第27話 注意事項

 1910年、ダミアン・ネポムク・メルツェルという青年が未解決事件のあった家に引っ越してきた。青年はドイツ人医師の父と日本人医学生で神職の母の間に生まれた黒い瞳を持つ人形師であった。その未解決事件――俗に言う"ブルース・エルスハイマー惨殺事件"は、被害者の首がはねられ、テーブルの上に晒された状態で発見されたという物であった。

 その家から奇妙な物音がすると近所の通報を受けて当時、事件を担当していたブレーメン署の敏腕刑事ヴィルフリート・ベーレンドルフは、初めてダミアンと出会うことになる。ダミアンは被害者であるブルース・エルスハイマーの生首を模したオートマタを製作していたことから、その経緯を聞くとともに5年前の事件の真相を結果として協力して解き明かすこととなったのだが、それはベーレンドルフにとって信じられない体験であった。

 ダミアンは死者の墓の土をオートマタに組み込むことでその魂を人形に宿し、会話をすることができるというのだ。それが本当であるのか、或いは手品に似たものであるのかわからぬまま、第二の事件、同じく未解決事件であった連続殺人の犠牲者の夫、エルマー・ベルンシュタイン卿の依頼で、今度は亡き夫人――アメリアの完全なるオートマタをダミアンは作り上げたのであった。

 さかのぼること3か月前、ブレーメンで一二を争う資産家、ベルンシュタイン卿の妻、アメリアが何者かによって殺された。当初、怨恨の筋で捜査をしていたが、数日後同じような手口で別の女性が殺され、連続殺人事件へと発展していった。3人目の犠牲者が出たのを最後に犯行は止んだ。警察が警備を強化し、犯人はブレーメンを出たのではないかと噂されていた。

 人々の記憶が薄れ始めたころ、ベルンシュタイン卿は人形師に妻の人形を作るように依頼したのである。その人形師は死者の魂を人形に宿し、会話をすることができるというのである。噂が本当であれば、真犯人を聞き出したいのだとベルンシュタイン卿は訴えたのだったのだが……事件は意外な結末を迎えることとなった。アメリア夫人のオートマタはベルンシュタイン卿を犯人として指差したのである。

 ダミアンの指示を守らず、頭付近の墓の土の代わりに身体の真ん中、生殖器のあたりの土を組み込まれたアメリアのオートマタは暴走し、自分を殺した夫の股間を噛みちぎったところにダミアンから連絡を受けていたベーレンドルフが踏みこみ、瀕死のベルンシュタイン卿を助け出したのであった。その後、ベルンシュタイン卿は回復し、罪をすべて認め、自分が嫉妬に狂い、妻を殺害したこと、それを隠すために殺し屋を雇い、連続殺人事件として偽装したことを自供したのだった。


「ベルンシュタイン卿の証言は一貫性があり、お金の動きや誰にどんな指示を出したのかということまで、明確に覚えていましたからね。彼の証言通りだとすると、本当にあのオートマタには夫人の魂が宿っていたんでしょうか?」

 カペルマン刑事は気味悪がりながらその人形のことを思い浮かべていた。夫人の人形は証拠品として保管室に置かれていた。その口元にはベルシュタイン卿の男性器を噛みちぎったときの生々しい血痕が今でも残っているが、墓の土はダミアンの手によって警察に引き渡される前に処分されている。ベーレンドルフはそれを秘密裏に行ったのであった。それを知っているのはダミアンとカペルマン刑事だけである。

「それはこの際どうでもいいことさ。今回、墓荒しは公になっていないしな。まったく、あいつと関わったせいで、こっちはとんだ災難だ。確かに事件は解決したが、俺たちの仕事はむしろ増えたみたいなものだ。実際実行犯はまだ捕まっていないわけだしな」


 記者会見が終わった後、いつも以上に機嫌の悪いブランケンハイム刑事部長になんとしてでも実行犯の足取りを掴むよう、半ば脅された形のベーレンドルフであったが、警察署の誰一人としてそんな命令は実行不可能だというのはわかっていた。管轄外に逃亡した犯罪者を追うことは容易ではない。まして相手はおそらく組織だって闇の仕事を請け負っているプロ集団である。急激に経済が発展したブレーメンは人の出入りも激しく、それを規制したり検閲したりすることなど、事実上不可能である。また電話機や自動車の発達により、犯罪の時間的、地理的な制約もなくなりつつある。

「まったく、文明の発達と言うのは不平等なものだ。まず、最初に国の中枢や軍隊、次に資産家や権力者、そして犯罪者がその恩恵に当たり、警察はその次か、またその次くらいのものだ」


 ベーレンドルフは警察の装備や自動車の普及について常に不満を持っていた。彼自身、子供のころから機械をいじるのが好きということもあるが、犯罪は常に進化している。電話一本で離れた場所の誰かを殺すことも可能な世の中になっているということについて、まわりが無自覚であることが許せなかった。それは同時に亡き父への思いでもあった。19世紀末、今のようなハンドガンや自動車といった装備はなく、電話一本で医者が来るという時代ではない。もし今の時代を父が生きていれば助かったかもしれない。そう思えてならないのだった。

 一方でベーレンドルフは黒い目の人形師の技術についての禁忌を感じている。人の助けになるような技術の発展は望む者の、人そのものを作るがごとき行為については賛成する立場になかった。ダミアンの両親が研究していたという犬爆弾も同じである。人や生き物の命に対しては人間が触れてはいけない領域があるのではないかと考えていた。仮に医学が進み、死んだ人間が行き返るがごとき技術の発達はやがて人類を滅ぼすのではないか。そもそもそんなことはできないと思いつつも、ダミアンが作った人形――オートマタを見てしまっては、まったく否定もできないと思い始めていた。


「馬がなくても走る馬車は許せても、蒸気機関で動く馬は許せない。そういっているようにも聞こえますが」

 ベルンシュタイン卿を助け出し、彼の股間を食いちぎったオートマタを改修する際にダミアンとそんな話をしたことがあった。

「技術の進歩と言うのは、人が主役とは限らないと思うのですよ。人が望んだからその技術が発展する。道理としては間違ってはいないと思うのですがね。もしも、人類に命を作ることができるようになるのだとしたら、それは人類の意志ではなく、もっと別の存在の意志ではないのか。人の命を奪うための技術が進めば進むほど、逆の技術も進んでいく。それを因果律とは言いませんが、制御できると思う方がおこがましい……、などと僕が言うのは、おかしいですかね」

 さらさらとした金髪を指で触りながら黒い瞳の人形師はいたずらっぽく微笑む。

「いやいや、それよりももっとシンプルな問題として、人はなぜ人型の人形を作り続けるんでしょうかね。案外人には、神の真似事がしたいだけなのかもしれません。なぜなら一説には人は神の子らしいですからね」


 ベーレンドルフ自身やごく身近な人間にとって神の存在と言うのは絶対的なものではないものの、普遍的なものではあった。人が生まれ、そして老いて死んでいくまでの間、神に見守られているといわないまでも、それは日の光や月の灯りのように、当たり前にそこにあるものである。ダミアンはドイツで生まれはしたものの、これまでの人世の中でヨーロッパ圏での生活よりも、他の地域の方が長い。その言動はときどきベーレンドルフを驚かす。

「おっと、これはむしろ罰当たりな発言でしたかね。刑事さん」

 証拠品としてオートマタを引き取る際、もろもろの注意事項を受けた。


 あまり関係のない者に見せたり触らせたりしない事

 仕組みがどうなっているかと分解したりしない事

 腕や足はできるだけ固定し動かないように保管する事

 できる限り清潔に保つ事

 話しかけない事

 目を合わせない事

 物音がしても聞こえないふりをする事

 陽にあてない事

 火や水を近づけない事


 このうち、ベーレンドルフは「話しかけない、目を合わせない」を削除し、「物音」については「異音がしたらすぐにベーレンドルフに連絡し、決して直接触ろうとしない事」と書き換えて資料として署に提出したのだが、後にベーレンドルフはそれを後悔することとなる。話しかける奴など、いないと思っていたからである。



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