでもいい気まぐれなのだ。

 と、多少手痛い出費の理由を正当化しながら、アパートの階段を上った。そこで鍵を取り出して部屋を開けようとする眞鍋陽子に出会った。

「あ、なんだ。……なにそれ」

 眞鍋はホームセンターのビニール袋に興味を示してとことこと近寄ってきた。

「ん? 猫ちゃん? 拾ったの?」

 彼女は目をらんらんと輝かせて僕を見上げた。よくわかったな。

「ああ、ついこの間な」

「へええ、みして」

 そう言うとドアを開けて中に入っていく。まるで自分の部屋みたいだ。

「うわーかわいい」

 部屋に入ると、雪月花は眞鍋陽子まなべようこの胸元に抱かれて……いや、乗って、いた。

「なにこの子、真っ白! 名前なんていうの?」

 にゃあ。

 雪月花は答えようとしたのだろう、眞鍋に顔を向けている。

「にゃあ?」

「猫の名前がにゃあ、なわけねえだろ。犬にわん、って名前付けるか?」

「でも、実家の犬はわんって名前だよ、私がつけたの」

「……」

 はあ、そうですか。

 なんともストレートな名前だ。人間だったらどんな名前になるのだろう。

「もしかしてまだ名前決めてないの?」

 眞鍋は不服そうに僕を睨んだ。札切のものとは違って、どこか柔らかいような気がする。

雪月花せつげつか

「へ?」

「雪月花だよ、そいつの名前」

「なに、君がつけたの? めっちゃウケる」

 たまらずぷっと吹き出す眞鍋。

 うるせえな。

 にゃあ。

 雪月花は眞鍋の上でじっとしている。脂肪の塊の上に乗るのは、さぞ気持ちがいいにちがいない。

 ん、待てよ。

「というか、お前、なんか、でかくなってないか?」

「え、ああ、これ? うん、なんか最近そんな気がするんだよね」

 眞鍋は雪月花を抱えてゆっくりと下ろすと、胸を持ってそう言った。確か前は、両手にぎりぎり収まるかどうか、くらいの大きさだったはずだ。

「あれかな、身体が吸精鬼サキュバス仕様になったのかな?」

「マジかよ」

「でも、このトシになっておっきくなるのってそれくらいしか考えられないんだよねえ」

 彼女は真顔で、ある種の悩みを持つ女性をどん底に突き落とすようなことを言った。

 雪月花は眞鍋の胸の上でごろんと横になっている。

「いたっ!」

 眞鍋は胸の上にいた猫を吹き飛ばした。

「何すんだよ」

 僕はギリギリのところで雪月花を受け止めた。

 にゃあ。

 尻尾が立っている。ご機嫌斜めらしい。

「引っかかれちゃった」

 見ると、首筋に細い爪あとが残っていた。痛そう。

 しかし、その傷は僕の見ている前でみるみる修復されていく。まるで、目の前で肌色の絵の具を塗られているみたいに。

「あれ、なんかもう痛くないんだけど」

 眞鍋は頭上に?マークが見えるような顔で首を傾げた。

「だって、傷、治ってるぞ」

「え、うそ?」

 眞鍋は引っかかれたところを覗き込んだ。

 にゃあ。

「あっほんとだ」

 これも吸精鬼の能力なのだろうか。

 にゃあ。

「うるさいやつだな」

 僕は雪月花を抱き上げる。

 にゃあ。

 彼女は先ほどから何かを訴えるかのように鳴いている。

 一体、なんだろう。

「ねえ、ユキちゃん、おなかすいたんじゃないの?」

「ユキちゃん?」

 誰だそりゃ。いや、もちろん雪月花のことだろうと想像はできるけれど。

「うん、雪月花の雪で、ユキちゃん」

「いいのかよそんなんで」

 だいたい、元の名前の欠片もないような気がするが。

 で、彼女、おなかをすかせていると。

 だったら。

 僕は買い物袋からキャットフード缶を取り出した。

 プルトップの缶を引き開ける。このままだと、缶の縁で怪我をしてしまうが、どうしよう。皿なんてあったっけ。

 とりあえず、その場にあった耐熱皿(いつ買ったのだろうか……僕は怖くなって軽く水洗いをした)に中身をあけて、雪月花に出した。

 にゃあ。

 雪月花は一旦顔を近づけたものの、さっと顔をあげてそっぽを向いた。

 にゃあ。

「あらら、お気に召さないみたい」

 もしかすると。

 キャットフードは油分が少ないため、魚特有の嫌な臭いがすることがある。

 だから人間の食事には向かないのだそうだ。

 雪月花は猫かもしれないが、僕は彼女をただの猫としては扱ったことがなかった。

 つまり。

「贅沢なやつだなあ……」

 可能性としては十分に考えられることである。

 僕は仕方なく、家の中に積み上げてあったツナ缶を別の皿にあけた。

 彼女は僕に向かってありがとうと鳴くと(たぶん)、ツナを食べ始めた。鳴き声からしてかなり腹が減っているはずなのに、がつがつというわけでもなく、くつくつと上品に食べているのが、可愛らしいし気品がある。

「なんか、すごくおしとやかな子だね」

 眞鍋が雪月花の尻尾を目で追いかけながら言った。

「そうなんだよな。もしかすると、どこかで飼われていたのかもな」

「えー、じゃあダメなんじゃないの、この子置いとくの」

 彼女は尻尾を掴んで、さすさすとさする。それはあんまりやっちゃいけないんじゃないか。確か気が散るらしい。

「わからない。でも首輪がなかったし、それに飼い猫だったら捜索状か何か出すんじゃないか?」

 知らないけれど。

 にゃあ。

 雪月花は鳴き声をあげる。それがどんな意味を持つのか僕にはよくわからない。

「ん、あれ」

 眞鍋が何かに気がついたらしく、僕の前髪をかきわけた。

「なにこれ」

 彼女は僕の額に触れ、

 何かを、押した。


 途端に、目の前が真っ暗になった。


* * *


 この真っ暗な風景は、もう慣れてきている。

 夢の中、現実と虚像が入り交じる不思議な空間だ。

 僕と咲子との密会場所でもある。

 それは時として、時空を置き去りにしてしまうのだ。

「あら、真中」

 そこにいたのは、御厨智子みくりやともこだった。藤色のフリルや襞がそこかしこにある豪奢なワンピースは勝負服そのものであるが、別の視点から見れば拘束衣と見てとれなくもない。

 総てを超越し、幾世紀もの時を超え、現在まで存在し続けている呪術師。彼女はいつしか人から魔女と呼ばれ、また自らもそう名乗った。


 何だ。

 この思考は僕のものではない。誰かの知識、思考が直接流入している。それが僕の中で同調し、あたかも僕がそれを追体験しているかのような錯覚。

 複数の思考を同時に処理することで起きる混線現象とも言うべきだろうか。それはまさに呪術師がかけた「まじない」のように、僕を、私を、世界を縛り付ける。総て縛り付けられているのだ。世の中の法則、理に。


 だんだんとわけがわからなくなっていく。いったいどの思考が僕なのだろう。

 いや、そもそも、僕は今思考しているのだろうか。


「舞も、とんでもない置き土産を残していったようね。寧ろ、それが彼女の思惑なのかしら」

 御厨の重たく低く、冷たい声が僕の脳をゆさぶる。彼女を殺せば楽になるだろうか。いや、そんなことはない殺してしまえそうすれば総てが楽になる御厨は最悪の魔女だ世界はすでに崩壊している僕は汚くなってしまったこれはこれで頭がおかしいむしろふーちゃんはわたしのもの。

 誰だ。僕の思考に干渉してくるのは、いったい。

「それは誰のせいでもなく、強いて言えば貴方のせいね」

「ど、どういうことだ」

「その額の角よ」

 思い出した。六本木舞に生やされた角。

《力を、挿れるね》

 彼女はそう言って僕にこの角を生やした。

 脳内に浮かんでくる関係のない言葉を出来る限り消し去りながら、僕は僕を取り戻そうと必死にもがいた。

「この角の所為で、貴方は今、人の想いを受信して仕舞っている。そして、現実世界ではもっと可笑しなことが起こる筈よ」


 そもそも、この世界はすでにバランスが崩壊している。


 勝手に受信したノイズのなかに、ふと気になる言葉が紛れ込んだ。世界のバランス。そんなものが本当にあるのだろうか。

「この世界の均衡は緩く保たれていた。けれども、舞の所為で、均衡が崩れた。これは動かしようもない事実ね。それに、如何しようもない運命さだめでもある」

 御厨の声が次第に柔らかくなっている。

「貴方には、それを元に戻すことは出来ない。けれども貴方は気がついてしまうのね、残酷な運命ながれに」

「それはいったい、どういうことですか?」

 僕は声を押し殺して御厨に問う。彼女のしなやかな黒髪が、風もないのにふわりと舞った。

「説明出来ないわ」

 どういう意味だろう。御厨自身が説明できないのか、それとも僕自身に説明することができないのか。

「兎に角、確実に云えることは、この終焉おわりゆく世界を受け止めるしかないという事実こと、そして限りある時間ときを有意義に過ごす意志ことね」

「……そんなに、深刻なんですか」

 僕の周りでは、さして不思議なことは起きていない。強いて言えばあの日から咲子も六本木舞も現れていないことくらいだろうか。

「もう、決まって仕舞った宿命ことよ。足掻く真似ことは出来るけれど、意味を為さないわ」

 御厨の声は冷たく、虚空に淡々と響いた。

「世界が崩壊することは事実として、どのように、壊れていくのですか?」

 僕は、思わず考えていたことをそのまま口に出してしまった。

「それは私にも判らない。そして、私は恐らく見届けることが出来ない……」

 御厨は相変わらず無表情を貫いている。が、僕からしても彼女は今、とんでもないことを言っている。

「存在を、保てなくなりつつあるんですね……」

「いえ。正確には、私の役目はもう終焉おわっているから、摂理ながれに任せて消えるだけなのだけれど」

 ありえない。御厨智子が、全知全能にほど近い場所にいる彼女が、役目を果たして消え失せるなど。

「……僕は終わらせたりしませんよ」

 気がつけば、拳をきつく握りしめていた。

 僕はいつ、これほどまでに想いの強い人間になったのだろうか。自分で言っておいて、そんな問いが浮かんでくる。

「まだ咲子も救えていない。ゼロはどこにいるのかわからない。その上智子さんは消えるし世界が終わるだなんて、信じられると思いますか」

「信じる、信じないではないわ。これは運命さだめなのよ。……尤も、そのうち全て理解わかる筈よ」

「全てですか?」

「そう、全て」

 無表情な御厨の影が徐々に薄くなってきている。

 彼女の言うことが本当であれば、僕は今度こそ咲子を見つけなくてはならない。夢の狭間から抜け出したはずの咲子は、この世界のどこかに必ず潜んでいるのだ。僕以外の誰にも存在の記憶を消された彼女が生き延びる為の行動。

 考えろ。考えるんだ。


* * *


「ちょっとー」


「おーい」


「ほんと起きねえな。だいじょうぶー?」


 気がつくと、僕は部屋の中にいた。重力を背中に感じ、横になっていることがわかる。目の前には金髪の吸精鬼が心配そうに顔をのぞき込んでいる。

「ようやく目が覚めたか。いきなり倒れたからびっくりした」

 髪がさっと黒に染まり、えんじ色のセーターが身体を包み込んだ。それでも大きな胸はやわらかな丸みをおびて存在感を増している。

「お前、何してたんだ?」

「ん? 吸精鬼モードになって君に力をあげてた」

 よく見るとほんの少し疲れているようにも見える。

「効いたか?」

「わかんない」

 眞鍋はぶすっとしている。

「なんか、すごく苦しそうだった」

「うん、苦しかった」

「智子さんのところ、行かなくていいの?」

 眞鍋の何気ない問いが、僕の記憶を呼び覚ます。

 そういえば、御厨もやがて消えると言っていた。事務所に向かった方がいいような気がする。

 無駄ではないか。

 頭の中で、誰かがそうつぶやいた。この怪異は、六本木舞によって付加されたものだ。いくら御厨智子でも、そう簡単に怪異を切り離すことなど。

 と、そこまで考えたところで。

「吉岡」

「えっ、なに?」

「吉岡の能力を使えば、解放されるかもしれない」

「あ、ああ。その角の話ね」

「うん」

「どういう怪異なんだろね」

 眞鍋は僕から離れて、押入の下で佇んでいる雪月花を撫でた。にゃあと声を漏らしながら、雪月花は眞鍋を見上げる。

「なんだか、他人の記憶が時たま混じるみたいな、そういう感じらしい。倒れてた時に智子さんが出てきた」

「へえ。でもそれ、いつもだよね?」

 彼女は首を傾げた。

「それが強くなったというか、そんな感じ」

 多分それ以外にも、能力はあるような気がするのだけれど。それ以外にも話したいことはあるけれど、世界が崩壊するとか、そこら辺は言わない方がいい。なにがなんだかわからなくなるだろうし、今話したところでどうにかなるわけでもない。

 とにかく。

「そうか、ゼロも行方不明だし、やっぱり事務所に行った方がいいのかな」

「そう思うよ。私はここでユキちゃんとお留守番するから」

 眞鍋は雪月花を抱き上げて前足をつかんだ。

「にゃあ」

 雪月花の右手、もとい右前足が本人、もとい本猫の意志に関係なくぴょこんと動く。

 にゃあ。

 雪月花は力なく鳴いた。状況を理解しているとは到底思えないのだが、なぜだか笑ってしまう。

「なんか、ユキちゃんって私たちの言葉わかってるっぽいよね」

「そんな馬鹿な」

 猫が人語を解す例など聞いたことがない。それそのものが怪異になってしまうからだ。猫また、もしくは化け猫という怪異に。

「まあ任せてよ、猫の面倒みるのは得意だから」

「なんだ飼ってるのか」

「うん、実家でね。三匹」

「多いな」

「まあね、お金持ちだから」

 地元では有名な名士の一族であるらしい眞鍋一族。言葉にすれば華麗なる令嬢というところだろうか。

 もっとも、見た目は全くそんな風にみえないのだが。

「また失礼なこと考えてる」

「なんで読めるんだよ」

「私が何か言うと、心の中で絶対ツッコミいれるでしょ」

「げっ」

「ほらあ」

 向けられるジト目。

 大したことは考えていないと思うのだが。

 逃げるように外へ出る僕を、ひとりと一匹は黙って見つめていた。


 縦波たてなみ市営地下鉄の駅はどうしてこんなに深いところにあるのだろう。そんなどうでもいいことを考えながら、いつものように「ヒルズ中央」駅で降りる。通い慣れたこの道も、御厨の言葉を聞いてからでは、どこか妙な違和感を覚えるのであった。しかし、どこをどう見てもいつも通りの景色にしか見えない。それもそのはずだ、いくら御厨の言葉通りに世界が崩壊するのだとしても、今すぐというわけではないだろう。何かしらの予兆のようなものがあるはずだ。そんなに簡単に、あっという間に世界が粉々に砕け散ってしまっては困る。

 坂を上って、クーロンマートの前を曲がる。そういえば、この店で買い物したことは未だにない。そんな日が来るのかどうかは、果たして謎だ。

 その先をずっと歩いて、目印になるのは白い家……なのだが。

 歩いても歩いても、その家が見えない。

「そんな馬鹿な……」

 結局白い家は見つからないまま奥の大通りへと出てしまった。ここを下っていけばヒルズ南駅がある。少し前に眞鍋と共に歩いたところだ。

 僕は引き返して再び御厨の事務所を探す。こんどは一軒一軒慎重に探したが、やはりなかった。見慣れた白い一軒家は、どこかに姿を消してしまったのだ。

「いや、待てよ」

 どころか。

 こんなところは見覚えがない。いくらぼんやり事務所までの道を歩いている僕だって、ここは歩きなれた道であって、見慣れない景色などあるはずがない。けれども、辺りを見回すと、どう見ても見たことのないような家がずらりと並んでいる。明らかに目立つようなデザインではない。けれど、このような家は今初めて見たというような、デジャヴの逆現象が僕を襲った。


 その時。


 強烈な眩暈がした。


 ふと目をやると、向こうから背の低い男がこちらを向いていた。灰色のパーカーのフードを目深にかぶって顔を隠し、正面のポケットに両手を突っ込んで、ただ棒のように立っている。履いているジーパンはかなり色褪せ、夏の空よりも浅い青色だった。

 彼は、つかつかとこちらへ歩いてくる。

 どことなく恐怖がこみあがってきて、思わず僕は逃げ出した。時折後ろを振り返って、パーカーの少年を確認する。彼は歩いているようだったが、走っている僕とほぼ同じ速さで動いていた。つまり、距離は広がっていない。


 相変わらず妙な感覚は続いている。明らかなのは、どうやら何かが歪んだ空間であるということだ。明らかに物理法則と体感がかみ合っていない。自分の身体だけが、水中を進んでいるように感じる。

 パーカーの男はすたすたと歩み寄ってくる。長く伸びた前髪が目元を覆い隠している。薄気味が悪い。こんな姿でよくも。よくも人に好意をもって、それでいて持たれようとするな。ふざけやがって。

 意味の分からない怒りがふつふつとこみ上げてきた。

 振り返って、彼を睨みつける。

 男はパーカーのポケットからナイフを取り出して、右手でぶらぶらと弄ぶ。そこには敵意というか、そもそも感情というものが何一つないかのような冷淡さがある。

 僕は寒気を覚えた。それはおそらく生理的なものなのかもしれない。逃げろ、と全身の神経がそう叫んでいる。その声から耳を塞いで、僕はいったい彼に何を向けているのだろうか。

 男のナイフが眩しく光った。

「真中!」

 札切の声が聞こえたような気がした。

 途端に景色が反転する。

 やはり強烈な目眩を起こしてしまったので、僕は蹲るしかなかった。

 格好悪く尻餅をついた。目の前にいたはずの彼は消えていた。早くあいつをなんとかしないとまずいこれからはすべて私のものあいつは渡さないこの私が敗北したなどあーこの猫本物だ。

 少しでも集中力を切らすと自分のものではない思考が脳内に流れ込んでくる。それはさしずめ混線したAMラジオのようであり、ともすればさらなる混乱を引き起こしかねない。

 ふと前を見ると、真っ黒に焦げた何かがふわふわと宙をたゆたっている。

 喫煙者で、かつライターが身近であった人間だからこそわかる。

 これは。

「紙の燃えかすか……」

 式紙を燃やす術を使う札切零七ふだきりれいなをすぐに連想した。

 行方をくらましていた彼女が何かを残すために彼を見せたのだろうか。それとも、彼は六本木舞によって造られたもので、それを札切がたった今倒したのだろうか。

 あまりにも展開が早すぎてついていけない。次々と主人公の仲間たちが死んでいくロボットアニメを見させられているような気分だ。

「なんなんだよ……」

 誰もいない住宅街のような迷宮で、僕はそうつぶやいた。

 と。

「あれ、真中くんじゃない」

 きらりとかわいらしい女子の声がしたかと思うと、ショートカットのよく似合う女子大生がふんわりとした笑顔を浮かべて立っている。

 東雲真理菜しののめまりなだ。

 その傍らにいるはずの吉岡はいない。あいつ、本当にいて欲しい時にはいないし、いて欲しくない時には必ずいるのだ。それ自体が霊能力といっても過言ではないような気すらしてくる。

「こんにちは」

「こんにちは、どうしたのこんなところで?」

 それはこちらの台詞なのだけれど。

 そう言いたかったが、やめた。

「智子さんのところへ」

「智子さん?」

 東雲は遠慮なく首を傾げて怪訝そうな顔をした。伝え方が悪かったのだろう。

「ああ、僕の上司だよ」

「あれ、真中くん働いてたっけ?」

「君の怪異を解決しただろ」

「怪異? 何、それ?」

 ここで僕はようやく異変に気付いた。

 いや、正確に言うなら異変というようなものではないのかもしれないし、むしろ正常に近づいたと言うべきなのかもしれない。

 けれど、仮にも死にかけているのにそれはないだろう。

「ビリー」

「えっ?」

 東雲の怪訝そうな表情は深まっていく。お前は何を言っているんだ、という声が聞こえてきそうだ。実際言っていてもおかしくない。僕が聞いていないだけで。

 御厨の存在はともかく、自分が創り出したビリーという吸血鬼侍すら覚えていないとは。

 彼女はもう、僕の知っている東雲真理菜ではない。

「ねえ、さっきから真中くん、言ってることが訳わからないよ。どうしたの?」

「……なあ、東雲、僕と初めて会ったのはいつだ?」

 僕の問いに、彼女は何かを疑う顔を崩さないままだ。

「なに、そんな当たり前のこと聞いちゃって。入学式のとき隣の席だったじゃん」

 忘れたの?

 先ほどの表情にわずかな怒りと焦りが見える。

 そんなはずはない。入学式で隣だったのは眞鍋だ。あいつ、隣の僕に散々いろんな質問を浴びせかけてきたから忘れるはずがない。

 だからこそ、今があるわけで。

「どうしちゃったの真中くん? 悪い冗談はやめてよ。なにかいやなことがあるなら私に言って」

 さっきまでの顔に純粋に悲しみを混ぜる東雲は、きっと器用だ。そんなに複雑な表情をできる自信が僕にはない。

 そんな仲ではなかったと思う。だいたい、お前吉岡はどうした。

「これでも私、真中くんのカノジョとして精一杯がんばってるんだよ。だから、私がなにか、女として欠けているなら遠慮なく言って」

 おいおい。

 おいおいおいおい。

 今すごいこと聞いちゃった。

「ちょっと待て。僕と君はいつからそんな関係になったんだ?」

「ねえ、なにが不満なの? 私そんなに重い?」

 東雲はぐっと一歩近寄ってまっすぐ僕を見つめた。彼女の瞳はわずかに涙に濡れている。

「わ、悪かった。ごめん」

 僕はとりあえず謝った。何で謝らなくちゃいけないのか全然わからないけれど。

「ちょっと疲れているみたいだ……今日はもう帰るよ」

 ほんの少し調子が悪そうなそぶりをして、その場を離れようとする。実際調子が悪いのは確かだ。

「う、うん」

 東雲はばつが悪そうな顔をして、うつむいた。

「私こそ、ごめんね……」

 ああ、そんな顔をしないでくれ。

 身勝手かもしれないが、女性が精神的に傷ついたのを隠す表情こそ、僕がもっとも苦手とするものの一つなのだ。だったらそんな顔をさせるな、という話だが、あいにくそんな繊細さは持ち合わせていない。

「じゃあ、また大学で」

 東雲は僕と反対方向に消えていった。というよりも、僕が東雲に背をむけて歩きはじめたというのが正しい。なぜなら僕はどちらに向かえば帰れるのか全くわからなかったからだ。

 事務所があったであろう場所から、東雲邸までの道と方向は、事務所から「ヒルズ中央」駅までのそれとほぼ逆であったというわずかな記憶をたよりにした、という言い訳ができるだけ、恵まれているように思う。

 住宅街の迷路をなんとかして抜け、見知った大通りの景色に合流したときは、思わずため息を漏らした。

 しかし、どういうことなのだろうか。

 東雲が怪異にあったという記憶どころか、自らが生み出したキャラクターのことも忘れていて、さらには僕とつきあっているという偽物の記憶を植え付けられている。いや、植え付けられているのか、それとも「そういうことにされている」のか、今のところはわからないけれど。

 疑問を持ったまま、僕は「ヒルズ中央」駅に入ろうとする。

 ふと、何か違和感を覚えた。

 真横を白に朱という鮮やかな少女が通り過ぎる。

 白に朱。

 振りかえれ。脳が叫んだ。

 果たして、視界に飛び込んだ少女はしたり顔で僕を見下ろしていた。巫女の服を着ているが、神々しさや清楚さよりも抑えきれない活力のような子供じみたものを感じる。

 かつての札切のよりも軽々しくそして闊達なツインテールが側頭部から元気よく飛び出している。

真中浮人まかなふひと、でしょ?」

 そして挑発的な視線。どこか札切にも似た不遜さだが、彼女はどことなく、軽い。そこが大きな違いだった。

「誰だ、お前」

 向けられたのは必ずしも善意だけではないことに、さすがの僕も気がついた。

「あたし? 宮町礼奈みやまちれな

 驚いた。彼女が宮町家の人間であることは感づいていた。でなければ境内でもないのに巫女の装いなど恐れ多すぎて出来ないだろう。

 レナとレイナ。

「れーなねーちゃんと似てるのがそんなにおかしいか!」

 宮町礼奈はほんの少しの嬉しさを混ぜたからかいの表情でそう言った。

「お前の思考の流れはあたしの能力をもってすれば余裕だっ!」

「な、なんだって?」

 ということは。

 宮町蘭みやまちらんにも、当然僕の思考は読まれているということで。

「意外と頭いいやつだな。その通りだよ」

 宮町礼奈は、腕を組んで尊大にそう言った。

 どこからどこまで小さな札切といった様子だ。胸が平坦なところまで何もかも相似形だ。

「ふっ、馬鹿め! これは似せてんだよっ!」

 そう言って宮町礼奈は巫女服の前をはだけさせる。胸元にはさらし布が、まるで包帯のようにきつく巻かれている。

 あ、こいつアホだ。

「お前、意外とアホだな」

 思うがままに言ってやった。どうせ同じだ。

「そういうお前は意外と素直だな」

 偉そうな顔で、ミニ札切もとい宮町礼奈は小さく偽装した胸をさらに反らせた。

 かわいそうな札切。

「で、お前、僕に何の用なんだよ? 用があるからこんな妙な絡み方するんだろ?」

 宮町はあからさまに驚いた顔をする。目が見開かれて瞳がほんの少し小さくなったような気がするくらいに。

「お前、エスパーかよ」

「エスパーじゃなくてもわかるだろ」

「引くわー」

「お前のゼロ関連における変態度と比較してみろよ。絶対、いい勝負だから」

「うるせえな、れーなねーちゃんをそういう風に言うなよ」

 「ゼロ」という札切のあだ名を注意されたのはこれが初めてだ。

 札切零七のあだ名が「ゼロ」になったのは、当然彼女の名前の零という文字にひっかけたものだが、そう呼ばれるまでの経緯は意外と説明がめんどくさい。

「説明しろとは言ってないからな」

「僕もそんな気はない」

 というか。

「お前の目的はなんなんだ?」

 僕が二度目の問いを発した時。

 宮町礼奈はいたずらっぽく、ふ、と笑った。

「さあ、何でしょう?」

「なんなんだよ。帰るぞ」

「あっそ。帰れば?」

 こいつといくつ年が離れているのかわからないが、さすがに不遜にもほどがあるような態度だ。どれだけ僕を見下し切っているのだろうか。

「――てかさ、帰れると思ってんの?」

 突如として、彼女の言葉が冷たく尖った。

 その時、僕は違和感の正体にようやく気付いた。

 駅の入り口の奥が、なんだか煤けている。


 意識が過去に飛んだ。

 確か、水嶋とともにビリーにとどめを刺した(正確にはとどめを刺したのは僕でも水嶋でもなく眞鍋なのだが)あの日、事務所に向かう途中の地下鉄で火災が起きた。

 この「ヒルズ中央」駅で。


「お前の想像は半分合ってる」

 宮町礼奈の声で、今いる空間に意識が戻った。

「なあ、この空間は、一体……」

「さあ? それはあたしも知らない」

 宮町の両手が鈍く光った。

 やばい。直感的にそう思った。

 僕は彼女のほうへ駆け出す。彼女が掲げた手から出てくるのは、案の定、小さな火の玉だった。それを予期していた通り横飛びで交わし――

 待て。

「ばーか」

 宮町礼奈の手が目の前に迫ったと思うと、喉に猛烈な痛みが走った。これは、熱さからくるものだ。肉が灼かれそうな気がした。

「ごめんな、あたしはあんたを殺しに来たんだ。かなり予定が狂っちまったけど……れーなねーちゃんを踏みにじる男なんて、許せないからさ」

 耳を疑った。

 僕が札切の何を踏みにじったというのか。

「あーやっぱ鈍かったかー。じゃあ、死ぬ寸前までわけもわっからないってことか……最低。ちょっと迷ってたけど、やっぱ死んで、ごめん、無理」

 宮町の手の熱が強くなる。

「やめろ! 礼奈!」


 ふと、札切の声が聞こえた。


 我に返ると僕は地下鉄の車内でぐったりと眠りこけていた。

 わけがわからない。一体、何が起こっているのだろうか。どれが本当の記憶で、どれが誰かに植え付けられたものなのかすら、もうわからない。


《兎に角、確実に云えることは、この終焉おわりゆく世界を受け止めるしかないという事実こと


 御厨がそんなことを言っていた気がする。

「あら、真中さんじゃないですか」

 よく響くテノール声に、僕は視線を向けた。そこには浅黒い肌で黒縁眼鏡をかけた長身の青年が、心底楽しそうにこちらに向かって歩いている。

 佐貫悠太郎さぬきゆうたろうだった。

「なんだか、少しお疲れのようですね。何かあったんですか?」

「何もねえよ」

 お前に話せるようなことはな、とは言わない。さすがに大人だから。多分。

 彼は相変わらず心底楽しげに、席に座っている僕を見下ろした。その顔立ちにはなんとなく、東南アジアから来た留学生のような天真爛漫さがある。

「お前こそ、ここで何をしているんだ」

「いや、何も」

 佐貫は心底面白そうに答えた。相手が僕でなかったら嫌味だと思って殴られるだろうな、と思った。

「何もないのに地下鉄に乗るのかよ」

「いやー、やっぱ定期があると乗りたくなっちゃうんですよね、地下鉄」

「そういう趣味なのか」

「そういうわけでもないんですけどね」

「なんなんだよ」

「なんなんでしょうね」

 意味が分からない。

 どこかに向かうわけでも、どこかに帰るわけでもなく、ただ淡々と地下鉄に乗っているとでもいうのか。

「なんか、地下鉄に乗っていると落ち着くんですよね。ここが地下だからっていうのもあるんでしょうけど、ずっと景色が変わらないじゃないですか。だから、時間が経っているのを忘れるというか……」

「悪い、全然わからない」

「そうですか」

 佐貫は心底すっきりしたような顔をしている。僕の言葉など、三割も耳に入っていないのだろう、彼はそういう男だ。当然、そういう男だからこそ、彼を信頼しているのだけれど。

 地下鉄は縦波駅に着いた。

「じゃあな」

「はい。また飲みにでも」

 佐貫は満面の笑みで僕を送り出すと、ちゃっかり僕の席だった場所に座った。

みるみるうちに、身体が駅へと吸い込まれる。

 夜の縦波駅西口は、色とりどりのネオンサインが光り輝く歓楽街だ。休日前だからか、雑踏を行き交う人はせわしなく、どこか浮き足立っている。居酒屋のキャッチも今日は気合いが入っているような、そんな気すらしていた。

「ごめん、待った?」

 ふと肩を叩かれた。視線の先には、ゆるくカーブがかかった茶髪に一生懸命なアイラインをひいた、いかにも女子大生(しかも、下級生)じみた恰好をしている女が心配そうな上目遣いで立っていた。わざとらしいオレンジ色のチークが、サーモンピンクの自然にすら見えるルージュと共鳴して顔に凹凸が生まれ、残念ながらというか、皮肉なことにというか、夜の縦波にあまりにも似合ってしまっている。

 そうして僕は思いだした。

 彼女の名前は三嶋さくら。真夏の学期末テストで単位を落とした佐貫を救済し、六本木舞の闇に魅せられ、そのまま契約の代償として存在ごと消えてしまった……。

「大丈夫?」

 三嶋さくらは依然として媚びるように僕を見つめている。こういう女はあまり好きではない。男に媚びるというのは、僕にとってある種の圧力にしか感じられないからだ。

 だが、僕は。

 一体何者なんだ?


「真中!」


 札切の声で、またも景色が反転する。

 何かに強く締め付けられた。

 まるで万力のように、有無をいわさないその力のかけ方を、僕はどこかで覚えている。

 徐々に人肌の暖かさが伝わってくる。


 そうして、僕は。

 彼女を、呼んだ。


「ゼロ!」


 万力から解放される。


 眼前に炎が沸き上がる。それは細い渦となって立ち上がり、やがて人間の肩幅くらいまで膨らむ。

 黒い作務衣に身を包んだ背の高い女が現れる。

 ベリーショートに切っていたはずの髪は、いつの間にか長く伸びてしまっていて、おしとやかなセミロングになりつつあった。

 眼帯も、十字架もなかった。

 ただただ、安らかな表情で眠っているように目を閉じている。

「ゼロ……なのか?」

 僕が呼びかけると、彼女はゆっくりと目を開けた。

「ゼロ……そう呼ぶのは、貴方様だけです」

 正面から鉄パイプで殴られたような衝撃。

 清らかで、相手を圧倒する凄みを備えたその声から、思い描いていた言葉が全く出なかった時の衝撃をたとえるなら、このようなものだろう。

 札切の双眸がまっすぐ、僕を向いた。

 その視線は痛いほどに強く身体に突き刺さってくる。

「私は……」

 悟った。

 いや、正確に言えば、すべてが繋がってしまったというべきだろうか。

 札切零七の感情とその葛藤を、僕は完全とは言わずとも一部を理解してしまったのだ。

 だからこそ。

「言うな!」

 札切の安らかな表情が、一変して氷のような冷徹なものに変化する。

知っている、これは奥に秘めた激情を必死で覆い隠している顔だ。

 そんな思いをさせても、彼女に続きを言わせたくなかった。

「それがどういうことなのか、わかっているのか?」

「むしろ、ここまで逡巡を重ねて得た結論を、お前はその一言で否定するつもりなのか?」

 静かに、しかし確実に怒りを込めた声。

 いつもの口調。

 直感的にこれはまずいと思った。


 そうしてまたも景色は反転する。

 もはや、平衡感覚を完全に失ってしまったのかと思えるような錯覚に包まれた。


「迎えに、来たよ」

 真っ暗闇の空間の先、光へと続く扉で眞鍋が立っていた。やや疲弊した顔とくるくると毛先が巻かれた金色の髪、そして下着のような恰好のせいで露出した、グラビアアイドルすら凌ぐほどのの豊かでふくよかな胸。

「君はいつもそう」

 彼女は僕の手を引いて、光へと導く。

「整理するのが苦手なの。私もそうだけど」

 手がやけにかさついている。いったい僕は、眞鍋になにをさせてきたのだろう。

「ごめんな」

「いいよ、別に。こういうの、慣れてるから」

 どういうことに慣れているのか、聞くのはやめておいた。

「ゼロちゃんは、迷いを捨てたんだね」

「ああ、そういうことだろう」

「つまり、ちゃんと道を選択できた」

 その先がどうであれ、彼女は立ち止まることなどないだろう。なんとなくそう直感した。

「君も私も、そろそろちゃんと選択しなくちゃいけないのかもね」

 小柄な彼女の一重まぶたが僕から外れた。きっとわざとだろう。

「今度ばかりはもう、逃げられないんじゃない」

「そうなのかも、しれないな」

 そうして僕らは元の世界へ帰ってきた。


 にゃあ。

「あー、ユキちゃん、ただいまあ」

 元の姿に戻った眞鍋が、部屋の扉を開けた途端出てきた雪月花を抱き上げる。どこかで見たことがあるような光景だった。

 僕はその隙に部屋の中を見回す。


 あった。


 便せんだ。

 そこには、裏写りしたものではなく、きちんとした手紙――札切が僕に宛てたもの――が置いてあった。



真中 浮人様


突然のお手紙、失礼いたします。

私はあのときより、六本木舞に打ち勝つべく修行をかさねました。

その折、私は気がついてしまったのです。


私、札切零七は、真中浮人様をお慕いもうしております。

お返事、お待ちしております。



 眞鍋に見つからないように、それを小さく折り畳んで、そっとジーンズのポケットに忍ばせた。


 すべての終わりが始まってしまった。

 僕は雪月花と眞鍋をよそに、ハードケースから煙草を取り出して火をつけた。

 いつもより刺々しい煙が、喉や口を刺激して、そうして今日という一日が終わっていくのをゆっくりと眺めているような気分へと、なんとか自分をごまかしていった。一度壊れたものが元に戻らないことを忘れるのはとても難しいのだ。


 吐き出した煙は、思った以上に拡散して、窓から出ていったかと思うとすぐに見えなくなってしまった。

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