第43話 ドライブ

 ブレーメンの中心街――古くから栄えている市街地の主要な道路は石畳になっている。これはローマ帝国時代からの伝統的な道路の作り方であったが、発明されたばかりの自動車にとっては、決して走行しやすい道路ではなかった。交通量の多い交差点には交通整備のために警察官が配備され、往来する車両の速度は安全面を考慮してかなり制限されていた。ガソリン自動車と蒸気機関車両、そして馬車と人が安全に往来するためには、安全に停止できる速度を保つ必要がどうしてもあったのである。

 今では日常的なこの風景も、10年前はまるで違うものだったし、これから先の5年、10年ではどれだけ変わるのだろうか。そんなことに思いをはせながら、ベーレンドルフは車を走らせていた。助手席に座る黒い目の青年は、そんなベーレンドルフを物珍しそうに見ている。

「そんなに物珍しいか。車の運転が」

 目の前を3台の馬車が通り過ぎる。レイム川を渡り、街の中心街の入り口付近にある最初の大きな交差点だ。

「いえ、ガソリン車の助手席に乗ったことは何度かあるんですが、運転はしたことがなかったもので、つい……」

 細くしなやかな金色の前髪を細くて長い指でかき上げるしぐさは、どこか中性的であり、ダミアンという青年の神秘性、或いは悪魔性を醸し出している。

「自分にも、運転できるかなぁと」


 職業柄か、或いはベーレンドルフが、そういったものに敏感なのか、人の視線に対して独自の感覚を持っている。

「そうかぁ? そういうふうには観えなかったけどな」

 できる限り早く目的地に付き、この状況から抜け出したい。会話をしているときは、ある程度駆け引きと言うものがあるが、こうも一方的に観察されるのは、どうにもやりにくかった。ダミアンが何を企んでいるのか――ベーレンドルフにはそれが気になって仕方がなかったが、優先すべきはこれからのこと――カペルマン刑事となるべく早く合流し、新聞記者のジールマンを拘束し、ブランデンブルクの居場所を聞き出すこと。そして盗まれた証拠品――アメリア夫人のオートマタを取り返すために、何をすればいいか、最悪の事態をどう想定し、どう防げばいいか。


「嫌ですねぇ。刑事さん、どうして僕のことをそういう目で見ちゃうんですかねぇ。僕は今回、刑事さんのお役に立つためにこうしてここに居るのですから、そんな疑い深い目で見ないで下さいよ」

 馬車が通り過ぎ、アクセルを踏んで車を発進させる。

「俺はこの車をずっと自分で整備してきた。俺の目の前で誰にも運転させるつもりはないし、運転の仕方を教えるつもりもない。お前さんが何を考えているのかだいたい想像がつく。だめだ、だめだ。お前にこの車は任せられない。だいたいこれはブレーメン警察署の公用車だからな。もちろん俺の持ち物だったとしたら、もっと任せられないがな」

 この先に起きるかもしれない不測の事態。ベーレンドルフにとっては事件そのものよりも、今となりに座っている青年の存在こそ、もしかしたら不測そのものなのかもしれない。しかし、おそらくこの黒い瞳の青年――アメリア夫人のオートマタを作った人形師の知識を借りなければならない場面は、必ず訪れる。


「万が一だ。万が一、お前さんがこの車を運転しなければならないことがあったとする。俺から言えるアドバイスは一つだ」

 ベーレンドルフがアクセルを踏みこみエンジンの回転が上がる。その振動とタイヤから伝わる路面の感触、そしてスピードが上がることにより風が強く吹き付ける。ハンドルを左右に細かく切りながら、1台の馬車と1台の車を追い越し、急激に減速する。体が慣性の力に耐えきれず前に倒れそうになる勢いだ。

「おっと、危ないじゃないですか。刑事さん」

 ベーレンドルフは前を走る別の車との車間距離ギリギリのところで減速に成功し、衝突を回避した。

「危ない目に会いたくなければ、止まれないスピードで走るなってことさ。俺はこいつが、どのくらいのスピードで走り、どうやったら止まるかを知っている。それは車の操縦方法を知るということとは、また別のことだ。同じ車種でも同じってことはない。機械にも個性はあるってことさ」


 ダミアンは珍しく面喰ったような顔でベーレンドルフを観ていたが、すぐに平静を取戻して反論した。

「なるほど、それは興味深いですね。よい騎手は、その馬に乗っただけで馬の性格を理解し、自在に操ると言いますが、それと同じようにその車に乗っただけで、車の性能や整備状態がわかる――操縦のプロみたいな人が、今後活躍する世の中になるのでしょうかね」

「少なくともこれからの警察官にはそういう能力は求められるだろうな。車の台数が増えれば、それだけ犯罪で使われる例も増える。もちろん車だけじゃないが、ありとあらゆる新しいテクノロジーは必ず、犯罪に使われる。お前さんの持っている人形を作る技術も、やがてはそういうものに使われる陽がくるんじゃないのか?」

 ベーレンドルフの頭の中には、すでにダミアンが持っている精巧に人体を人形で再現する技術を応用し、たとえば目撃者の情報から犯人の顔を模した人形を作り、それをもとに広く人から証言を聞くことで、犯人の手掛かりを掴んだり、逆に身元不明の遺体から、被害者の生前の姿を再現できたりするのではないかと考えていた。


「僕の技術は一世一代のもので、それこそ後世に残すような代物ではありませんよ。僕が使うからこそ、この程度で済んでいるんですよ」

 ダミアンの表情が少しだけ曇った。

「どういうことだ?」

「死んだ人間と再開することなんて、できやしないんです」

「だが実際、あのアメリアのオートマタは……」

 ダミアンは首を降る。

「いいえ、あれは失敗です。夫であるベルンシュタイン卿の妄想……、いえ、妄執ですね。それがなければ、あんな動き方はしないのです」

 ベーレンドルフは考える。この青年の言っていることは本当に不思議だ。危うくうなずきそうになったが、そもそも人形が勝手に動き出すなどあり得ない。まして人の意志、妄想が妄執や偏執であったとしても、物理的に何かを動かす動力などにはなりえない。しかし、あの黒い瞳の青年の言葉を聞いていると、なるほどと思ってしまう。


「なぁ、ダミアン、俺が知る限りガソリン自動車はガソリンがないと動かないし、蒸気動力も水と火がなけりゃ動かない。馬も水と食料を与えなければそのうち動かなくなる。お前さん、そのあたりを踏まえて、オートマタのことを話してくれないか。俺にはさっぱりわからん」

 ベーレンドルフは言葉を選びながら、質問したが、それに対してダミアンは満足そうな笑顔を見せるだけだ。ベーレンドルフが困り果てた顔をすると、ダミアンは笑ってこう答えた。


「この世界には知らないほうがいいということがある」


 ベーレンドルフは確信に迫るところで煙に巻かれてしまったようで、腹立たしいとは思ったが、はたして何かの説明をうけたところで、それを自分が理解できるとは限らないのではないかという思いもある。

「知ればしるほど、真実とか真理というものは遠くに逃げて行ってしまうものなのですよ。たとえばあのオートマタに夫人の魂が宿っているなどと思い込んでしまうと、ただの人形なら壊すことができても、心があるというのなら、人は簡単にそれを壊すことはできないでしょう。たとえ人形に心や魂が宿っているような動きをしたとしても、はたしてそれが夫人の魂なのか、そのふりをしている何者かなのか。それを知る術は果たしてあるのでしょうか。そもそも魂や心と言うものはどう定義されるのでしょうか」


 結局、何もえられないままか――ベーレンドルフは心の中でつぶやいた。


 二人を乗せた車は、カペルマンと合流する予定のブランデンブルグのブティック――ブランデン・ローザがある通りに差し掛かった。その後方にはえんじ色のメルセデスがしっかりとついてきていた。




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