第39話 コーヒータイム

 ブランデンブルグが経営するブティック『ブランデンローザ』は、ブレーメンの象徴であるローラント象があるマルクト広場からブレーメン駅に向かうゼーゲ通りの中ほどにある。決して広くはない300メートルほどの通りには、日用品からブランド品まで、さまざまな商品を扱っている商店が立ち並び大勢の観光客や買い物客でにぎわっている。

 カペルマン刑事は朝10時前に訪れ、張り込みを続けていたが、店主のブランデンブルグは現れず、店員が店を開けるのを確認した。その後業者らしき男が一人訪ねてきて、商品らしきものを届けた後に挙動の怪しい人物が店を訪れた。ハンチング帽を深く被り、コートの襟を立てて、まるで人相を隠しているかのようであった。店に入り、5分もしないうちにその男は店を出て、もう一度ドアを開けて誰かに話しかけているようであった。その際、一瞬だかはっきりと顔が見えた。新聞記者のジールマンである。

 カペルマン刑事は公衆電話に駆け込み、ダミアンにベーレンドルフ宛の伝言を残し、ジールマンの後を追った。ジールマンの勤務する新聞社は、ブレーメン駅前の通りを南東に下ったビジネス街にある。ここから歩けば15分くらいの距離にあり、どうやらジールマンはそこに向かっているようだった。途中、公衆電話を一度使ったが、相手は留守のようで、何も話さないまま受話器を置いた。もしかしたらブランデンブルグと連絡を取ろうとしているのかもしれない。カペルマン刑事はそのまま備考を続け、地元新聞社『ブレーメン・ビルト』までたどり着いた。

 カペルマン刑事は、反対側の通りにカフェの看板を見つけた。

”フィルター使用。飲み口さわやか、当店自慢のコーヒーを召し上がれ”


カペルマン刑事がジールマンの張り込みをしている頃、ベーレンドルフ刑事は、ダミアンの入れたコーヒーを口にしていた。


「どうです? 最近はやりのペーパーフィルターを使って淹れたコーヒーは。コーヒー滓がきれいに取り除かれて飲みやすいでしょう?」

 当時の一般的なコーヒーの淹れ方は茶こしを使ってはいたものの、コーヒー滓が混じってしまい、それが口に入るとザラザラとした不快な感触が残ってしまう。

「俺はこの国の――そう、こういうところが好きなんだ。自動車でも電話でも、フランスやアメリカに遅れをとることがあっても、創意工夫を凝らして製品として完成度を上げていくことに関しては決して負けない。このフィルターはドレスデンの主婦が考えたそうじゃないか。自動車のエンジンも最初はフランスのものを使っていたが、今では国産が主流になっているし、最近は自動車レースでも他の国に負けてはいないから」

 そういう話をしているときのベーレンドルフはどこか子供っぽい目をしている。ダミアンとは違うが、ベーレンドルフもまた最新の技術に関して目がない。

「その意味では、僕の母の故郷、日本もなかなかの物らしいですよ。アジアの端っこにありながら、積極的にドイツやオランダの技術を取り入れて独自の進化を遂げています。自動車は私の専門ではないですが、かの国のオートマタ、『からくり人形』もなかなかのものです」


 ベーレンドルフは一瞬、はっとしてダミアンを見つめる。自然な話の流れではあったが、ダミアンに話そうとしていた両親のことについて、こうも簡単に話が繋がるというのは、もしかしたらダミアンは本当に千里眼を持っているのではないかと思ったからである。

「ダミアン、お前――」

 そのことを問いただそうとして思いとどまり、気にせずに本題を切り出した。

「お前さんの両親のことで、ちょっとした手がかりめいたものを見つけた。聞いてみたいか?」

 口にしたコーヒーカップを置こうとしたダミアンの手が一瞬止まる。

「おやおや、まぁまぁ、これは、これは、驚いた」

 一呼吸、ダミアンはテーブルに置いたコーヒーカップを眺め、そして続けた。

「切り札と言うのは、もっともったいぶって使うものですが、さすがは刑事さん。僕にどれだけ仕事をさせようって言うんです? あんまり僕が張り切りすぎると、かえって迷惑を掛けちゃうかもしれませんよ。刑事さん」

 相変わらず人を食ったような物言いをするダミアンではあったが、ベーレンドルフには、それが動揺を隠すための虚勢にしか見えなかった。どんな人間にも弱点はあるものだと、ベーレンドルフは安心した。


「お前の親父さん――ダニエル・メルシェル氏には、ブレーメンに同業者か、それに違い職業の知り合い、友人、或いは仲間なのか、そういう人物について、何か心当たりはないか?」

 ダミアンは目を瞑り、ややしばらく考えた後、席を立った。

「ちょっと見て頂きたいものがあります。書斎に取りに行って来ますので、少々お待ちを」

 ダミアンは書斎に入ると大き目の封筒を手に持って出てきた。

「両親の遺品というのは、実はこれだけなのです」

 封筒からは色あせた数枚の写真が出てきた。

「ここに映っている人物がどこの誰なのか、どこで撮影されたものなのか。まるで分っていないのです。自宅兼診療所だったこの写真を除いてはね」

 そこには父ダニエルと日本人の妻ミサ、そして幼少のダミアンが映っていた。

「おそらく日本からドイツに帰国し、診療所を始める際に記念に撮影したものでしょう。僕もなんとなく記憶に残っています」


 他の写真は全部で8枚。そのうち1枚は母、ミサらしき人物と東洋人が建物の前で取った写真だが、それ以外は父ダニエルと同じくらいの年齢に見える白衣を着た男性の写真で、どこかの研究室のようだった。

「ここに映っている情報を可能な限り、調べてはみたんですけどね。なんせ室内で、場所が特定できるようなものは何も映っていませんからね。一緒に映っている人も、おそらく全部で4人か6人か、判別が難しいところです」

 ベーレンドルフはそこに映っている人物を一枚一枚丁寧に見比べた。ダミアンの言うとおり、最低で4人、人相が似ているが別人物だとすれば6人の姿がそこに映っている。

「偶然知り合った医者の娘から聞いた話では、父親がある電話をきっかけに様子がおかしくなったそうだ。その話と言うのが、この前、お前さんがしでかした墓荒しの件だ」

「それは濡れ衣という物ですよ、刑事さん。僕は荒らしていませんよ」

「ふん、よくもぬけぬけと。お前さんがそそのかしてやらせたんだろうが。ベルンシュタイン卿とヴィルマー・リッツに!」

 ダミアンは不敵な笑みを浮かべていたが、その瞳は早く話の続きが聴きたいと訴えっていた。

「実はそれには兆候があって、日本から手紙がきたことがきっかけだったそうだ。その差出人までは、娘さんも覚えていないということだったが、その手紙を受け取ってからすぐに、それまで勤めていた研究所を辞め、知人の町医者の手伝いをしているそうだ。で、その手伝いと言うのが――」

「終末医療、助かる見込みのない患者を専門に診る?」

 ダミアンはつぶやくように言った。

「そうだ。だからその差出人というのは」

「そうですね。何かつながりがあるかもしれませんね。新鮮な遺体と研究者、まるでメアリー・シェリーの小説に描かれている怪物の物語みたいですね」

 ベーレンドルフの背筋に寒気が走る。

「まさか遺体を使って実験を?」


「究極のオートマタの研究に関して言えば、より精巧な人形を作ろうと思えば思うほど、構造的には人体のそれに寄っていくということですからね。遺体の再利用でいえば、歯や骨は素材としては軽くて丈夫ですし、毛髪も人工物よりも優れている。しかしまぁ、それはそれでメンテナンスに問題があります。人の骨や歯と言うのは同じ形状のものがそうそう手に入るわけではありませんし……、まぁ、あまり朝からする話ではありませんね」

 こういう話をしているときのダミアンは本当に楽しそうに見えた。


「しかし、思うにその方が自らそのような実験をしていたということはないでしょう。むしろそのような蛮行をいち早く察知するためなのかもしれませんね」

「その手紙には、そのような警告が書いてあったと?」

「それはどうかわかりませんが、墓荒しを監視するということは、そうなることを予想しているということですからね。その方は何らかの事情を知っていた、或いは過去にやっていたのかもしれませんね」

 ベーレンドルフは以前、ダミアンに聴かされた"地雷犬"の話を思い出していた。

「つまり、あの胸糞悪い"地雷犬"のような実験とお前さんの両親、そして墓荒しを監視している元研究員は、どこかで繋がっている可能性が高いということか」


「おそらくそのような物騒な手紙は処分してしまっているでしょう。もしその方とお話ができるのなら、僕の両親との関わりを聴けるかもしれませんね。そうでなくとも……」

 ダミアンは写真を封筒にしまいながら話を続けた。

「きっと刑事さんのことですから、この写真に写っている人物の特徴はすっかり記憶済みでしょうが、僕が持っているよりもお預けした方がいいかもしれませんね」

 ベーレンドルフはダミアンから封筒を受け取った。

「さて、盗まれたオートマタについてだが……」

 ダミアンは言葉を遮った。

「その前に、もう一杯どうです?」

 ベーレンドルフはコーヒーを勧めるダミアンの表情に、いつもとは違う温かみを感じて少し戸惑いながらも、快くそれを受け入れた。

「ああ、美味いのを頼む」

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