第117話 七条歩:追憶 10
あれから何事もなく養成所に行った帰り、先ほど通った道を同じ道を通る。
歩はあの時の記憶、というよりは意識の本流を忘れている。実際は脳の海馬には残ってはいるのだが、それは意識的に封じられている状態となっている。
それは微かな違和感として、彼の無意識に刻まれている。
「あ……すいません」
「こちらこそ。あ……」
歩は同じ年くらいの少女とぶつかってしまい、彼女の抱えていた大量の紙がその場にばら撒かれてしまう。
「ごめんなさい‼︎ すぐ拾います」
自分がぼーっとしていてぶつかってしまったのだから、悪い事をしてしまったと思いながら集めていく。しかし、その紙には何やら見え覚えのある名前があった。
「……Saki Ayanokozi? もしかして、綾小路紗季さんですか?」
「そうだけど。僕のことを知ってるなんて、君も研究者なのかい?」
「いえ、俺はただの……クリエイターです。あなたのことは論文で知りました」
「ほう……なかなか見所があるね。僕は同い年の友人がいないんだ。よかったら、僕の研究室に来ないかい? 時間があればだけど」
「え……今からですか?」
「うん。それと、敬語はいいよ。そういう堅苦しいのは嫌いなんだ」
「わかったよ。えーっと、改めて……七条歩です。よろしく」
「七条……? いや、よろしく歩」
「うん、よろしく……紗季」
こうして、歩は紗季と初めて出会うのだった。
§ § §
「うおおお、すごいなぁ……これは」
「ちょっと散らかっているけどね」
それからしばらく歩いた先に、彼女の自宅兼研究室はあった。室内は最新鋭の機器に、大量の紙がばら撒かれていた。現代ではデータが主流だが、紙で残しておきたい彼女の嗜好もあり、こうして論文は紙としても残っている。
「お茶でいい?」
「あ、うん」
紗季は部屋の奥へ行くと、冷たいお茶を二つほど持ってきて机にそれを置く。
「で、歩は僕の論文を読んでどう思った?」
「……唐突だね」
「少し、行き詰まっていてね〜」
「うーん……The Acquired Ability Theory。日本語だと後天的能力理論ってとこかな? あれには無理があるんじゃない?」
「ほう……なんでそう思うんだい?」
「クリエイターには遺伝的形質があるのは間違いないよ。それは、CVAとVA共にわかっている」
「それは歩が実験して見た結果かい?」
「……いや、伝聞だね」
「そうなんだよ。僕たちはこの世の常識を伝聞のみで信じている。いや、信じきっている。でも、学問は疑問から始まるんだよ。当たり前のことに疑問をもつ。僕は、その遺伝という問題に切り込んでみたかった。後天的能力理論は必ず完成させるよ。でも、その前にクオリアの性質も理解しておかないと……」
「クオリア、感覚質……のこと?」
「歩は博識だねぇ……」
まじまじと目の前にいる少年の顔を見る。紗季は驚いていた。同年代どころか、大人の研究者でもこの手の話題に付いて来れる者はいない。後天的能力理論にしろ、クオリアにしろ、研究の世界では最先端の話題だからだ。
しかし、目の前の同い年の少年はそれを知っているかのように話をする。
驚くのも、無理はなかった。
「論文で読んだことが……それと……」
「それと?」
「いや、読んだことがあるだけだよ」
ごまかした。彼は論文でみた以外にも、他の手段でこの手の知識を知っていた。だが、それは俄かには信じ難い手段だ。普通に言っても信じてもらえるわけがない。
「クリエイターにはまだ隠されている謎がある。僕はそれを解き明かしたいんだ」
「……すごいね、紗季は」
「ん? まぁ……周りからはよくそう言われるよ。でも、やりたいことをやっているだけさ。僕からしたら、褒められても……って感じさ」
「ははは、いうことが凄いね。そうだ、今度からここに来てもいい?」
「構わないけど……どうして?」
「知識が欲しい」
「……ふむ。強くなりたいから?」
「そうだけど、よくわかったね」
「君の目は見たことあるよ。何かを強く欲している目だ。もしかして、一ノ瀬詩織にでも影響されたのかい? 日本人で初の世界大会優勝。さらにCVAはワイヤー。それと、
「……」
「図星なようだね」
歩は少しだけ迷いを見せるが、そのまま意を決して口を開く。
「詩織さんは、俺の師匠なんだ」
「……師弟関係にあると」
「うん。少し前までは付きっきりで教えてもらっていたよ。でも、世界大会に突然出るって言って切り、会ってない」
「連絡は?」
「付かない。でも、俺なんか弟子にしてもらえただけ十分だよ」
「……」
紗季はそれから黙ってじっとあることを考える。
(七条歩に、一ノ瀬詩織の関係性。さらに……七条。あの七条総士の関係者なのか? 彼の実験は失敗したと聞いていた。けれど……ワイヤー使い、一ノ瀬詩織の
「紗季?」
「ごめん、ちょっと考え事をしていたよ」
「俺は帰るけど、そのまた来るね」
「うん。またね、歩」
部屋を去る彼をじっと見ながら、彼女は最悪の可能性がありえないと何度も反芻するのだった。
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