第129話 親愛なる好敵手へ

 


 歩がその日、次に向かったのは病室だった。



 自分がいた病院に行くというのも変な感覚だったが、彼は迷わず足を進めた。



「……華澄、なんだか久しぶりだね」

「歩?」



 そこには金髪碧眼の深窓の令嬢のような雰囲気を漂わせた少女がいた。髪の毛はいつものように綺麗に纏まってはいなく、どこか素のような感じで在った。普通の女性ならば、恥ずかしがるのかもしれないが華澄はいつもと変わらない態度で彼に話しかける。



「早かったわね。もうちょっと、遅いと思ってた」

「……紗季とは早めに話がついたよ。それで、君は見たんだろ?」

「……なんて言うのかしら。追体験って言ったほうがいいかもしれない」



 窓の外を見ながら、そういう華澄。彼女は歩との戦闘の際に、互いの意識が混ざり合うのを感じた。意識の奔流。それは歩のクオリアネットワークの残滓。そして、そのことを彼女もよく理解していた。



「まぁ……私もあなたも結局は普通の人間じゃないってことね」

「クリエイターそのものを普通の人間と言っていいのかは、疑問だけどね」

「うーん、クリエイターの中でも特別な個体というのはどう?」

「的を得ているね。と言っても俺は人工的な存在、君は天然とは言わないけど偶然の産物みたいだね」



 互いの意識の核まで触れ合っているからこそわかる。そう、七条歩だけでなく有栖川華澄もまた普通ではない。彼女は偶発的に生まれた、D-7、一ノ瀬詩織、七条歩に最も近い存在。もともと、クオリアネットワークの誕生は必然だった。それを発見し、構築し、クリエイターを核として生み出した七条総士の功績がなければ、きっとその役目は華澄になっていたに違いない。



 云うならば、彼女は原初プロトタイプなのである。



 いつかたどり着きはずの原型。しかしその役目は歩になってしまった。彼女はそのことに対して、少なからず思うところがある。



「結局、才能か努力家と言いつつも私は持っている側の人間だったのね」

「そうだね。俺も、君も、持っている人間だ。生まれつき才能があり、高い知能と能力を持つようにデザインされて生まれてきた。それは変えようのない事実だ」

「はぁ……なんだかここまでくると、どーでもよくなっちゃう。歩はそう思わない?」

「……まぁ、言っていることは分からないわけでもない。でも俺にはやるべきことがある」

「スワンプマンでも殺せるの?」



 瞬間、彼女の目が鋭いものになる。それは数日前の戦闘を彷彿とさせるものであった。


「……殺すさ。俺は一ノ瀬詩織を殺す。彼女にはもう一度死んでもらうしかない」

「そ。覚悟は決まってるみたいね。無粋なこと言ってごめんなさい。それで、あなたはどうするの?」

「……」



 どうするの? とは、どうやってクオリアネットワークをこの世から無くすかという問いだった。歩はその意味をよくわかっていたし、華澄もそう思っての発言だった。



「最悪、俺がこの脳を焼き切るしかない」

「自殺するってこと?」

「最悪の場合は」

「なら他に考えがあるの?」

「いや、今のところはノープラン。紗季が色々と考えてくれているみたいだけど、正直どうなるか分からない」

「なるほどね。つまり、状況は最悪だと。クオリアネットワークを放置しておくのはダメなの?」

「……よくはない。きっと、D-7と詩織さんと戦うことで、この力の封印は徐々に解けていく。そして、完全に解放された時はきっと俺の自我は消えて、全世界の意識を統合しようとするだろうね」

「はぁ……まるでSFね」

「もう俺たちの存在自体がSFみたいなところはあるけど……」

「なにそれ。つまんない冗談、ふふっ」



 思わず笑みがこぼれる。華澄もまた、紗季と同じように歩はきっと自らの死を選択するに違いないと考えていた。だというのに、歩はまだ他の道を模索しようとしている。そんな彼を見て、本当に敵わないなともうと同時にどこか愛おしさのようなものを感じ始める。



「……歩、私と……いやなんでもないわ」

「……こんなことを言うのは無粋なんだろうけど、華澄の気持ちには答えることはできない」

「……ッ」



 意識の共有の際に、歩は彼女が自分に僅かながらの恋心を抱いていると知ってしまった。今回はそのこともあり、こうして話をしにやってきたと言う側面もある。


「……はぁ、告白する前に振られるってどうなの?」

「ごめん」

「もうそんな顔しないでよ。でもね、私の気持ちは変わらないわ。貴方のその声が、顔が、心が、そして何より人としての在り方が私は好きなのだから」

「……ははは、それはどうも……うん、ありがとう」



 面と向かってそんな恥ずかしいことを言われてどうしよもない歩だった。



「なによ、別に告白されるのが初めてって分けじゃないでしょ」

「……まぁね」

「誰?」

「え??」

「誰に告白されたの。他に」

「えーっと、それは本人のプライバシーにも……」

「誰なの?」



 いきなり顔を近づけられてテンパってしまう。そして、思わず彼の口から情報が漏れてしまうのだった。


「あ、葵だけだよ……」

「え? 葵だけ? 紗季と彩花は?」

「紗季は別に恋愛感情はないって……彩花とはなにも……」

「はぁ……はぁ……はぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「え、なにそのリアクション……」

「貴方たち、揃いも揃ってダメね。私もあまり人に言えるわけではないけど」

「え? どう言うこと?」

「貴方ね、人の言葉が全て真実とは限らないのよ?」

「それはそうだね。人は嘘をつく生き物だから」

「彩花はなにも言っていないとして、紗季からは直接聞いたの?」

「うん。さっき、別に恋愛感情はないって」

「それが嘘よ」

「つまり……?」

「紗季が貴方のことを好きだなんて、もうみんな知っていることよ」

「……待って気持ちの整理が」

「事実よ」

「マジで?」

「おおまじよ。貴方ね、あの研究バカが自分の恋愛感情というものを正確に把握できると思う?」

「……そう言われれば、そうかも?」

「……ひとつ言ってあげる。貴方と、紗季はよく似ているわ」

「あ……そういうこと」

「そうよ。貴方、夢中になることにはすごい情熱を注ぐけど、他のことはどうでもいいタイプでしょ? 紗季も同じ」

「えぇ……待って、今後どんな顔して紗季に会えばいいの?」

「知らない。そんな歩が決めることでしょ」

「……いやぁ、本当に?」

「現実逃避はダメよ。向き合いなさい」


 

 歩は鈍感というよりは、視野狭窄しやきょうさくと言った方が正しいのかもしれない。正直、彼には進むべき道が一つしかなかった。詩織のためにたどり着こうとしていた道の途中で真実を知り、そしてまた別の目的ができた。彼にとっての優先順位の第一位はその目的であって、残りのことは些事に過ぎなかった。しかし、それは他人の気持ちを無視ししていい理由にはならない。知らないのならば、無いものと同じであるが、知ってしまえばそこにあるのだ。存在してるのだ。



 彼は改めて、自分の愚かさというものを痛感する。



「……ま、まぁ全部が終わってからそのことには向き合うよ」

「そうね。そうしなさい」

「あれ? 逃げるなって言わないの?

「……貴方にはこれからやるべきことがあるでしょ。だから必ず帰ってきなさい。そして、最後に誰かを選ぶのよ」

「選ぶとは……?」

「馬鹿ね、誰を恋人にするかどうかよ」

「えぇ……なにそれぇ」

「貴方ねぇ、性欲ないの? 貴方たちは三大欲求を取り除かれて作られたの? ねぇ、どうなの?」

「いやぁ、そりゃああるけどさ。なんか違うじゃん?」

「私の体、好きにしたくないの?」

「……」


 ゴクリと生唾を飲み込み、その肢体を見つめる。大きく膨らんだ胸に一番に目がいく。もちろん、それを見逃す華澄ではなかった。


「今……胸見たでしょ?」

「え!? いや、あああ!? あ!? え、と!?」

「ふふ、かーわい。帰ってきたら好きにしていいのよ。だから絶対に帰ってきてよね」

「性欲がモチベーションて、なんだか不純なような」

「馬鹿ね。性欲は大切よ。あるからこそ、人類は繁栄してきたのよ。私だって、性欲を持て余す時はあるしね。若い人間なら当然のことじゃない?」

「うん生物学的にはそうだね。でも女性がそんな明け透けに……」

「男とか、女とか、は関係ない。ジェンダーバイアスよ、それ」

「……華澄、性格変わっていない?」

「オープンになったのよ!」

「……わかったよ。帰ってくるさ。まぁ、後のことはその時考えるさ」



 そうして、歩は彼女の病室を去っていく。



「……頑張りさない。歩」



 華澄は親愛を込めて、そう呟いた。

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