第88話 偽物-Artificial- 2

「詩織!! 久しぶりだな!」


「詩織……急に連絡したと思ったら……私は心配してたんだぞ?」


「ごめんね。やっと帰る目処が立ったから……」



 5年後、3人は再び顔を合わせた。場所はICH東京本校。その中にあるカフェテリアで軽食を楽しみながら、会話をしている。



 司はすでにプロでもそれなりの実力を有しており、学生時代とは比べ物にならないほど強くなっていた。その強さは世界大会に出場が決まるほどだ。日本の中でトップクラスに位置する彼の雰囲気はどことなく自信のようなものが溢れていた。


 茜はすでに大学であるICUを卒業。現在はICH東京本校の教員として正式に採用されている。今は4月下旬でやっと仕事に慣れてきたのだった。



 そして、詩織は海外で5年を過ごした。強くなるには視野を広げるしかないと言った彼女はICH卒業と同時に単身イギリスへ。住み込みのバイトをしながらクリエイターの養成所へ通う日々。イギリスで2年過ごした後はアメリカへ。アメリカでは3年過ごし、現在はやっと日本へ帰ってきたのである。


 彼女が、ちょうど世界大会が4ヶ月後に控えた4月に帰ってきたのには理由がある。



「ねぇ、司君」


「ん? どうした? それにしてもお前美人になったなぁ。それにすごく落ち着いてるし、別人だな」


「ふふ、ありがと。相談なんだけど、私世界大会に出たいの。日本代表に入れないかな?」


「はぁ? お前、選考はもう数年前から始まっていて去年の12月に決まったんだぞ? 俺はプロで揉まれたおかげで代表になれたが……詩織は何してたんだよ。5年も連絡よこさないなんて、お前らしくないな」


「司の言う通りだな。私にも連絡をしないなんて、心配したんだぞ?」


「ごめんね。ちょっと色々あって……あ! じゃあ、私が司君に勝てば代表入りできないかな?」


「お前なぁ……」



 呆れて物も言えないとはこのことか、そう司はそう考えたが詩織の目を見ると彼女が本気だということを理解してしまった。


 また、纏っている彼女の雰囲気は以前の面影もない。プロの世界でも滅多に見ることがない異常な感覚を司は感じ取り、そして分かってしまった。



 詩織は、もしかしたら自分以上に強くなっているかもしれない。だが、日本代表になった自分が負けることはない。あってはならない。そのプライドからか、司は詩織の提案を受けるのだった。




「まぁ、久しぶりに模擬戦はしてみるか。それでよかったら上に掛け合ってみるさ。それに御三家にも知り合いはいるからな」


「本当に? ありがとう、司君」



 ニコニコと微笑むも、目は笑っていない。茜はすでに選手を引退しているために感じ取れていないが、司は確かな圧力を感じ取っていた。



(詩織のやつ……海外でどう生活をしたらこうなるんだ?)



 そう思いながら、3人は高校時代のように模擬戦用のアリーナへと移動するのだった。




「試合のルールは学生の時と同じでいいな?」


「おう!」


「大丈夫だよ」


 

 昔のように、茜がアリーナの外から観戦。そして、司と詩織が戦う。この構図は過去を想起させる。茜と司は懐かしいな、としみじみと思っていたが、詩織は違う。彼女はすでにどうやって司を倒すかということしか考えていなかった。




「――試合開始」



「お手並み拝見と行くぜ! 詩織!」



 試合開始のアナウンスが告げられると同時に司はトップスピードで詩織に迫る。以前のような、劣等生と呼ばれていた頃の面影は少しも見えない。日本を代表するにふさわしいクリエイターに成長した司は今出せる最大の力で彼女と戦う。このスタンスは学生時代から変わらない。二人とも全力で戦うのが常だった。



 だが、そんな輝かしい時代の懐かしい思い出は、詩織の力によって消し去られる。



「そっか、日本代表でもこの程度なんだ……」



 小さな声で呟くのを聞いた司は構わず攻撃を続ける。プロの最前線でも通用しているスピードに詩織がどうこうできるわけがない。そう、思い込んでいた。




「おらあああああああああああああッ!!!!」



 射程圏内に入った司は彼女の胴体めがけてフランベルジュを振るう。だが、すでにその場所に彼女はいない。



 ありえない。何をどうしたら目の前からことができるのか。今まで速い、または先読みが優れたクリエイターとは何度も試合をした。だが、今のように完全に見失うなどという事は一度もなかった。



 一ノ瀬詩織はそれをいともたやすく行う。相手の視界から消える事などまるで当たり前かのように立ち振る舞う。



 そして、司は体験したことのない現象に思わず間抜けな声が出てしまうのだった。




「あ、ありえねぇ……」


「こっちだよ、司君」



 背後から声をかけられ、すぐさま振り向くとそこには蒼色の目をした詩織が立っていた。ワイヤーは展開していない。ただただ、立っているだけ。そして司は再び攻撃を仕掛ける。



「くそおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」



 こうして、一方的な試合が開始されてしまうのだった。





 ……30分経過した頃には、既に満身創痍の司と試合前と変わりない詩織がそこに立っていた。司が満身創痍なのは攻撃を受けたからではない。攻撃を一度も当てることができなかったからこそ、満身創痍なのである。



 何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、攻撃を躱されることで彼の心と身体はいつもの倍以上に消耗していたのだ。



 もはや、何も言うことはない。圧倒的なまでの完敗。相手の本気を引き出すこともできない。手も足も出ないなんて次元ではない。単純に遊ばれていた。大人が子どもの相手をするかのように微笑ましい目で見られていた。



「司君、終わりにしよっか」


「あぁ、俺の完敗だ。詩織、本当に強くなったんだな」


「うん。強くなっちゃったよ……でも、強さは時に……」



 詩織はそこで話すのをやめた。そして、司も悟ってしまった。彼女はおそらく強くなったことに喜びを感じていないのだろう。厳密に言うと、喜び以上の悲哀があるように感じた。


 そうこうしていると、茜が室内に入ってくる。



「おい! 詩織!! すごいな!!? 本当に日本代表になれるんじゃないか!」



「うん、そうだといいかな?」



 詩織は先ほどまでの雰囲気を消し去り、いつものように友人と接する。その顔には翳りなど見えない。



「……仕方ねぇ!! 委員会に掛け合う前に御三家と連絡を取ってやるよ、詩織。そこでお前の力を示せばなんとかなるだろう」


「本当に? ありがとうね、司君」


「完敗したからな。約束は守るさ……」



 詩織はこうして世界の頂点への道を歩み始めるのだった。




 一方の司は気丈に振る舞うも、心には確かな傷が残っていた。自分の努力はなんだったのか。ICHにいた時の実力は五分五分だった。あの時の詩織は、ワイヤー使いにしては強い程度だった。だが、今はどうだ。あの実力は底が見えない。司はこの5年間、遊んでいたわけではない。死に物狂いで日本のプロリーグで試合を重ねてきた。時には骨折や内臓に負傷することもあった。それでも心は折れなかった。茜も詩織も頑張っているはずだ。それなのに自分だけが折れていいわけがない。誰よりも自分のために、仲のいい友人のためにその身を削ってきた。



 そして、その結果。とうとう日本代表にまで上り詰めた。今振り返ると長い道のりだったと司は思った。劣等生から始まった高校生活。そこであった友人と切磋琢磨した日々。そして、プロになった日々。だが、長いようで短かった。あっという間だった。努力に努力を重ねた結果、上り詰めた日本代表。



 正直、世界で一番努力をしてきた自信があった。だからこそ、わずかな慢心が生まれてしまった。詩織と会った時は自分が誇らしかった。茜とは定期的に会っていたが、詩織とは5年ぶり。そんな彼女の前に日本代表という肩書きを背負って会えることが嬉しかった。強くなった姿を見せたかった。そう、思っていた。




 だが、現実は非情だ。司の努力はなんだったのかというほどに詩織は圧倒的だった。自分の努力が足りないのか? そう思うも、あの強さはそんなものではないと感じた。これが、天才なのか。凡人には届きえない領域に簡単に踏み込んでしまう。凡人よりも少ない努力で圧倒的な成果を出してしまう。天才は生まれつきのものだ。生まれた瞬間に運命は決まっている。詩織は遅咲きだったのだろうか。そう思うも、やりきれない。天才なんて努力で倒せると思っていた。現実にプロリーグで何人もの天才と呼ばれたクリエイターを倒してきた。



 何が、何が足りないのだろうか。自分にできることは……



 こうして司は自分自身と本当の意味で向き合うことになる。そして、彼もこの先、クオリアに出会うのだった。

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